第28話


 それからも和歌と小太郎の逢瀬は続いた。

 人目を忍ぶように、場所を変え、時間を変え、二人は互いを求めあった。


 和歌は芸者だ。遊女と違い、その身を男にさらけ出し金を得るわけでは無いが、芸者と言えど皆借金を抱えている。

 都会のような遊郭や花街では厳格な作法があったとしても、地方のしがない花街などにそれらは通用しない。袖の下を渡せば何でも融通を利かせてくれるような役人たちの下、芸者と言えどその身で金を稼ぐのは当たり前。

 一鶴楼に籍を置く芸者とてそれは同じこと。ただ、和歌だけがそうでなかっただけだ。

 旦那がいても、その相手に義を尽くさない芸者は多い。座敷に呼ばれ、酒が入れば誘いも受ける。旨い話ならいくらでも乗るのが花街の女だ。

 そういった者との時間を過ごす「連れ込み旅館」などを使い、ひと時の恋愛ごとを楽しむ。それが大人の遊び。

 和歌も誘われることはあっても辰巳に義を立て、それらは全て断り続けている。しかし、周りの姉芸者が皆しているのだからと、彼女の中で辰巳に会う事への罪悪感は少ない。

 バレなければいい。バレたところで母親を思っている辰巳のことだ、自分が誰と何をしたって気にも留めないだろうと思っていた。





 ユキもまた、少しずつ変化を感じていた。

 里の夢を見て泣いても、どうしようも無いのだと諦める事を覚えてしまった。

 一河の地に下り立ち、何度泣いたかわからない。帰りたいと願いながら、叶わぬ現実を思い知ってもなお、それを諦めることが出来なかったこともあった。

 でも今は、寂しく思う事があっても涙を流し時間が経てば、その心の闇が少しずつ消えることを知ったのだ。

 家族のことも、そして将来を誓い合った末吉のことですら、思い出す回数が減っている。

 そしてかわりに増えたのは、この一鶴楼でともに過ごす人たちのことであり、佐平のことだった。

 妹の代わりだと言われても、そばにいて支えてくれることが嬉しかった。

 こんな自分が共に生きることなど夢だとわかっていても、ここに居る間はそばに居たい。その顔を、声を聞いていたいと思うほどに心は傾いていた。




 夏も終わり、秋の涼しい風が頬を撫でる頃。

ユキは自分の身体の変調を感じていた。

 初潮を迎えてからまだそれほど年数を重ねてはいないのに、彼女の月のものが止まってしまったのだ。

 一番キツイ日は客を取ることもままならないこともあるために、無い方が嬉しいと言う遊女も多い。だがそれは、厳しい現実と向き合う事にも繋がる。


 

 ユキは妊娠していた。

 父親が誰かもわからぬ子を。



 遊女である以上、避けては通れぬことだった。ここにいる誰もが通る道で、この世に生を与えてやれなかった子の数も、片手で収まらない者も多い。

 腹が膨らめば客は取れない。そうすれば年季が遠のくだけでなく、生活費や産婆の代金も遊女の肩に重くのしかかる。

 それでもと産んだところで、その子を抱くことも無いままに取り上げられ、里子に出されてしまう。本当に人の手に渡ったかどうかの保証もないままに。


 ユキは自分の腹に芽生えた命を葬るつもりは毛頭なかった。

 子供を産む遊女も、産まれた後の子の行く末も、決して幸せなど待っていないと亡くなった豊川に聞いて知っている。

 それでも、自分の意思で灯された火を消すことはどうしても出来なかった。

 かつて幼い頃に、栗山の里で見たあの赤子。産まれてすぐ田んぼに埋められ、それでも生きたいと声を上げて泣いていたあの赤子を思い出す。

 どんな結果になろうとも、たとえ幸せになれなくても、生きてさえいれば希望は消えない。親に売られ落ちぶれても、今のユキは決して不幸ではないから。

 食うに困らず、雨露のしのげる寝床があれば十分だ。そこに互いを理解し合える人がいればそれでいい。時に友人となり、時に愛を教えてくれる人であればそれだけで。


 多くの遊女は子供を流すため、自らの身体を痛めつける。雨上がりの冷たい川水に腰まで浸かり身体を冷やしたり、わざと腹を痛めつけるようなことしたりもする。それでも流れぬ子には闇で怪しい薬を手に入れる。

 医者の処方する薬は高額で、並みの遊女には手が出ない。だからこそ闇医者や闇の薬屋を頼ってしまう。たとえ後遺症などの危険を伴ったとしても。

 そうして子を流し、そしてまた客を取る。


 ユキも豊川から聞いてもいたし、実際に先輩遊女のそのような姿を見ても来た。だから方法は知っている。早ければ早いほど体の負担も少なくてすむ。

 わかってはいる。わかってはいても、どうしても出来なかった。

 そうして、いたずらに日々を重ねていくのだった。



「梅岡、最近食欲がないみたいだけど大丈夫かい?」

「顔色も悪いよ。変な病気だといけないから、医者に診てもらった方がいいよ」

「なんだか痩せてきたんじゃないか?」

「厠に行くことも多くなったし、どうしたんだい?」


 心配してくれる先輩遊女の問いかけにも、言葉を濁し適当にのらりくらりとかわしその場をしのぐ。心配されることに感謝をしつつ、ユキは時間をかせぐための嘘を吐き続けた。


「ユキ、大分具合が悪そうだが大丈夫か?」

「佐平。大丈夫。少し疲れがたまったんだと思う。心配しないで」


「ユキ……、おめえ」


 誰もいない廊下の端で二人は静かに向き合っていた。

 誰にも話せぬ秘密を抱えたまま、ユキは佐平にすらも隠し通し嘘を吐く。


「なに? みんな心配しすぎだよ。大丈夫、もうすぐよくなるから」


 悪阻をこらえ無理に笑うユキの頬は引きつり、歪んでいる。それでも笑うしかない、笑い続けるしかないのだ。


「ユキ。どうするつもりだ?」


 佐平は向かい合ったままのユキに問いかける。俯き視線を合わせなくても互いにわかる息づかい。佐平は知っているのだと気が付き、思わず息を呑んでしまった。震える手で拳を作り、毅然とした態度を装い答える。


「産むよ。だから、皆には黙ってて」


 ユキが産みたがっていることは佐平もわかっていた。

 救えなかった命や、目の前で死んでいった妹の為にも、彼女の中で産まぬ選択肢はないのだろうと想像できていた。

 だが、もう遅い。一言相談してくれていれば、もう少し上手く根回しもできていたかもしれないのに。まだ世の中を知らぬ小娘には、難しいことだったのだ。


「ユキ。お高さんは気が付いてる。たぶん、花見の旦那たちも。

 姉さん達も、おめえと仲良くしてる人たちは知ってると思う。みんな同じように経験してきたんだから、わからないなんてことないはずだ」

「そう……、そうだよね。でもそれでも産む。うち、この子産むから」


 そう言ってユキは自分の薄い腹に手を当てた。まだ腹も膨らまず、中から腹を蹴ることもしないその子の命は、悪阻という形でしかその存在を確認することは叶わない。つらく苦しい日々も、順調に育っていると思えば笑みもわく。

 ユキにとっては幸せな悪阻だ。


「本当に産めると思ってるんか?」

 

 まっすぐにユキの目を見た佐平が珍しいほどに真剣な顔で見つめる。


「本当は、おめえを説得するように言われて来た。お高さんに言えば上手いことやってくれる。初めてのことで戸惑ってるのはわかる。でも、このままで良いはずが無いのおめえもわかるだろう?

 少しでも早い方が良いんだ。おれもお高さんのとこに着いて行ってやるから。

 心配はいらねえ」


 佐平はなるべく冷静に、穏やかな声で話しかけた。

 興奮させてはいけないとお高に言われていた。母性が強く、自分に厳しく意固地な娘は、思いもよらぬ行動を取ることがあるからと言う。

 この一鶴楼で長い間裏方をまかされ、幾人も同じような娘を相手にしてきたのだろう。お高自身も現役の遊女の頃には同じような経験があったのかもしれない。心の傷は時間が癒すしかない。でも、身体の負担は早ければ早いほど少なくて済む。だから一刻も早く始末をした方が良いと言われた。


「私達じゃ、あの子はもっと心を閉ざしてしまう。お前なら、お前の言葉なら耳を貸すかもしれない。これはあの子の為なんだ。本当にあの子が心配なら納得させるんだ。そして、私のところに連れてきておくれ。

 心配かい? 考えてもみな。あの子はこの店の商品だ。商品に傷をつけるような真似は決してしないから。大丈夫、心配はいらないよ」


 そうお高に言われ、なかば無理矢理にユキの元へと来させられた。

 佐平はユキの為と思いながら、内心はもっとどす黒いものが腹の中を渦巻いていた。

守ってやれない自分にも腹が立つ。出来るならユキの願いを叶えてやりたい。

だが、誰の子かもわからない。男たちの欲望を満たすためだけに注がれた、その結果でしかないそれを産むことで、ユキが幸せになれるとは思えなかった。



「うちには誰も味方がいないってことか。わかった、佐平には頼らない」


 ユキは強い口調で佐平に告げると、その脇をすり抜け走りだした。

「おい、待て。ユキ!」急ぎ追いかける佐平が目にしたのは、階段脇でユキの前に立ちふさがるお高だった。

「お高さん」少しだけ動揺したように声をわずかに震わせるユキに、お高は黙ったままじっと見つめていた。

「わかるわね?」厳しくも寂しそうに見える瞳でユキを見つめるが、顔を反らしたユキが彼女の瞳の動きに気が付くことはなかった。

 ユキは無言のまま小走りで飛び出し、お高の肩にぶつかりながら狭い廊下を走り抜けた。


「あっ!!」



 お高の脇をすり抜ける瞬間。お高と肩がぶつかったユキは体制を崩し、身体を斜めにしたまま宙に浮くようにその身をゆだね、佐平の視界から消えてしまった。



「ユキ!!」


 

 咄嗟に伸ばした佐平の手が間に合うことはなかった。



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