悪役令嬢?何それ美味しいの? 溺愛公爵令嬢は我が道を行く

ひよこ1号

第1話 王妃にはなりたくない

残業、早出、休日出勤。

どんどん自分の時間が消費されていく。

お金は生活に問題ないくらいはあるけれど、もう少しのんびりしたい。

暗い部屋に入り、明かりを点けようと壁のスイッチを手で探る。

そこで眩暈がして、私は冷たい床に倒れた。

視界がそのまま暗くなっていき…。


目を開けると、暗くて無機質なフローリングの床じゃない。

舗装された灰茶色の煉瓦が目に飛び込んできた。

地面についた掌は小さく幼い。

額にもピリッとした痛みが走る。


ここはどこだろう?


一拍置いた後に、まるで濁流に流されるようにそれまでの記憶が押し寄せてきた。

公爵令嬢として生を受けてからの記憶だ。


「マリアローゼ!」

「お嬢様!」


焦ったように私の名を呼ぶ声が幾つか響き、ふわりと腰に回された大きな手が自分を持ち上げ、一瞬気を取られるが、目の前の金髪の少年を視界に入れた途端

ヤバいと脳がフル回転を始めた。


目の前の美少年は王子だ。

しかも第一王子で、下手をしたら婚約させられる。

何度目の転生か分からないけれど、過労死したかもしれない記憶が蘇ったからには絶対回避したい。

王妃になんかなりたくない。

だとしたら無難に振る舞うのがベスト。


と瞬時に方向性が決まり、その通りに行動する事にした。


「おめよごし致しました」


掌を確認したいところだが、それも出来ないので指先だけでスカートを少し摘んでお辞儀をする。

話しかけられたと分かった彼、第一王子のアルベルトは空色の目を見開いて咄嗟に伸ばした手を引っ込めた。


「大丈夫?」


「怪我をしましたので、さがらせて頂きます。御前失礼いたします」


ウルトラ完璧ハイパー王子様は、心配そうな素振りで見ていたが、多分引きとめはしない。


私は振り返ると、助け起こしてくれた手の持ち主、私を溺愛する父へと小さな手を伸ばした。


「おとうしゃま…」


安心と痛みで、耐え切れず目からはぽろぽろと涙が零れ落ち、語尾も震える。

決してこれは演技ではなく、幼女だから仕方の無い事なのだ。

今までそうして生きてきたのだから、自然に任せるとそうなるのであって…

だけど、蘇った前世(28歳)の記憶があると、顔から火が噴くほど恥ずかしい。

しっとりとした青みがかった銀髪の父親であり、宰相でもあるジェラルドが、

端正な眉を寄せて心配そうに、それでも素早く抱き上げる。

冷たいと揶揄されるアイスブルーの涼しげな瞳も麗しい美形だ。


「殿下、娘の手当てをして参ります」


軽く辞去の礼を執ると、くるりと踵を返して建物の方へと早足で移動する。

肩越しに目があった少年は、先程までと同じく心配そうな様子でこちらを見ていた。


私は何の変哲も無い貴族の子女です。

どうかお忘れなさいますよう。


私は、精一杯の祈りを込めて、その目を見詰め返した。


この世界には魔法がある。

希少とはいえ癒し手もいるので、王宮には勿論王族の側に配備されていて、

訪問した貴族が怪我をすればそれも看てもらえるのだ。

控えの間に案内され、額と掌に擦りむいた膝を手当てして貰う。

身体全体を治す魔法もあるが、範囲が狭ければ燃費も減るので、正に手当て、をする。


「ありがとう存じます」


傷が塞がった手も綺麗に拭かれたので、心置きなくスカートを摘めるというものである。

淑女の礼を執ると、驚いた治癒師は目を見開いた。


「そんな過分な御礼をなさる必要はございません……」


焦ったように背後に立つ現、筆頭公爵でありこの国の宰相閣下、と幼い令嬢を見比べながらわたわたと言う。


「あらいけませんわ。わたくしを助けて頂いたのです。

感謝の気持を受け取ってくださいまし」


そう言って、ニッコリと微笑むと、後ろからギュッと抱きしめられた。


「何て素晴らしい娘なんだ…!天使、天使か???」


父の興奮した声が頭越しに聞こえる。

若干ウザい。

目の前の治癒師の女性は、目を潤ませて父の言葉にこくこくと頷いている。


「お嬢様は天使でいらっしゃいますね!」


記憶を辿ると、今までそうだったのか?といえばそうではない。

普通ーーーーーに我侭な娘だったのである。

公爵家に生誕して、しかも念願も念願、祈りつくして最後に生まれた娘なので甘やかされ放題だった。

そんな娘が天使に育つわけはなく。

でも賢しい知恵はあったので、家族の前では我侭だけど可愛い娘。

侍女達からすれば困った横暴なお嬢様。

ちらりと自分付きの侍女を視線で探せば、そんな遣り取りにスンッと冷静な視線を向けている。


ですよね?

そうなりますよね??

今後は態度をあらためますので、今までのことはどうか忘れてください。


「さあ、そろそろ庭に戻ろうか?」


クールビューティーな冷たくとも甘い顔に、笑顔を浮かべながら父が言う。

私は慌てて首を横にふるふると動かした。


ここはきっと運命の分岐点の一つなのは明らかだ。

間違えてなるものか。


「いえ、もう、おとうしゃまとおうちに帰ります」


上目遣いで言うと、嬉しそうに頬を赤らめつつも父は首を傾げた。


「でも、君は王子様の婚約者になりたかったのでは?」


「いいえ、わたくしはおとうしゃまと結婚するので、いいのです」


にこにこと邪気のない顔で微笑むと、父は顔を伏せて悶絶した後に断固とした口調で言い放った。


「よし帰ろう!すぐ帰ろう!ランバート」


父の侍従の名を呼べば、スッと姿勢を正したランバートが「御意に」と一言だけ口にして頭を軽く下げる。

ふわりと重力に逆らうように抱き上げられ、胸元に抱きしめられて、

そのままジェラルドは私を連れて部屋を出て行く。

何度か見た事があるので、城外への通路はぼんやりと覚えていたが、

改めてしっかりと覚えておく。

何処の城でも王の居城は大体が複雑な作りをしているのだ。

馬車溜まりに着くころには、公爵家の紋章入りの馬車が正面に止まっている。

父は私を抱いたまま乗り込むと、隣に乗せる事はせずに膝の上に置いて抱きしめた。

着座を見計らったように、馬車が滑るように走り出す。

侍女や侍従は次の馬車に乗るので、ここにはいない。


適度な揺れと、人肌の温かさと安心感で瞼が重くなってきた。

うとうとと首が揺れるのを見て、優しい声が降ってくる。


「疲れたのかい?寝ても大丈夫だよ」


安心させるようにポンポンと優しく手を置かれて、私はあっけなく意識を手放した。






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