第39話


 ユキの病状は一進一退。

 具合が悪く起きられない日もあれば、床に起き上がり食事もそれなりに食べられる日もある。しかし、目に見えてよくなることは決してなく、苦しそうな咳は相変わらずだった。


 佐平は男衆の仕事をこなしながら、ユキの看病も続ける。いくら若く屈強な体だとは言え、疲れないわけはない。

 それでも、そんな素振りをユキの前では見せぬようにし、努めて明るく振る舞った。

 最初は休みに入ったユキを気にかけ色々と心配していた客も、時が経てばまるでいなかった者のようにその名を口にしなくなる。

 店の者達もそうだった。客を取られていたものは「ざまあみろ」と腹の中で笑っているだろうし、仲の良さそうだった者ですら気にも留めなくなっていた。

 花街の世界がきつく厳しいものだとは知っているが、これほどまでに他人事になれるのかと、佐平は恐ろしさを感じていた。

 こんな世界の中でユキが頼れるのは自分けだ、しっかりしなければとそれだけを思い、心を保ち続けていた。


 食欲のなくなってきたユキのために粥や雑炊を持ち込み、火鉢の上で温めるようにもした。こうすれば、常に暖かい物を口にできる。

 一度に多くは食べらなくともちびちびと回数を増やし、何とか食べ物を口に運ばせる。佐平も必死だった。



「佐平さん、いつもありがとう」


 ある日のこと。少しは元気のある時に、ユキがいつものように佐平の腕の中で呟いた。


「どうした?」

「うん。なんだか申し訳なくて。ごめんね」

「馬鹿。病人はそんなこと気にしなくて良いんだ。おめえは早く良くなることだけ考えてろ」


 佐平がユキの頭にこつんと優しく拳をあてた。

 最近は、佐平の胸にユキの背を当てながら眠るようになっていた。顏は見えないが、その方がユキは暖かいと言う。

 この日も佐平に後ろから抱きしめられながら横になっていたユキが、向きを変え彼に向き合う。


「佐平さん。うちを抱いて」


佐平の腕の中で下から見上げるように見つめるユキを、驚いたように見下ろす佐平がいた。


「なに、なに言ってるんだ? 大丈夫か?」

「うちね、佐平さんに返せるものが何もないから。だから……」


「ばかやろう! そんなこと気にしなくていいって言ったばっかりだろう。

 今は体のことだけ考えて、ゆっくり休まなくちゃダメだ。

 余計なことはしなくていい。もういいから、眠れ。な?」

「うちじゃダメ? うちじゃその気にならない? 

 こんな汚れた体じゃ、佐平さんに抱いてもらえない?

 ごめんね、ごめん……」


 泣くのをこらえ、瞳に涙をためたユキが声を詰まらせ絞り出すように佐平に縋りつく。


「おめえは、汚れてなんかいない。ユキは綺麗だ。名前のように白い雪みたいに、まっさらで美しいよ。汚れてなんていないさ」

「佐平さん……」


 佐平はユキの頭を抱え込むように、その腕の中に抱きしめた。

 抱きたくないわけなんて、そんなことあり得ない。

 客として他の男と部屋に入っていくユキを、何度見送ってきたかしれない。

 そのたびに、握りつぶされるように苦しい胸をかきむしりながら耐えてきたのだ。見ないように、避けるように、その真実から目を反らしてきた。

 年季が明けた時、もしユキが望んでくれるなら所帯を持ちたいと、淡い期待を持ってもいた。それを口にできるほどの勇気も自信もなくて、結局言えずにいたけれど。自分の腕の中で涙をこらえる愛しい人を見て、佐平は口を開く。


「ユキ。病気が治って、いつか年季が明けたら、俺と一緒になってくれるか?」


 ユキは驚いたように佐平を見上げる。自分の頭の上から下ろされた言葉を信じることができなくて、目を見開き言葉を無くしたように見つめたまま。


「俺もまだまだだし、おめえもまだ年季は残ってる。だから、すぐじゃねえ。

 だけど、いつかその時が来て、俺と一緒になっても良いって思ってくれるなら、俺と所帯を持とう。どっかに家を借りて、最初は貧乏だけど二人で働けばなんとかなるさ。俺はおめえがいれば笑っていられる。何もいらねえ。

 ふたりで笑っていられれば、それだけで良い」


 佐平は答えを求めたわけではない。

ただ、男としてその覚悟を伝えたかったのだ。自分の気持ちは変わらないことを知っていてほしかった。それだけだった。

 たとえ病気になろうとも、他の男と何度肌を重ねたとしても、愛しい人への想いが枯れることはなく、未来を一緒に迎えたいと思っていることを。

 そこにユキの想いが並びついて来なかったとしても受け入れるつもりでいたし、ただ彼女のそばにいて守っていられれば、それだけで……。


「佐平さん。うち……、嬉しい。嘘でも嬉しい。ありがとう、ありがとう」


 ユキは佐平の着物の襟もとを掴み、泣いていた。泣くまいと耐えていた涙を一つ、二つとこぼしながら。気が付けば止めどなく流れ、やむ気配がない。


「嘘じゃねえ。早く元気になって、ここを出よう。そうしたら、ユキの生まれた里に行ってみたい。連れて行ってくれるか?」

「栗山に?」


「ああ、俺も栗を食ってみたいし、ユキの親にも挨拶しないと、な」

「お父ちゃんとお母ちゃんにも会うの?」


「所帯を持つんだ、挨拶くらいしないと。だろ?」

「じゃあ、うちも佐平さんの生まれた町に行ってみたい。妹さんにも会いたい」


「俺んちは遠いからな。ユキの足じゃ何日もかかっちまう。

そうだな、落ち着いて金を貯めたら一緒に行こうか」

「うん、ありがとう。楽しみ」


 嬉しそうに微笑み声を弾ませるユキを、佐平はもう一度胸に抱きしめた。


「話し疲れたろう? もう寝よう。明日もきっと寒いぞ。もっとくっつけ」


 佐平は嬉しそうな声で「うん」と答えるユキの背中を抱きしめ、その腕にきつく抱いた。二人で寝るには狭い布団。はみ出さないように互いの肌をできるだけ触れ合わせ、その肌のぬくもりで暖を取る。

 ユキは佐平の腕に背を預けて眠るのが好きだった。

 肌の密着が多いのもそうだが、彼の鼓動を背中で感じることができるから。

 どくん、どくん、と脈打つそれが、いつしか自分の鼓動と一つになるのがたまらなく幸せだった。

 体の大きい佐平の腕にすっぽり埋まる小さなユキは、ちょうど彼の顎の下に頭がくる。彼が眠りにつくと、その寝息が自分の頭にかかり髪を揺らす。

 疲れているのだろう。時折いびきをかくその音も、自分以外の存在を確認することができて、ユキにとっては心から安心できた。



 佐平は所帯を持ちたいと言ってくれた。その言葉だけで、ユキは幸せになれた。たぶん嘘ではないとわかっている。佐平がユキを大切にしてくれているのもわかっているし、女として見てくれているのも知っている。

 でも、それを叶えてあげられない自分でいることも、ちゃんとわかっていた。

 この部屋に連れてこられた時点で、自分が死に水を取った豊川と同じ運命をたどるであろうことも感じていた。


 背にあたる鼓動が落ち着き、頭の上の呼吸も規則的になってくる。

 佐平が眠りについたのを後ろに感じると、ユキはゆっくりと目を閉じた。

 夢の中では、ユキは昔の元気なままだ。

 未来を共に歩けなくても、せめて夢の中だけは一緒にいれたら良いと願いながら。幸せな夢をみるために、静かに瞳を閉じた。

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