第11話 ---妻と愛娘への誓い

駄目だ、と止めても良かったのだ。

でも何故か止めてはいけない気がして、いつの間にか娘の後を追っていた。


「私が付いていこう」


今は宰相として国に仕えているが、ジェラルドは魔術も剣術も其々の機関でも上位に至るくらいには遣える。

加えて、我が家の騎士はフォルティス家とフィロソフィ家合同で訓練した選りすぐりの猛者達だ。

そしてランバートも手練れとあれば、愛娘マリアローゼを危険に晒す要素は無い。


本を自分で選びたいと望み、色々な分野の本を嬉しそうに選んでいた。

芽を摘むような事はしたくはないのだが…


遠くに見える人影は、貧民街の住人だろう容姿をしていた。

躊躇せずにマリアローゼはそちらに走っていく。

向こうが立ち去らねば先制するか、とも思ったが、距離を開けたままあっさりと逃げて行った。

残されたのは瀕死の子供達。

片方が片方を庇うように、お互いを守りあうかのように折り重なって倒れている。

夥しい血が、地面を濡らしていた。


「お父様、助けてください…」


震える声で、マリアローゼが言う。

陰惨な現状に場違いな、可憐で可愛らしい鈴のような声を震わせて。

だが、現実は冷たい。

それを突きつけるにはまだマリアローゼは幼いが、現実は教えねばならない。


「何故ここが分かったのか分からないが。ここでは日常茶飯事の事だ。キリがない」


「でも」


それは懇願ではなく、怒りではなく。

自分に向けたかのような呟きで、ジェラルドは2人の様子に目を落とす。

呼吸も浅いし、骨も折れているのが目視で確認できる上、骨の浮いた身体は元々衰弱していた。

ランバートもこちらに視線を投げて、首を横に振る。

ジェラルドも同感だった。


「もう助からないだろう。治癒師を呼びにいかせても時間がかかる」


一番近くて王都の教会だ。

馬があれば5分もかからないだろう。

もっと近いのは貧民街の教会だが、そこには治癒師はいない。

でも目の前の2人は、文字通り死にかけている。

どこの治癒師であれ、その持ち場で治癒師としての仕事がある。

呼ばれてすぐに応じる事が出来るかも分からない。

王族や上位貴族の子女ならまだしも、平民でしかも貧民街の子供では。

それに、瀕死の重傷は通常の治癒師の手に余る惨さだった。


「神様…」


祈るような声がマリアローゼから聞こえてくる。

ふわり、と銀色の髪が揺らいだ。


「わたくしの命を分け与えてもいいですから…」


マリアローゼの切実な言葉に応じるように、神が手を貸したのだろうか。

形容しがたい魔力が繋いだ手から吹き付けてくる。

まるで天使の羽のように、マリアローゼの髪がふわりふわりとはためいた。

光がまるで三人を包むかのように広がる。

そして、マリアローゼがゆっくりと2人に重なるように倒れ込んだ。


「ローゼ…ローゼ!!!」


慌てて抱き上げるが、マリアローゼは長い睫毛を伏せ目を閉じたまま、ぴくりとも反応しない。

でも呼吸は静かにしている。


「馬車を回せ!」


慌てたようなランバートの声で、ハッとジェラルドは我に返る。

命を受けた騎士が片方走り出し、もう一人の騎士は命令される前に二人の子供を担ぎ上げた。

ジェラルドはぐったりとしたマリアローゼを抱きかかえたまま、大通りへと素早く歩き出す。


あれは魔力だった。


だが、制御しきれずに、周囲へと漏れ出したのだ。

当然として、幼い分魔力の容量は小さい。そして、すぐ枯渇する。

魔力切れというのは往々にして起こるものだ。

ただし、それは推奨されるものではない。

何故なら死にいたることもあるからだ。

今回は制御しきれない故、空になるまで魔力を放出した結果起きたものだ。

放出した魔力分が充当されるまで目が覚めないだろう。

もしこれが、制御した上で限界を超えて注ぎ込んでいたら、それこそ死ぬ危険性が出てくる。


何故かと思う事は沢山あるが、まずはマリアローゼの目が一日も早く覚める様祈ろう。

ランバートは子供達とジェラルドを乗せると、一足先に馬で走り出した。



家に着くと、マリアローゼの部屋にはマリクが待機していた。


「御推察の通りです」


魔力切れ。

まれにその魔力を渡せる稀有な能力の持ち主もいるらしいが、

残念ながらこの国にはいない。

いたとして、名乗り出る者もいないだろう。

枯れ尽くすまで奴隷のようにこき使われる未来が想像に難くないからだ。

マリアローゼの小さく柔らかい手を握り、傍らの椅子に腰掛ける。

手についた血は、丁寧に拭われて、元の白くて柔らかい手がそこにあった。

放って置けば、時間経過とともに、必ず目が覚めると分かっているのに気が休まらない。


離れていたマリクが戻ってきて告げる。


「子供達ですが、失血した血が戻れば元気になります。

 それに、ランバートの見た状況から察するに…」


一瞬口ごもったマリクに視線をやると、溜息をついた。


「欠損していた指も完治しています。これは、知られると不味いかもしれません」

「聖女、か」


聖女と言われると、非常に名誉なものだと思われるだろう。

実際にそうでもある。

これが、平民や、貧民街であれば、そこから抜け出す機会になるし、

上位貴族並、もしくはそれ以上の優遇をされることにもなる。

ただし、ルクスリア神聖国に身柄を取り上げられるのだ。

当然ながら、家族すら自由に会うことは叶わず、

神聖国と条約を交わしている国の、王族や王位継承者などの治癒に起用される。

他にも奇跡を起こす力を使うことがあるが、用途は様々だ。

その為に、通常は結婚したとしても神聖国から出ることは許されない。

例外があるとすれば、稀ではあるが複数人の聖女が降臨した時に、

他国の王族の伴侶になった場合だけだ。


「は…はは…本物の天使か……」


力なく乾いた笑いがジェラルドの口から洩れる。


手放したくない。

妻のミルリーリウムが切望し、自分も望んでいた待望の娘だ。

何より大切な宝なのだから。


時間を忘れて、小さく規則正しく呼吸するマリアローゼを見守り続けた。

気を遣ったのか子供達は部屋には来ず、気がつくと妻のミルリーリウムが隣に腰掛けていた。


「ああ、リリィ…帰っていたのか」


今日は伯爵家のお茶会に呼ばれていると言っていた。

社交は大事な公爵家の妻の仕事だ。


「ええ。お話は伺いましたわ」


きりりとした顔でマリアローゼの顔を見詰めるミルリーリウムは何かを決意している顔をしている。

幼い手を握ったままのジェラルドの手に、そっと柔らかな手を重ねた。


「ねえ、貴方。わたくし、絶対にこの子を手放しませんわ。

ローゼが自分から望む日まで、絶対に」


「ああ。奇遇だね。私も同じ事を思っていたよ」


そう伝えながら傍らの妻の髪に口付ける。

ミルリーリウムは、ふっと表情を和らげて泣き笑いを浮かべた。


「この子ときたらね、おかしいのよ。一生お側にいますって言うの。

わたくしと貴方の側に…今朝、そう言っていたの…可愛いわたくし達のローゼ」


「君も子供達も私が守るよ」


空いた方の手で、細い肩を抱き寄せながらジェラルドは改めて妻に誓いを立てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る