第40話


 次第にユキは起き上がる時間が短くなり、食も細くなっていった。

 佐平は仕事の合間に今まで以上に頻繁に顔を見せ、様子をうかがった。


「ユキ」


 襖を開けて声をかければ、薄っすらと目を開け佐平を見る。


「佐平さん」


 佐平は襖を閉じ、ユキのそばに膝をついた。

 眠っていたらしいユキの瞳はわずかに開き、佐平を見つめる。


「寝てたか? 起こしてすまん」

「ううん。大丈夫」


「寒くないか? 雪が降ってきたんだ。今夜は冷えるぞ」

「雪?」


「ああ、初雪だ。ここいらじゃ積もらねえだろうけどな。それでも冷えるから、あったかくしていろ」

「雪、見たい」


「え? 雪を? でも、雨戸を開けたら寒いぞ」

「ちょっとだけ……」

「じゃあ、ちょっとだけだぞ」


 佐平は窓辺に立ち、障子と雨戸を開け始めた。

 雨戸を開けると冷気が部屋に入り込み、佐平はぶるっと身を縮めた。

 

「やっぱり寒いな」


 佐平はユキの元に戻るとその体を起こし、自分の胸にもたれかからせた。

 寒くないようにユキの胸元まで布団をかけ、暖を取らす。


「ユキ、見えるか?」

「……」


「ユキ?」返事のないユキを覗き込めば、彼女はすでに瞳を閉じていた。

 夢うつつのまま、わずかに開いた瞳に映ったのは、ずっと願い夢見た光景だった。


「蛍……」


「ユキ? 蛍じゃない、雪だ。おめえが見たいって言った雪だぞ」


 ユキは佐平の腕に抱かれ、布団の中から手を伸ばした。

 やせて細くなった腕を伸ばし掴もうとする。届くはずはないのに、それでも手を真っ直ぐに伸ばし手のひらを握り掴もうとする。


「ユキ」

「きれいね。ほたる、きれい」


「そうだな……。蛍、綺麗だな。

 いつか見に行こう、ふたりで。おめえの里に行って蛍を見よう」

「うん。ほたる、みようね」


 伸ばされた手がゆっくりと膝に落ち、彼女の頭が少しだけうつむいた。

 また眠ってしまったのだろうと、佐平はユキをしばらくその腕で抱きしめたまま窓の雪を眺めていた。

 ひらひらと舞うように落ち行く雪は、白く美しい。

 今日の雪は一粒が大きく、外の提灯の明かりに照らされ少しだけ色を付けているようだった。

 蛍に見えたというユキは、過去と現実を行き来しながら夢を見る。

 見たいものを見て生きるユキの世界で、自分はどう映っているのだろう?

 そんなことを思いながら、佐平はこの先の短さを感じ、ユキを抱きしめる腕に力をこめる。


「ユキ。つれえか? つれえよな。

 でも、俺を一人にしないでくれ。おいていかないでくれ……」


 ユキの頭に顔をうずめ、佐平はひとり涙をこぼしていた。

 耐える涙は体を揺らしてしまう。せっかく眠っているユキを起こさぬように、佐平は誰に見られることもない涙を、流し続けるのだった。




 混沌とする時間が多くなったユキ。

 それでも佐平は話しかけ、一緒に眠り続けていた。

 いつしか店の者たちもユキの存在自体を忘れたかのようにその名を口にすることもなくなり、ふたりは互いだけの世界に生きるようになる。

 寂しいと感じたのは最初だけ。次第に依存しあう生き方は、何者にも邪魔をされない安寧を意味していた。

 毎晩ユキをその腕に抱いて眠る佐平。痩せて細くなった体は、強く抱きしめれば折れてしまいそうだった。それでも毎晩、お互いの肌の温もりで暖を取って眠る生活は、本当に幸せだった。


「ユキ」と頭の上から名を呼べば、意識のある時は「なに?」と答えてくれる。

「なんでもない」と言えば、「おかしな佐平さん」と笑う。

 そんな、何でもないことが、こんなに幸せなのだと気が付いた。

 何気ない日常が。朝、目覚めた時に腕の中の愛する人の寝息を聞くことが。

こんなに胸を締め付けるほどだと、佐平はユキと出会い初めて知った。

 

 いつまでもこのままで良いと。何もできなくていいから、ただ一緒に過ごす日々が続いて欲しいと、そう願わずにはいられなかった。



 体調と天気をみながら、たまにユキの髪を濡れた布巾で拭いてやるのも佐平の役目だ。身体を拭くために暖かいお湯で濡らした布巾をユキに渡すと、佐平は部屋の外で待った。まだ肌を見せあっていない二人には、そんな恥じらいも持ち合わせていた。

「あったかい」そう言って受け取ると佐平は急いで部屋の外に行き、ユキの声がかかるまで廊下で待つ。それもまた元気な証だと、寒い廊下で待たされるのも嬉しく思う。


「佐平さん。お待たせ」


 呼ばれて部屋に入ると、少しだけ小ざっぱりとした顔のユキがいる。


「ユキ。髪を拭こうか」


 佐平は慣れた手つきでユキを自分の胸にもたれかからせると、濡れた布巾で髪を拭き始めた。もう長いこと水洗いしていない髪は、何度拭いても昔の様なさらりとした手触りにはなってくれない。それでも暖かい布巾で髪を拭き、ユキが大事にしている柘植の櫛で髪を梳くのだった。

 

「気持ちいい」


 体を佐平に預け、次第にウトウトし始めるユキを黙って受け入れながら、彼はその黒髪に櫛を入れ続ける。

 この店に入った時には、母親が切ってくれたざん切りの肩ほどの長さだった髪も、今では結い上げられるほどに伸び背まで届いている。

 絡まぬように毛先から梳いても、どうしても髪が絡まってしまう。

 いつもなら根気よくしていれば解けるのに、今日に限ってはうまくほどけない。自分の胸でウトウトしているユキに気遣い、佐平は彼女の道具箱に手を伸ばすと、剃刀を手に取り絡まった部分の上にその刃をあてた。

『ジョリッ』と音を立てて髪の束がてのひらに落ちる。佐平はユキに気付かれないようそれを布巾で包んだ。

 取り立てて髪を気遣っていたわけではないと思うが、それでも目に入れば良い思いはしないだろう、そう思い。

 

 そして、その黒髪をそっと懐に仕舞い込むのだった。



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