第238話 刺繍のお時間

手紙を書いた残りの時間は、急遽刺繍の時間となった。

前世の記憶が戻る前に、母と一緒にゆっくりと刺した刺繍は上出来だと褒められて、ドヤ顔で戸棚にしまったのである。

その時の記憶があるから、とても良い出来の刺繍、ならば贈りましょうと思って開けてみたものの…

いかにも子供らしく、少し不恰好なところのある刺繍だった。

同じく子供のリリアに贈るなら問題はないが、王妃の目に触れる上、大人の女性に送るには些か心もとない。

ので、改めて図案を見ながら刺す事にしたのだ。


王妃の為には百合を、アンナの為には薔薇を、意匠とした図案を選び出して、刺していく。

基本的な縫い目が分かっていれば問題ないものを選んだので、時間さえかければまあまあ見れる形にはなるだろう。


ちくちく、ちくちく。


ルーナはその間も色々と働いている。


ちくちく、ちくちく。


ああ、こんな時に音楽があればいいのに。

魔道具で蓄音機のような物を作り出せれば、音楽を聴きながら刺繍できるのに。


よし、次はそれを作りましょう。


帝国では王国よりも奢侈な装いや、贅沢が良しとされる旨がある。

そのお陰か、剣闘士や歌手、役者などが人気を博していて、平民や奴隷階級にありながらも、

人々から愛されているのだ。

人気の歌手の歌や、演奏家の奏でる音を魔道具に録音して、CDのようにソフトとして売り出せば、

大元の再生機も売れることだろう。

貴族の家では、演奏家による生演奏が晩餐会などでは行われる事もあるが、庶民はそうもいかない。

商人や裕福な中流家庭にも、売れる可能性は高い。


更に、映像を投射出来る物があれば、映画も作れる。

演劇や闘技場での戦いを録画したものを、自宅で上映しても良いのだ。

TVは存在していないので、映写機とそれを映す布があればいい。


色々と考えつつ、出来上がった手元の刺繍を見れば、以前に刺した物よりも断然良い仕上がりとなっている。

マリアローゼはこくん、と頷いて、次に取り掛かった。


綺麗な糸だし、古典的かつ正統派な刺繍なので、問題はない。

のだが、出来ればビーズを使った物や、リボン刺繍などの少し豪華な見た目の技術も習得しておきたい。

幸い基礎は出来ているので、教師を雇わずとも本を見れば大体の事は理解可能だ。


「ルーナ、図書館で刺繍の本を借りてきて貰える?図案と、色々な刺し方の分かる本が良いかしら」

「畏まりました。ではノクスを置いて行きますので、他に用がございましたら、どうぞお申し付け下さい」


何時もどおりノクスが行くように手配するのかと思ったが、ルーナが行くらしい。

ノクスの本の選定に不安があったのか、何か他に用事でもあるのかも?と思い、マリアローゼはこくん、と頷いた。

マリアローゼは手元に視線を戻し、また刺繍を始める。

リリアのハンカチは、拙いながらもよく出来た物を選んで、名前を刺繍する。

アンナのハンカチは、新しく刺した物に、名前を縫い付けた。

王妃殿下宛のハンカチは流石に御名を許可無く縫うわけにもいかないので、そのままにして、

ノクスに用意してもらった上質の薄紙で包み、綺麗なリボンで縛る。

そこに、手紙とは別の短い挨拶の文を書いたカードを添えた。


「ふう、出来ましたわ。お茶に致しましょう、ノクス」

「はい、お嬢様」


そつのない動きで、ノクスはてきぱきとお茶の用意をして、あっという間に目の前に差し出してくれたので、

マリアローゼは受け取ると味わうように飲んだ。


美味しい。

そして、いつもの味。


少し窺うような素振りを見せるノクスにマリアローゼはにっこりと微笑んだ。


「美味しいですわ、ノクス」


ふにゃりと笑って、ハッと慌てて取り繕うように、ノクスは顔を引き締めて、模範的な微笑を見せて会釈をする。


ルーナもノクスも、わたくしの前では普段どおりにしてくれてもいいのに。


とは思うものの、従者が恥を晒したら主人の瑕疵になってしまうのだから、成長を妨げるわけにはいかない。

二人が完璧に成長したら、その時に我侭を言おう、とマリアローゼは悪戯っぽく微笑んだ。

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