第2話 ピンチはピンチ
裕星はまじまじと目の前にいる自分の姿を見つめた。まさか、自分で自分の姿を直接見ることなどあり得ないと思っていたが、その体は今は裕星のものであって裕星ではなく美羽のものなのだ。
ややこしく考えながらも、美羽の姿の裕星は唇を一文字に結ぶと優しく声を掛けた。
「美羽、目を
美羽はおどおどしながら振り向いた。裕星は、自分の姿の美羽をゆっくり便座に座らせた。
「後はズボンを脱ぐだけ。これなら出来るだろ?」
すると、恥ずかしそうにこくりとしたが、「裕くん、もう出て行って!」と叫んでドアをバタンと閉めたのだった。
やれやれ、と裕星は額の汗を拭った。しかし、その手はとても小さくふっくらしており、やはり美羽の手だった。
「これじゃ、俺の方がトイレやシャワーの時に気絶しそうだ」
事態がよく呑み込めずうろたえるばかりだった。
互いにまだパジャマのままリビングでもう一度顔を合わせた二人は、自分たちの姿をジロジロと眺め回しながら呟いた。
「やだ、本当に裕くんが私になってる。まるで私の魂が体から出ちゃって、外から自分を見てる気分よ」
美羽が泣きそうに言った。
「俺の顔で泣くな。俺だってこんな非常事態どうしていいのかわからないんだ。それよりももっと大変なのは、今日はこれからどうしても外せない仕事がある。休めるもんなら休みたかったけど……。この姿じゃ誰にも俺だと信じてもらえないしな」
裕星が美羽の姿で胸を撫でおろそうとすると、「やめて、裕くん、それ私の胸!」と美羽が裕星の声で叫んだ。
「あ、ああ、ごめん、ごめん。いつも胸に手をやる癖があるからつい……気をつけるよ」
美羽の声で裕星が謝っている。
「もうっ、どうしたらいいの? ――そうよ、またあの占い師のおばあさんのところへ行ってみない? あの人なら何かわかるかも。前にも相談したことがあったし、このおかしな呪いを解いてくれるかもしれないわ!」
美羽が両手を胸の前で結んで裕星の大きな体でくねくねしながら言った。
「あのジプシー占いの魔女か。そうだな。だけど今日は無理だ。俺はこれから仕事なんだよ。生放送の夏の特番だ。
どうしたらいいか――――そうだ、美羽、お前が代わりに俺の仕事をやってこれないか? 俺のその姿で番組に出てほしい。歌番組じゃないからギターを弾かなくていいし、ただのお茶の間バラエティ番組なんだ」
「……私にもできることなの?」
「ああ、美羽なら大丈夫だ。俺のつもりで立ち振る舞えば、誰にも気づかれないよ。女性と色んなシチュエーションでやり取りをするだけだ。
ほら、こんな時、男としてどうするか? とか、そんなくだらない内容のやつだよ」
「でも、私は男の人じゃないから……。それに、私の方も午後にはお父様のお手伝いがあるの。
礼拝堂で参拝客を迎えてお祈りを捧げなくちゃ。でも、私はシスターではないから、お客様の接待のお手伝いをするだけなんだけど。……裕くん、出来る?」
「――ま、まあ、それくらいなら大丈夫だよ。今日一日乗り越えられれば、明日は魔女のところへ行って元通りにしてもらおう。きっとまた誰かが俺たちにイタズラしてまじないをかけたりしたんじゃないのか?」
「そうね。それまでは不自由だけど、私は裕くんとして過ごすわ。あ、おトイレでは目を瞑ってね! 約束よ!」
美羽が裕星の低い声で自分の姿の裕星を睨んだ。
時間になると、それぞれが互いの支度を手伝い合い、ようやく仕事場に出かける準備ができた。
裕星の姿の美羽は、革ジャンにサングラスで、自分のファッションとはまるで違う姿になって落ち着かないようだ。
「なんだか、ギャングになった気分だわ。それに、私、ペーパードライバーだから裕くんの車を運転できないわ」
「それなら大丈夫だ。さっきマネージャーに迎えに来てもらうようにメールした。車が故障したと言っておいたよ。だけど、問題は俺の方だな。こんな恰好で何を手伝えばいいんだ?」
「礼拝堂では静かにお祈りを捧げていれば大丈夫。後はお客様たちを笑顔でお迎えするだけよ」
「はあー、それが一番難しそうだな」美羽の姿で頭をポリポリ掻いた。
「ああ、そういうのは止めてね! 女らしく行動してよ! まるで私がお行儀悪くなったみたいに見えるわ」
美羽は裕星がスカートの裾をつまんでバサバサしてる姿を見て釘を刺した。
「はいはい。女らしく、ね。あたしに任せといて! うふふ」と美羽の声で笑う裕星を、裕星の顔で美羽が睨んだ。
「おお、その顔、だいぶ俺っぽいぞ。美羽、その調子だ」
***SFYテレビ局 スタジオ***
美羽はマネージャーの車から降りると、すぐに出演者用の控室に向った。このテレビ局なら以前にも『独身貴族』で来たことがあるため勝手は知っている。
入り口から二階に上がると、スタジオがある階に着く。ラ・メールブルー様と書かれた控室を探していると、後ろから陸に声を掛けられた。
「裕星さん、今日は遅かったね。本番ギリギリだよ」
美羽は、陸が少しの疑いもなく自分に裕星として話しかける様子を見て、ホッとしながら、コホンと一つ咳ばらいをして裕星になりきって答えた。
「ああ、悪いな。ちょっと出がけにゴタゴタしてて」
「ゴタゴタって、美羽さんとまた喧嘩でもしたの?」
「ま、まさか! そんなこと。わた、俺は美羽を大事にしてるからな。喧嘩なんてしてないぞ」
「なんか変な話し方だな、今日の裕星さんは」
「そ、そうか? ほ、ほら、時間だから急いで用意しないと」
美羽は陸を押しのけて控室に入ると、もう衣装に着替えて待機していた光太が裕星に気付いて振り向いた。
「おお、裕星、やっと来たか。今日はこの衣装らしいよ。夏のデートの設定らしいぞ。さっきディレクターがヒントを知らせに来たよ。くじを引いて当たったお題でやるらしい。
面倒だけど仕方ないな。バラエティも俺たちの仕事の一つだからな」
「へえ、そうなの? 面白そうね」
美羽の言葉に、光太はキョトンとした顔でこちらを見ている。
「お前、風邪でも引いたのか? なんか今日はいつもと印象が違うな。ナヨナヨして見える」
「そ、そんな! 俺は女の腐ったのじゃないぞ! ほら、いつもの俺だろ?」美羽が慌てて言い換えた。
「――余計に変だよ。裕星、珍しく緊張してるの? まあ、苦手分野のバラエティだから仕方ないか。レディはね、僕みたいに丁寧に扱えばいいのさ」
鏡でヘアスタイルを直していたリョウタが鏡越しに口を挟んだ。
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