第2話 この世界の記憶
ふわふわと雲の上にいるかのような感触。
目が覚めると、マリアローゼは柔らかいベッドの中にいた。
そのまま視線を上げると、天井ではなくベッドの天蓋が目に入る。
夜空を模した暗空色に、銀の色の星が散りばめられていて、キラキラと光を反射している。
いや?あれ本当に銀じゃ?
いやいや?え?
と目を凝らしながらもっそりと身体を起こして見上げていると、隣から声がかかった。
「おはようございます、お嬢様」
「ひやぁ」
突然の事に情けない声が口から漏れる。
至近距離からの予想外の声賭けは心臓に悪い。
小さな悲鳴が聞こえなかったのか、メイドは深く腰を曲げて礼をしていた身体を起こして、てきぱきと部屋中のカーテンを開けていく。
暗かった室内が、あっというまに光に満たされていくのをマリアローゼははぼーっと見ていた。
昨日、王城で王子に会って、そこから逃げて…
そしてぶっ通しで朝まで昏睡したに違いない。
小間使いの様子からして数日寝てた、なんて事はないだろう。
「ただいま、飲物をお持ち致します」
と再びの礼。
「あの…ナーヴァ…」
記憶を探り探り、何とか彼女の名前を思い出す。
顔を上げたナーヴァはぎょっとした顔をしていた。
ひぇ!と言いかけて、慌ててマリアローゼは言葉を呑み込む。
「お願いがあるのだけれど…」
と言えば、さらに目を丸くして、信じられないものを見るような目を向けてきた。
不遜な言葉を上せない彼女は優秀なメイドなのかもしれない。
というよりも、何を言われるか戦々恐々としているだけかもしれないが。
「2つ鐘が鳴るまで、誰もお部屋に入れないで。
何だか気分が悪いのです」
手元にあるフカフカの毛布を握りながら、遠慮しつつそう言うと、ナーヴァは少し呆けたように口をあけた。
「は…はい。治癒師様をお呼びするのはその後で宜しいですか?」
「いいえ、何処が悪いというのではないから、それはいいの。
お願い、ナーヴァ」
上目遣いでおねだりすると、彼女は呆然とした顔つきから、使命感を持ったメイドの顔になる。
心なしか頬も紅潮しているようだった。
「お任せくださいませ!」
元気よく引き受けたナーヴァは、部屋から飛ぶように出て行った。
これで、飲物を持ってくるまで誰もいない。
更に、1時間はひとりで考え事に集中できる。
マリアローゼは前世の記憶について、この世界についての記憶がないか探し始めた。
「私」の記憶を持った幼いマリアローゼの知りえた情報の中でのこの国の現状。
ここはアウァリティア王国。
王政で有り、今は王と王妃だけで側妃は居らず、三人の王子がいる。
ちなみに母のミルリーリウムは元々公爵家の令嬢であり、現王妃カメリアの妹でもある。
魔王などという者は存在していないが、魔物はそれなりにいて、自分達の領土を守るのが常となっているからか、
国同士の諍いと言うものはここ500年程は起こっていない。
なので母や王妃を含めこの国の上級貴族は、他国との政略結婚はあまり活発ではないようだった。
禁止はされていないが、推奨もされていないといったところだろう。
魔道具は主に魔獣と呼ばれる魔物から採れる魔石、魔晶石等と言われる魔力を帯びた石で作られる。
あったらいいなという家電じみた道具は、その魔石のお陰で普通に流通していた。
庶民の生活ではどの程度普及しているのかは未だ分からない。
そして魔術の発展と引き換えに、科学や物理といったものは恐らく発展していない。
医療に至っては、治癒師が癒す為にほとんど進化していないかもしれない。
頭の中を整理していると、コンコンコンコンと遠慮がちなノックが聞こえた。
「飲物をお持ちしました」
声も頑張って抑えているようなので、すぐに返事を返した。
「どうぞ、お入りになって」
頬が紅潮したままのナーヴァが、素早く室内に滑り込んでくる。
押してきたティートローリーの上には、飲物のセットと薄く焼いたクッキー、小さなサンドイッチも載せられていた。
きゅう…、と小さなお腹から切ない音が漏れる。
「もしお召し上がりになれましたら」
とサイドテーブルに食べ物が置かれる。
手元には飲物を渡されて、マリアローゼは両手で温かいそれを持った。
「気配りありがとう、ナーヴァ」
「では、扉の外に居りますので、何かございましたらお声をかけてくださいませ」
お礼の言葉に更に頬を赤らめて、彼女は嬉しそうにそそくさと部屋を後にした。
目の前の飲物からはふわりと良い香りが漂う。
ミルクがたっぷりと入っているような…一口含むと、ふわりと甘さが舌に広がった。
蜂蜜とミルクと紅茶…
「あったかい…」
甘くて温かくて、美味しい。
何故だか視界がぼやけた。
誰かが運んできてくれた飲物、食事、そんなものは記憶の中でも幼い頃にしかなかった。
涙がほろほろと頬を伝っていくのが分かる。
「あぁ私…疲れてたんだなぁ…」
それは随分前の記憶だろうけど。
もう全然別の世界の記憶だし、もしかしたらただの夢かもしれないけど。
今のこの温かさは幸せと呼ぶに相応しかった。
このまま泣いていたら、幼い身体はまた睡眠モードになってしまう!
マリアローゼは気持を切り替えて、さっと涙を拭ってクッキーを口に入れた。
記憶の中の味には及ばないけど十分美味しい。
これも甘さは蜂蜜のようだ。
砂糖はどの程度普及しているのだろうか?
サンドイッチには野菜と肉が挟まれている。
味はチキンとレタスといったところか。
辛味はなく、ソースはクリームチーズのようだ。
「ふむ、美味しい」
うんうんと頷いて、今まで食べたものを思い浮かべるが、
特に前世…と仮定した記憶の中の食べ物とそこまでの遜色はないように思う。
食べたくても存在しないものがあるなら、そのうち作ればいい。
そして食べ物の事は一旦横におき、更にこの世界の標となるような記憶を掘り起こす。
王国の名前なんて一々覚えていないし、
キャラクターの名前なんて似たり寄ったりだし…。
うううん、とうなりつつ更に考える。
まずは私だ、マリアローゼ。
王子はひとまず向こうに置いといて。
家族構成から思い出して、手がかりを掴んでみよう。
筆頭公爵家の末娘、兄は5人。
はて…
何か引っかかるぞ。
長兄はスパダリ属性の押しの強いイケメン。
母様に似た金髪に、父様似のアイスブルーの瞳。
髪質も母譲りのゆるやかなウェーブで、快活そうなマッチョボディは父ではなくて母の系統。
名前はシルヴァイン
次兄は正統派クールビューティーで父親似の冷徹なイケメン。
父のコピーと言われる直毛の青銀色の髪を耳の上で切りそろえた、同じくアイスブルーの瞳。
名前はキース
次は双子の兄弟で、ミカエルとジブリール
天使の名前ではあるが、印象は悪魔寄りだ。
二人とも母の先祖にいる赤い髪に、真っ青な海のような瞳をしている。
悪戯っ子という感じで、常に二人で行動していた。
5番目の兄は、上の二人が喧しいせいか、凄く口数も少ない寡黙な兄。
光に透かすと赤い色なのだが、一見すると黒髪にも見える。
瞳も暗い藍色をしていた。
名前はノアーク
そして最後の最後に生まれた念願の女子が私。
ストレートの長い髪が、途中から緩やかにうねっている。
色は銀色だけど、毛先は染めたように蜂蜜色に変化していくような…不思議な色をしている。
どちらも輝く色なのでそこまで色の差を感じない程度で、
何だかヤンキーっぽく無くてよかった、というのがゆっくり確認した今の感想だ。
瞳の色は青とも紫ともいえる菫色。
母は完全な紫だから、本当に父と母の間、という容姿なのも両親の愛を加速させたのかもしれない。
名前はマリアローゼ。
あ…
「あ!」
思わず口から悲鳴が出そうになってマリアローゼは自分の手で口を塞いだ。
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