第65話 ---温室の楽園
エレパースは、栽培用の温室で、まだスライムに与えていない薬草を順番に板に載せていた。
まだ一度しか会った事のないお嬢様、マリアローゼはとても愛らしい容姿をしているが、エレパースにとって何よりも彼女の中身の美しさに驚嘆したのだ。
精魂込めて育てている植物達が、人々の目を楽しませるのは嬉しいし、
綺麗だと褒められれば自分の事のように喜びを感じる。
けれど、マリアローゼの一言はとても変わっていた。
「幸せそう」
と表現したのだ。
その言葉に感動すら覚えて、危うく泣きそうになってしまった。
エレパースにとって、植物達が友人で家族だ。
だが、それを理解する者も少なければ、生きているという事すら認めない者達すらいる。
それらを認めたうえでないと、出てこない言葉に、エレパースは感謝に似た思いを抱いたのだ。
植物達は尽くせば尽くした分だけ、見事な葉を茂らせ、美しい花を咲かせ、芳醇な実を結ぶ。
そして、決してエレパースを脅かしたり、傷つけたりはしない。
魔力の無い出来損ないで、反応速度が悪くて鈍間で、唯一あるのは頑丈な身体と力だけ。
家族からも馬鹿にされ、虐げられて過ごしてきた。
時に彼らが与えてくる罰は、苛烈ですらあったのだ。
その過程で、エレパースは上手く他人と話す事すら出来なくなってしまった。
そんなエレパースを馬鹿にして、更に虐げる者達が増えるという悪循環である。
貴族としても生きられず、さりとて冒険者にもなれず、生まれ育った家を追い出されて、流離った挙句に農家に拾われたのだ。
その養父母の手伝いをして、植物の世話を覚えると、義父母が伝手を使ってこの公爵家の仕事を見つけてきてくれて、エレパースは無事雇ってもらえた。
老い先短い義父母は、人付き合いもままならない、エレパースのその後をいつも心配してくれていた。
今まで牛馬のようにこき使われ、虐げられてきたエレパースにとって、彼らは救いの神だった。
家督を譲られた弟や両親が、何処で公爵家での勤めを知ったのか、手紙を送ってきた事がある。
家令のケレスに事情を聞かれて、全て話して、手紙の受取を拒否すると、
その後は一切取り次がれなくなった。
解雇されるかとびくびくしていたが、そのような事はなく、ずっと雇って貰えると言って貰えて安心したのを覚えている。
年老いた養父母にずっと給金を送っていたが、ある年に流行した風邪で呆気なく彼らは亡くなってしまった。
帰る家は元より無く、ほんの一瞬恵まれた暖かい家族も今はいない。
だが、脅かすものが何も居らず、静かに植物を育てられる穏やかな温室は、まるで天国のように感じていた。
正午の鐘がなると、次の植物を用意していたエレパースの元に、
ノアークが箱を持ってやって来た。
「…食事に行く。預かってくれ。また後で来る」
「あっ…は、はい」
箱を受け取ると、踵を返して、ノアークと侍従は屋敷の方へと戻っていた。
エレパースが箱の中を覗き込むと、ピンクのスライムは元気そうに、ぷるぷると動いている。
掌にのせると、少しひんやりとしていた。
「お前の主人は、優しくて綺麗だ…良かったな、ロサ」
まるで言葉が分かるかのように、ぷるぷるとしてから、掌の上を行ったりきたりしている。
そういえば、魔物は恐ろしいものだと思っていたのに、
これは全然違うな、と思いつつ、エレパースは箱にスライムを戻した。
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