第7話 恐るべし女の勘

 颯爽と歩く美羽の後を背中を丸めて付いていく裕星の図が、事情を知らない者が見たらあまりにも滑稽こっけいだった。


 レストランを出て、裕星は美羽の恰好のままで愛車のベンツに乗り込むと、助手席に裕星の姿の美羽を乗せ、慣れた手つきで発進させた。


 しかし、その裕星たちの車の近くを女性人気アイドルグループ『フラワー畑』のミナを乗せた車がちょうど通りかかったのだった。


「んっ? ねえ、マネージャー、あの車、ラ・メールブルー裕星のよね?」


「―—え? ああ、前のベンツですか? 確かに海原さんのに似てますね」



「ちらっと見て気になったんだけど、なんか変な感じがしたのよね」


「変な感じとは?」



「裕星の座っていた位置よ。いつから国産車仕様にしたのかしら」



「―—どういうことですか?」



「だ、か、ら、裕星が右ハンドルで運転してたように見えたの! ねえ、ちょっと並走してくれない? あ、ほら、あの信号機のところで」



「は、はい。分かりました……」

 マネージャーは首を傾げながら、仕方なくミナの言葉に従ってアクセルを強く踏み込むと、追い越し車線に出た。




 少し先の信号機がちょうど黄色から赤に変わった。ミナには好都合だった。ミナの車が裕星の車の真横に止まったのだ。


 ミナが左側の窓を開けると、ちょうど斜め前に裕星の姿が見えていた。


「ほら、見て! 裕星が右側に座ってる。てことは、やっぱり右ハンドルにしたってこと? それとも他の誰かが運転してるのかしら?」



 信号が青に変わって、二台は同時に走り出したが、すぐにミナを乗せた車がベンツの前に回り込んだ。そのためミナにはリアウィンドウからハッキリとベンツのフロントを見ることができた。確かに、ハンドルを操作しているのは裕星ではなかった。



「――ど、どういうこと? 何これ? あれ、誰なの? まさか、マネージャーが女に変わったの? それにしても裕星が自分で運転しないなんて、おかしな話ね」



 ミナが後ろを向いたまま背後の様子を実況中継するので、マネージャーがルームミラーで確認してみると、確かにベンツを運転しているのは女性だった。



「見たことないマネージャーですね。それにまだ若そうだし、彼女じゃないんですか?」



「違うわよ! いくら彼女だとしても、こんな深夜に自分の車を運転させる? 何か理由わけがあるのよ、きっと」



「何かって何ですか? 海原さんのマネージャーが変わる度、公表しないといけないことでも?」

 マネージャーはわざと大袈裟おおげさに言って笑っている。



「そうじゃないけど……。でも何か変だわ。勘のいい私には分かるのよ。裕星って、いつも何か秘密を持ってる気がするのよね」



「はいはい。分かりました。そうですね。でも、もういいじゃありませんか? 裕星さんのプライバシーを詮索せんさくしても何も分かりませんよ」



「違うわよ! 詮索せんさくとかそんなんじゃない! 私の勘ってすごいのよ。私だって、裕星が誰と付き合おうが構わないけど、あんな怪しい女がいるなんて気になるもの」





「そんなに気になるのは、ミナさんも海原さんを好きだからでは?」


 マネージャーがさらりと言ってルームミラーを見ると、ミナは鏡越しにマネージャーの顔を睨んでいる。


「あ、すみません……余計なことを」




 ミナたちが話し込んでいる間に、後ろのベンツはどこに行ったのか姿が見えなくなっていたのだった。


「もーっ、つまんない話してるうちにどっかに行っちゃったじゃない!」

 ミナは車の中で地団駄を踏んだ。








 *** 翌日 ***




 裕星は、朝起きて真っ先に自分の体を見降ろしたが、やっぱり美羽の体のままなのを確認して、ガックリと肩を下ろした。隣には無邪気な顔でスヤスヤと寝ている自分がいる。


「俺の寝顔って、こんなに可愛かったっけ?」

 そうつぶやいた自分に気持ち悪くなり、ブルルとかぶりを振った。





「――おはよう、裕くん」

 美羽は裕星の体で目をこすりながら体を起こした。


 寝ぼけながら無意識にトイレに行くと、やはり途中で気付いて叫び声を上げている。


「美羽、だから俺に任せろと言ってるだろ?」






 今朝も互いの支度を終えるまでにいつもの倍の時間がかかった。


「裕くん、今日の裕くんのお仕事はトークだけよね?」


「ああ、演奏はやらないし、あいつらも来ないから、一人で俺らしく演じてくれれば大丈夫だ。司会者は有名な大御所おおごしょ芸能人だが、俺に関することを色々聞かれるだけだから、俺に関することはお前ならだいたい答えられるだろ?」



「私の方は教会で朝の礼拝があるけど、礼拝の時は何もしなくていいわ。それから、午後は孤児院に行って子供たちの面倒を見て欲しいの。

 あ、でも、子供たちは勘がいいから気をつけてね。とにかく一緒に遊んであげればきっと喜ぶわ」




「わかった。俺は怪しまれないように何とかお前らしく頑張るよ。たとえ怪しまれたところで、体はお前本人なんだからバレることはないけどな」



「うん、分かってるわ。私は裕くんとして恥ずかしくない行動をするから、裕くんも私として、というより女性として、はしたないことはしないでね」



「ああ、時間が経てばこの体にも段々と馴れてくるだろうから。なんとか乗り切るよ」


 裕星はそうは言ったものの、自信はなかった。このまま元の体に戻れなかったら、と考えるだけで戦慄せんりつが走る。

 この先、この状態が長くなれば、自分が自分の姿をした美羽を愛していくことなど難しくなる。もしかすると、これが切掛けとなって、二人は不幸にも別れてしまうことになるかもしれない。そんな恐れすら感じていたのだった。






 裕星の姿の美羽が、マネージャーに送られて仕事場であるテレビ局に到着した。すると、ちょうどそこにミナのマネージャーが運転する車も入ってきた。



 美羽が車を降りてエントランスに入ろうとすると、


「あれぇ、裕星! 同じ局で仕事? ねえ、車はどうしたの?」

 ミナが背後から美羽を呼び止めた。



 美羽は突然呼び止められ驚いて振り向いたが、そこに男女交際禁止で有名な女性アイドルグループ『フラワー畑』のセンターを務めるミナがいて、更に驚いた。

 ──彼女は裕くんの知り合いなのかしら?


「えっと、その……車は……しゅ、修理に出して」




「私、昨日見たわよ! 裕星は女の人に運転させて助手席に座っていたわよね? あの時はどうしたのよ。修理って、あの後にでも故障でもしたの? それにあれは誰? 新しいマネージャーでも雇ったの?」




「昨日? (あ……あの時ミナちゃんに見られてたんだ)――あっ、そ、そう、あの後で故障したんだ。あの人は……事務所の新しいスタッフさんで……た、たまたま」美羽はしどろもどろで答えた。



「――そうだったの? なんだか変だと思ったのよね。でも、彼女、運転すごく上手だったじゃない? いいドライバーさん見つけたのね?」



「あ、ああ。そうだね」

 ハッハッハと美羽は苦しい作り笑いをした。




「おい、裕星、何やってるんだ。時間ギリギリなんだ。早くスタジオに入るぞ」

 マネージャーにかされ、それじゃ、と、やっとミナから逃げることができたのだった。

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