第6話 水晶玉の魔女

「―—え? 司教様でも私たちを元に戻せないと仰っていたの?」


「ああ、原因が分からないらしい。魔術かなにかでもない限りは無理だろうな。やっぱりあの魔女のところへ行くしかないな」




「そうね。明日は孤児院のお仕事がお休みでしょ? 私も裕くんのお仕事がお休みの日だから一緒に行くわ」



 いつもは美味しいはずの美羽の手料理を、今日の二人は味気なくそそくさと済ませたのだった。



 翌朝、美羽は目を覚ますなり、バタバタと急いで洗面所の向かった。

 もしかすると、もう元に戻っているかもしれないという期待を胸に。

 しかし、昨日覗き込んだ姿と全く変わってはいなかった。そこには精悍せいかんな顔をした寝起きでボサボサ髪の裕星が立っているだけだった。


 美羽は裕星の頬を自分で撫でながら、「こんなことになるなんて……ごめんね」なぜか、鏡の中の裕星に謝った。そのまま浴室に向かうと、隣の脱衣所に入りパジャマを脱いだ。


 裕星の筋肉質の腕に血管が浮き出ている。パジャマを脱いだだけなのに、美羽は自分の体を見れずに、顔を上げたまま最後の衣服に手を掛けた。

 いつもとは勝手が違うことを感じながら目を閉じて脱ぐと、急いで浴室に飛び込んでシャワーをひねった。


 熱いお湯が出て、一気に頭からかぶると、裕星の柔らかい髪が顔に掛かり、シャワーのお湯が丸い玉になって胸の上を転がり落ちていく。

 ボディシャンプーを泡立てながら胸や手足を洗っていった。


 泡いっぱいのスポンジで目を閉じたまま体を洗い終えると、はぁ~と大きくため息を漏らしてシャワーで泡を流した。


「自分の体を洗うのも一苦労ね。こんなことあり得ないことだもの」



 その時、浴室のドアの前で裕星が呼んだ。

「美羽、シャワーを浴びてたの? 大丈夫だったのか?」



「裕くん? だ、大丈夫じゃないけど……でも、もうなんとか済んだわ」

 口ごもりながら美羽が言うと、裕星は美羽の声で、「じゃあ、俺の体は美羽が洗ってくれないか?」と訊いた。



「俺が自分一人でシャワーを浴びたら美羽は嫌だろ? だったら、悪いけど、俺の体は美羽が洗ってくれないか? 自分の体なんだから大丈夫だよな?」



 裕星の提案はもっともだった。裕星に自分の体を勝手に洗われるよりもずっといい。


 美羽は裕星の部屋着に着替えると、脱衣所で目を瞑ったまま突っ立っている裕星の服を脱がせてあげ、両手を繋いでそっと浴室に連れて行った。

 そしてシャワーを出して自分の体を洗ってやったのだった。


「裕くん、まだ目を閉じていてね。髪を流すわよ」


「うん。お前の髪は長いからいちいち面倒くさいな」



「ふぅ、いつもなら何でもないことだったのに、こんなに大変だったなんて……」




「女性の苦労がよくわかるよ。とにかく体を拭くのも手伝ってくれ。俺がやってもいいならいいけど」



「ダメよ! これからも私が裕くんをお風呂に入れるわ。だって、裕くんに勝手に裸の私を見られたくないもの」



「それじゃあ、これからは一緒に入ろうか? 俺の体はさっきお前が洗ってくれただろ?」


 すると、美羽は真っ赤になって俯いた。



「別に俺の方は見られてもいいよ。それが俺のすべてなんだから。美羽に見られて恥ずかしいものは何もない」



「――そんな。でも、私が恥ずかしいから見ないわ。だから、私の体も見ないでね!」




「ああ、分かってるよ。ちゃんと抑制するよ」



「何よそれ! 本当に約束よ!」



 二人は小一時間もかかって朝のシャワーをやっと済ませたのだった。




 互いの髪を乾かし合いながら、裕星が言った。

「お前の長い髪、考えたことなかったけど、手入れやら何やらで大変そうだな。俺のは簡単だろ? ドライヤーで一発だし、何なら自然乾燥でもいい」



「自然乾燥は髪に悪いわよ」


「へえ、そうなのか?」



「それと、裕くん、今日元に戻れたらいいけど、万が一ダメだった時はどうする? この先だって私が裕くんのままで生きていくなんて、とても無理よ。それに……」



「それに?」



「私が好きなのは、裕くんの姿の裕くんなのに。目の前にいる自分の姿をみたら……ずっと鏡を見てるみたいで話しづらいわ」




「――それは俺も同じだよ。いくら俺の中にいる美羽のことが好きでも、俺は俺にキスをしたくないしな」


 二人は互いに顔を見合わせて苦笑いした。





「とにかく原因を探ろう。どうしてこうなったのか。そして早く魔女のところで元に戻してもらおう」







 二人が朝食を済ませるなり向かった先は、あのアラビア風レストランだった。そこにいる占いの師の魔女が、以前にも何度か奇妙なことが起きた時に解決法を伝授してくれたからだ。



「すみません、今日は食事じゃなくて、占い師のおばあさんに会いたいのですが……」

 裕星の姿の美羽が言うと、アラビア人らしき男が一人店の奥から出てきて二人をステージにあるテントへと案内してくれた。




 しばらくすると、魔女がテントからぬうっと顔を出した。すると魔女は二人の様子を見て、「おや、またあんたたちかい」フォフォフォと歯のない口で笑っている。

 久しぶりに会った魔女は年を取っていなかった。というよりも、初めて会った時からすでに年寄りのまま特に変わりばえがないと言った方が良さそうだ。



「笑ってないでどうにかしてくれ。分かってるんだろ? 俺たちのこの事態を」

 美羽の体で裕星が老婆に詰め寄った。



「―—今度ばかりはどうにもできんのぉ」

 魔女は突然真顔になったかと思うと、険しい顔で首を横に振った。





「どうにもできないって、どうしてだ! 前は美羽に色々アドバイスしてくれただろ? 何か解決策くらいあるだろ!」




「――ない」


「ないとは何だよ! それに、これは催眠術じゃなくて魔術のようなケースじゃないのか? だったら……」

 美羽の姿の裕星が今にも老婆に飛び掛からんばかりで言うと、


「今度のばかりは人間や悪魔の仕業しわざじゃないからじゃ」と厳しい目を裕星に向けた。




「――それは司教にも聞いた。だけど、それなら誰がやったんだ!」




「邪悪なものとは真逆のものの仕業しわざ、とでもいうべきじゃな?」



「真逆とは? 神さまの仕業しわざとでもいうのか?」



「――まあ、そういったところじゃろ」




「随分漠然としてるな。それとも、俺たちが何か悪い事でもしたから神様が怒って罰を下したとでもいいたいのか?」



「罰というわけではなさそうじゃな。どうやらその逆じゃ」


「また逆か……。それならこれが神様からのご褒美ほうびとでも言いたいようだな?」



「おお、言うなればそれに近いかもしれんのぉ」



「俺たちがこれだけ困ってるのに、これが褒美だっていうのか?」



「しばらく互いの姿で暮らせば分かることがあるじゃろう。今のわしにはそれくらいしか言えん」




「それで、いつ戻れるんだ?」



「――分からん」


「な、なんだよ、それも分からないのか?」

 裕星は呆れたように口を開けてガックリと肩を落とした。



「ねえ、裕くん」

 裕星の姿の美羽が自分の姿をした裕星の肩を叩いた。

「とにかく何日か後にまたここに来てみましょう。今は誰にも分からないのだとしたら、後は私たちがこの原因を突き止めるしかないわ」

 困った顔で、自分の姿のままガックリと肩を落としている裕星を見下ろした。



「ああ、仕方ない、また出直すしかないな」

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