第12話


 運河には様々な物を乗せた船が入り込む。

 海から大川に繋がり、そこから運河に入り荷物や人を船で運ぶ。

 大事を成そうとするには、人も物資も必要だ。商いを手広くするためには保管庫が必要になる。その為には人員も材木も、道具も不可欠だ。

 人が動けばそれらを管理する棲家が必要になり、それらを用意することはもちろん、腹を満たすための場所も必須だ。

 そしてそれら最低限の寝食が満たされると、次に欲が出てくるのが賭け事と色事になる。

 商いには接待も必要で、そういったものをうまくひとつにしたのが「花街」であった。

 料亭など接待に使う店を中央の立地の良いところに置き、隅の方には身体を使い性欲を漲らせた男を大人しくさせるための店を据え置く。

 そして、花街のすぐそばに賭博場を置くことで、稼いだ金をもう一度巻き上げる。いつまでたっても金が貯まらずに、結局潰されることにも気が付かぬうちに、男たちはこの地に縫い付けられていくのだった。

 仕事を求め、流れ流れてこの地に来る者も多い。流れ者にはかつての地で犯罪に手を染めた者も少なくない。それでも人手欲しさから要らぬ噂には耳をふさぎ、見たくないものには目を閉じる。

 そうして町は賑わいを失うことなく、栄え続けていく。

 男の汗と欲、それと女たちの涙を糧にして。


 

 大きなことをするためには金が必要になる。その隙間をついて入り込むのが金貸しの仕事だ。

 汚い金でも金は金。どんな金でも価値は同じ。

辰巳はそうした者たちに都合の良い人間のふりをしながら、己の矜持を捨てたと思わせ相手の懐に入り込む。

 そうして気が付いた時には、辰巳の思うように事は流れ取り返しのつかないことになっている。

 和歌の実家、戸倉の家がそうであったように。


 辰巳は四十を少し過ぎたくらいの、優しい面立ちをした痩せた男だった。

 流行に敏感で軍服に似た洋装を着こなし、草履は履かず革の編み上げブーツを好んで履くような洒落た男だった。

 常に護衛のように若く力強そうな男をそばに置き、荷物持ちをさせていた。

 護衛の若い男が持つ鞄には大枚の金が入っており、いつ何時でも金を必要とする者に渡せるよう持ち歩いていた。

 商いに待ったは無い。一刻を争う競争の中で、生き馬の目を抜かれぬように絶えず神経を張り巡らせ、金を融通する。そうして信用と信頼、貸しを作ることで自分の手中に収める。

 そうやってあらゆる手段を使い、力をつけ大きく成りあがったのが辰巳という男だ。



 辰巳が和歌の実家である戸倉家に行ったのは、単純に商談のためであった。

 和歌の父 直治が商いを始めるにあたり、心もとない資金を足すためにと、友人からの口利きで辰巳を紹介された。 

 金を貸すにあたり担保となる家屋や家財一式を確認するために、戸倉の家に上がり込んだのだ。

 特に旨味のある話しでもなく、焦げ付かない程度に利息を巻き上げられれば良いと、それくらいの考えだった。

 だが、戸倉の家で直治の妻 珠子を紹介されたときに、辰巳は無性に珠子が欲しくなった。

 武家当主の妻と言う肩書も、華族の娘と言う出自も、そんな物はどうでもよかった。ただただ、珠子が欲しいと、そばに置きたいとそれだけを願ってしまった。珠子に対する感情は、成り上がりの男達が望むような上辺のものではない。

もっと内から湧き上がるようなそれだった。



「もうすぐ、お見えになる時間です」


 辰巳のそば付の男が辰巳に声をかける。

 

「そう」


 辰巳は一河でも一番の料亭の座敷を抑え、目の前に並ぶ料理を眺めながら口角を上げた。

 煙管を咥え、煙を吐き出すと「早く来るといいですねえ」そう言って座椅子に背を預け、笑みを浮かべて目を閉じた。何かを思い出すように。


 和歌は一鶴楼を出て福久春ともう一人の先輩芸者 駒菊とともに、三人で辰巳の待つ料亭に向かう。その前には案内と護衛を兼ねた荷物持ちの男衆が、三味線などの楽器を持ち先を歩く。


「若松。お父さんとお母さんの言葉をもう一度思い出して、粗相のないように、しっかりね」


 福久春の言葉に「はい」と、力なく答える和歌。


「まあ、こういっちゃなんだけど。憎たらしいくらいに美味しい話しだもの。

 どんな相手だろうと、あんたに拒否権はないんだからね。たとえどんなことをされてもね。うふふ」


 一緒に来ていた駒菊は、憎いと言う。和歌が羨ましくて仕方がないのだろう。ならば代わって欲しいと口から言葉がでそうになるのを、グッと堪えた。


「駒菊。あまり怖がらせてはダメよ。固くなるのは仕方がないけど、笑えないのはいただけないわ。若松。わかっているとは思うけど、どんなことがあっても、あなたは受け入れなければならないのよ。わかるわね?

 だけど、首から上だけは守りなさい。肩よりうちは着物で隠せるけれど、商売道具の顔だけは何があっても守るのよ。

 どうしても無理な時は大きな声をだして。初座敷の今日だけは、男衆を付けるようにお父さんに言われているから、いいわね」


 福久春の言葉に少しだけ不安にもなり、安心もした。

 顔を傷つけられることなど怖くない。ただ、命だけは守ってもらえるのだと、それが少しだけ和歌の心を落ち着かせるのだった。


 ほんの少し歩いた先に辰巳の待つ店「吟山」がある。

 三人は門をくぐると、女将に案内されるままに奥座敷へと通される。

 余計な飾りは無い。この建物自体が作品であり、案内される廊下から望む中庭すらも庭師による芸術品だ。

 中庭にある池には綺麗な模様の錦鯉が悠然と泳ぎ、剪定された庭木の一本すらも目を奪われる。静かな落ち着いた空間。

だが、静かすぎる。

 和歌は武家の娘として料亭などにも足を運んだことがあるが、座敷遊びの音が聞こえたり、従業員の動きがあったりと、いくら一流の店であろうともこれほどまでに静かではなかったように思う。


「静か……」


 ボソリと心の声が、和歌の口を付いて出る。


「本日は、全館貸し切りとなっております」

「貸し切り?」


 案内をする女将の言葉に駒菊が思わず反応してしまう。


「はい。控えの方のお話しも聞いております。後でご案内いたしますが、こちらの角部屋でお待ちになっていただきます。ここなら、大きな声は届きます。

 それと、皆様にもお泊りいただくように賜っておりますが、いかがなされますか? 背合わせのお部屋をご用意しております。そこはこの庭とはまた違った風情のある景色をお楽しみいただけますよ」


 福久春と駒菊は互いに驚いたように、顔を見合わせた。


「お父さんたちには、何も言って来ておりませんので」

「皆様のご意向を聞いたのち、辰巳様の方から一鶴楼様にはお話がいく手はずのようでございます」


 何から何まで、至れり尽くせりとはこの事か。と、福久春は息を吐いた。

 一鶴楼の芸者は品位も高く、上客に呼ばれることが多い。この料亭にも何度も来ている。だからこそ、この吟山がここ一河で一番格上の店であることも知っている。その店を一晩貸し切り。それも、連れ芸者まで泊めるとは。

 

 花街にある料亭などの座敷の奥には、寝屋が用意されている部屋がある。

 食事のあと、そのまま床をとれるようになっているのだ。

 今宵は辰巳と和歌がそこで朝を迎えることになる。

 そして、本来なら帰るはずだった二人の先輩芸者も、別室で泊まるように手筈が整っているという。

 いくら売れっ子芸者でも、こんな機会は滅多にあるものではない。

 

「姉さん、どうします?」


 駒菊の言葉に我に返った福久春は、頭の中で算盤をはじく。


「せっかくのお言葉です。ありがたく頂戴いたしましょう」


 福久春の言葉に、駒菊の顔が緩む。それほどまでの褒美であった。


「これは、大事にしないといけないねぇ。若松」


 和歌の背中越しに聞こえる、駒菊の言葉が深く胸に突き刺さる。



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