第3話 雪女と妖怪。

 それから、何日もたった。俺も弟も、雪さんには、すっかり慣れた。

親父は、ウチのことをやってくれるので、安心して留守にできるので、

今まで以上に、仕事に夢中になった。なので、ウチは、雪さんと弟と三人家族みたいな感じだ。

俺は、雪さんを異性として、意識しないようにしながら、生活している。

俺は、雪さんが好きだ。だけど、雪女の掟の話を聞いてからは、姉のようなことにはならないよう、特に、恋愛感情は、気を付けるようにしていた。

 季節も春が過ぎて、俺は、進級して、弟は、高校に入学した。

そんなある日のことだった。いつものように、俺は、学校の帰りに歩いていると

商店街に友だちと立ち寄った。夕食前に、ハンバーガーショップにでも寄ろうということになった。

「おい、あの人、すっごい美人じゃん」

 隣の友だちが言った。俺を入れて、四人の仲良しグループだ。

言われてみると、雪さんだった。俺は、瞬間的に、顔をそむけた。

間違っても、雪さんとの関係を友だちに知られてはいけない。

「白い着物着てるぜ」

「脚とか細くて、美人だよな」

 友達同士で話している。俺は、顔を上げることもできずに、目だけを向けると

雪さんは、買い物中だった。俺に気が付くなよと、心から祈った。

 俺たちは、雪さんの横をすれ違う格好になった。

一瞬、雪さんと目が合った。しかし、雪さんは、俺のことなど、無視して買い物をしていた。

 話しかけられたらどうしようと思ったので、ホッとした。

だけど、無視されるのも、なんだか釈然としなかった。複雑な心境だ。

 俺たちは、雪さんと反対方向に歩いていく。友達に気付かれなくてよかったけど、

雪さんにも気づいてもらえなかったのは、なんだか心がモヤモヤする。

「悪い、俺、用事を思い出したから、また、明日な」

 俺は、友達にそう言って、踵を返して小走りにその場を離れた。

「お~い、どうしたんだよ?」

「そっちは、お前んちじゃないだろ」

 友達の声を聞きながら、返事をしないで、今来た道を急いだ。

まだ、雪さんは、いるだろうか? 俺は、そんなことを考えて、雪さんを探した。

「確か、この店を覗いていたはずだけど・・・」

 そこは、花屋だった。雪さんは、花を買うつもりだったんだろうか? 

しかし、花屋には、いなかった。俺は、その先の店を見て回った。

 八百屋、魚屋、肉屋、金物屋とか乾物屋には、いないだろう。

そう思って、商店街を見て回った。そのときだった。俺は、雪さんを見つけた。

そこは、商店街の中でも、人気のペットショップだった。

雪さんは、ガラス越しに子犬や子猫を見ていたのだ。

 俺は、そっと後ろから近付いた。雪さんは、ガラス越しに後ろにいる、俺に気が付いた。

「隆志さん、今、お帰りですか?」

「うん」

「お帰りなさい」

「ただいま」

 なんてことない会話だ。でも、俺にとっては、大事なコミュニケーションだった。

「何を見てるの?」

「この子たちを見てるんです。早く、いい人が見つかるといいです」

「動物が好きなの?」

「私は、動物が好きなんです。動物たちとも話もできますよ」

「そうなの? すごいね」

「お忘れですか? 私は、雪女ですよ。妖怪なんですよ」

 雪さんと普通に会話していると、妖怪だとか、雪女だとか、つい、忘れてしまう。

「さっきの皆さんは、お友達ですか?」

 彼女は、子犬たちに軽く手を振りながら、立ち上がるとそう言った。

やっぱり、気が付いていたんだ。なのに、ぼくとは、目を合わせようとしなかった。

「クラスの友だちだよ」

「そうですか。お友達ですか・・・ いいですね」

 その言い方が、なんかしっくりいかなくて、つい考えてもいないことを言ってしまった。

「雪さんにだって、友達はいるでしょ」

「いませんよ」

「そうなの・・・ なんか、悪いことを聞いて、ごめん」

 俺は、瞬間的に謝った。

「いいえ。もともと、妖怪の世界には、友達だとか、そんな関係性は存在しません」

 そうなのか。やっぱり、人間と妖怪の世界は、違うんだな。妙なところで納得した。

だけど、肝心の、ぼくと目を合わせなかったのは、気になった。友達のことは気が付いているのにぼくのことは、気が付かなかったのだろうか?

「さっき、俺のことに気が付いたよね」

「ハイ」

「なんで、声をかけてくれなかったの?」

 我ながら、女々しいことを言ってる気がした。でも、聞かずにいられなかった。

「だって、お友達と楽しそうにしているのを、邪魔したら悪いと思って」

「ホントにそう思ったの?」

「そうですよ。他にありますか?」

 俺は、何を聞いてるんだろう・・・ 

雪さんを試すような、信用していないような言葉だ。

「ごめん。俺、失礼なことを言った」

「何のことですか?」

 雪さんは、ホントに不思議そうな顔をした。その顔は、ホントなのか、白く透き通るようなきれいな顔からは、俺には、読み取れない。だから、言葉通りに信用することにした。

「ごめん、忘れて。今、言ったこと、忘れて」

「隆志さんは、相手の気持ちがわかるんですね」

 雪さんの言葉が、俺には、わからなかったけど、なんか、俺の心を見透かされているような気がした。

「買い物に来たんだろ。ついでだから、俺も付き合うよ」

「それは、助かります。実は、今夜の夕飯を何にしたらいいか、迷っていたんです」

「それじゃさ、餃子でもやろうよ。俺も作るの手伝うから」

 俺は、なるべく明るく言った。すると、彼女もバァーっと笑顔になった。

「それじゃ、お肉と野菜と餃子の皮を買わないとですね」

「ニンニクとかニラとか、大丈夫なの?」

「吸血鬼じゃないですよ」

 そう言って、雪さんは、楽しそうに笑った。雪女は、吸血鬼じゃないから、ニンニクとか平気なんだ。

「ほかにも、春巻きとか、作りましょう」

 どうやら、今日は、中華料理のようだ。俺も弟も大好きだ。特に、親父も好きだ。

久しぶりに帰ってこないかなと、俺は思った。だが、その願いは、見事に叶ったのだ。

 買い物を済ませて、二人で帰ってくると、玄関の鍵が開いていた。

弟は、まだ、この時間は塾だから、帰っているはずはない。静かにドアを開けるとリビングでテレビを見ている親父の顔が見えた。

「親父!」

「おかえり。なんだ、雪さんもいっしょか」

「ただいま、帰りました。買い物していたら、隆志さんと会ったんです」

「そうか。それじゃ、夕飯にしてくれないか。久しぶりに家で食うんだから、腹を減らしてたんだ」

「あら、それじゃ、急いで作りますわ。今夜は、餃子に春巻きと酢豚ですわ」

「そりゃ、豪勢だな。楽しみにしてるよ」

 そう言って、親父は、テレビの方に顔を向けた。なんだか、少し疲れた感じがした。連日の手術と病院で泊まり込みで、満足な食事をしていないんだろう。

「雪さん、なにからやろうか?」

「それじゃ、まず、野菜を細かく切って、肉と混ぜてから、よくこねてください」

 俺は、言われたとおりにニラとキャベツを細かくみじん切りにする。

それをひき肉に混ぜて、粘り気が出るまでよくこねた。

雪さんは、春巻きの具材を切って、味付けをしている。

 そんな時、玄関のチャイムが鳴った。

「ハ~イ」

 雪さんが出ていこうとするが、それより先に、誰かが入ってきた。

「ただいま」

「裕司くん、お帰りなさい」

 帰ってきたのは、弟だった。それなら、わざわざ出迎えに行かなくてもいいのに・・・と、思ったら、帰ってきたのは、弟だけじゃなかった。

家族以外に、ウチに帰ってくるのは、雪さんだけのはずだ。

「お邪魔しまっせ」

 そう言って、弟の後ろから出てきたのは、緑色の変な生き物だった。

「兄ちゃん、すごいよ。河童さんだよ。本物だよ。塾から帰るときに、知り合ったんだ」

 俺は、興奮している弟と緑色の不思議な生き物を交互に見やった。

「河童ちゃん!」

「雪姫!」

 どういうこと? 雪さんは、緑の生き物のこと知ってるの?

「お父さん、河童だよ、河童」

 テレビを見ている親父の手を引いて、弟が河童と呼ばれる緑の生き物の前に連れてきた。

「どうも、初めまして。裕司の父です」

「これは、これは、ご丁寧に。おいらは、河童といいます。以後、お見知りおきを」

 親父と河童が、頭を下げあって、挨拶している。俺は、夢でも見ているのか?

だとしたら、これは、悪夢だ。それ以外にない。

「皆さんに紹介しますね。こちら、河童ちゃんで、私の子供のころからいっしょに遊んでいる妖怪仲間です」

「イヤイヤ、皆さん、お初にお目にかかります。おいらが、河童でやんす。雪姫とは、小さなころからの・・・だから、そんなこと言ってる場合じゃなくて」

 突然河童が、喚き出した。俺も弟も、親父もびっくりして、一歩後ろに退いた。

「だから、何を和気あいあいと挨拶なんてしての。そうじゃないんだって」

「それじゃ、何なの?」

 全身緑色で、黒い斑点が体中にあって、なんだか見るからにヌメヌメしている。

弟の腰くらいまでしかなくて、背が低くて腹がポッコリしている。

下半身は、腰みのを付けて、上半身は、裸ん坊だ。ポッコリ膨れたお腹は白い。

頭には、お皿を乗せて、黄色いくちばしをしている。皿から流れる髪が長くて、片目を塞いでいる。なぜだか興奮している河童に、雪さんが話しかけている。

「ちょっと、落ち着いて、河童ちゃん」

「これが、落ち着いていられるか。だいたい、なんで、雪姫が、人間界にいるんだ?」

「あら、知らないの? この方たちは、私の命を助けてくれた恩人なのよ。だから、恩返しが済むまで、ここに居るのよ」

「そんなことは、姉ちゃんから聞いて知ってるよ。だけどよ、なんで、人間なんだよ」

「そう言われても・・・」

 雪さんは、困った顔をして、俺たちを見る。

「訳を知ってるなら、いいじゃない」

「よくない。だいたい、雪姫は、雪女家の姫君なんだぞ。それが、人間ごときに助けられるなんてどうかしてる。だいたい、雪姫は、子供のころから・・・」

「まぁまぁ、話は、それくらいにして、いっしょに食事でもしませんか?」

 親父が話を遮ってくれた。ナイス、親父。河童の話が長くなりそうだったので助かった。話を遮られた河童は、ちょっと不貞腐れた顔をしたけど、それ以上は、言わなかった。

「そうですよ、河童ちゃん。今夜は、餃子なんですよ。いっしょに食べませんか」

「人間のメシは、おいらの口に合わん」

 そう言って、そっぽを向いてしまった。

「そう言わないで、これでも食べて、待っててください」

 雪さんは、優しく言うと、冷蔵庫からサラダ用に買った、キュウリを二本取り出して、河童に差し出した。

「う~ん」

 河童は、キュウリを難しい顔をして見詰めている。しかし、その顔は、ものすごくほしそうな顔だった。その証拠に、黄色のくちばしからよだれが出ている。

「ハイ、どうぞ。河童ちゃんは、キュウリが好きでしょ」

「しょうがねぇな。そこまで、雪姫が言うなら、食ってやるよ」

 そう言うと、両手にキュウリを持つと、ガリガリと齧り出した。

「まぁまぁだな」

 河童は、そう言いながら、夢中でキュウリを音を出して、おいしそうに食べている。やっぱり、キュウリは、河童の大好物なんだ。

「ところで、河童くんは、ウチに何の用で来たんだね?」

 餃子の準備をしている俺たちを無視して、親父は、河童に話しかけた。

「そうそう、それだよ。おいらは、人間界に来た雪姫が心配で、様子を見に来たんだ」

「河童くんは、雪さんが好きなんだね」

「当り前だ。雪姫は、雪女界の姫だぞ。それが、事もあろうか、人間の世界になんて・・・」

 そう言って、河童は、なんだか悔しそうな顔をした。

「河童さん、お姉ちゃんて、お姫様なの?」

 弟がビックリした顔をして聞いた。もちろん、俺も驚いた。それは、初耳だ。

「しょうがねぇだろ。雪姫の姉さんが、あんなことになって、姫を辞退したんだ。妹の雪姫が後を継ぐしかないんだよ」

 河童は、事の次第を親父と弟に話して聞かせた。俺は、知っていたが、二人は初めて聞く話だけになんだかしんみりして、俯いてしまった。

「そうだったのか・・・」

「でも、お姫さまなんて、お姉ちゃん、すごいね」

「ありがとう、裕司くん」

 弟が言うと、雪さんは、にっこり笑った。でも、俺には、ホントにうれしそうな感じはしなかった。

「雪さんも大変だな。それを心配して、人間界まで来る、河童くんの気持ちもうれしいね」

 そう言うと、親父は、冷蔵庫からビールを取り出して、飲み始めた。

「河童くんも、一杯やらんか。酒は、飲めるんだろ?」

「だから、人間の食い物は、おいらの口には合わんと言ってるだろ」

 親父が酒を進めたが、河童は、飲もうとしない。

すると、親父は、グラスに氷と焼酎を入れて、水で割ると、そこに、キュウリをスティック状に切って入れた。

「これなら、飲めるだろ。名付けて、キュウリサワーだ」

 薄い緑色した飲み物だった。俺は、まだ、酒は飲めないけど、見るからにまずそうだった。河童は、少しの間、それをじっと見つめていたが、グラスを手に取ると、一口飲んだ。

「どうかね?」

「うまい!!」

「そうかね。それじゃ、もう一杯」

 親父は、もう一杯、作った。河童は、キュウリをポリポリ齧りながら、それを飲んだ。

「これは、河童の口にも合うな」

 なんだか、最初に会った時よりも、表情が緩んだ気がしてきた。

「さぁ、皆さんで、餃子を包んでください」

 雪さんが餃子の餡をボールに入れて、餃子の皮をテーブルに置いた。

「作ったことないよ」

「下手でもいいのよ。自分で作ったほうがおいしいと思うわよ」

「よし、作ってみる」

 弟は、雪さんが作るのを見ながら作り始めた。

「隆志さんも手伝ってください」

 俺も、餃子を作るなんて、初めてだ。こういうものは、外で食べるものだと思っていたのでウチで一から作るなんて、考えたこともなかった。

 俺たち3人は、見よう見まねで餃子を作った。しかし、初めてのことで、俺も弟も雪さんもはっきり言って下手だった。お店屋さんで見るような餃子とは、程遠い出来だった。

「何をやってんだ。お前ら、それでも人間か。見ちゃいられないよ。貸してみろ」

 河童は、飲みかけのグラスを置くと、餃子を作り始めた。

てゆーか、河童に作れるのか? ところが、水かきが付いた手で、器用に餃子を包んでいく。しかも、俺たちより、ものすごく上手だ。

人間より河童のが上手なのが、ちょっと悔しい。

「すごぉい、河童さん、うまいね」

「当り前だ。何年生きてると思ってんだ。これくらい、朝飯前だ」

 河童は、ドヤ顔で、フンと鼻息を漏らす。

「河童くんは、何年生きてるんだね?」

「さぁ、年なんて数えたことはないけど、織田信長より前かな」

「えーっ!」

 これには、ホントに驚いた。それって、戦国時代じゃないか。

てことは、200年前か?

「随分長生きなんだな」

「妖怪は、病気もないし、死なないからな」

「河童さん、すごいね」

 弟は、目をキラキラさせて尊敬のまなざしで河童を見ている。

「こうやって、丁寧にひだを作るんだよ。そんなに具を入れたら、パンクするだろ。少な目に包むんだよ」

 河童は、俺たちに、親切に餃子の包み方を教えてくれた。それでも、初めて作る餃子は、上手に包めなかった。春巻きに至っては、すごくきれいに巻いてくれる。

料理上手な河童なんて、初めて見た。

 その後、雪さんが餃子を焼いて、春巻きを揚げてくれた。

その間、河童は親父と酒を飲んで、すっかり打ち解けた感じで楽しく話をしている。

「河童さんて、ホントに、お皿があるんだね」

 そう言って、弟は、河童の頭の皿を撫でている。

「こら、少年。気やすく皿を触るな」

「ごめんなさい」

「まぁいいさ。お前たちは、おいらを見て、怖がらないのか?」

「だって、可愛いじゃん。ぼくも、河童なんて、初めて見たし、感激してるんだもん」

 弟が言うと、河童は、嬉しそうに目を細めた。もしかして、少し酔ってるのか?

「さぁ、できましたよ。たくさん食べてください」

 テーブルには、大盛りの餃子と春巻きが並んだ。

「いただきま~す」

 早速、弟が餃子を摘まんだ。でも、出来上がった餃子を見ると、どれもヘタクソだ。

その中に、お店の餃子かと思うような、見事なものもあった。それは、河童が作ったものだ。

「おいしい」

「おっ、意外にうまいな」

 親父は、餃子をツマミにお酒を飲み、弟は、ご飯をモリモリ食べていた。

雪さんは、いつものように、息を吹きかけて凍らせてから食べる。

今となっては、見慣れた食事風景だった。

「どれ、おいらも食ってみるか」

 そう言って、河童も一つ食べる。

「まぁまぁだな」

 そう言って、キュウリサワーを飲んでいる。

実際、俺も餃子も春巻きもおいしくて、ご飯が進んだ。

 そんなこんなで、河童も交えた夕食は、賑やかだった。

食べきれないと思うくらいだったのに、すべてきれいに完食した。

「食いすぎたな」

 そう言って、膨れた白いお腹をさすっている河童は、ほんのりピンク色になっている。もしかして、酔っぱらっているのかもしれない。

「さてと、ゴチになったし、おいらは、そろそろ帰る」

「えーっ、もう帰るの?」

「雪姫の元気そうな顔を見られたら、それでいいんだ」

 河童は、弟の頭を撫でながら言った。俺たちは、玄関の外まで、河童を見送った。

「雪姫、またな。早く戻って来いよ」

「ハイ、河童ちゃんも元気でね」

 雪さんと河童が、名残惜しそうにしている。

すると、河童は、水かきが付いた指を俺に刺しながら言った。

「おい、人間。雪姫を不幸にするなよ。もし、泣かせるようなことがあったら、お前の尻子玉を引っこ抜くからな」

 そう言われて、俺は、思わず両手でお尻を庇った

「河童さん、また、遊びに来てね」

「少年。お前も、立派な人間になるんだぞ」

 そう言って、弟の頭を撫でる。

「また、来てくださいね。その時は、また、一杯やりましょう」

「フン、このウチの食い物は、まぁまぁだからな」

 そう言って、河童は、闇夜に消えていった。

不思議な夜だった。まさか、河童と、食事をするなんて、思わなかったことだ。

きっと、この夜のことは、忘れることはないだろう。

 俺たちは、家に戻ると、父さんは、新聞を読んで、弟は風呂に入った。

俺は、雪さんの手伝いで後片付けをした。

「なんか、今日は、騒がしくてすみませんでした」

「そんなことはないよ。むしろ、賑やかでよかったよ。裕司も親父も喜んでいたみたいだし」

「それなら、よかったですわ」

 俺は、もう一度、確かめるように言った。

「あのさ、雪さんて、ホントにお姫様なの?」

「ハイ、仕方がなかったんです。ホントは、お姉さんが後を継ぐはずだったんですけど、河童ちゃんが言ったように、人間を愛してしまって、あんなことになったので、姫を辞退することになって」

「それで、妹の雪さんが・・・」

 そう言うと、雪さんは、小さく頷いた。

「だったら、やっぱり、早く帰ったほうがいいんじゃないの。お姫様がそんなに長く留守にして大丈夫なの?」

「それはそうですけど・・・ でも、掟は掟ですから、姫の私がそれを破るわけにはいきません」

 雪女の世界もいろいろと難しいことがあるんだな。

俺は、自分の世界とは違うことだけに、深く聞いてはいけない気がして、それ以上は聞けなかった。

 片付けも済んで、俺たちは、それぞれの部屋に戻って、寝ることにした。

「兄ちゃん。今日は、おもしろかったね」

「そうだな」

 二段ベッドの上から弟が話しかけてきた。

「また、河童さんに会えるかな?」

「どうかな・・・」

「お姉ちゃんも、ずっと、ウチにいてくれるといいなぁ」

「バカだな、それは、無理だよ。いつかは、帰らなきゃいけないんだから、それくらい、裕司にもわかるだろ」

 俺の返事に、弟は、答えなかった。俺だって、ホントは、いつまでもここに居てもらいたい。でも、それは、無理なのだ。わかっちゃいるけど、それは、雪さんの世界の話だから、俺のような人間が口を挟んだり、止めることはできない。

でも、雪さんのことを思うと、胸が痛くなる。

これから、俺たちは、どうなるんだろう。そんなことを思いながら、夜は更けていった。 


 それからは、何事ない毎日だった。

春が過ぎて、もうすぐ夏だ。夏休みになると、夏期講習で忙しくなる。

学校に行っても、暑くて授業にも身が入らない。まだ、本格的な夏でもないのに、外を歩いているだけで汗が噴き出してくる。梅雨が短かったので、より一層、暑さを感じる。

 しかし、不思議なことに、ウチに帰ると、まったく暑さを感じなかった。

エアコンの冷房を付けているわけではない。やっぱり、ウチに、雪さんが居るからなのか、室内は、快適に過ごせる気温だった。

 その日の夕飯の時だった。親父が久しぶりに帰宅すると、俺たちの前でこんなことを言った。

「もうすぐ、夏休みだろ。外は暑いし、気分転換に、三人でプールでも行ってきたらどうだ?」

「ぼくは、行きたい」

 弟は、嬉しそうに言った。でも、俺は、それどころではない。大学入試の夏期講習で忙しい。

「兄ちゃんも行こうよ」

「俺は、いいよ」

「それじゃ、お姉ちゃんと行くからいいもん」

 俺は、それを聞いて、思わず雪さんを見た。

「そうね。私もプールなら、水だから、大丈夫よ」

「やった」

 それは、ダメだろ。弟と雪さんを二人でプールなんかに行かせるのは、不安しかない。

「それじゃ、俺も行こうかな・・・」

 申し訳なさそうに言うと、親父は、小さく笑うとこう言った。

「父さんも行きたいけど、仕事があるからな。隆志も行かないとな」

 そう言って、プールのチケットを三枚見せた。

「病院の人からもらったんだ。ちょうど、三枚あるから、夏休みになったら行ってきなさい」

 それを見ると、有名なホテルのプール券だった。

「お姉ちゃん、よかったね」

「そうですね。裕司くんは、泳げるんですか?」

「任せといて。お姉ちゃんは?」

「私は、雪女ですよ」

「そうか。それじゃ、競争しようね」

 弟は、すっかりうれしそうだった。雪さんも笑っている。

そんなわけで、夏休みに入ると、俺たち三人でプールに行くことになった。

 夏休みに入った、最初の平日の昼間に行く予定にする。土日だと、混むからだ。

俺と裕司は、去年の水着があるからそれでいいけど、雪さんは、どうするんだろう?

「あの、雪さん。明日のプールだけど、水着は・・・」

 女性は、聞きずらいことだけど、勇気を持って聞いてみた。

「ご心配なく。大丈夫ですよ」

「水着を持ってるの?」

「持ってるというか・・・とにかく、大丈夫ですから、安心してください」

 なんか、誤魔化されたような気がしたけど、大丈夫というなら、いいんだろう。

そして、当日の朝、俺たち三人は、カンカン照りの中、ホテルのプールに向かった。

歩いているときも、暑くて叶わない。なのに、なぜか、俺と弟だけは、汗一つかいていない。

すれ違う人たちは、みんな汗だくで、センスをパタパタ仰いでいるのに、俺と弟だけは普通だった。

それもそのはず、隣に雪さんが居るからだった。雪さんの吐く息が、俺たちを涼しくしてくれる。目的地のプールについて、更衣室に別れた。

「兄ちゃん、お姉ちゃんは、どんな水着かな?」

 弟が興味津々で聞いてきた。それは、俺も気になる。だけど、イヤらしい気持ちになるので、無視した。

雪さんは、更衣室に入るときも、特に荷物を持ってなかった。水着は、着物の下に着ているのか?

俺たちは、水着に着替えて待っていると、雪さんが現れた。

「お姉ちゃん、すっごく、きれいだよ」

「ありがとう、裕司くん」

 俺たちの目の前に現れた雪さんは、白いビキニスタイルだった。

ただでさえ、白くて透き通るような肌が、白いビキニがよく似合った。

しかも、スタイルも抜群で、美人だけに、俺は、言葉を失う程だった。

背中まで伸びる白くて長い髪を、ポニーテールに一つにまとめているので、

白いうなじや耳も見えて別人かと思うほど、美しかった。

「どうですか?」

 そう聞かれても、すぐに言葉が出てこなかった。

「き、きれいだよ。とても、きれいだ」

「ありがとうございます」

 そう言って、ニッコリ笑う雪さんは、天使のようだった。

しかし、俺のことなど、まったく関係ないとばかりに、弟は、雪さんを誘って、早速、プールに向かう。

 一流ホテルの屋上プールだけに、それほど混雑している様子はなかった。

だけど、来ているお客さんたちは、みんな大人ばかりで、子供は俺と弟くらいだった。

そこに、雪さんのような、美女がビキニの水着で現れたので、みんなが注目しているのがわかった。

 俺たちを見ているわけではない。でも、雪さんとセットで見られているだけに、なんか恥ずかしい。

弟と雪さんだけを見ていれば、姉と弟という感じだけど、そこに俺が加わると、

彼氏か何かと思われていそうで、気後れする。

「兄ちゃん、何してんの。早く、泳ごうよ」

 弟に言われて、ハッと我に返った。だが、実は、俺は、余り泳ぎが得意ではない。

弟は、運動神経がいいので、泳ぎも得意なのだ。雪さんは、言うまでもないだろう。

 二人は、早速、プールに勢いよく飛び込むと、きれいなフォームで泳ぎ始めた。

見ているだけで、俺は、満足する。華麗なフォームで泳ぐ美女。

これだけで、注目の的だ。俺の入る余地はないように感じた。

 二人は、プールをターンしてくると、プールから上がって、俺に近づいてくる。

「裕司くんて、早いですね」

「うん、泳ぎは、得意なんだ。でも、お姉ちゃんは、すごいや」

 濡れた長くて白い髪が日差しを浴びてキラキラ輝いて見える。

「隆志さんは、泳がないんですか?」

「う、うん。それじゃ、俺も泳いでこようかな」

 そう言って、足から水に入った。得意ではない俺が泳ぐ姿は、雪さんにどう見えただろうか? そんなことを考えながら泳いでいた。その後も、俺たちは、プールの中で水を掛け合ったりして、はしゃぎまくった。

 なんだか知らないけど、楽しかった。自然と俺も笑っていた。雪さんも楽しそうだ。その後も、イカダに乗って、水の上をユラユラとのんびりしたり、プールサイドで日光浴したり三人でたわいのない話をした。雪さんは、雪女だから、日焼けは大丈夫なんだろうか?

隣で弟と笑いながらおしゃべりしている雪さんを見て、少し心配になった。

 その後、お昼ごろになって、パラソルの下のテーブルで、軽い食事をした。

終始にこやかな顔をしている雪さんの顔を見ていると、俺は、だんだん好きになっていくのがわかった。

好きになってはいけない。そんな一言が、頭をよぎる。でも、自分に正直になってもいいのではないかと

思うことがある。雪女だからといって、好きになってはいけないなんて、今の時代ではそぐわない。

もし、好きになったとしても、必ずお姉さんのような不幸なことになるとは限らない。俺は、そんなことを思うようになっていた。

 俺たちは、プールサイドに移動して、ベンチに座って、話の続きをする。

「お姉ちゃん、暑くない?」

「大丈夫よ。プールは、冷たいから」

「でも、氷の国は、もっと寒いんでしょ」

「そうね。氷プールで泳いでいるのよ」

「うわぁ、冷たそう」

 弟の素直な感想は、俺も笑ってしまった。

そんな時、雪さんが、プールの方を見て、少し驚いている顔をしたのを、俺は、見逃さなかった。

「どうしたの?」

 俺が聞くと、雪さんが、指をさして言った。

「あそこの男の人、妖怪ですよ」

「えっ?」

 俺と弟は、指を刺した男を探した。プールの真ん中辺で、一人で立って、周りを見ている男がいた。

「あの人?」

「そうです」

「あの人が、妖怪なの? 普通の人に見えるけど」

「人間に化けているんです」

「なんていう妖怪なの?」

「半漁人です」

「半漁人!」

 俺は、思わず声が大きくなった。すると、俺の声を聞いたのか、その男は、こっちを見た。まずいと思って、顔を逸らす。しかし、その男は、俺たちに気が付いたのか、泳いでプールサイドに来ると水から上がって、俺たちに近づいてきた。

「アレ? 誰かと思ったら、雪女の雪姫じゃないか。なんで、こんなとこにいるんだ?」

「あなたこそ、どうして、人間界にいるんですか?」

 二人は、顔見知りのようだった。俺たちの前にいる男は、見かけは普通の人間の男だ。若くて体もたくましくて、強そうだった。顔は、短髪で黒い髪で、いわゆるイケメンだ。その男は、両端にいる俺たちを見て言った。

「お前ら、雪姫の知り合いなのか?」

 俺と弟は、無言で頷く。

「そうか。お前たちか。聞いた話じゃ、人間に助けられて、恩返ししているって言ってたけどお前たちがそうなのか」

 男は、そう言って、白い歯を見せて笑った。男なのに、笑顔が眩しい。

「それで、あなたは、どうして、ここにいるんですか?」

「別に。理由はないぜ。久しぶりに、きれいな水で泳ぎたかっただけだ」

 俺は、それとなく、雪さんに聞いてみた。

「あの、この人と、知り合いなんですか?」

「前に、泳ぎに誘われたことがあるんです。ただ、それだけなのよ」

「そりゃないだろ。アレは、デートだぜ。デート。もっとも、俺は、振られたけどな」

 そう言って、男は、雪さんに顔を寄せてきた。

「やめてください。そういう言い方は、誤解されます」

「どっちにしても、雪女と半漁人じゃ、つり合いが取れないもんな」

 男は、そう言って、横を向いてしまった。

「隆志さん、裕司くん、行きましょう」

 雪さんは、そう言って、立ち上がると、俺たちを誘った。

俺と弟は、すぐに立って、雪さんの後を追った。しかし、男は、付いてくる様子はない。

「あの人、お姉ちゃんの知り合い?」

「そうだけど、私は、半漁人は、好きじゃないのよ」

 俺は、半漁人がどんな姿なのか、図鑑やマンガでしか見たことないので、想像するしかないが確かに、雪女と比べると、かなり不気味な姿だ。美人揃いの雪女とは、似合わない。

「いいの、放っておいて?」

「いいのよ。半漁人なら、プールなんて来ないで、海にでも行けばいいのに・・・」

 なんか、雪さんが怒ってる感じだ。きっと、何か、感情のもつれとかあるのだろう。俺たち三人は、隣の別のプールで軽く泳いだ後は、着替えてホテル内の喫茶店に向かった。

ひとまず、落ち着いて、冷たい飲み物を飲んでいると、やっと、雪さんにもいつもの笑顔が戻った。

「今日は、楽しかったわ」

「ぼくも」

 雪さんと弟が笑顔で話しているのを見て、俺は、ホッとした。

「あのさ、話を蒸し返して悪いけど、人間界には、人間の姿をした妖怪っているの?」

「いますよ。人間には、見えないだけで、実は、いるんですよ」

 あっさり言われて、俺は、思わず周りを見まわたした。

喫茶店の店員。お客さんたちの中にも、妖怪がいるのかもしれない。

「安心してください。ここには、いませんから」

 そう言われて、俺は、視線を戻した。

「悪さとかしないの?」

「いるけど、ほとんどの妖怪は、人間として、暮らしているので、大丈夫ですよ」

 俺たちが見えないだけで、実は、この世界にも、妖怪がいることを知ると、なんか心配になる。

雪さんは、雪女だけに、妖怪のことも詳しい。俺が知ってる世界なんて、まだまだ狭いなと感じた。だけど、妖怪の世界も、覗いてみたい気もする。

「ところで、雪さんは、水着はどうしたの? 濡れた水着があれば、バッグに入れたほうがいいよ」

 俺は、気を利かしたつもりで聞いたけど、雪さんは、意味深な笑みを浮かべて言った。

「それは、秘密ですわ」

「何々、秘密って何?」

 弟が雪さんに身を乗り出した。

「それは、お家に帰ってから、お見せしますね」

 いったい、どんな秘密なんだろう? 俺にもわからなかった。

まさか、濡れた水着を着たままというわけではないだろう。

俺たちは、ホテルを後にして、三人で家路に着いた。

途中で、今夜の夕飯のおかずを買ったりした。今夜のおかずは、天ぷらだった。

 帰宅して、雪さんは、すぐに夕飯の支度にかかった。

天ぷらに使う魚や野菜などを切りながら下ごしらえをしている雪さんを、見ているときもどんな秘密なんだろうと、いろいろと思い巡らせた。しかし、ちっとも答えが見つからなかった。

 その後、食事を食べた後になって、弟が思い出したように、その秘密の答えを聞いた。

「お姉ちゃん、水着の秘密って何か、教えてよ」

 そう言うと、雪さんは、静かに笑うと、立ち上がった。

「それじゃ、秘密をお見せしますね」

 雪さんは、そう言うと、口から息を吐き出すと、細かい雪のようなものが出てきた。それを操るように指先で集めて、全身に降り注いだ。

雪さんの体が吹雪に覆われて見えなくなった。

しかし、それは、ほんの一瞬のことだった。すぐに吹雪がやんで、雪さんが見えた。

「あっ!」

「えっ?」

 俺と弟は、ビックリして声を上げた。俺たちの目の前にいたのは、昼間の白いビキニスタイルの雪さんだった。

「ど、どうして・・・」

「マジックでもないのよ。私が来ているのは、実は、雪の塊なんです。もちろん、溶けたりしませんよ」

 雪さんの言葉は、とても信じられなかった。

そして、再び、息を拭いて、自分の体に吹雪を降らせた。

今度は、元のいつもの白い着物姿に戻った。

「それじゃ、その着物も・・・」

「さすが隆志さんね。この着物も、雪でできてるのよ」

 しかし、どこからどう見ても、普通の布でできている着物にしか見えない。

「あっ、冷たい」

 弟が、雪さんの着物の袖を触った。

「こら、勝手に、触っちゃダメだろ」

「ごめんなさい」

 俺が、弟を注意した。

「いいのよ。それで、どんな感じだった?」

「冷たかった。でも、普通の着物の感じだよ」

「そうね。でも、これは、雪でできているのよ」

 不思議過ぎる。妖怪は、やっぱり、妖怪なんだ。俺たちの知らない、不思議な能力があるんだ。

「すごいや、お姉ちゃん」

 弟は、いちいち感心している。

「裕司くん、私の手を触ってみて」

 そう言って、差し出した手を弟が触る。

「うわっ、冷たい」

「そうね。雪女の体は、氷でできているから、冷たいのよ」

「そうなんだ。それじゃ、手を繋げないね」

「そうね。残念だけど、できないわね」

 そうなんだ・・・ それじゃ、雪さんとは、永遠に手を繋ぐことはできないのか。

俺は、残念な気持ちになった。

「でも、ちょっとくらいは、繋げそうだよ」

 そう言って、弟は、雪さんの手を握った。しかし、すぐに離してしまう。

「やっぱり、冷たいよ」

「ごめんね。雪女は、冷たいのよ」

「でも、お姉ちゃんの心は、あったかいよね」

 弟の一言が、俺を救ってくれた気がした。

雪さんの体は、冷たいかもしれないけど、心までは冷たくない。俺もそう信じたい。

「ありがとうね。裕司くんは、優しいのね。お姉ちゃん、すごくうれしいわ」

 雪さんは、そう言って、弟を優しく撫でた。

俺は、そんな雪さんをますます好きになってきた。もう、好きになってはいけないなんて、思わない。

好きなもんは、好きなんだ。それが雪女であっても、妖怪でも、関係ない。

俺は、この時決めた。雪さんを好きになることを決めた。だからと言って、不幸にもしない。

漠然と、何の確証もないけど、そう決めたんだ。もう、その気持ちは、揺るがない。

 この気持ちを、雪さんにも伝えることができるだろうか・・・

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