第5話 劣等感
もし、ナチスの時代にタイムスリップしたら私はどちら側の人間だったのだろう。迫害される障害者の側だったかもしれない。いや、数値だけ見れば迫害する側の人間だったかもしれない。そんな対立する思いが自分の中で込み上げていく。迫害される障害者の立場は想像できるけど、迫害するナチスドイツの立場はまるで想像できない。
が、もし、ナチスドイツが一方的に数値だけ聞けば、迫害する立場のほうへ査定し、誘導するのだろうか。自分の存在価値が振り子のように激しく揺れる。自分が加害者側になっていたのかもしれない。他の発達障害者や境界知能の当事者の方と違い、私にはそういうジレンマもある。
前にネット検索をしているとIQが160あると診断された男性の精子が高価格で販売されていた現場を目撃した。それもまた一種の優生思想なのだろう。でも、そうやって生まれた子供が私のように二次障害を発症して苦しむのだったら、生まれてきた子供が可哀想だ、と思う自分もいる。親の期待に添えられないかもしれないからね。
親の気持ちも分かるけどね。こんなに不安定な時代だったら少しでもいい人生を送ってほしい、と親心から、IQが高い子供を望むのも分かる気がするよ。ただIQが高いからって人生バラ色とは限らないよ。私みたいに苦労が続く人もいる。高IQは万全ではないよ。だからこそ、こんなにも生きづらい。生きづらくて今だって死にたくなる。全然自信もつかないし、コンプレックスだらけだ。
人間の能力や才能は決して知能指数だけが絶対的じゃない、と私のケースからも言える。私は正直なところ、自分自身の置かれた立場は社会的に言えば、負け組のほうだと自覚しているからだ。10代の頃は閉鎖病棟にずっと入院していたし、今だって精神薬が手放せない。今だって死にたくなるし、ネガティブなニュースに目を覆っている。
私はボカロPのように美しい音楽を奏でられるわけじゃないし、プロのイラストレーターのように美しいイラストを描けるわけじゃない。ダウン症の書道家の金澤翔子さんのようにハンデがありながら圧巻の書を紡ぐ人もいる。私は何百年かけても金澤翔子さんのような書は紡げない。
劣等感は永遠に続いている。それでも、前を向くしかない。このエッセイだって幸いなことに多くの人に読まれている。多くの人の時間をもらって評価してもらっている。それだけでもいい。
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