第10話 二人の裕星

「おい、そこの女! 金をもってこい! 早くもって来るんだ!」

 男は覆面ふくめんのつもりかマフラーで口元を隠して目だけ出している。


 裕星を見ると、刃物をブンブン振り回しながら、捕まえた女性を引きずるようにして近づいてきた。



「その人を放せ! 何者だ!」

 裕星は咄嗟とっさに自分の話し方に戻っていた。



「今ここに男のスタッフは一人もいないだろ? さっき園長と一緒に運転手が出て行ったのを確かめたんだ。怪我したくなければ無駄な抵抗はしない方がいいぞ!」

 そういうなり、捕まえている女性にまた刃先を向けた。




 それでも怖がらず男を睨みつけている美羽を見て、男は怪訝けげんそうな顔になった。

「お前、なんか気に入らないな。警察に知らせたらこいつの命はないぞ、いいのか?」



「わかった、警察には連絡しない。だから、その人を放せ。代わりに、俺、いや、わたしが人質ひとじちになる」

 ──そろそろ子供たちが起きてくる時間だ。子供たちに危害が及んだりしたら大変なことになる。


 裕星は、咄嗟に小さな子供たちのことが頭によぎり、この危機的状況を回避させるのは自分しかいない、と決意したのだ。



 男を睨むようにじりじり近づいていく裕星に圧倒され、男は捕まえていたスタッフを裕星目掛けて突き飛ばした。

 すると、裕星はなぎ倒されることなく上手く抱き留めると、女性が倒れて怪我するのを防いだのだった。


「み、美羽ちゃん?」

 抱き留められた女性スタッフが美羽のたくましさに驚いている。

 しかし、美羽の腕は裕星が思うよりも筋肉がなく、か細かった。裕星はさっき女性を抱き留めた衝撃で痛む腕をさすりながら男を睨んだ。



「おい、お前、いったいなんでこんな孤児院なんかに強盗に来たんだ。ここは親のない子供たちを世話してるところだ。お前の欲しい金なんかない!」

 裕星は美羽の姿をしてはいるが、もう裕星自身の言葉で叫んでいた。



「何だ、お前、随分と威勢いせいがいいな。ヤンキー女か? 教会が運営する孤児院なら寄付金をたんまりもらってるだろうが! ここは女ばかりからな、手薄で《てうす》狙いやすかったのさ! 今ここに金がないなら、どっかからでもかき集めて持ってこい!」




「ふざけるな! 自分で働け! 世の中はお前の都合のいいようには出来てない!」


 美羽の乱暴な言葉にスタッフたちの方が驚いて目を見開いていたが、裕星は男の隙をみてスタッフの一人に目配せをして警察に電話をかけるようにとジェスチャーで訴えた。





 スタッフの一人がそっとエントランスから園長室へ行こうとするのを見つけ、男が刃物を振り上げて追いかけた。

「おい、どこに行く! まてえ!」




 裕星は男を追いかけて背後から刃物を持った男の腕を掴むと、ぐいと捻って刃物を落とした。

 裕星は、次に男の背中に体当すると、倒れた男の背中に乗り片腕を後ろ手にして動けないように男をしっかりと床に押さえつけた、と思ったが、やはり美羽の腕は女の腕だ。男が体をひねって裕星をグイと振り払い体を起こした途端、裕星はいとも簡単にけられてしまったのだ。




 裕星は美羽の体のまま思い切り固い壁に叩きつけられてしまった。


 男が立ち上がって裕星の方にじりじりとやってくるのが見える。


 ――しまった。体が痛くて動けない。腕も疲れて力が入らない。このままじゃ美羽が傷つけられてしまう。



「さっきはよくもやってくれたな。お前、格闘技かくとうぎでもやってんのか? このヤンキー女め! いくら強がっても所詮しょせん女は女なんだよ! 俺を捕まえられるわけねえだろ! バカめっ!」

 倒れている裕星を見下ろしながら目の前に近づいてきた。


 裕星はまだ体は動かせなかった。さっき男を捉えたときに力を使い果たしてしまったためか、と自分の軽率な行動を恨むばかりだった。

 男が裕星の真上に迫ってきた。裕星の上に馬乗りになって両手を裕星の首にかけようとしたそのときだった。


「待て! その人に手を出すな!」


 エントランスから誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。



 驚いた男が振り向くと、そこにはこちらを睨みつけるように仁王立ちしている裕星がいた。


 美羽の姿のまま倒れている裕星は、夢を見ているような気がしていた。自分が自分を助けに来たのだ。しかし体はしびれて動かず、この不思議な光景をただぼんやりと見守るしかなかった。





「お前、誰だ! 警察か?」

 男が睨んでいる。



「警察じゃない。だけど、俺はお前を許さない! 彼女に手を出すな! 俺が相手になる」

 その裕星は勇ましい様子で男に言った。



 ――あれは誰だ。まさか──美羽なのか?


 裕星はまだ力の戻らない体をゆっくり起こしながら、自分の姿をした男が美羽の言動とは別人のように思えて目を細めるようにして、その様子をうかがっていた。




 男がファイティングポーズを取りながら裕星に近づいて行く。

 すると、裕星も男と同じようにファイティングポーズを取った。


 男が勢いよくパンチを繰り出すと、裕星はそれをスイと左にけた。男は悔しそうに裕星をにらむと、今度は裕星の顔目掛けてパンチを繰り出した。しかし、裕星は今度もサッと体を低くして避けた。男は怒りに任せ、ブンブンと腕を振り回しながら裕星に近づくと、鬼の形相で裕星目掛けて頭から突進してきた。

 裕星は一瞬驚いた顔を見せたが、咄嗟にその場にしゃがみこんだのだ。


 男は裕星に急に避けられ、勢い余って裕星の背中の上を飛び越えて、壁に嫌という程頭を打ちつけたのだった。


「ううぅ……」

 男は頭を押さえて、その場に突っ伏しうなっている。

 


 するとちょうどその時、けたたましいサイレンを鳴らしたパトカーが次々と孤児院の前に到着して、急いで駆けつけた警官たちが男を取り押さえた。


 警官の一人が、「通報がありました。強盗はこの男ですか? お怪我はなかったですか? ご協力ありがとうございました!」と言い残し、すっかり戦意喪失せんいそうしつした強盗男をパトカーに連行して行った。

 もう一台のパトカーには、通報してくれたスタッフが証言者として乗り込んだのだった。パトカーのサイレンが遠ざかると、孤児院のエントランスにはまた静寂が戻ってきた。裕星はもう一人の裕星と二人きりで向かい合っていた。



 男と戦って倒した裕星が、倒れている美羽に急いで駆け寄ってきた。

「――大丈夫?」


「お前──やっぱり美羽なのか? でも、さっきはまるで俺そのものみたいだった」



「ふふふ、いつも裕くんのことを見てるからよ。さっきのは、裕くんがずっと前に私を不良から助けてくれた時のことを思い出してやってみたの。ほら、こうやって」とボクシングのポーズで、シュッシュッとパンチを繰り出して見せた。


「そうしたら、体がちゃんと反応してくれて、まるで本物の裕くんになったみたいだったわ。普段から裕くんが体を鍛えてくれてるお陰よ。だから、裕くんが私を助けてくれたのよ。でも、最後は怖くって座り込んじゃったけどね」と美羽らしい無邪気な笑顔を見せた。




 ほら、と座り込んでいる裕星に手をさし出している自分の姿の美羽が凛々りりしくて、まるで自分自身が幽体離脱ゆうたいりだつして目の前に現れたかのような不思議な一体感を感じて、裕星は夢見心地でその手を取った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る