第7話 雪女の決意。

「少年、お前に、もう一度聞く。正直に答えろ。お前は、妹のことをどう思っている?」

 いきなり直球の質問を投げられて、俺は、困った。この場で、どう答えろというんだ。

親父も弟もいるし、他にも雪女たちが見ている前で、答えろなんて恥ずかしすぎるぞ。やっぱり、雪女は妖怪だけに、空気が読めないらしい。

「どうした、少年。答えられないのか?」

 雪さんを見ると、俺を静かに見ているだけだった。

「俺は、雪さんが好きだ!」

 俺は、キッパリと言った。しかも、かなり大きな声を張り上げた。

「その言葉にウソはないな」

「ない!」

「では、雪は、どうだ。この少年をどう思う?」

 今度は、雪さんに聞いてきた。雪さんは、なんて答えるだろうか?

「私も隆志さんが好きです」

「ウソではないな?」

「ハイ」

 なんとなくホッとした。ここで、嫌いなんて言われたら、俺は、立ち直れない。

「ぼくもお姉ちゃんが好きだよ」

「こら、裕司は、黙ってなさい」

 弟が口を挟むと、慌てて親父がを制した。それを見て、雪さんは、優しく笑った。

「私も裕司くんが好きですよ」

「ほら、兄ちゃんだけじゃないんだぞ。ぼくも好きなんだからな」

 弟は、雪さんの姉を見上げて胸を張っていった。

「雪は、この人間たちに慕われているんだな。この人間たちの目を見ればわかる」

 お姉さんは、そう言うと、少し遠い目をして言った。

「私は、人間を信用していない。ただ一人の男を除いてだ」

「それは、お姉さまが愛した人間ですね」

 雪さんが言うと、お姉さんはゆっくり頷いた。

「あの人は、自分の命をかけて、私を愛してくれた。しかし、その結果、一生氷の中で生きることになった。もはや、死んだも同然だ。だから、私は、あの人と暮らすことにした」

 とても切なくて、悲しい話だ。

「そんな雪女伝説を勝手に作った人間が許せなかった。雪女とみれば、傷つけたりする人間が信用できなかった。だから、あの時、雪が人間界に行ったと聞いたときは体が震えた。しかも、人間に撃たれたという。なのに、妹を助けた人間がいると聞いたときは信じられなかった」

 それが、俺たち家族だったわけだ。

「それでも、私は、人間を信用できなかった。そこで、妖怪たちに様子を見てもらった。だが、話を聞くと、どれもが初めて聞くことばかりで驚いた」

 もしかして、それって、カマイタチとか河童とか、ドラキュラのことじゃないのか?

「しかし、今、こうして、お前たちを見ると、信用できる人間もいるというのがわかった。妹もお前たち家族を好きなこともわかった」

 お姉さんは、そこで話を切ると、少し間を置いてから言った。

「私は、雪女の世界に復帰することにした。雪は、人間界でこの少年たちと暮らすがいい」

「お姉さま・・・」

「まだ、恩は、返していないだろう。この人間たちに、一生かかっても、受けた恩を返すのが、雪女の掟なはずだ。いいか、妹よ。しっかり、恩を返すのだぞ」

「ハイ」

「それと、そこの人間。妹のこと、頼むぞ」

「必ず、雪さんは、幸せにします」

 俺は、固く心に誓った。そして、お姉さんにハッキリ言った。

「ただし、イヤになったら、いつでも、帰ってくるがいい。私たちは、お前のことをいつまでも待っているからな」

 雪さんは、大きく頷くと「ハイ」と元気よく返事をした。

「雪、元気でその人間たちと幸せに暮らすんだぞ」

「ハイ、お姉さまも、あの方と幸せになってください」

 それを言うと、雪女たちは、雪の中に消えていった。

「隆志さん、裕司くん、お父さま、また、あのお家にいてもいいですか?」

 雪さんは、俺たちに言った。もちろん、答えは決まってるじゃないか。

「当たり前だろ。あのうちは、キミのウチでもあるんだ。これからもよろしく頼むぞ」

「ハイ、お父さま」

 雪さんは、親父の手を取って強く握った。

「雪さん、冷たいよ」

「あ、すみません」

 親父は、初めて雪さんの手を触って、雪女という実感を知ったようだ。

「隆志さん、裕司くん、これからもよろしくお願いします」

「こちらこそ」

「よかったね、お姉ちゃん」

 弟に言われて、雪さんは、笑顔になった。

「よし、それじゃ、ホテルに戻るか」

 気が付けば、すっかり雪もやんで、視界も開けてきた。

俺たちは、スキーで滑りながら、地上まで降りた。

だけど、着物姿で滑ってきた雪さんを見て、他の人たちの注目を浴びて、俺は、かなり恥ずかしかった。

 

 やっと部屋に帰ると、力が抜けてホッとして、畳の上にゴロンと横になった。

「なんか、疲れたな」

「うん、緊張したよ。あんなにたくさん雪女を見たの、初めてだもん」

 弟も同じ思いだったらしい。

「驚かせてすまんな」

「別に、いいよ」

 親父が言うので、俺は、そう答えた。

「あの、こんな時になんですが、お友達のなだれ小僧が、皆さんに会いたいと言ってきたんですがよろしいですか?」

「えっ?」

 俺は、思わず起き上がって聞いた。

「なだれ小僧?」

「誰それ? 会いたい、会いたい」

 弟が早速、嬉しそうに言った。

「会えばわかりますよ。楽しい妖怪です」

 雪さんは、笑って言ったけど、果たしてどんな妖怪なんだろう?

これからも、雪さんと暮らすとなると、他にもいろいろな妖怪と知り合う機会が増えそうだ。

 俺と弟は、雪さんとホテルを出て、広場を歩いて、雪さんを助けた場所に出かけた。こうしてみると、一面広がる真っ白な広場は、壮大だった。

「そういや、ここで、雪さんを拾ったんだっけね」

「そうですよ。雪うさぎの私を助けてくれたのは、ここですね」

 俺は、ちょっと前のことを思い出していた。

「なだれ小僧、出てきなさい」

 雪さんは、白い草原に向かって叫んだ。

「お~い・・・」

 すると、どこからともなく、声が聞こえた。

俺たちは、声の主を探して、周りを見渡した、しかし、どこにも、なにもいなかった。見えるのは、ただ真っ白い雪だけだった。

「雪姫ちゃん、久しぶりだなぁ」

 その時、いきなり俺たちの前に、ドスンと大きな音がすると、目の前に雪玉が落ちてきた。

その雪玉から、手足が伸びて、目と鼻と口が見えた。

といっても、ただの黒い目と赤い口が開いているだけだ。

「もしかして、これが、なだれ小僧?」

「いかにも、おいらがなだれ小僧だ」

「すっげぇ~、生きてる雪だるまみたい」

「おい、小僧。そんなに珍しいか?」

「うん、すごいよ、なだれ小僧さん」

「そうでもあるけどな」

 なんで、妖怪がそんなに自慢そうに言うのかわからないが、悪い妖怪ではなさそうだ。見た感じ、雪ダルマにしか見えないし、どちらかといえば可愛い。

「へぇ~、アンタたちが、雪姫ちゃんを助けた人間なの?」

「そうですよ。こちらが、なだれ小僧よ」

「初めまして、よろしく」

 雪さんに紹介されて、俺たちは、妖怪に挨拶した。

「それじゃ、早速、やろうぜ」

「えっ?」

 俺が言い返すのも聞かずに、いきなり雪玉をぶつけられた。

「いきなり、なにすんだよ」

「これが、おいらのやり方なんだ」

 なだれ小僧は、俺たちに雪をぶつけてきた。

「よぅし、ぼくも負けないぞ」

 弟も張り切って、雪をなだれ小僧にぶつける。

いきなり、雪合戦かよ。俺は、ビックリするよりも、雪玉が降ってくるので、避けるのが精一杯だった。

「隆志さんも負けないでください」

 雪さんも雪を握って、なだれ小僧にぶつける。

こうなりゃ、やけくそだ。俺も、負けてられない。

「行くぞ、なだれ小僧」

「よし、来い、人間ども」

 こうして、三人となだれ小僧の雪合戦が始まった。

俺たちは、雪まみれになりながらも、雪合戦に夢中になった。

雪合戦なんて、子供のころ以来だ。次第に、体もポカポカしてきた。

雪まみれになって、寒いはずなのに楽しくなってきた。

弟も雪さんも真っ白になりながら、声を上げて、雪をぶつけている。

なだれ小僧も負けていない。相手は、妖怪なんだ。手加減無用だ。

 すると、なだれ小僧は、自らの体を雪にまみれて、大きな雪の玉になると

俺たちめがけて飛んできた。弟は、声を上げて、笑いながら逃げ惑う。

そして、なだれ小僧の体めがけて、ダイビングした。

「なだれ小僧を捕まえたぞ」

「くそぉ、小僧のくせに、なかなかやるな」

「なだれ小僧だって、小僧じゃないか」

「それもそうだ」

 なぜか、妖怪とすぐに仲良くなる弟だった。

なだれ小僧と、雪の中を走り回る弟を見て、雪さんは、楽しく笑っていた。

「裕司くんは、すぐに妖怪とも仲良くなれるんですね」

「人見知りしないやつだからな」

 俺と雪さんは、弟となだれ小僧が遊んでいるのをおもしろそうに見ていた。

その時、突然、冷たい強風が吹いた。俺は、頭を押さえ、雪さんは、着物の裾を両手で抑えている。

「なんだ、この風」

 俺は、誰に言うでもなく言った。ゆっくり目を開けると、弟のことをなだれ小僧がしっかり抱きしめていた。

「寒風魔王だ」

 なだれ小僧が言った。雪さんは、裾と髪を抑えながら顔を上げた。

「久しぶりだな、雪姫」

 竜巻のように渦を巻いた風の中から声がした。

「寒風魔王、これは、何の真似ですか?」

「お前たちを歓迎しているのさ」

 姿かたちは見えないが、竜巻の中から低い声がした。

「これが歓迎ですか?」

「人間を好きになるなどと、雪女の風上にも置けない妖怪など、吹き飛ばしてやるわ」

 まずい、このままじゃ、俺たちもそうだけど、雪さんがピンチだ。

「寒風魔王、やれるものなら、やってみなさい」

 雪さんは、毅然とした態度だった。弟を抱きしめている、なだれ小僧もその様子をじっとして見ていた。

「フハハハ・・・ さすが、雪女家の姫だな。度胸が据わっているな。感心したぞ」

 何を言ってるのか、俺には、意味がわからなかった。それは、雪さんも同じようだった。

「雪姫を一目見たかっただけだ。悪かったな。そこの人間。お前のことは、聞いている。人間にも、お前たちのようなのがいるとは、今の今まで信じられなかったぞ」

 竜巻の中から声が聞こえるのは、変わらなかった。俺は、右手で顔の前を覆うようにして目を開けた。

「人間と妖怪は、いつの世も、すれ違い。お互いに受け入れることはない。それを、初めて、お前はやるんだ。その覚悟を見たかった。それだけだ。なだれ小僧、いつまでも遊んでないで、さっさと雪山に帰れ」

「ヘ、ヘイ・・・」

 そう言うと、なだれ小僧は、弟を離した。

「小僧、またな。いつでも遊びに来い。また、雪合戦やろうぜ」

「うん、約束だよ」

 弟となだれ小僧は、冷たい握手を交わしていた。

「人間と妖怪が、約束なんて笑わせるな。だけど、お前たちなら、信用できそうだな。雪姫、人間界に行っても、雪女としての誇りだけは、忘れるなよ」

「忘れません。決して・・・」

「そうか、お前たちなら、人間と妖怪の垣根を越えられるかもしれんな。楽しみにしてるぞ。さらば」

 そう言うと、竜巻は、はるか上空に飛んで行った。そして、なだれ小僧は、ドスンドスンと大きな音を立てながら、雪の中を歩いて行った。気が付けば、なだれ小僧は雪の中に消えて行った。

「兄ちゃん、おもしろかったね」

 何を能天気なことを言ってるんだ。まったく、弟ときたら・・・

俺は、言葉が出なかった。その分、雪さんが弟を抱きしめながら言った。

「裕司くんは、妖怪とすぐに仲良くなれるのね」

「だって、おもしろいじゃん。友達に妖怪がいるなんて、きっと、ぼくだけだよ」

「妖怪が、友達ですか・・・ なだれ小僧も、それを聞いたら喜ぶわよ」

「お~い、なだれ小僧。今日から、ぼくとお前は、友達だからなぁ~」

 弟は、雪山に大声で叫んだ。その声が、届いているかわからない。

でも、きっと、届いていると思う。なだれ小僧も、雪山のどこかでそれを聞いて、笑っているだろう。俺は、それを信じたい。


 その後、俺たちは、ホテルに戻った。

部屋に戻ると、親父は、温泉三昧だったのか、すっかり顔を赤くして、頭から湯気を出していた。いくらなんでも、のんびりしすぎだぞ。緊張感の欠片もない。

「お前たちも温泉に入ってきたらどうだ」

「そうだよ。雪合戦して、ちょっと寒いよ」

「でも、雪さんは・・・」

「私なら、大丈夫ですわ。どうぞ、温泉で温まってきてください」

「それじゃ、兄ちゃん、行こうよ」

 弟は、早々と浴衣に着替えると、タオルを持って部屋を出て行った。

俺は、後を追うように、急いで着替えた。

「それじゃ、雪さん、また、後で」

「ハイ、行ってらっしゃい」

 俺は、雪さんに見送られて、露天風呂に向かった。

先に弟が露天風呂に入っている。後から入った俺は、弟の隣に腰を下ろした。

目の前は、一面雪景色だ。俺たち以外に、客がいないので、貸し切り同然だった。

「兄ちゃん、来てよかったね」

「そうだな」

「お姉ちゃんが、ずっといてくれてよかったね」

「そうだな」

「いろんな妖怪に会えたし、友達にもなれたし、おもしろかったね」

「そうだな」

「なんだよ、兄ちゃん、さっきから、そうだなしか言ってないじゃん」

「そうだな」

 俺は、弟に何を言われても、他に言葉が思いつかなかった。

温泉が気持ちよかったのと、景色がいいのと、雪さんの気持ちがわかったのと、他にも雪女たちのこととか

いろんなことがあったことを思い出すと、夢を見ているようだった。

「裕司、お前、お姉ちゃんのこと好きか?」

「当り前じゃん。兄ちゃんだって、好きなんだろ?」

 それには、俺は、素直に答えられなかった。弟を前にして、口にするのは、恥ずかしかった。

「あのさ、前から言おうと思ってたけどさ、兄ちゃんもちゃんとお姉ちゃんにハッキリ、言葉にしなきゃダメだよ。

お姉ちゃんは、雪女で妖怪だから、口に出して言わないと、わかんないと思うよ」

「そうかな・・・」

「そうだよ。兄ちゃんて、そういうところ、ダメだよね」

「うるさい。弟のくせに、生意気だぞ」

 俺は、弟の頭を持って、お湯の中にジャポンと沈めた。

「兄ちゃんだからって、いつまでも、おとなしくしてないからな」

 弟も負けてなかった。大きな風呂の中で、兄弟でじゃれ合うのは、いつ以来だろうか?

幼稚園のころか、小学生になったばかりのころだったかもしれない。

風呂場で二人で大騒ぎして、親父に怒られたことがあった。そんなことを思い出した。

 二人しかいないので、俺たちは、思いっきりはしゃいだ。

その後、背中を流しっこして、露天風呂に二人でゆっくり温まった。

「兄ちゃん、お姉ちゃんを絶対、離しちゃダメだからね。ぼくは、お姉ちゃんのファンだから、兄ちゃんを応援するからね」

「ありがとよ」

 俺は、そう言って、弟の背中を叩いた。


 部屋に戻ると、今夜の夕食の用意がしてあった。

「お前たち、いつまで入ってんだ? メシの支度が出来てんだぞ」

「ごめん」

「心配して、呼びに行こうと思ったんですよ」

「兄ちゃんと、久しぶりにいろいろおしゃべりしてたら、長くなったんだ」

「アラ、何のお話ししてたんですか?」

「それは、兄ちゃんから、聞いてよ。それより、お腹空いたから、食べていい?」

 親父の返事を待たずに、弟は、早速、食事に箸を伸ばした。

親父は、ビールを飲みながら刺身をツマミにしている。

「隆志さんも、いただきましょう」

「そうしようか」

 俺たち四人は、この日もおいしい夕食を共にした。

「それで、お二人でどんな話をされたんですか?」

 雪さんは、冷たく凍らせてから天ぷらを食べてから俺に言った。

「ほら、兄ちゃん、しっかりしろよ」

 隣の弟に言われて、俺は、慌ててご飯を味噌汁で流し込んだ。

「別に、なんてことはないよ」

「兄ちゃん」

 弟は、肘で俺を小突いてくる。

「まったく、兄ちゃんは、お姉ちゃんの前だと、だらしがないんだから」

「何のことだ?」

 親父が口を挟んでくる。

「ぼくから言ってもいいけど・・・」

「いや、それは、ダメだ」

「それなら、ちゃんと言いなよ」

 弟に言われて、俺は、もはやこれまでと思って、雪さんをまっすぐ見て言った。

「あの、俺は、雪さんのこと、好きだから・・・だから、その、あの・・・」

「隆志、しっかり決めるときは、ちゃんと言え。男だろ」

 親父は、ビールをグイっと飲み干すと、俺に目を向けて言った。

「いいですよ。言わなくても、私は、わかってます」

 雪さんは、優しい声で言った。しかし、親父が、さらに続けた。

「いや、雪さんは、黙って聞いてなさい。ここは、隆志がきちんと言わなきゃいかん」

「ハイ」

 親父に言われて、雪さんは、小さく言うと、俺の方を見た。

そんな顔で見詰められると、ますます言えなくなるじゃないか。

「兄ちゃん、がんばれ」

 弟は、そう言いながらも、目の前の料理をパクパク食べている。

「俺は、雪さんが好きです。だから、これからも、ウチにいてください。今は、まだ、子供だけど大人になったら、雪さんと、その・・・ あの、その・・・ 結婚したいなぁと、雪さんがイヤだったら諦めるけど、もし、そうじゃなかったら、いつか、雪さんと、その・・・」 

「ありがとうございます。私は、とてもうれしいです。私は、隆志さんと幸せになります。よろしくお願いします」

 雪さんは、そう言って、静かに頭を下げた。俺も釣られて、お辞儀をした。

パチパチパチ・・・ 弟と親父が、拍手をした。

「よかったな、隆志」

「お姉ちゃん、おめでとう」

 なんだか、照れる。これじゃ、お見合いみたいじゃないか。こんな展開になるとは思わなかった。

「今日の酒は、うまいな。雪さん、隆志のこと、よろしく頼みます」

「こちらこそ、これからも、よろしくお願いします」

 親父は、酔っているのか、少し赤い顔して、嬉しそうに雪さんに言った。

この日の夜は、俺にとって、生涯忘れることができない夜になった。

その後、調子に乗った親父は、よほどうれしいのか、機嫌がよくなって、いつの間に酔っぱらって寝てしまった。

弟は、明日の帰りの支度を始めた。几帳面な性格なのだ。

 俺は、雪さんと部屋のベランダに出て、白い雪の夜の景色を見ていた。

「さっきは、変なこと言って、ごめん」

「そんなことないですよ。ホントにうれしかったんです」

「それならいいけどさ」

「でも、隆志さんは、その前に、やることありますよね」

 それには、俺は、何も返せなかった。ウチに帰ったら、本格的な受験勉強が待ってる。

大学に合格できなかったら、雪さんと結婚なんて、当然話にならない。

俺は、寒いのと、これからのことを思って、体を震わせた。


 ウチに帰ると、すぐに冬休みで、クリスマスと正月だ。

しかし、受験生の俺には、それどころではない。勉強第一なのだ。

 だが、人間界で迎えるクリスマスや正月は、初めてな雪さんは、かなり浮かれている。弟もあれから、ますます雪さんに懐いて離れない。

二人で、クリスマスの飾りつけとか、正月の準備とかしている。

なんか、俺だけ、仲間外れになった気分で、勉強もイマイチはかどらない。

手伝おうとしても『勉強してください』と、言われると何もできないのが歯がゆい。

 冬は、当然のように寒い。雪女の雪さんにとっては、うれしい季節だ。

だけど、俺たちは、普通に寒い。雪こそ降らないが、やはり、寒いもんは寒い。

だからと言って、暖房をつけるのは、雪さんの体調を考えると、おいそれとできない。夏なら涼しくてよかったが、冬は、ウチだけ一段と寒く感じる気がする。

「裕司くん、寒かったら、暖房をつけていいですよ」

「でも、お姉ちゃんは、寒い方がいいでしょ」

「大丈夫ですよ。人間の室温程度なら、溶けたりしませんから」

「だけど・・・」

「裕司くんが、風邪を引く方が、もっと大変だから、遠慮しないでください」

 ウチの中では、俺も弟も、セーターを着たり、ジャンパーを着たり、厚着して過ごしている。それが、雪さんには、却って心配かけてしまっているようだった。

 俺は、のどが渇いて、一階に降りていくと、キッチンやリビングが温かく感じた。

見ると、弟は、長袖のジャージの上下だけで、雪さんとクリスマスツリーの飾りつけをしていた。

「裕司、そんな薄着で、寒くないのか? 風邪を引いたらどうすんだ」

「あっ、兄ちゃん。平気だよ。だって、エアコンかけたから」

「バ、バカ、雪さんがいるんだぞ」

 俺は、そう言って、エアコンのリモコンを探した。

すると、雪さんは、リモコンを手にして、俺に言った。

「隆志さん、心配ありませんよ。この程度の暖房で、溶けたりしませんから」

「で、でも、大丈夫なの? ホントは、暑いんじゃないの」

「平気ですよ。雪女だからといって、暑いと溶けると思っていませんか?」

「違うの?」

「ハイ、これくらいは、へっちゃらです」

 そう言って、雪さんは、いつもの可愛い笑顔で俺を見た。

「それより、勉強の方は、進んでますか?」

「う~ん、まぁまぁかな」

「まぁまぁじゃいけませんよ。がんばってください」

 雪さんにそう言われると、がんばる気力が湧いてくる。

俺は、一休みに、冷蔵庫からお茶を出して、リビングのソファに座りながら、

クリスマスツリーの準備をしている、雪さんと弟を見た。

なぜか、その時、心の独り言が口に出た。

「俺は、大学に行って、何を勉強すればいいのかな? 卒業して、どんな仕事がしたいのかわからないんだよ」

 すると、二人の手が止まって、俺を見た。

「ぼくは、お父さんの後を継いで、医者になるつもりだけど、兄ちゃんはなんかないの?」

「そんなこと、今まで考えたことなかったんだよな」

 すると、雪さんが、俺の隣に座ると、優しそうな声で言った。

「隆志さんは、隆志さんのやりたいことがあるんじゃないですか? 今は、わからなくても、きっとわかるときが来ると思いますよ」

「そうかな・・・」

「ハイ」

 雪さんは、ニコッと笑って言った。その笑顔を信じてみようと思う。

「あのさ、兄ちゃんは、動物が好きなんだから、獣医とか、動物の専門学校とか行けば」

「なるほどな。それもありか」

 弟の一言で、少し道が見えた気がした。

「それかさ、お姉ちゃんのこととか妖怪のこととか、研究するってのもありじゃない」

「えっ?」

「ウチにお姉ちゃんがいるなら、きっと、これからも、いろんな妖怪が来ると思うよ。そのとき、何も知らないんじゃ困るでしょ。だからさ、妖怪について、研究するのもいいんじゃない」

「裕司くん、そんな研究、どこでやってるんですか?」

 雪さんが弟に顔を向けながら聞いた。すると、弟は、自分の携帯をサクッといじって、俺に見せた。

「ここがあるよ」

 そう言って、携帯の画面を見た。雪さんと俺は、二人でその画面にくぎ付けになった。

そこには、ある大学の名前が書いてあった。その名も『妖界大学』といった。

まるで聞いたことがない大学名だった。しかし、弟は、携帯をいじりながら説明した。

「妖界大学、平仮名に直すと、ようかいだいがく。通称、妖怪大学。兄ちゃんだったら、人類学部とか妖精学部とか動物学部、神話学部とか、ピッタリじゃないの」

 俺は、弟の携帯をひったくると、雪さんと夢中で読み上げた。

こんな大学があるなんて、知らなかった。しかも、妖精学とか、神話学って、どんな学部なんだ?

「ちなみに、ここの先生というか、教授の人たちって、みんな、妖怪とかオバケとか、化け物だという、噂らしいよ」

「まさか」

「だから、噂だって。ちなみに、学長先生は、この人ね」

 そう言って、写真を見せてもらったが、どこにでもいそうな、中年の禿げた男だった。

でっぷり太って、貫禄があって、にこやかに笑っている。

しかし、その写真を見た雪さんが、ビックリして、立ち上がった。

「これ、冬だぬきさん・・・」

「えっ?」

 俺と弟は、同時に声を上げた。

「どういうこと、雪さん、この人、知ってるの?」

「知ってるも何も、この人は、雪山をねぐらしている、冬だぬきさんですよ」

「それじゃ、ホントに妖怪?」

 俺が言うと、雪さんは、大きく頷いた。

「ホントなの? それじゃ、噂は、もしかしてホントだったりして・・・」

 弟の目がキラキラしてきた。

「なんで、妖怪が、大学の学長なんかしてるの?」

「それは、わかりません。でも、この人は、間違いなく、冬だぬきさんですよ」

「もしかして、悪い妖怪が、人間の学生を騙しているとか・・・」

「それは、ありません」

 雪さんは、そこは、キッパリ言った。

「冬だぬきさんは、そんなことはしません。たぬきは、長生きすると、化けたぬきになるというのはありますがでも、それは、人間を騙すとかではなく、せいぜい、葉っぱとか犬とかに化けて、人を驚かす程度です」

「それじゃ、何のために?」

 俺は、首をひねった。そこがまったくわからない。冬だぬきと呼ばれる妖怪の意図が不明だ。

「だったらさ、直接、聞いてみればいいじゃん。大学見学とかできるし、ついでに聞いてみたら。お姉ちゃんがいっしょなら、大丈夫じゃないの?」

 俺の中で、何かが閃いた。自分の進むべき道が開けた気がした。

パソコンで調べてみると、大学見学は、いつでもできるらしい。

それなら、早速、見に行こうと思った。もちろん、その時は、雪さんもいっしょだ。

「ねぇ、ぼくもいっしょに行ってもいい?」

「バカだな、裕司は、医者になるんだろ。医学部のある大学に、行くんだろ」

「そうだけどさ、おもしろそうじゃん」

「おもしろいとかいう問題じゃない」

 俺は、弟の申し出は、却下して、近日中に雪さんと大学見学に行くことにした。


 土曜日は、学校が午前中で終わるので、雪さんと待ち合わせて、見学に行くことにした。

駅から電車に乗って、5個目なので、ウチから通っても、一時間もかからない。

 携帯を見ながら降りた駅は、各駅停車しか止まらない小さな駅だった。

ホームも小さく、利用する人は、ほとんどいなくて、ここに通う学生くらいのようだ。駅前も閑散としていて、商店街やコンビニすらなかった。

目の前には、ものすごく広い公園があるだけだった。この時期なので、葉も茶色で覆いつくされている。

大学は、この公園を抜けた先にあった。

 まずは、公園に入ってみる。入り口には『妖界公園』と書いてあった。

遊歩道のような道を二人で歩いていても、森林公園のようで、辺り一面木しか見えない。しかも、ものすごく広いみたいで、歩いていても先がまったく見えない。

「ホントにこの先にあるのかな?」

 なんだか、不安になってくる。歩いていても、公園なのに、人が誰もいない。

家族連れや子供の姿もなく、住宅街でもないらしい。

「なんか、出そうだね」

 俺は、思わず聞いてみた。歩いているのは、俺たちだけで、木々の間から妖怪が出てきても不思議ではない。

「雪さん、妖怪の気配とかしない?」

「特に感じませんね」

 それを聞いて、少しはホッとする。それにしても、どこまで歩けばいいんだ?

俺たちは、並んで歩いていると、突然、雪さんの足が止まった。

「どうしたの?」

「なんか、います」

「いるって、妖怪?」

「それは・・・」

 俺は、周りを気にして見渡してみた。しかし、何も見えない。誰もいないのだ。

「あっ、隆志さん」

 雪さんがそう言って、指を刺した。俺は、その方向を見ると、向こうから若い女性が二人歩いてくるのが見えた。

まさか、あの人たちが、妖怪だというのか? きっと、大学に通う学生だろう。

 そんな美人が二人揃って、俺たちの方に向かって歩いてきた。

二人も俺たちのことに気付いたのか、近くまで来ると足を止めた。

「アラ、誰かと思ったら、雪女じゃない」

「ホント、雪姫ちゃん。久しぶりね。元気?」

 二人は、雪さんを見て、ニッコリ笑った。

「久しぶりですね」

 雪さんもそう言った。どうやら、知り合いのようだ。ということは、この二人は、妖怪らしい。

「それで、アンタが、こんなとこに何の用かしら?」

 雪さん並みにきれいな女性が言った。まるで、モデル体型だった。

茶色の長い髪をなびかせて、薄いグリーンのコートを着て、ブーツを履いている。

目鼻立ちがくっきりして、きれいで澄んだ瞳をしている。

 もう一人は、少し背が低いが、黒い髪をポニーテールにまとめて、赤いリボンが印象的だ。

冬なのに、赤いスカートに白いシャツを着て、真っ赤なヒールを履いている。

目が切れ長で、薄い赤い唇が、とてもきれいだった。

「私じゃなくて、この方が用事があるんです。私は、付き添いです」

 そう言うと、二人の美女は、俺に目をやった。

「初めまして、桜井隆志です。今度、この先の大学を受験しようと思って、今日は見学に来たんです」

 俺は、なんとなく自己紹介をすると、二人の美女は、鼻で笑うように俺を見た。

「アンタ、人間でしょ。それじゃ、噂はホントだったんだ」

 背の高い女性が言った。

「紹介しますね。こちらは、妖狐さん。狐の妖怪です。この方は、猫娘さん。化け猫です」

「ちょっと、化け猫っていうことないでしょ。失礼ね」

「ごめんなさい。猫の妖怪です」

 雪さんは、慌てて言い直した。俺は、美女二人を見比べて、目が点になった。

まさか、こんなモデル並みにきれいな女性二人が、妖怪なんて信じられない。

どこからどう見ても、アイドル並みにきれいな人間にしか見えない。

「アンタ、あの大学に入るつもり?」

「ハ、ハイ」

「ふぅ~ん、それじゃ、あたしたちの後輩ね」

「入学したら、たっぷり可愛がってあげるから、楽しみにしててね」

「いや、でも、まだ、決まったわけじゃないし、入学試験に合格しないと・・・」

 俺は、ちょっと、引きつった顔で言った。

「バカね。あの大学は、人間は、パスなのよ。試験なんてしなくても、入れるの」

「えっ?」

「とにかく、雪女が人間と付き合ってるなんて、笑っちゃうけど、ホントだったとはね」

「いいんじゃない。誰と付き合おうが、雪姫ちゃんの勝手だもんね」

「それじゃ、楽しみに待ってるからね」

 そう言うと、二人は、駅に向かって歩いて行ってしまった。

「雪さん、あの二人って、やっぱり、妖怪だよね」

「そうですよ。私の知り合いです。でも、なんで、妖怪が人間の姿で、大学にいるのかしらね」

 そればかりは、雪さんにもわからないらしい。とにかく、俺たちは、大学に向けて歩き出した。

 

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