第2話 教育格差について。


  それは私自身が歩んだ人生から考えた教育格差についてだ。


 私は10代の頃、閉鎖病棟に入院し、まともな教育を受け入れられなかった。母子家庭で育ち、住んでいる街も地方都市なので教育格差があり、受けられる教育の質に差が生じていた。


 私の場合、言語理解が160近くあり、その他の数値が平均より低いといういわゆる2Eと呼ばれるタイプだった。数値の幅がざっくり言えば、一人の人間の中に、80近く開きがあるのだ。言語理解の数値は飛びぬけているものの、処理速度、知覚統合、ワーキングメモリーなどの数値がIQ100よりも低い、もしくは平均ほどというタイプだった。こういう開きが多いタイプはかなり珍しい、と心理士さんからも告げられた。精神薬を服用している影響で処理速度などの数値が低く出ているかもしれない、とも告げられた。



 子供時代の私は成績がいいほうだった。ほとんど受験勉強せずにわずか2週間の冬期講習で中学受験を突破し、特待生として合格できた。当時の塾の先生から『もし、都内に住んでいたら御三家や難関私学に合格できる学力はある』と言われた。あの当時の私は桜蔭中や開成中など、有名私学の名前は知らなかったのに、『へえ、そんな学校があるんだ』と思い、渡された難関私学の過去問を解けていた。それまでに塾に通ったこともなかったのに。解離性障害と複雑性PTSDを発症して、高校でほとんど勉強できていなかったのに一度、受けた河合塾の模試で現代文の偏差値が78を獲得したこともある。



 昨今、ギフテッドが話題になることが多いが、私自身は自分がギフテッドかどうかは迷うことがある。確かにIQの一定の数値は平均よりも高いかもしれないが、ギフテッドの名前に相応しい実績も何もないから、ここでは自分自身の特性を高IQと呼ぶことにしたい。



 もし、私が都内に住んでいたらもっと理解のある難関私学に通学でき、こんな二次障害の病気にならずに済んだかもしれない、と悔やんでしまう私がいる。高IQと呼ばれる子供が必ずしも、裕福な家庭に生まれたり、都心部に住んでいたり、とは限らないのは私のケースからも言えるだろう。



 教育格差を感じながら日々生きているが、こういった教育格差は長い目で見たら相当な喪失になるのではないか、と個人的には思う。病院で入院しているとき、何度も看護師さんから『勿体ない』と言われたり、主治医からも告げられたりしたが、自分のことを抜きにして第三者の立場から見ても勿体ない、と思う私もいる。



 数値だけを見ると何か、勝っているように見えるかもしれない。しかし、今の私はB型作業所のウェブライターをやれているものの、収入もわずかで自立とは程遠い。


 実は先ほど、ドワンコがオンラインで大学卒業ができる『ZEN大学』の設立を発表し、まだ情報が細かくは入っていないが、コンセプトは『教育格差の改正』なのだという。この朗報に今の社会も良くしようと果敢に挑んでいる人がいるのだ、と知って安心できる私がいた。現状に憂いてばかりでは何もできない。やれることをやりたい。それが世の中を変える気力になるのではないか。


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