第85話 運命を変える意志

老婆と短い挨拶を交わして、屋台を見ながら老婆の教えられた通りに入ると、少年が中年の男に道端で殴打されていた。


「何をしている!」


厳しい声を発して咎めたのはユウトだ。

先んじて駆け寄ると、中年男は鼻白んだように腕を組んでいる。


「こいつが売り物を盗んだんだ。今まで何度やられたか」

「だからといって暴力に訴えても意味がないだろう」

「意味はあるさ。痛い目みりゃ近寄ってこなくなるだろう」


ルーナとノクスほど酷い怪我ではないが、手にも足にも痣が出来て血が滲んでいる。

言い争いは任せて、マリアローゼはルーナを振り返った。


「お薬は持ってきていて?」

「ございます」


若干血の気が引いた顔をしていたルーナが、小さな鞄から軟膏を取り出してマリアローゼに手渡した。

それを手に取ると、マリアローゼは少年が座り込む地面に膝をつく。


「手当てをするから、じっとしていて」


手にとった軟膏を、痣と傷に塗りこんでいくと、瞬く間に傷が癒えていく。


「何故、人の物を盗んだの?」

「……弟と妹が、腹を減らしてんだ……」


躊躇したように口篭ったが、傷が癒えていく様に驚いたのか、少年はすんなりと理由を告げた。

マリアローゼは、確認するように服を捲って、他に怪我が無いか見るが、

少年は慌てて服を下ろして顔を真っ赤に染める。


「だ、大丈夫だ!」

「なら良いのですけれど。教会で御飯はもらえないの?」

「たまにしか…もらえねぇし、量だってすくねぇ」


そういう少年の腕は、確かに細い。

立派な外観の教会だったが、内情は良くないのか、それとも他に理由があるのか。

餓死しない程度にしか与えていないのかもしれない。


「あなたが死んだら誰が兄弟の面倒を見るの」

「それは…」

「もしも、運命を変える気があるなら、王都のフィロソフィ公爵家を訪ねなさい」


マリアローゼはルーナの持っている鞄からハンカチを一枚取り出した。

公爵家の紋章と、マリアローゼの名前の刺繍が入っている、美しいハンカチだ。

それを、少年の手に握らせた。


「そんなとこ…行ったって何が変わるんだ…金でもくれんのかよ」

「変わるかどうかはあなた次第。行かなければ何も変わらない、ただそれだけですわ」


マリアローゼは使い終わった薬をルーナに手渡し、ルーナがそれを仕舞い終わるのを見て、

少年の横を通り過ぎて店へと歩いていく。


彼が、ハンカチを売って小額のお金に変えて、その場しのぎの食糧を買うのでも構わない。

運命をその価値でやりとりしてしまうだけの話だ。

けれど、運命に抗う片道切符として彼が活用できたなら、少なくとも彼と兄弟の運命は変わる。

それはマリアローゼが無理に押し付ける物ではない。


少年や中年男に金を渡すのは簡単だけど、当たり前のように解決にはならない。

中年男を言い負かしたところで、それもまた意味は無い。

うさ晴らしだとして、過剰な暴力だとしても、生活の為にしているという建前を振り翳している。

虫唾が走る言い訳だが、だからといって蔑ろにも出来ない。

彼らが生活を守るのもまた、当然の権利だからだ。

全てを解決する手段は未だ整っていない。

ユウトは厳しい顔で中年男を見ていたが、公爵家の名を聞いた男は少し顔色を悪くしていた。


「もうあの計画に着手するのかい?」


と上からシルヴァインの声が降ってくる。

マリアローゼはずんずんと歩きながら、こくりと頷いた。


「人集めには時間がかかりますし、この旅にも招聘に応じる以外の意味をもたせたいのです」

「君は一人じゃないからね、マリアローゼ。俺のお姫様」


理不尽や自分の無力さに腹を立てている妹に、シルヴァインは優しい笑顔を向ける。

当の妹はイーッと威嚇する顔を見せてきた。

淑女が台無しである。


「もう!お兄様はからかってばかり!」


ふんすふんすと店に向かう小さな後ろ姿を見詰めながらシルヴァインは、フッと笑いを漏らす。

一人じゃないと分かってくれるなら、今はそれだけでいい。


老婆に教えられた通りには、生地屋と洋服店、宝飾品の店が並んでいた。

宝飾品は旅の途中の今買う物では無いし、生地にしても同じ事だった。

出来上がった服にしても、成年女性用の物ばかりでマリアローゼとは寸法が合わない。

窓から中をチラ見するだけで通り過ぎていたのだが、不意にマリアローゼが足を止めた。


「ん?何か良い物でも見つけたかい?」

「はい。少し寄っても宜しいですか?」


その店は生地を主に扱っているようだったが、マリアローゼの目を引いたのはリボンとレースだ。

壁際に綺麗に並べられているそれらを見上げて、気になったものを手で触って感触を確かめる。

レースや光沢のある生地で作られたリボンを幾つか買ってもらい、

マリアローゼは満足そうににこにこ微笑んだ。


丁度店を出たところで、正午を知らせる鐘の音が響いた。

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