第255話 旅へのお誘い


今日は、ルーナが残って掃除や雑事をこなすと言うので、代わりにノクスを連れてきていた。


広い後庭をとことこと歩き、温室に辿り着くと、そわそわとエレパースが巨躯を縮こまらせて待っている。

グランスとノクスを入口に待たせて、マリアローゼだけエレパースの側に歩み寄った。


「お久しぶりエレパース」

「あ、…お、お嬢様、種を…ありがとうござい、ました」


もじもじと言うエレパースに、マリアローゼはにっこりと微笑む。


「喜んで貰えたのなら嬉しいですわ。今日は、お願いがあって参りましたの」


マリアローゼの言葉にエレパースはきょとん、とした。


「お、お願い、ですか?」

「ええ。わたくしが領地へ行くことは知ってらして?あの、わたくしこれから沢山の植物を育てたり、温室を作ったり

したいのですけれど、エレパースにも付いてきて頂きたいの」


唖然として、エレパースは暫く言葉にならないようで、口をぱくぱくと動かした。


「此処に居る子達と離れるのは辛いかしら?環境も変わりますし…でも、5年後には戻る事も可能ですし、

 優秀な貴方に、是非お力を貸して頂きたいの。駄目、ですかしら?」


「……いえ、お嬢様のお力に、なれるなら…お、俺には家族も、いませんし……」


暗く暗く沈んだ眼をしたエレパースを見て、マリアローゼはふむ、と暫し考えた。

きっと、過去に色々とあったのだろうという事は見当がついていたが、家令のケレスに問い合わせたと言う

ルーナの説明では、元々伯爵家の家柄だそうだ。

家を追われて、貴族籍を失い、出入りの農家の老夫婦の下で養子として暮らしていたという。

でもその新しい両親も亡くしてしまった。


「エレパース、此処におかけになって」


とりあえず、マリアローゼは背凭れ付きの椅子をエレパースに薦めた。

ただの椅子なのだが、エレパースはおっかなびっくりといった様子で、椅子に腰掛ける。

マリアローゼはよいしょよいしょと、小さな丸い椅子を引き寄せて、その上に上った。

ぽかん、と見上げるエレパースに、マリアローゼは小さな手を伸ばす。

その瞬間、エレパースはびくっとして、身を竦めつつ、眼をぎゅっと閉じた。


ああ、やっぱり。


それは虐待を受けた者の悲しい習性だ。

頭より上に手を上げられると、瞬間的に身が竦んでしまう。

前世で受けたのは虐待と言うほどではなかったけれど、やはり同じ事を経験したことはある。

痛みから身を守る為に、身体がその習性に従ってしまうのだ。


マリアローゼはそっと、髪に手を滑らせて、エレパースの頭をわしゃわしゃと撫でた。

人生の中で、どれだけの痛みに耐えてきたのだろう。

この世界の中には痛みだけがある訳ではないという事を、彼に教えられたら。


そう、彼もわたくしの救いたい子供の1人なのだわ……


例え身体は大きくなり、強くなっても、子供の頃に受けた傷は中々癒えるものではない。

色々な場面で、それは不意に顔を出して襲い掛かってくるだろう。

きっと彼の養父母が、とても温かくて良い人達だったから、今彼は此処にいるのだ。

撫でられたエレパースは、不思議そうに、戸惑うように少し顔を上げた。


「わたくしが、新しい家族になりますわ。そうですね、エレパースはわたくしの弟にして差し上げます」

「お、弟……」


まさかの弟枠に、エレパースは戸惑いつつも、微笑んだ。


「わたくしはこれから強くなる予定なので、エレパースを守って差し上げますし、こうしてなでなでもして差し上げます。

だから、姉だと思って甘えて良いのですよ!」


ふんす!と力を込めてドヤ顔で言うマリアローゼに、エレパースは笑いつつも目に涙を滲ませた。


わたくし、ただ弟が欲しいわけではありませんわよね?


自問自答しつつ、マリアローゼは、自信たっぷりにドヤドヤしつつ、エレパースの頭をぎゅっと抱きしめた。


「ですから、ずっと、わたくしの側で植物に囲まれてお過ごしなさい。何も心配はいりませんことよ。

あ、でも好きな相手が出来たら…ええと、結婚とかそういう話になったら、姉として相手をきちんと見極めはしますけど

幸せになって良いのですからね?」


「はい……」


そんな日は来ないだろう、と思いながらもエレパースは頷いた。

幼いながらも女の子らしい発想に、心が和んで、温かくなるのを感じつつ、

マリアローゼの気の済むまで撫でられ続けたのである。


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