第4話 雪女との約束。

 夏休みも終盤になった。俺は、相変わらず夏期講習で、弟は塾で、昼間は、雪さん一人の時間が多くなった。

そんなある日のことだった。夕食を済ませて、三人でトランプでババ抜きをしていると、玄関のチャイムが鳴った。

「ただいま」

 親父の声がした。こんなに遅く帰ってくるなら、病院に泊まってくればいいのにと思った。

「すまんね、こんな遅くに帰ってきて」

「いいえ、ここは、お父様の家なんですから、いつでも帰っていいんですよ」

「おい、隆志に裕司、ちょっと来なさい」

 親父に呼ばれて、トランプを中断した。すると、そこにいたのは、親父だけでなく、見知らぬ男女もいた。

「ドラキュラちゃんにカマイタチさん、いったい、どうして・・・」

 雪さんは、二人を見て、目を丸くしている。

「紹介しよう。こちらは、カマイタチさん。こちらは、吸血鬼のドラキュラさんだ」

 俺と弟は、ビックリして、声も出なかった。

カマイタチと呼ばれる男は、中年のさえない男だった。グレーのコートを着て、ボサボサの茶色の髪に目つきが鋭く怒っているように見える。口を尖らせて、なんだか取っ付きにくい感じだ。

 それに引き換え、ドラキュラと呼ばれたのは、若くて美しい女性だった。

金髪美女というのが、わかりやすい。モデルか、外人にしか見えない。

セクシーな胸が大きく開いたドレスに、派手な化粧をして、唇が真っ赤だった。

「よろしくね」

 ドラキュラがウィンクしながら俺たちに言った。

「ふん」

 カマイタチの男は、鼻を鳴らして横を向いているだけだ。

「あの、どうして、お父様が、この方をご存じなんですか?」

 雪さんの疑問は、俺の疑問でもあった。

「それなんだがね。私は、この二人に助けてもらったんだよ。それでな、お礼にウチに連れてきたってわけだ」

「えっ? この二人が、お父様を助けたんですか?」

 雪さんは、すごく驚いていた。

「別に、助けたわけじゃねぇさ。この人間から、雪姫のニオイがしたから、殺さなかっただけだ」

「そうよ。あたしだって、血を吸いに来たのに、雪姫ちゃんのニオイがしたから、ひょっとして、雪姫ちゃんを助けた人間て、この人じゃないかと思ったから、血を吸わないであげただけよ」

 妖怪の二人は、驚くような話をした。俺と弟は、顔を見合わせて、ただ目をパチクリさせるだけだった。

「あの、お二人は、どうして、人間界に?」

「決まってるだろ。雪姫が、ホントに人間界で暮らしてるのか、見に来たんだよ」

「そうよ。雪姫ちゃんが、人間界にいるって聞いたときは、ビックリしたのよ」

 そう言って、雪さんをじっと見つめている。

「あの、雪さんは、この人・・・じゃなくて、妖怪さんたちを知ってるの?」

「えぇ、まぁ・・・」

 雪さんは、小さく答えた。

「あたしと雪姫ちゃんは、子供のころからの遊び相手なのよ」

「オレは、雪姫をずっと、思っていただけだ。片思いだけどな」

 それが、ホントだとすると、この妖怪たちは、悪い妖怪ではないと思った。

「それで、どうして、お父様を助けたんですか?」

 雪さんが言うと、親父が事情を話し始めた。

その日は、難しい手術だった。手術の終わり頃、血管を謝って傷つけて出血が止まらなかった。

輸血をしたが、間に合わない。その時、助手をしていた看護師の一人が、血管をあっという間に縫合して、自分の血液を輸血して、なんとかその場を乗り切った。それが、ドラキュラさんだった。

 また、メスが一本足りないことに気が付いた。しかし、手術を中断することができない。そんな時、同じく助手をしていた看護師の一人が、スパッと体の部位を鮮やかに切った。

それが、カマイタチだった。こうして、アクシデントはあったものの、無事に手術も成功した。

 手術後、お礼を言おうとしたが、親父は、その二人のことを知らなかった。

見たこともない顔だった。逆に、二人から、雪さんのことを聞かれたらしい。

それで、二人を自宅に招いたという話だった。

「とにかく、二人のおかげで、手術も成功したんだ。お礼に食事に誘ったら、ウチに来たいっていうんでね」

 親父は、ホントに二人に感謝しているようだった。

しかし、肝心の二人は、余り話を聞いていない。

「そうでしたか。私からも、お礼申し上げます。ありがとうございました」

 雪さんが、二人に丁寧にお礼を言って、頭を下げた。

「俺たちからも、親父を助けてくれて、ありがとうございました」

 俺と弟も、感謝の気持ちを込めて、お礼を言った。

「いいのよ、そんなの。あたしたちだって、あの患者は、この人が手術しなかったら、死んでたんだしね」

「どうせ、助からない命なら、俺が食ってやるつもりだったんだし」

「あたしは、血を飲みたかったのよ」

 そんな恐ろしいことを、笑顔で言われても、逆に怖い。

「だけどよ、この人間から雪姫のニオイがしたし、話を聞いたら、ウチにいるっていうから、付いてきたってわけだ」

 事情はわかったけど、動機が怖すぎて、返事に困る。

「ねぇ、おじさん」

「おじさんじゃねぇよ。俺は、カマイタチって言うんだ」

 弟が、カマイタチに話しかける。危ないから、話しかけない方がいいと思うが、

弟は、好奇心旺盛で誰にでも気軽に話しかける性格だから、仕方がない。

しかし、相手は、カマイタチだぞ。間違って、首でも切られたら、一巻の終わりだ。

「カマイタチさんて、ホントにカマを持ってるの?」

「少年。いい質問だ。見せてやるから、ちゃんと見とけよ」

 そう言うと、カマイタチは、着物の袖に隠していた両手を出した。

その手は、普通に俺たちと同じ手だ。指もちゃんと五本ある。

「いいか、よく見とけよ」

 そう言うと、カマイタチの両手が、鋭いカマに姿を変えた。

「うわっ! すごい」

「おいおい、近寄るなよ。触ったりしたら、お前の指なんざ、スパッと切れちゃうぜ」

 確かに、見た目が切れ味鋭そうだ。

「そうそう、それだよ。あの時は、助かったよ」

 親父が、思い出したように言った。でも、それは、メスじゃなくて、カマだけど・・・

「どうだ、すごいだろ。何でも切れるんだぞ」

 説得力抜群のカマだ。ピカピカに光って、何でも切れるというのは、ウソじゃないだろう。

「これで、人間を切り刻んで、食べようとしたんだけど、雪姫の知り合いだから、やめたんだ」

 意外にカマイタチは、いい妖怪なのかもしれない。やろうとしたことは、怖すぎるけど。

「あたしだって、まさか、血を吸いに来たのに、逆に自分の血を輸血するなんて、思わなかったわ」

「ドラキュラさんのおかげで、輸血が間に合って、助かったんだ。ホントにありがとう」

 親父がホントにうれしそうに言うと、美人のドラキュラは、手をヒラヒラさせてこう言った。

「いいのよ。雪姫ちゃんの知り合いから、血を吸うわけにいかないからね」

「でも、そのおかげで、雪姫に会えたんだから、結果オーライだな」

 そう言って、カマイタチは、その手を元の人間の手に戻すと、着物の袖に隠した。

「お父様、お食事まだなんでしょ? 二人もどうぞ、食べてください」

 雪さんは、冷蔵庫にあるもので、チャチャっと料理を作ってテーブルに並べた。

「そう言えば、腹が減ってたんだ。雪さん、ありがとう。二人も、よかったら、食べてください。雪さんは、料理上手なんですよ」

 親父が言うと、二人は、テーブルに並んだ料理を見ながら言った。

「へぇ~、あの雪姫ちゃんが、料理をねぇ・・・」

「う~ン、信じられない」

 この二人は、雪さんをどう見ているんだろう?

「人間を食い損ねて、腹も減ってるから、いただくとするか」

 カマイタチは、そう言うと、椅子に座った。

「あたしは、血を吸うのが食事だから、遠慮しとくわ」

「そう言うと思ったから、これをどうぞ」

 雪さんは、ドラキュラさんに、トマトジュースをコップに注いで出した。

「本物の血液じゃないけど、我慢してね」

「ホントは、血じゃないとおいしくないんだけど、雪姫ちゃんだから、それで、勘弁してあげるわ」

 そう言って、ドラキュラさんは、トマトジュースをゴクゴクと飲んだ。

血液とトマトジュースは、全然違うと思うけど、飲んで大丈夫なのか?

「プハァ~、まぁまぁだったわね。雪姫ちゃん、お代わりいい?」

「どうぞ、何杯でも飲んでください」

 そう言って、雪さんがトマトジュースをコップに注いだ。

それは、明日の朝の俺たちが飲むはずだったけど、今は、そんなことは言えない。

「吸血鬼のお姉ちゃんて、すごくきれいなんだね」

「アラ、ありがとう。あなた、目がいいのね。それに可愛いし、将来有望ね」

「ちょっと、ドラキュラちゃん。裕司くんの血を吸ったら、承知しないわよ」

「バカね。雪姫ちゃんの知り合いにそんなことしないわよ。だから、安心してね」

 そう言うと、ドラキュラは、弟の頭を優しく撫でる。

吸血鬼に頭を撫でられるなんて、よく考えれば、ものすごく危ないことだ。

 その横では、カマイタチが、親父と食事をしていた。

「これは、うまいな」

「そうでしょ。これは、豚肉の角煮で、トロトロで柔らかいんだよ」

「人間もうまいけど、豚もうまいな」

 カマイタチは、さらっと、怖いことを言った。

一歩間違ったら、その手のカマで切られるのに、親父とカマイタチは、仲良く酒を酌み交わしている。

「しかし、雪姫は、いつになったら、氷の国に帰るんだ?」

「そうよ。みんな心配してるのよ」

 カマイタチとドラキュラが雪さんに言った。

「恩返しが済むまでは、帰りません」

 雪さんは、きっぱり言った。

「で、その恩返しってのは、いつのなったら終わるんだ?」

「それは・・・まだ、わかりません」

「ふぅ~む、確かに、命の恩人てのはわかるけど・・・」

「キミが、雪姫ちゃんの命の恩人なんでしょ」

「そうだけど、そんなつもりじゃありませんよ」

「でも、結果的に、雪姫ちゃんを助けたには、変わりないじゃない」

 ドラキュラは、そう言って、トマトジュースを飲み干すと、俺に言った。

「とにかく、あたしからもお礼を言うわ。雪姫ちゃんを助けてくれて、ありがとね」

 そうハッキリ言われると、俺は、どう言ったらいいかわからなくて、恐縮しっ放しだった。

「そんなに、緊張しなくてもいいわよ。命の恩人の血なんて、吸わないから」

 そう言われても、ときどきちらっと見える口元からの、キバを見ると、信じていいかわからない。

結局、二人は、雪さんが作った食事をたらふく食べて飲むと、満足して帰っていった。

「少年、雪姫を頼むぞ。もし、泣かせるようなことをしたら、オレ様が、このカマで、首をぶった切るからな」

 帰り際、カマイタチに言われると、思わず首を抑えた。

「ちょっと、カマイタチさん、脅かさないでください」

 雪さんに言われて、首をすくめて見せるカマイタチだった。

「キミ、雪姫ちゃんをよろしくね。でも、好きになっちゃダメよ」

 ドラキュラは、そう言って、俺に投げキッスをした。

「また、来てねぇ」

 弟は、無邪気に二人に手を振っている。また来てもらっては、俺が困る。

こうして、二人は、夜の闇夜に消えていった。それにしても、雪さんの知り合いというのは、すごい妖怪たちばかりだ。でも、仲が良かったり、慕われていたり、雪さんの性格というか人となりがわかって、俺は、改めて見直した。ひょっとしたら、今後もこんなことがあるかもしれない。


 そして、夏休みも終わって、学校も二学期が始まった。

俺の夏期講習の成績も、何とかクリアできて、ホッとした。

それから少したった頃だった。いつものように朝に起きたとき、何となく体がだるくて、起き上がれなかった。風邪でも引いたのかなと思った。

 時間になっても起きてこない俺を心配して、弟が起こしに来た。

「兄ちゃん、学校に遅れるよ」

「今日は、俺は、具合が悪いから、学校は休むよ」

「えっ、大変じゃん」

 弟は、急いで雪さんを呼んできた。

「隆志さん、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。一日、休めば、すぐに良くなるから」

 雪さんに心配かけないように、かなり強がりを言った。

でも、正直なところ、かなりきつかった。熱を計ってみたら、38度もあった。

かなり高熱だ。弟に移さないように、学校に行かせて、俺は、薬を飲んで寝ることにした。

 俺は、目を閉じて、休んでいると、額に冷たい感じがして、目を覚ました。

「起こしちゃいましたか。ごめんなさい」

 目を開けると、雪さんの顔がすぐ近くに見えた。

俺のおでこには、雪さんの手があったのだ。どおりで、冷たいはずだ。

でも、熱があった俺には、その手がとても冷たくて気持ちよかった。

「熱がありますね。お薬は、飲みましたか?」

「飲んだから大丈夫だよ」

「お粥は、食べられますか?」

「そうだね。お腹が空いたかな」

「それじゃ、すぐに作りますね」

 雪さんは、心配そうに言うと、すぐにお粥を作ってきてくれた。

「起きられますか」

 俺は、自分で上半身を起こした。でも、体の節々が痛くて、一人じゃ起き上がれない。

「隆志さん、少し冷たいけど、我慢してください」

 雪さんは、そう言うと、俺の体を触って、起こしてくれた。

パジャマ越しだけど、雪さんの手は、すごく冷たかった。でも、今の俺には、それがとても気持ちよかった。

情けないことに、自分でお粥も食べられなかった。スプーンを自分で持つこともできない。

 すると、雪さんは、スプーンでお粥をよそって、食べさせてくれた。

アツアツのお粥に軽く息を吹き付けて、冷ましてから食べさせてくれた。

「おいしいよ」

「無理しないでくださいね」

 雪さんに心配かけてはいけない。俺は、河童やカマイタチの言葉を思い出していた。がんばって、お粥を食べて、体力を付けなきゃと思ったが、やっぱり、半分しか食べられなかった。よほど、体が衰弱しているらしい。体力のなさを痛感した。

 その後、薬を飲んで、また、ゆっくり寝ることにした。

ときどき、目を開けると、雪さんはすぐ傍にいた。雪さんは、ホントに心配そうにしていた。

早く治して、元気にならなきゃと、思ったけど、熱は、一向に下がらなかった。

 弟から知らせを聞いて、親父も心配して帰ってきた。

病院から処方箋を持ってきてくれて、解熱剤を飲ませてもらった。

 夜になっても、体の具合は、よくならなかった。

夜中に目を覚ますと、雪さんが俺のベッドの脇で、寝ていた。

念の為に、弟は、雪さんの部屋で寝かせた。

夜中になっても、俺のことが心配で、ずっとそばに付き添ってくれていた。

そんな雪さんを見て、申し訳なく思った。

 俺は、熱にうなされながら、夢を見た。それは、雪さんと氷の国で暮らす夢だった。氷に閉ざされた、雪が吹き付ける冷たい国だった。

でも、俺は、氷漬けにされていない。

なぜだかわからないが、俺は、普通に雪女の国で暮らしていた。

雪さんと俺は、幸せに暮らしていた。雪女の世界だから、男は、俺だけ。

しかも、たった一人の人間だ。それなのに、どうして、俺は、平気なんだろう?

 とても不思議な夢だった。そして、ハッと目が覚めると、朝だった。

「具合はどうですか?」

 そう言って、雪さんは、俺のおでこに手を置いた。

「うん、気持ちいいよ。でも、熱は、まだ、下がってないみたいだ」

 相変わらず、体は熱くて、熱が下がっているようには思えない。

親父が処方した薬も効かない。どうして、熱が下がらないんだろう?

もしかして、このまま、熱が下がらず、死んでしまうのではないかとさえ思えた。

 雪さんは、氷枕を作りに一階に降りて行った。

そのときだった。天井に何かがいるのが見えた。また、夢でも見ているのかと思った。

天井にある小さなシミが、だんだん大きくなって、形になっていく。

そのシミは、ついに、天井一杯に広がった。そして、それが、俺に話しかけてきた。

「人間よ。雪女を好きになったな。言ったはずだ、雪女を好きになってはいけない」

 直接、俺の脳に誰かが話しかけてきた。

「好きになってはいけないのだ。それでも、お前は、雪女を好きになってしまった。

だから、お前に罰を与える。これに懲りたら、雪女のことは、諦めろ。好きにならないと誓えば、今すぐに、その熱を下げてやる」

「なんだって? 雪さんを諦めろだって? 好きになるなだって?」

「そうだ」

「悪いけど、そのつもりはないね」

「それじゃ、そのまま、熱が下がらずに、死んでもいいのか」

「熱なんて、すぐに下げてやる。俺は、雪さんが好きなんだ」

「愚かな人間だな。雪女のために、死ぬというのか?」

「俺は、死なない。死んでたまるか。雪さんと幸せになるんだ」

「バカな・・・お前は、それでも人間か?」

「たまたま好きになったのが、雪女だっただけだ。それのどこがいけないんだ?」

「雪女と人間が好きになっても、不幸になるだけだ」

「でも、俺は、不幸になんてならない。雪さんと、幸せになるんだ」

 俺は、寝ているのか、夢を見ているのか、正体がわからない誰かと話をしていた。

それが誰なのかは、俺にはわからない。でも、俺の気持ちは変わらなかった。

 そこに、雪さんが氷枕を持ってやってきた。

「隆志さん、氷枕です」

「雪さん、俺は、キミが好きだ。絶対、幸せになろう」

 俺は、うわ言のように言った。俺は、夢を見ているつもりだった。

「隆志さん・・・」

 その時、雪さんが、立ち上がると、天井を見上げて言った。

「あなたの仕業ね。今すぐに、隆志さんの熱を下げてください。ここから、出て行ってください」

「なんだって? 雪姫、お前は、この人間を好きになったというのか?」

「ハイ、私は、隆志さんが好きです」

「バカなことを言うな」

「バカなことではありません。私は、ホントに隆志さんを好きになったんです」

「雪姫、自分の立場を忘れたのか? お前の姉を思い出せ」

「お姉さんは、関係ありません。自分の立場を忘れたわけでもありません」

「それなら、どうして・・・」

「私を助けてくれたのが隆志さんでした。だから、そんな優しい隆志さんが好きになったんです。それのどこがいけないんですか?」

「雪姫・・・」

 そう言うと、雪さんは、自分の小指を歯で噛んだ。

その白い細い指から、白く透き通った血が流れるのが見えた。

「隆志さん、私の血を舐めてください。そうすれば、きっとよくなります」

「待て、やめろ。そんなことをしたら・・・」

「構いません。隆志さんを助けるためなら、私は、何でもやります」

 そう言うと、正体不明の何かが止めるのも聞かずに、小指を俺の唇に押し付けた。

俺は、雪さんの小指を舐めた。

「隆志さん、私を抱きしめてください」

 そう言うと、雪さんは、ベッドの中に入って、俺に抱きついた。

冷たくて気持ちよかった。雪さんに抱かれているなんて、夢のようだった。

いや、これは、きっと夢に違いない。俺は、薄れる意識の中でそう思った。

「雪姫・・・ それほどまでに、その人間を好きになったのか」

 そして、俺を抱きしめた雪さんは、俺の唇に優しく口づけした。

雪さんの唇は、冷たくて、柔らかくて、気持ちよかった。

これが夢なら、冷めないでくれと思った。でも、そんな俺は、体を動かすことも

目を開けることもできなかった。だから、雪さんを抱きしめることができない。

 雪さんの冷たい体に抱かれると、俺の熱が次第に冷めていった。

「雪姫、お前には、負けた。その人間にも負けた。この俺が、雪女と人間ごときに負けるとはな」

 正体不明の誰かがそう言った。

「人間よ。雪女を好きになって、後悔しないか?」

「後悔するわけないだろ。俺は、雪さんが好きなんだ」

「その言葉、忘れるなよ」

 そう言うと、なぜか、一気に体が楽になった。

そして、ハッとして、目を開けた。そこには、雪さんの姿も、天井のシミも消えていた。

 俺は、体を起こした。自分の額に手を当てた。熱がない。体も痛くない。

俺は、ベッドから起き上がって、自分の力で立ち上がった。

「立てるぞ」

 独り言のように言うと、急いで階段を下りて、一階に行った。

「雪さん」

「隆志さん」

 キッチンで、雪さんが、夕食の用意をしていた。

俺は、後ろから雪さんを抱きしめた。とても冷たかった。でも、そんなの関係ない。

「雪さん、ありがとう。俺は、雪さんのこと、好きだから」

「隆志さん、ダメですよ。また、風邪をひきますよ」

「構わないよ。俺は、冷たい雪さんが好きなんだから」

 俺は、雪さんを抱きしめたまま離さなかった。

すると、雪さんは、俺を優しく体から離すと、こう言った。

「ありがとうございます。私も隆志さんが好きです。治ってよかったですね」

「それは、こっちのセリフだよ。雪さんが治してくれたんだろう」

 それに雪さんは、何も答えなかった。でも、夢の中で、ぼんやり覚えている。

小指を噛んで、血を舐めさせてくれたこと。抱きしめてくれたこと。

それは、夢なんかじゃないってことを、俺は、思っていた。

「それでも、病み上がりなんですよ。おとなしくしていてください」

 そう言って、俺を椅子に座らせた。

「今夜は、元気が出るように、おいしいものを作りますね」

 雪さんは、そう言って、いつもの笑顔を見せてくれた。


 俺は、夕飯を作っている雪さんの後姿を見ながら、夢の話をした。

「アレは、何だったんだろう? 姿は見えないのに、俺にいろいろ話しかけてきたんだよ」

「アレは、地獄の番人なんですよ」

「なんだって!」

 俺は、ビックリして、椅子から転げ落ちそうになった。

「アレは、灼熱地獄の鬼なんです。妖怪の世界の秩序を厳しく管理している鬼なんです」

 信じられない話だった。でも、俺は、その鬼と、頭の中で話をしたんだ。

それは、覚えている。

「それが、どうして、俺に・・・」

「雪女と人間を守るためです」

「守るって?」

「妖怪と人間とは、住む世界が違います。決して、交わることがない世界なんです。それを守るのが地獄の鬼の役目なんです。でも、それを、隆志さんと私は、破ってしまった」

「だから、ぼくに熱を出させたんだね」

「それでも、隆志さんは、諦めなかった。地獄の鬼は、隆志さんの覚悟を認めたんです」

 俺は、それ以上、言葉が続かなかった。

「隆志さん。私は、あなたのこと、好きです。でも、姉のように不幸には、なりません」

「もちろん。俺もそうだよ」

「隆志さんに助けてもらって、ホントによかった」

 そう言うと、雪さんは、また、料理の支度に戻った。

心なしか、泣いているようにも見えた。その涙が、どんな涙か、俺にはわからない。

でも、とりあえず、治ったのは、いいことだ。

「ただいま」

 そこに、弟と親父がいっしょに帰ってきた。

「お帰り」

「お帰りなさい」

 俺と雪さんが同時に言った。

「隆志、治ったのか?」

「兄ちゃん、大丈夫なの?」

「この通り、もう、元気になったよ」

「よかった。一時は、どうなるかと思ったよ。今夜も熱が下がらなかったら、入院させようと思ってたんだ」

 親父がホッとして言った。

「お姉ちゃんが看病したから、治ったんだよね」

「お父さまのお薬が効いたのよ」

 雪さんが喜ぶ弟に言った。もちろん、ホントのことは言えない。


  

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