第6話 雪女の復活。

 俺は、その日の学校では、まったく授業には身が入らなかった。

先生の話など、右から左だった。頭の中は、雪さんのことで一杯だった。

早く帰って、冷凍庫を開けたい。ちゃんと凍っていれば、雪女だから、元に戻るかもしれない。俺は、奇跡を信じて、急いで帰った。

「兄ちゃん」

「裕司」

 玄関の前で弟と鉢合わせした。

「塾は、どうしたんだ?」

「それどころじゃないでしょ。お姉ちゃんは、大丈夫なの?」

 弟も今日は、塾に行く気にはならなかったらしい。

俺たちは、急いでキッチンに行くと、冷凍庫の扉を開けた。

しかし、バケツの中の濡れた土は、ただ黒く凍っているだけだった。

昨日から、なにも変化がない。それを見て、俺たちは、ガックリと肩を落とした。

「ただいま」

 久しぶりに親父が帰ってきた。

「だいぶ、涼しくなったな」

 親父は、ネクタイを緩めながら言った。

「どうした、何かあったのか?」

 俺は、ポツポツと昨日のことを親父に話した。

親父は、最後まで黙って聞いていた。そして、俺たちの肩を軽く叩いてこう言った。

「雪さんのことは、私たちのような人間には、わからないことだ。どうなるかわからないが、奇跡を信じてみようじゃないか」

 俺も弟も、黙って頷くしかなかった。その日の夕食は、久しぶりに家族三人の、それも、男だけの食事だった。

いつもなら、雪さんがいて、楽しくおしゃべりしたり、笑ったりして、楽しい食事だった。

でも、今夜の夕飯は、誰もが口を開くこともなく、黙々と食べるだけだった。

それも、ご飯のおかずは、冷蔵庫の残り物と、冷凍庫から出した冷凍食品だった。

 家の中が静かだった。いつもなら、雪さんと弟とトランプをしたり、テレビを見たり賑やかだった。

なのに、今は、静まり返っている。雪さんの明るい声が聞こえないだけで、こんなに寂しくなるとは思わなかった。

やっぱり、ウチには、雪さんが必要なのだ。雪女だろうが、妖怪だろうが、そんなの関係ない。

俺は、雪さんが好きだし、弟も姉と慕っている。親父もすっかり頼り切っている。

だから、ウチには、雪さんが必要なのだ。

 部屋にいても、勉強する気も起きない。二段ベッドの上から、弟が下りてきた。

俺は、トイレだと思って、気にも留めなかった。しかし、トイレにしては遅い。

気になって、俺は、一階に降りてみた。すると、弟は、冷凍庫の扉を開けていた。

「裕司、なにしてんだ」

「兄ちゃん・・・ お姉ちゃんは、まだ、元に戻らないの?」

「そんなに開けたり閉めたりしてたら、お姉ちゃんが溶けるだろ」

 俺は、そう言って、扉を閉めた。

「お姉ちゃんは、もう、戻ってこないの?」

 弟が涙をしゃくりあげている。

「バカなことを言うな。必ず、戻ってくる。それまで、待て」

「うん」

「わかったら、もう、寝ろ。明日も学校だろ。それと、明日は、ちゃんと塾に行けよ」

 俺は、弟にそう言って、二階にいっしょに上がった。

俺は、ベッドに寝ると、弟の気持ちが痛いほどわかった。

俺だって、気持ちは同じだ。気ばかりが焦って、何度も冷凍庫を開けてみたくなる。

それを、あえて我慢している。雪女の生きる気力を信じたかった。


 しかし、それから、三日たっても、五日たっても変わらなかった。

その間、ウチは、次第に家族の間でも口数が減ってきた。

親父は、相変わらず仕事で忙しくて、帰宅しない毎日だった。

弟も塾に行くようになって、帰りは遅い。自然と、すれ違いの生活が続いた。

帰宅しても、家の中は、俺一人だけだった。

 もうすぐ秋になるのか、暑かった夏も一段落してきた。

雪さんがいなくても、ウチの中は、涼しくなってきた。それが、俺は、寂しかった。

 その後も何の変化もなく、十日が過ぎた。

「お姉ちゃん、もう、ダメなのかな?」

 冷凍庫を開けた弟がポツリと言った。

「そんなことあるわけないだろ。必ず、雪さんは復活する」

「だって、全然変わってないよ。もう、10日も経ってるんだよ」

「裕司は、お姉ちゃんのことを信じてないのか?」

「信じてるけど・・・」

 弟の気持ちもわかる。信じている心が折れそうなのだ。

俺だって同じ気持ちだ。だけど、俺は、何の根拠がなくても、雪さんが必ず戻ってくることを信じているんだ。

「なんか、早く治る薬とかないのかな?」

 そんなものがあれば、とっくにやってる。親父に言って、薬を処方してもらう。

「お姉ちゃんが好きだったものって、なんだっけ?」

「そりゃ、冷たいものだろ」

「だったら、そうめんとか、かき氷とか入れてあげようよ」

「バカだな。この状態で、そんなもん食えるわけないだろ」

 俺も弟も、何もできない今の状況がもどかしいのだ。

俺たちにできることはないのか、考えている。だけど、思いつくことは、何もない。

結局、俺たち人間には、なに一つできることがない現実を思い知らされる。

それが、悔しくてたまらない。何でもいいから、何かできることがしたい。

「とにかく、メシでも食うか」

「食べたくない」

「そんなこと言ってないで、ちゃんと食うもんは食え」

 食欲がない弟の気持ちは、俺も同じだ。だけど、俺は、無理に食べている。

俺は、冷蔵庫から野菜を取り出して、適当に切って、野菜炒めでも作る。

 こんな時、雪さんといっしょに作った、料理の数々を思い出して、また、胸が締め付けられる。

ウチに来た妖怪たちに言われた言葉を思い出した。『雪姫を泣かせるなよ』その言葉がずっしりと今は重く感じられる。俺は、雪さんを泣かせるどころか、守ることができなかった。

俺は、もしかしたら、カマイタチに食われるかもしれない。ドラキュラに血を吸われるかもしれない。でも、それは、自分が招いた自業自得だから、その時は、素直に受け入れようと思った。

「痛っ!」

 俺は、考え事をしながら料理をしていたので、包丁でうっかり指を切ってしまった。

「大丈夫、兄ちゃん? バンソーコ持ってくるね」

 弟が薬箱を持ってきて、一つを差し出した。しかし、俺は、人差し指から滴り落ちる自分の赤い血を見たまま、固まっていた。

「兄ちゃん、どうしたの?」

 俺は、頭の中で、何かを思い出した。フラッシュバックのようなものだった。

指から血が出ている。その血は赤い。でも、赤い血は、すべてが俺の体から流れるものだろうか? そのときだった。俺は、あることを閃いた。

「裕司、お姉ちゃん、助かるかもしれないぞ」

「えっ?」

 俺は、滴る血を片手で受けながら、冷凍庫の扉を開けた。

バケツの中は、黒く凍った土で、前と変わっていない。

俺は、そのバケツの中に自分の指から滴る真っ赤な血を落とした。

「なにすんだよ、兄ちゃん!」

 俺の行動を止めようと弟が俺の左手をかばった。

「裕司、よく聞け。俺の体の中には、雪さんの血が混じっているんだ。雪女の血が流れているんだよ。だから、この血は、雪さんの血でもあるんだ。もしかしたら、この血で、お姉ちゃんを助けることができるかもしれない」

 俺が高熱でうなされていた時、雪さんは、自分の血を俺に舐めさせた。

そのおかげで、俺は、助かった。雪女の冷たい血が、俺の高熱を下げた。

その血は、今も、俺の体の中に流れているはずだ。だったら、この血で、今度は、雪さんを助けたい。

だって、この血は、雪さんの血でもあるんだ。今度は、俺が雪さんを助ける番だ。

 俺は、熱でうなされていた時のことを弟に話して聞かせた。

黙って聞いていた弟は、最後には、わかってくれた。

俺の赤い血が黒いバケツの中に混じっていく。頼むぞ、俺の血。俺は、そう祈らずにはいられなかった。

その後、俺は、傷ついた指にバンソーコを巻いて、ベッドに入った。


 翌朝、俺は、いつものように起きる。二段ベッドの上で寝ている弟も起こした。

二人して、眠い目を擦りながら階段を下りて行った。

そこに、信じられない光景を見た。

「おはようございます。隆志さん、裕司くん」

 そこには、雪さんがいた。白いエプロンを付けて、俺たちの朝食を作っていた。

「お姉ちゃん!」

「裕司くん、顔を洗ってきてください」

「ホントにお姉ちゃんなの?」

「ハイ、そうですよ」

「ホントに、ホント・・・」

「ホントですよ」

「夢じゃないんだね」

「夢じゃないですよ」

「お姉ちゃん・・・」

 弟は、そう言うと、雪さんに抱きついて、声をあげて泣いた。

「お姉ちゃ~ん・・・」

 雪さんは、そんな弟を優しく抱いて、頭を撫でている。

これは、夢じゃないだろうか? 俺は、まだ、夢を見ているのか?

「裕司くん、男の子が朝から泣いてちゃダメですよ。顔を洗ってきてください。もうすぐ、ご飯ですよ」

「うん」

 そう言うと、弟は、涙をぬぐって洗面所に急いだ。

そして、雪さんは、俺を見て、こう言った。

「ただいま、隆志さん。また、隆志さんに命を助けてもらいましたね」

「雪さん」

「二度も命を助けていただいて、恩返しのやり直しです」

 俺は、考えるより先に、雪さんを抱きしめていた。

「よかった・・・ ホントに、よかった」

「隆志さん・・・」

「お帰り、雪さん」

 俺は、他に思いつく言葉がなかった。気が付いたら、俺も泣いていた。

「隆志さん、男の人が、滅多に泣くものではないですよ」

 俺は、弟が戻ってくる足音を聞いて、雪さんから離れて、見えないように涙を拭いた。戻ってきた弟は、スッキリした顔をしていた。

「裕司くん、おはようの挨拶がまだですよ」

「お姉ちゃん、おはようございます」

「ハイ、よくできました。今朝の朝ご飯は、裕司くんの好きな、卵焼きとお豆腐のお味噌汁ですよ」

 そう言って、テーブルには、朝食が並んでいた。

「いただきま~す」

 裕司は、俺より先に、箸をつけた。

「おいしい。おいしいよ、お姉ちゃん」

「たくさん食べてくださいね」

 俺は、弟と雪さんの会話を聞いているだけで、お腹が一杯になってきた。

朝から、涙が止まらなかった。俺は、雪さんに見つからないように顔を洗った。

 久しぶりの三人の食事だ。もちろん、雪さんは、温かいご飯にも息を吹きかけて、凍らせてから食べる。

そんないつもの見慣れた光景が戻ってきた。それが、俺はうれしかった。

俺の祈りが通じたのか、奇跡が起きたのか、それはわからないが、今は、とにかくうれしかった。

 俺は、いろいろ聞きたいことが山ほどあったが、雪さんに学校から帰ってきてからといわれて弟と二人で、後ろ髪を引かれながら登校した。

今日は、違う意味で、授業どころじゃなかった。早く帰って、雪さんに会いたかった。それは、弟も同じだったらしく、学校が終わると、俺より先に帰宅していた。

しかし、雪さんに塾に行くように言われて、渋々塾に向かったというのは、夜になって聞いた話だった。

 俺は、学校が終わると、はやる気持ちを抑えていたが、自然と小走りで家に向かっていた。

「おい、少年。ちょっと待て」

 いきなり声をかけられたけど、自分のことだと気が付かないまま、そのまま歩き続けた。

「そこの少年、待てと言ったのが、聞こえないのか」

 二度目の声で、やっと、自分のことだと気づいて立ち止まった。

正直言って、今は、急いで家に帰って雪さんに会いたかった。

 すると、俺に声をかけたのは、見知らぬ若い男だった。

背が高く、痩せ気味の若い男は、上下白いスーツを着て、髪も薄い水色で、顔色も雪さんのように白くてきれいに見えた。

「お前が、雪姫が好きになったという人間か?」

「えっ?」

「どうやら、噂はホントだったようだな。見たところ、普通の人間だけどな」

 なんだこの男は? 俺にケンカを売ってるのか? でも、雪さんのことを知ってるということはこの男も妖怪なのか? だったら、ケンカは、買わない方が賢明だ。

「あの、あなたは?」

「俺は、氷魔人。雪女家の召使いさ」

「召使い?」

「お前が、雪姫を見殺しにした人間なんだな」

「見殺しって・・・」

「雪姫を見殺しにした罪は重いぞ。お前の命を持って、償ってもらう」

 この男の目を見れば、本気なのがわかった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。見殺しなんてしていない」

「この期に及んで、言い訳するなんて、見苦しいぞ」

「そうじゃない。雪さんは・・・」

 俺は、雪さんが生き返ったことを言おうとした。

しかし、その男は、俺の言うことなど、聞く耳を持たない感じだ。

男が、ゆっくり俺に近づいてくる。俺は、少しずつ、後ずさった。

「覚悟は、いいか」

 男の右手が、氷の刃に変わった。俺は、壁まで追い詰められた。

首元に、冷たい氷の刃の感触を感じた。

「待ちなさい!」

 俺と男は、同時に声のする方を振り向いた。

そこには、雪さんが立っていた。

「雪さん」

「雪姫!」

 雪さんは、俺の手を引いて、前に進み出た。

「門番のあなたが、何の真似ですか?」

「どうして・・・ 雪姫が・・・」

「隆志さん、おケガはありませんか?」

「俺なら、大丈夫だよ」

 雪さんは、買い物帰りらしく、片手に袋を持っていた。

「どうして、雪姫が・・・」

 男は、かなり動揺している様子だった。

「私が溶けてなくなったと思っているなら、大間違いですよ」

 雪さんは、毅然とした態度で男に迫った。

「勘違いにもほどがあります。私は、隆志さんに命を助けてもらったんです。こうして、生き返りました。さっさと、氷の国に帰って、この事を知らせてください」

 男は、まだ、その場に突っ立っていた。

「ここは、あなたの来るような場所ではありません。さっさと、お帰りなさい」

 雪さんのこんなに厳しい顔を見たのは、初めてだった。

「さぁ、隆志さん、行きましょう。今夜は、隆志さんの好きな、オムライスですよ」

 そう言って、男の前を通り過ぎて、ウチに向かって歩き出した。

俺は、慌てて雪さんの後を追った。俺は、何度か、男の方を振り向いたが、男は、後をついてくるようなことはなく、俺たちを見送っていた。この男は、いったい、何者なんだろう?

どちらにしても、こんな男を一括するなんて、やっぱり、雪さんは、お姫様なんだと改めて思った。

ウチに着くと、荷物をキッチンのテーブルに置くと、エプロンを付けながら話してくれた。

「さっきは、すみません」

「いや、いいんだ。別に、何もなかったから。それで、あの人は、何者なの?」

「私たちの国の門番というか、雪女たちの見守り役をしている人です」

 なるほど。さっき、雪さんが、男に門番といったのは、そういうことなのか。

「私が、溶けてなくなったことを確かめに来たんでしょう。でも、私が生き返ったのを見てきっと、驚いたんですね」

 なんとなくだけど、あの男の気持ちもわかる気がする。

自分が守るべき、お姫様が溶けてなくなったと聞いたら、責任を感じただけでなく、

俺に対して、腹が立ったのかもしれない。あの時、雪さんが来てくれなかったら、

俺は、ホントに死んでいたかもしれない。

 俺は、気持ちを落ち着かせると、雪さんに聞いた。

「それより、雪さんは、どうして、生き返ったの?」

 一番聞きたかったことだ。

「私の溶けた身体を凍らせてくれたので、助かりました。それに、隆志さんの血が、私を救ってくれたんです」

 やっぱり、俺の考えは、間違ってなかったんだ。それを聞いて、神様に感謝した。

奇跡が起きたんだ。俺は、確信した。

「ただいま」

 親父と弟が、いっしょに帰ってきた。

親父には、知らせておいたので、心配して早く帰ってきたらしい。

「お帰りなさい」

「雪さん・・・ホントに、雪さんなのかい?」

「ハイ、隆志さんに、また、命を助けていただきました」

 そう言うと、親父は、まだ、信じられないという目で雪さんを見ていた。

「お姉ちゃん、もう、どこにもいかないよね」

「ハイ、また、恩返しのやり直しです。もうしばらく、ここにいますよ」

 弟に優しく語りかける雪さんが、姉というより、母親に見えた。

「お父さま、もうしばらく、こちらに置いてくれますか?」

「当り前じゃないか。ここは、雪さんのウチだから、いつまでもいてくれて構わない」

「ありがとうございます」

 親父は、なんか感動的な話をしてくれた。親父を見直したぞ。

「お風呂が沸いているので、お父様からどうぞ。裕司くんは、着替えてきてください」

 雪さんに言われて、親父は風呂に、弟は、自分の部屋に行った。

「とにかく、よかった。雪さん、これからもよろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 雪さんは、そう言って、丁寧にお辞儀をした。

「お姉ちゃん、今夜のおかずは何?」

 弟が階段を駆け下りてきた。

「今夜は、オムライスですよ」

「やった。ぼくもなんか手伝うよ」

「裕司くんは、宿題のが先ですよ」

「えーっ!」

「それが終わったら、手伝ってください」

「ハ~イ」

 弟は、かなりガッカリしながら、部屋に戻って、宿題を始めた。

俺や親父の言うことは聞かないのに、雪さんの言うことは、素直に聞く弟だった。

 俺は、雪さんの隣に並んで、食事の準備を始めた。

その後、久しぶりに四人での夕食だった。楽しかった。弟は、オムライスを夢中で食べている。親父は、雪さんの話を聞きながら、ビールを飲んでいる。

賑やかで、楽しい夜だった。やっぱり、雪さんがいると、明るく楽しい雰囲気だ。

 いつものように、雪さんは、一口ごとに、息を吹きかけて、凍らせてから口に運んでいる。

そんな光景も、今や当たり前のことなのに、久しぶりという感じで新鮮に見えた。

 しかし、さっきの男は、大丈夫なのだろうか? このままでは済みそうもない気がする。その予感は、やっぱり、当たった。


 しかし、まだまだ、俺には、いろんなことが起きたのだ。

夏が過ぎて、秋になり、冬がやってきた。俺たちにとっては、寒い季節だが

雪女である、雪さんにとっては、いい季節となった。

俺たちが住んでいる地域は、雪はめったに降らないが、寒さは同じだった。

特に、ウチには、雪さんがいるので、一段と寒さを感じる。

夏ならいいけど、ただでさえ寒い冬は、俺たち家族に限っては、厳しい寒さなのだ。

寒いからといって、ストーブやエアコンで暖房をするのは、雪さんのためには、余りよくない。

「兄ちゃん、やっぱり寒いよ。こたつくらい出さない?」

「ダメダメ、我慢しろ。雪さんが溶けちゃったらどうすんだ」

「そうだけどさ、ぼくたちは、寒いよ」

 確かに弟の言うとおりだ。俺だって寒い。家の中なのに、吐く息が白い。

すると、雪さんがそんな俺たちを気遣って、こんなことを言った。

「寒いのを我慢すると、風邪をひきますよ。私に気兼ねなく、暖房をつけてください」

「でも、それじゃ、雪さんが・・・」

「大丈夫ですよ。私も随分、この世界に慣れました」

 そうはいっても、やっぱり、暑さは苦手なのだ。

「それじゃ、俺たちの部屋は、暖房を効かせるけど、キッチンとリビングは、普通にしよう」

 俺たち家族にとっての妥協案だった。雪さんは、なんともないとはいうものの、

俺は気になる。弟もなんとか、わかってくれたので、一安心だった。

「ただいま」

 親父が帰ってきた。三日ぶりの帰宅だった。

「お帰りなさいませ」

「雪さん、キミは、雪女だから、寒い冬は得意だよね」

「ハイ」

「雪国とか好きだよね」

「ハイ、好きですよ」

「どうかな。キミさえよければ、初めて会った、あの雪山にみんなで行ってみないか?」

 親父がビックリするようなことを言った。

「隆志も裕司も、どうだ?」

 俺と弟は、顔を見合わせた。何しろ、初めて雪さんと会った。あのいわくつきの雪山だ。

もっとも、その時は、雪うさぎの姿だったから、まさか、雪女だとは思わなかった。

でも、初めて会ったのは、確かに、あの時だ。

「雪さん、どうかね?」

 雪さんは、少し考えてから、口を開いた。

「皆さんさえよければ、行ってもいいですよ」

 雪さんは、そう言ったけど、俺は、なんとなく気が進まなかった。

あの山は、まだ、本格的な冬でもないのに、雪が降っているという。

雪女の国に近いのだろうか? スキーには、ちょっと早い気がする。

それとも、親父に何か考えがあるのだろうか? どっちにしても、行ってみないとわからない。

弟も喜んでいるし、雪さんも乗り気なら、俺もそれに乗ってみようと思った。


 カレンダー的に、連休があったので、その日に、二泊三日で行くことになった。

泊まるホテルは、あの時と同じところだった。雪さんと会って、年が明けたら一年になる。ちょっと前のことなのに、俺は、懐かしさを感じていた。

 初日は、楽しくスキーをした。雪さんは、言うまでもなく、冬のスポーツはプロ級だった。

てゆーか、いつもの着物スタイル以外のスキーウェアを着ているのは、初めて見たので、新鮮だった。

 弟も運動は、得意なので、雪さんに教わりながら、楽しんでいる。

親父は、ホテルでゆっくり温泉なんかにつかってのんびりしている。

俺は、二人について行くのがやっとで、ぎこちないながらもスキーを楽しんだ。

 夕食は、雪さんのために、部屋食にしてもらった。

他のお客さんの前での、雪さんの食事の仕方を見られるのは、イヤだった。

もちろん、雪さんは、熱い温泉は入れないので、俺たち家族三人だけで露天風呂に行った。

「なんか、少し前のことなのに、懐かしいね」

「そうだな」

 弟と親父が真っ暗な夜の中に輝く、白い雪山を見ながら言った。

「なぁ、親父、なんで、ここに来たんだよ?」

「今にわかるよ。隆志も、懐かしいだろ」

 親父は、なんか意味深なことを言った。

夜は、四人で寝るかわけだが、雪さんは、弟と俺に挟まれて、就寝した。

 二日目も、スキーを楽しむつもりだった。

「今日は、お父さんも行こうかな」

 親父もスキーをすべるつもりで、ウェアに着替えると、俺たち四人で、リフトに乗り込んだ。雪さんも、寒い雪山なので、体調もよさそうで、楽しそうだった。

 俺たちは、四人でリフトに乗って、頂上まで行った。

ここから下まで降りるのは、大変だぞ。何回転べば、地上に着けることやら・・・

俺は、不安しか感じなかった。

 ところが、急に天気が荒れてきて、吹雪いてきた。

俺たちは、リフトがあった小屋にとりあえず隠れることにした。

しかし、よく見たら、頂上にいるのは、俺たち四人だけだった。

「親父、降りたほうがいいんじゃないか?」

「大丈夫だ。ほら、吹雪きもやんで来たぞ」

 心配して言ったそばから、吹雪が静かになってきた。

今のウチに、滑って下に戻ろう。俺は、そう思って、スキーを履いた。

「兄ちゃん、アレ見て」

 しゃがんでスキーを履いていた俺の肩を、弟が叩いた。

顔を上げると、真っ白い雪の中に、誰かがいた。それも、宙に浮いている。

「皆さん、下がってください」

 雪さんが、前に出て俺たちを庇うようにした。

「雪さん、どうしたの?」

「来ます。気を付けてください」

 雪さんは言った。しかし、なにが来るというのだろう?

そのとき、風が強く吹いた。俺たちは、目を庇うように手で顔を隠した。

その手を放して目を開けると、そこには、白い着物を着た女の人たちが、何人もいた。それも、空中高く浮いて俺たちを見下ろしていた。

「なんだ、この人たちは?」

「兄ちゃん、雪女だよ」

「雪女?」

「だって、お姉ちゃんと同じ着物を着てるじゃないか」

 改めてみると、全員、雪さんと同じ白い着物を着ていた。

「マジか・・・」

 俺は、呆然とその雪女の集団を見上げていた。

すると、一人の雪女が俺たちを見下ろして言った。

「妹よ、ホントに生き返ったのか?」

「お姉さま!」

「お姉さま?」

 俺と弟の声が同時だった。

「氷の門番の話を聞いたときは、正直、驚いた。ホントに、雪姫なのか?」

「ハイ、そうです」

 そう言うと、雪さんは、着ていたウェアから一瞬にして、元の白い着物姿に変わった。

「これでも、信じてくれませんか?」

 雪さんは、堂々とした姿で、雪女の集団を見上げて言った。

すると、お姉さまと呼ばれた一人の雪女が下りてきた。

確かに、近くで見ると、あの時見た、雪さんのお姉さんだというのがわかる。

「よく、戻ってきたな」

 そう言って、雪さんを抱きしめた。姉妹の再会を俺は、うれしく思った。

「兄ちゃん、よかったね」

「そうだな」

 弟と俺は、そう言って喜んだ。

しばらく喜びの抱擁をすると、姉と呼ばれた雪女は、代わって俺たちの方を見た。

「人間よ、妹を助けてくれて、ありがとう。心から、礼を言う」

 そう言って、丁寧に頭を下げたので、俺たちも、反射的にお辞儀をした。

「私は、二度も、隆志さんに命を助けてもらいました。それは、ホントなんです」

「わかっている。雪姫を見れば、言わなくてもわかる」

 そう言って、俺たちを見た。その目は、どこまでも冷たく、そして、寂しそうだった。そう言えば、この人は、愛した人を今も永遠に氷に閉じ込めたまま、一人寂しく暮らしていると聞いた。

同じことを今度は、妹の雪さんがやろうとしている。自分と同じことをさせたくない、姉の気持ちを察すると俺は、言葉が出なかった。

「そこの人間、この少年たちを連れてきてくれて、感謝する」

「連れて来たかいがありましたよ」

 親父は、雪さんのお姉さんに言った。

「親父、どう言うことなんだよ?」

 俺は、訳がわからず、親父に聞いた。

「実はな、雪さんのお姉さんと少し前に会ってな・・・」

 親父は、俺も知らなかったことを話してくれた。

仕事の帰りに、雪さんのお姉さんと会った。氷魔人の話で、妹が生き返ったことを知った。しかし、それは、とても信じられなかった。あの、地獄の鬼との戦いのとき、雪女たちの目の前で雪さんは、確かに溶けてなくなったのだ。だからこそ、生き返るとは、とても信じられなかったのだ。

だから、この目で確かめたいと親父に言った。そこで、親父は、このスキー場に、俺たちを連れて来た。

それならそれで、最初に言ってくれればよかったのに・・・

「信じてくれないと思ったから、言わなかったんだ。すまなかったな」

 親父は、あっさり認めて謝ったけど、別にそのことを責める気はなかった。

 

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