第16話


 豊川から頼まれた薬を買い、佐平が番頭から頼まれた使いを済ますと、二人は一河の町を並び歩いて帰路に着く。

 一河の端にある店で紙束を買うよう頼まれたそれは、たぶん時間稼ぎだろうと佐平は思っていた。

 いつもユキに薬を頼んでいた豊川の具合の悪さは、上も気が付いていたはずだ。だからこそ、これを機に本人から事情を確認し、話し合いをと言うことなのだろう。それに、一鶴楼に入ってから一日も休みを取っていないユキに対するお目こぼしの意味もあるのだろうと考え、少しだけゆっくりと歩き進んでいた。

 

 十一歳の時に商家に奉公に出された佐平は妹を随分可愛がっており、田舎においてきた妹と歳が同じユキを何かにつけ心配し、手伝ってやっていた。

 ユキもそんな佐平を信頼し、兄のように頼るのだった。

 少ない時間を縫っては顔を合せ、互いの身の上はすでに話して聞かせている。


 佐平は周りに比べ身体が大きく力も強い。その上父親似の強面のため、勘違いをされることが多かった。最初に奉公に出された店でも、あらぬ疑いをかけられ喧嘩に巻き込まれた時、相手に怪我を負わせてしまった。それを理由に解雇された佐平は、子供の身の上でありながら職を転々とし続けた。

流れ流れてこの一河に足を踏み入れると、その身体の大きさと腕っぷしの強さから花見に声をかけられ今に至る。しかし本当は気持ちの優しい男で、喧嘩をすることは本意ではなかった。

 ましてや子供の頃に怪我をさせてしまった事を心の底から悔いており、できるなら相手を傷つける喧嘩はしたくないと思っていた。だが、思うように人生は回らない……。


「俺なあ、もうすぐ二十歳になる。そしたら若衆から男衆に格上げしてもらえることになったんだ」

「え? 佐平さんスゴイ! おめでとう、良かったね。

でも、そしたらこんな風にもう話せなくなるんだよね、きっと」

「気さくには話せなくなるかもしれんな。でも、男衆になった方がおめえらを守るために動かにゃならんから、昼も夜も顔を合すことになるぞ」


 一鶴楼では二十歳で男衆の仲間入りを果たすことになる。

若衆の間は主に雑用をこなす。足を運び、身体を動かし、小間使いのような働きをするのだ。若衆達は基本、特別な事が無ければ夜の遊女屋に足を踏み入れることはない。遊女たちとは一線を画し、昼間の雑用の時にしか座敷に上げてはもらえない。男衆に格上げを許されると今度は、夜の館の中で商品である遊女を守る盾となるのだ。


 一河の隣の三河は、力仕事をする男たちの仕事場だ。

 一河の背を守る砦は岩山でありそれを切り出す者や、運河を渡り運ばれた材木を製材する者。そんな、金を稼ぐために流れ着いた荒くれ者の性を吐き出す手助けを遊女が担う。そういった者達は格下の安い値の遊女小屋に行くのだが、中には博打で当てた金を握りしめ高級店に来る者もいる。

金さえ払えばどんな者でも客は客。買った女を好きにしたがるものや、酒で豹変するものなど、そう言った者達から遊女を守るために目を光らせる。

 一度でも問題を起こし入店禁止になった者が再び顔を見せぬよう、店前で睨みを利かせ、言葉が理解出来ぬ者には実力行使で訴え分からせる。商品が傷つく前にいち早く相手を抑え、叩き出す。その仕事をこれからは佐平も行う事になる。



「俺はガキの頃、喧嘩で相手を傷つけた。今も生きているかわからない。

 本当は怖いんだ、人を殴って怪我をさせるのが。何度殴っても立ち上がるヤツを抑える為に、何度も拳を入れる痛さが辛い。本当は、俺みたいなヤツは男衆には向かないんだと思う」


 片手に使いの紙束を持ち、会話の間も周りに目を配り歩く姿はすでに花街の男だ。商品予定のユキを内側に歩かせ、外敵から守る様に自らを盾にしながら歩くそのさまは、すでに立派な男衆に見えるだろう。


「佐平さんは優しいから。だから、悪い事した人にも申し訳なく思っちゃうんでしょう?」

「うーん。どうなんだろうな。俺にも分らんけど」


「うちも、姉さん達も皆、佐平さんを頼りにしてるんよ。優しい佐平さんがいるだけで安心するもん。あんまり気を張らんで良いと思う」

「ああ。だけど、守る者が多ければ多いほど、大事に思えば思うほど、殴り始めると歯止めが利かなくなるんだ。いつかこの手で人を殺すかもしれんと思うと、自分が怖くなる。こんな恐怖、おめえにはわからんだろうな」


 佐平の言葉にユキは真剣な顔で無言になってしまった。いつもニコニコしているはずのユキの真剣な顔つきに、佐平は心配そうにのぞき込む。


「ユキ? どうかしたか?」


 佐平の問いにも「うん」とだけ返事をし、虚ろな目をしたまま俯き加減で歩き続けるユキ。「どうした? 何かあったか? おい!」と、声をかけるもろくな返事もしないユキに、とうとう佐平がその腕を掴み「ユキ!!」と大きな声を出した。その声にビクリと肩を揺らし、正気に戻ったような目で佐平を見つめる。

 

「どうした? 何かあったのか? 言ってみろ」


 佐平の言葉にユキは思わず視線を反らし、


「うち、人を殺したことがある……」


 そう、ポツリとつぶやいた。



 突然の告白に驚いた佐平は、握りしめた腕をなおも強く握り、「おめえが意味もなくそんなことするとは思えねえ。何があった?」と問いかけた。

 人に聞かれぬよう道端に移動すると、ユキをむき出しの切り株に座らせ、周りに背を向け佐平は壁になった。そして、ユキはポツリポツリと話し始める。


「うちの生まれたところは家も少なくて貧乏な家ばっかりだった。赤子は産まれても雪の冬を越せないのが多くて、雪が解ける春にまとめて葬式をするんだ。

 うちも妹をそれで死なせてる。墓はあるけど、雪の間は掘り起こして埋めることも出来ないから、春になるまで雪の中に入れておく、そうすれば腐らないから。冬に死んだ子はまだ良い、皆に看取られるもん。

 貧乏なんが悪いんよ。どこのうちの父ちゃんも母ちゃんも悪くないと思う。

 皆、自分が生きるのに必死なだけなんよ」


 ユキが産まれた栗山の集落は貧しい地域だ。山間の少ない土地を開墾し何とか生を繋いでいる。産まれた命を守り切ることが出来ぬと判断した親は、授かった命を闇に葬る決断をする。

 町から産婆を呼ぶには金がかかりすぎるため、普段なら出産経験のある女達で助け合いその命を誕生させる。だが望まれぬ命の場合、それを頼らずに己の命を代償に代え、一人で産み落とす。

 誰にも知られないように、誰にも気づかれないように。産声すらも聞かせてはならぬと、へその緒を繋いだままに、その息の根を止める。



「うちが十歳にもならん頃だった。田んぼの手伝いの間に飛んで遊んでたら、猫の泣き声みたいなのが聞こえてきて。それで探してみたら、赤子だった。

 うっすら土がかけられて、その割れ目から顔の一部と手が出てた。

 母ちゃんについてお産の手伝いを見たことが何度かあるけど、それくらいの大きさだと思う。産まれたばかりの赤子。

 その手が土をかき分けて手を伸ばしてた。助けてくれって。

 うち、怖くなって走って逃げたんよ。父ちゃんにも母ちゃんにも言えないままに、誰にも言えずに黙ってた。

 次の日、もう一度行ってみたらもういなくて。たぶん、誰かがどうにかしたんだと思う。うちがあの子を殺したんよ。黙ってたうちが悪いって、ずっと思ってた」

「そんな、おめえが悪いわけねえだろ。子供の命に責任持てねえ親が悪いに決まってる。おめえが気に病むことなんてねえよ」


 ユキの話を聞いて佐平が代わりに怒ってくれているようだった。


「うん。あの後、よその家の姉ちゃんにだけ話したんだ。少し年上の姉ちゃんで、可愛がってくれていた人だったから。姉ちゃんも佐平さんと同じこと言ってた。ユキは悪くないって。もし、誰かに言っても結局その子は殺されてたって。

 育てらないから埋めた子が、たまたま息を吹き返したのを見つけただけだって。だから忘れろって。そんな赤子はいなかったんだって……」


「うん。ユキは悪くない」


 佐平はうまい言葉が出てこなかった。佐平の家も裕福ではなかったが、そこまで貧しくはなかったと思っている。気候の良い地域で、食べる物には事欠かなかったし、貯えも十分出来ていたから。


「悪い夢だったんだ。今はもう冷めてるはずだ、だから大丈夫」


 気休め程度にしかならないと知りつつ、そんな言葉を言うしかできなかった。


「うん。うちももう、普段は忘れてる。でもね、子猫の泣き声を聞くと思い出すんだ。土の間から鈍く響く泣き声は今も忘れられない。どうしても思い出してしまうから」


 言葉にすることをためらうほどの話しに、佐平は何も言えずままユキの頭に手を置きゆっくりと撫でた。大きな手で包み込むように何度も撫でつけるその手に、ユキは少しだけ心を許せた気がした。


「佐平さんの手はあったかいな」


 ユキの口からぼそりとこぼれたその言葉に、佐平も少しだけ笑みを浮かべ、


「帰ろう。皆が待ってる」


 そう言ってユキの手を取り、静かに歩き出した。



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