第8話 雪女と大学。

 駅から歩いて、10分ほど歩くと、ようやく公園の出口にたどり着いた。

すると、目の前には、立派な校舎が見えた。まだ、出来たばかりのような、きれいで新しい校舎だった。

校門の脇には『妖界大学』と書いてあるので、ホントにここが大学らしい。

「とにかく、行ってみましょう」

 雪さんといっしょに校門を潜った。まずは、受付に行こうとして、校舎に歩いて行くと数人の学生とすれ違った。若い男性もいれば、女性もいる。

その誰もが、すれ違う時に俺と雪さんを見て、何かひそひそ話をしていた。

俺は、すごく気になったけど、雪さんは、特に気にする様子もなく、普通に歩いている。

 俺は、受付に行くと、中の人に声をかけてみた。

「あの、すみません」

「ハイ、何でしょうか?」

 事務員と思える中年の女性が言った。

「大学の見学に来たんですけど」

「それじゃ、これを胸につけてください。それがあれば、大学中は、自由に見学できます」

「ありがとうございます」

「それと、もし、時間があるようなら、学長先生にお会いしたいのですが?」

「この時間なら、いると思いますよ。学長は、この先の部屋です」

「ありがとうございます」

 俺は、お礼を言って、言われたとおり、長い廊下の先にある、学長を訪ねてみようと思った。

「ちょっと待ってください。もしかして、あなた、雪姫様ですか?」

 事務員さんに声をかけられて、雪さんは、優しく笑って頷いた。

「そうですけど」

「それは、失礼しました。それでは、こちらが、噂の人間・・・じゃなくて、相手の方ですね」

「そうですが、それが、何か?」

「いえ、何でもありません。どうぞ、お進みください」

 そう言って、事務員さんは、奥に引っ込んでしまった。

「今の、何だったんだ?」

「さぁ」

 雪さんも首を傾げていた。とにかく、俺たちは、言われたとおり廊下を進んでいくと確かに、学長室と書かれた部屋があった。

 俺は、かなり緊張していて、ドアをノックするのもドキドキしていた。

すると、雪さんが軽くノックした。

「どうぞ」

「失礼します」

 中から声が聞こえたので、雪さんがドアを開けて入る。

俺も慌てて後について中に入った。

「久しぶりですね。冬だぬきさん」

「おやおや、誰かと思ったら、雪姫様じゃないか。何年振りかねぇ・・・」

 目の前の大きな机の前にいたのは、まぎれもなく、学長先生だ。

大学のパンフにもついていた写真と同じだ。

「それで、雪姫様が、どうしてここに? まさか、あなた様がこの大学に入るというんじゃないですよね」

「いいえ、入るのは、こちらの人です」

「あの、桜井隆志です。よろしくお願いします。今度、この大学を受験しようと思って、今日は、見学に来ました」

「ほぅ、あなたが、噂の雪姫様のハートを射止めた人間ですか。それは、それは・・・」

 そう言うと、ニコニコ笑いながら、立ち上がると、部屋の真ん中にあるソファを進めた。

俺たちは、学長と向かい合う形で座った。

「そうですか。この大学を希望ですか。それは、歓迎ですよ」

「あの、さっき、こちらの学生さんに聞いたんですけど、人間は、試験がないとか・・・」

「ハイ、ありませんよ。入学試験があるのは、妖怪や化け物だけです」

 学長は、あっさりした口調で言った。それじゃ、あの二人が言ったことは、ホントだったんだ。

「それで、キミは、どの学部を希望ですか?」

 すでに、学長は、俺が入学したつもりでいるらしい。

「その前に、どうして、人間だけが試験がないんですか? この大学には、人間はいないんですか?」

 俺は、疑問をぶつけてみた。

「それはですね、この大学は、妖怪や化け物たちが、人間の世界で暮らせるために、生活のこと、文化や食べ物、娯楽や法律を学ぶところなんです。だから、誰でもいいというわけではありません。きちんと試験をして、人間界でちゃんとやっていけるか、見極める必要があるんです」

 言うことは、もっともな話だけど、人間は試験がないというのは、どう関係するのだろうか。

「つまり、もともと、人間界で暮らしている人間には、その必要がない。だから、試験がないのです。その代わりに、人間は、我々妖怪の世界のことを知ってもらうために、勉強してもらいます。そして、いつか、人間と妖怪が共存共栄する日のために、力になってほしいと思っています」

 俺は、返事の代わりに雪さんを見た。雪さんは、特にいつもと同じ表情だった。

「それで、学部の方は、何を希望ですか?」

「それは・・・ まだ、決めてなくて、見学して、親と相談してから決めます」

「そうですか。それじゃ、これが、ウチの志願書と大学のパンフレットです。親御さんとよく相談して、あなた自身の目で見てから、決めてください。春にまた、お会いするのを楽しみにしてますよ」

 そう言われて、俺たちは、学長室を後にした。

「さて、どこから見てみようか?」

「普通に歩いていれば、自然と目にするものがあると思いますよ」

 雪さんに言われて、俺たちは、大学内をブラブラ歩いてみることにした。

校舎は、三階建てになっていた。グラウンドも広く、スポーツなども盛んのようだった。

学食もきれいでメニューを見ると、どれもおいしそうだった。

すれ違う学生たちも、みんな元気で、楽しそうだ。

ただ、気になることといえば、雪さんと歩いていると、すれ違う人たちが、必ず一度は振り返ることだ。

 俺たちは、学食に隣接してある、オープンカフェで、お茶を飲みながら一休みした。そのときに、パンフレットを開いて、中を見てみる。

書いてあるのは、普通の大学と同じで、スポーツ系から文科系まで、いろいろなクラブがある。

大学の理念や思想、学長の挨拶など書いてあり、中身はさほど変わらない。

しかし、学部となると、わからないものばかりだった。

『妖精学部』『妖怪学部』『未確認生物研究室』『宇宙学』『地底学部』『海底学部』『獣学』『人間生活学部』など、普通の大学では、見たことがないものばかりだった。いったい、この大学は、何を勉強しているのか、さっぱりわからない。

「雪さん、どう思う?」

「隆志さんにピッタリだと思いますよ」

「俺より、裕司のが、好きそうな学部だよね」

「そうですね。裕司くんは、どれも大好きですよね」

 このパンフを見せたら、きっと、弟は医者をやめて、この大学に行くとか言い出しそうだ。

「とにかく、他にも見てみよう」

 俺たちは、腰を上げて、雪さんと大学内を歩いてみる。

すると、テニスラケットを持った、男子学生から声をかけられた。

「キミ、もしかして、雪女かい?」

「ハイ、そうですけど」

「そうか、キミが、あの雪女か。ということは、雪姫さんですね」

「そうですよ」

「それは、失礼しました」

 そう言うと、テニスウェアを着た、いかにもカッコいいこの人は、大袈裟にお辞儀をして見せた。

「初めまして、ぼくは、のっぺらぼうです」

「こちらこそ、初めまして。雪姫です」

 ちょ、ちょっと待ってくれ。今、この人、自分のこと、のっぺらぼうと言わなかったか?

「こちらの方は?」

「この大学を受験しようと思って、見学に来ました。よろしくお願いします」

 俺は、反射的に、そう言って頭を下げた。

「アレ、キミ、人間でしょ。へぇ~、ここに来たいんだ。珍しいね。こちらこそ、よろしく」

 反応がいちいち、ついていけない。その後も、会う人には、同じ反応する。

しかし、みんな、普通の学生なのに、中身は、妖怪とかお化けとか、人間以外ばかりだ。この大学には、普通の人間はいないのだろうか?

「ちょっと、そこのあなた」

 すれ違いざまに、男女の集団から声をかけられた。

振り向くと、その中の一人の女子学生が近づいて、俺のニオイを嗅ぎ始めた。

「ちょっと、この人、人間よ」

「ほぉ~、そりゃ、珍しい」

「あなた、雪女さんね」

「マジかよ?」

「雪姫さんですね。初めて見たけど、きれいな人ね」

 俺たちは、なんかのサークルの勧誘にでもされるのかと、緊張していると、その中から一人男子学生が話しかけた。

「ちょっと、ちょっと、みんなでそんなに話しかけたら、ビックリするじゃないか」

「そうよ、少し、落ち着いたら」

 女子学生も俺たちに気を使って、他の学生たちに注意する。

「ごめんなさいね。普通の人間を見るのは、みんな久しぶりだから」

「ちなみに、俺と、彼女は、キミと同じで、普通の人間だから、安心してな」

 俺も雪さんも、目をパチクリさせて、ビックリするばかりだった。

「キミ、もしかして、新入生?」

「ハ、ハイ、そのつもりです」

「あらぁ、うれしいわ。普通の人間の新入生なんて、二年ぶりよね」

「そうだな」

 この人たちは、ホントに普通の人間なんだろうか?

すると、雪さんが口を開いて、俺に代わって、聞きたいことを聞いてくれた。

「あの、もし、時間がよろしかったら、もっと、大学のことを聞かせてくれませんか?」

「別にいいけど。俺たち、どうせ暇だからな」

「それに、雪姫さんと話ができるなんて、二度とないことだから、あたしはいいわよ」

 それは、うれしいけど、もはや、誰が妖怪で誰が人間なのか、わからなくなった。

俺たちは、大学内の広場にあるベンチに座って話を聞くことにした。

 話によると、この大学には、学生は全部で200人ほど在籍しているらしい。

そのウチ、普通の人間は、たったの20人ほどで、後は、人間以外とのこと。

しかも、去年は、人間の新入生は、三人しかいなかったが、一週間も持たずに中退してしまったらしい。

 話によると、女子は妖精学部が人気で、男子は妖怪学部が人気らしい。

ここにいる人間以外の者たちは、人間の姿となり、人間界に溶け込み、人間として生きる道を選んだものばかりだった。

どうやら、妖怪の世界も住みにくくなっているらしく、いろいろと複雑な事情があるらしい。

 逆に、この大学にいる人間たちは、かなり変わった人ばかりで、妖怪や地底人、宇宙人などに興味があり、それが裏目に出て、人間界からつま弾きされた人たちばかりで、要するに、変人ばかりなのだ。

 俺と雪さんは、そんな大学の現状を現役の学生たちから、直接話を聞くと、どれも感心するばかりだった。

「でもさ、あたしは、キミたちが羨ましいよ」

「どうしてですか?」

 雪さんが、どこからどう見ても、普通の女子大生にしか見えない人に聞いた。

「だって、雪女と人間のカップルなんて、最高じゃない」

「言われてみれば、人種の壁を越えたんだからな。最高だよな」

「あたしも、そんな恋愛をしてみたいわ」

「それは、無理だろ。お前、人魚だし」

「そうよ、ずっと、水の中にいられる人間なんているわけないでしょ」

「そんなのわからないでしょ。そういう、アンタは、カカシじゃん」

「カカシだって、恋をする自由はあるんだぜ」

「畑に一本足で立ってるだけのアンタに、誰が惚れるっていうのよ」

「言ったな」

「言ったわよ」

 なんだ、この会話は・・・ 妖怪同士の痴話ゲンカなのか?

「まぁまぁ、新入生の前で、みっともないからやめなよ」

 普通の学生が仲裁に入ってもらってホッとした。

「それで、キミは、この大学をどう思ってるの?」

「正直言って、迷ってます。でも、すごく興味があります」

「まだ、時間があるから、ゆっくり悩んで学部を選ぶといいよ」

「そうよ。この大学は、すごく楽しいのよ。普通の大学なんかじゃ、知らないことをたくさん教えてもらえるしね」

「それに、楽しい妖怪たちが、たくさんいるしな」

「俺たちみたいにな」

 そう言うと、学生たちは、楽しそうに笑った。

その後、普通の人間の男子学生に、大学内を案内してもらった。

それは、驚くようなものばかりで、雪さんでさえビックリしていた。

 一応、吹奏楽部があるが、顧問の先生は、幽霊のモーツアルトだったり、バッハだったりして感心するより、驚いて声も出ない。野球部やサッカー部など、スポーツ部の監督やコーチは、故人となった伝説の名選手が指導していた。死んだ人が、直接指導なんて、どうやるんだ?

 廊下を歩いていると、その名の通り、幽霊部員たちがうようよしている。

気を付けて下を見て歩かないと、ときどき廊下の床から顔を出している、髪の長い女性のお化けを踏んでしまう。

「気にしないでいいから。そのウチ、慣れるから」

 そう言って、その学生は、普通に廊下を歩いている。

授業を教える先生たちは、異世界から来た伝説と呼ばれる者たちだった。

姿かたちは、普通の人間と変わらない。でも、実は、妖怪だったり、死者だったり、地底人だったり様々だった。

 途中で、ある教室を見せてくれた。広い教室で、ここで講義を聞くんだなと思った。

「よぉ、ちょっと、ノートを見せてやってくれないか」

 机で何か勉強している、知り合いらしい学生に話しかけた。

「今度、入学するらしいんだ」

「そんな奇特な奴がいるとはな。また、どっからきたバケモンだ?」

「お前と同じ、人間だよ」

「そりゃまた、珍しいな」

 そう言って、その学生は、俺を見詰めると、ノートを見せてくれた。

「それ、今日の講義の内容。今度のテストに出るから、勉強してるんだ」

 俺は、そのノートを見せてもらったが、何が書いてあるのか、チンプンカンプンだった。

「あの、これ・・・」

「読めないだろ。これ、妖怪の言葉なんだよ。俺は、妖怪学部だからな。そのウチ、読めるようになるさ」

「雪さん、読める?」

「一応、私は、読めますけど」

「なんて書いてあるの?」

 俺は、雪さんに聞いてみた。

「すごく難しいことが書いてありますよ。妖怪の性質とか特技とか、人間との関わり方とか」

「へぇ、アンタ、読めるんだ」

「この人は、雪女の雪姫さんだ」

「そりゃ、ビックリだ。本物の雪女なんて、初めて見た」

 その学生は、ホントにびっくりしたのか、急に立ち上がって、雪さんを脚から頭まで何度も見ていた。

「とにかく、この大学に入ると、毎日が楽しいよ。退屈なんてしたことないくらいだ」

 確かに、その通りだろう。この大学には、退屈の二文字はなさそうだ。

「それじゃ、一つ、先輩として、教えてやろう」

 その学生は、俺の方に向き直ると、またしても、おかしなことを言い出した。

「授業の一つに、変身学ってのがあるんだけど、その講師の先生って、失敗ばかりで、全然ダメな先生だから、適当にしなきゃダメだぜ」

「あの先生な。オバケのくせに、犬が苦手なんだよな」

「そうそう、頭に毛が三本の変な先生なんだよ」

「でも、弟の先生は、すっごく頭がいいから、授業は出たほうがいいよ」

「でもさ、バケラッタしか言わないから、話を理解するのが、大変なんだよな」

 何を言ってるのか、全然わからない。いったい、この学校の先生って、どんな先生なんだ?

「それと、格闘部の顧問は、時期、大王っていう、すっごく強い人だから、入らない方がいいぞ」

「たまに来て、がっつり鍛えるあの人だろ」

「地獄の貴公子とか言ってるけど、どこまでホントかねぇ」

 恐ろしい先生がいるらしい。しかも、地獄からやってくるとはすごい話だ。

「それから、妖怪の歴史を勉強するなら、真面目に出たほうがいいからな」

「欠席すると、単位くれないからね」

「なにしろ、エンマ大王と幼馴染とか、神様とか悪魔にも友だちがいるとかいう、先生だからな」

「あの親父さんか。すっごく小さい目玉だけの妖怪なんだけど、学長より偉いからね」

 謎が多い先生がいるらしい。やっぱり、この大学は、おもしろそうだ。

「ほかにも、ユニークな先生とか教授がいるから、入学したら、勉強も楽しくなると思うよ」

 現役の学生さんに話を聞くと、いろいろわかってよかった。

その後も、グラウンドを見て、校舎も一通り案内してもらった。

「今日は、ホントにありがとうございました」

「いやいや、入学待ってるからな」

「ホントに、いろいろとありがとうございました」

 俺と雪さんは、何度もお礼を言って、帰ることにした。

途中の電車でも、今日見たことを振り返りながら話は続いた。

「人間の世界には、たくさんの妖怪がいるんだね」

「そのようですね。私も知りませんでした」

「でも、それもいいと思うよ」

「そうですね。人間の姿で、人間として生きるなんて、感心します」

「見えてる世界だけが、世界じゃない。見えない世界もあるんだってことを、今日は、勉強したよ」

「見学に行って、よかったですね」

「俺、あの大学に行くよ。それで、もっと妖怪のことを勉強する。雪さんと幸せになる方法を見つけてみせる」

「ハイ、がんばってください」

 雪さんは、笑顔で何度も頷いてくれた。その帰り、俺たちは、今夜の夕飯の買い物をして帰った。


「ぼくも行く!」

 言うと思った。帰宅して、夕食後に大学の話をすると、弟は目を輝かせて言った。

帰宅した親父にもパンフを見せて、話をした。

「隆志が行きたいなら、お父さんは賛成するよ。でも、裕司は、ダメ」

「えーっ!」

「裕司は、医者になるんだろ。せっかく、付属の高校に入ったのに、もったいないだろ」

 俺と親父と雪さんで、弟を説得するのが大変だった。

最後は、雪さんが「立派なお医者さんになってください」と言う一言で、納得してくれた。

「学費の方は、お父さんが何とかするけど、大学生なら隆志もアルバイトくらいして、自分でも学費を

稼ぐとか、考えてもいいんじゃないか」

「うん、そのつもりだよ」

 俺もアルバイトはするつもりだ。後は、どんなバイトをするかだ。

「それなら、いいところがありますよ」

「えっ? どんなバイト」

 雪さんが、思いがけない話をした。

「最近、商店街においしいお饅頭屋さんができたのをご存じですか?」

 それなら知ってる。買い物に行くと、いつもお客さんがたくさんいた。

この前、買って食べたら、意外においしかったのを覚えている。

「ぼくも知ってるよ。アソコの大福、おいしいんだよね」

 裕司も知ってるらしい。

「私も、知ってるぞ。アソコのみたらし団子は、おいしかったぞ」

 親父も話に乗ってきた。

「それで、そこの饅頭屋がどうしたの?」

「ハイ、そこで、アルバイトを募集してるんですよ。私も誘われたんですが、家のことがあるので、断ったんです」

「そうだったんだ」

「どうですか、隆志さん、そこでアルバイトしてみませんか?」

「雇ってもらえるなら、俺は、いいけど」

「それなら、今度、話をしてみますね」

「雪さんは、そこの饅頭屋さんのこと、知ってるの?」

「ハイ、知ってますよ。だって、お饅頭屋さんの主人は、妖怪ですから」

 事もあろうか、ものすごく重大な話を、雪さんは、あっさり話した。

俺たちは、固まってしまった。

「えっと、あの、今、なんて言った?」

「お饅頭屋さんの主人は、妖怪の小豆洗いさんなんです」

「えーっ!」

 俺は、椅子から転げ落ちそうになった。

「ホントに?」

「ハイ、ホントですよ」

 まさか、妖怪がやってるお店でバイトするとは、思わなかった。

「それなら、ぼくもやりたい」

 またしても弟が張り切り出した。

「裕司はダメ。高校生は、まだ、アルバイトできないだろ」

「チェッ」

 弟は、すごく残念そうにして、口をへの字に曲げた。

「あのお店で作っている餡子もお餅も、手作りなんですよ。小豆洗いさんが、妖怪の里で小豆やもち米を栽培して、一から作っているんです。一人でやってるから、人手が足りないんです。隆志さんがやる気があるなら紹介しますよ。かなり儲かっているみたいだから、きっと、お給料もいいと思いますよ」

 そうなのか・・・ 妖怪が人間の世界で、店を出して、稼いでいるなんて、知らなかった。

確か、あの店の主人は、小さな禿げたおじさんで、いつもニコニコ笑っている人がよさそうだったのにまさか、妖怪だったとは・・・

「雪さん、お願いします」

 俺は、そう言って、雪さんに頭を下げた。

「ハイ、わかりました。今度、いっしょにお店に行ってみましょう」

 そんなわけで、いとも簡単にバイト先が見つかってしまった。

なんとなく、今の俺は、幸運が続くみたいで、うれしくなった。

 とはいうものの、進路相談で、担任の先生になんて言うか?

まさか、妖怪の大学に行きたいなんて言ったところで、相手にされないだろう。

ここは、学長先生に相談する必要がある。

 とにかく、この春から、大学進学も決まり、バイト先も決まって、俺の前途は開けた感じがした。

 

 しかし、だからと言って、勉強しなくていいというわけではない。

これでも、受験生なので、いくら試験がないとはいえ、勉強は勉強としてやっていく。

 冬が過ぎて、桜が咲く春の季節がやってきた。俺も、もうすぐ卒業して大学生となる。そんな時だった。またしても、ウチに変わったお客さんがやってきた。

「こんにちは、こちらに、雪女がいると聞いてきたんですが」

 夕方になったころ、突然、知らない人がやってきた。

見た感じ、スーツ姿のサラリーマン風の男の人だった。

髪もビシッと決めて、真面目そうだ。対応に出ると、いきなり言われたので、ビックリした。

「あの、雪女がいるうちというのは、こちらで間違いないですか?」

「ハ、ハイ・・・」

「ちょっと、お目にかかりたいのですが、お邪魔してもよろしいですか?」

「ハ、ハイ、それじゃ、どうぞ」

 そう言うと、その男は、靴を脱いで部屋に入ってきた。

リビングで待っててもらって、雪さんを呼んできた。雪さんは、二階で、洗濯物を取り込んでいるところだった。

 話をすると、雪さんは、階段から降りてきた。

「まぁ、狼男さん。ご無沙汰してます」

「雪姫さん、こちらこそ、ご無沙汰してます」

 雪さんは、その男を一目見て、狼男と言った。こんな真面目そうな人が、実は、狼男なのか?

「紹介しますね。こちら、狼男さんです。人間界で、お仕事しているんですよ。こちらは、隆志さんと言います」

「初めまして、こういう者です」

 そう言って、狼男と呼ばれる男は、一枚の名刺を出した。

「ぼくは、桜井隆志と言います。よろしくお願いします」

 俺も挨拶をして、渡された名刺を見て、目が飛び出るくらい驚いた。

そこには、超一流の貿易会社の名前が書いてあり、しかも、肩書が、取締役社長だったからだ。

まさか、あの会社の社長が、妖怪だったとは、夢にも思わなかった。

俺は、目を白黒させて、名刺と目の前の男を見た。

「驚かせてごめん。その名刺は、ホントだからね」

「あ、あの、失礼ですが、あなたは、ホントに妖怪なんですか?」

「そうですよ。何なら、ここで、正体を見せましょうか?」

「いえいえ、それには、及びません」

 この人の正体を見たら、絶対、腰を抜かすだろう。見ない方がいい。

「それで、狼男さんは、どう言った御用なんですか?」

 雪さんが、俺の隣に座って、話を聞きだした。

「まずは、ホントに雪姫さんが、人間界に来ているのか、この目で確かめたかったんです」

 そう言って、狼男は、真面目な顔をして言った。

「それと、雪姫さんが惚れたという人間も、この目で見たかった」

 そういうことか。そりゃ、雪女界のお姫様が好きになった相手のことを気になるのも無理はない。それが、いたって普通の人間で、しかも、もうすぐ卒業するとはいえ、俺は、まだ高校生だ。気に入らなかったら、食われるかもしれない。

「それで、隆志さんを見て、どう思いますか?」

「雪姫さんが好きになった相手だから、私が口を挟むことはありませんよ」

 それを聞いて、少しホッとした。

「それと、もう一つ。私どもの会社では、当然だが、社員たちは、人間が圧倒的に多い。しかし、今の時代は、ストレス社会とでもいうか、健康を甘く見ている人間が多い。人間は、我々妖怪と違って、病気もすれば、体力もない。ついでに言えば、肉体的にも精神的にも弱い。そこで、社員たちの健康を考えて、社内に専用の病院を作ろうと思ってます」

 なんだか、難しい話になってきた。こんな話を俺にしていいのだろうか?

「失礼だが、こちらのご家庭のことを調べさせてもらいました」

 そう言うと、狼男は、丁寧に頭を下げた。

「すると、こちらの父上様は、立派なお医者さまとか。是非とも、力をお貸し願いたいと思って、今日は、やってきた次第です。また、御次男様は、医師を希望しているとのこと。それなら、願ってもない。将来は、立派な医師になるよう、力になりたいと、そう思っています」

 ウチのこともすっかり調べ上げているらしい。ということは、俺のことも、わかっているに違いない。

「そちらの御長男様の学費はもちろん、弟さんの学費も、援助しようと思ってます」

 ホントにものすごい話になってきた。こりゃ、俺だけで返事ができる話ではない。

「冬だぬき殿も、春からあなたが入学するのを首を長くして待ってます。将来は、立派な妖怪博士として我々妖怪と人間が、共存できる平和な世界にしてくれることを、期待してます」

 あの学長とも、知り合いなのか。それにしても、妖怪博士とは、俺の将来は、トンデモないことになりそうだ。

「あの、そういう話は、父とも相談しないと、返事が、その・・・」

「もちろんです。父上様ともよく相談して、よい返事を期待して待ってます」

 話の展開がすごすぎて、頭が回らない。とにかく、この話は、親父ともよく相談しないと。

その後、狼男は、雪さんといろんな話して、俺は聞いてるだけで楽しかった。

 こうして、狼男は、名刺を置いて帰っていった。

そして、入れ替わるように弟が帰ってきた。狼男の話をすると、ものすごく残念そうだった。

「ぼくも、会いたかったなぁ・・・」

「今度、会えますよ」

 雪さんは、そう言ったけど、弟は、まだ、惜しそうな顔をしていた。

親父が帰宅してから、名刺を見せながら、話をすると、承知すると言ってくれた。

病院としても、会社との業務提携は、いい話だったようだ。

 それにしても、次々と、いいことが続いて不思議だった。

これも、雪さんがウチに来てからだ。もしかして、雪さんは、幸運の女神なのかもしれない。

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