第18話 追撃

「イテラ姉!」


一面の荒野の中心、女性の腹部に現れた魔法陣に簪が叫ぶ。


「簪、『翼は堕ちた』わ!」

「はぁ、んな急に……っ!」


 簪が咄嗟に武器を構える。


 瞬間、女性の身体から溢れ出した黒い結界がイテラの身体を覆うのと、ルクスが簪の身体を無理やり引いたのはほぼ同時だった。


「ひゃはっ、判断早えな。あぶねえあぶねえ!」

「おい、早く殺っちまおうぜ!こっちは死ぬほど待たされてんだ!」

「黙れ、これで彼女は封じた。確実にいくぞ」


 そして、そんな2人を取り囲んだ3人の探索者達も。


「はっ、お前ら、昨日負けたってのにまた来たのか」

「黙れや!てめえらみてえな雑魚に負けた訳じゃねえ!俺達が負けたのはそこの――――――」

「悪いが、俺達にも面子が有るのでな。それに、まさか襲った相手がかの有名なとは」


 そう言うとローブを被った男、ザイードは口元を小さく歪める。


 バレること自体は別におかしくはない、だが問題なのは、今のイテラにそれだけの力が無いという事だ。


 だが、相手はそれを知らない。


「……抑えきれないわ!」

「……ちっ、ルダ、ベルタール援護しろ。この二人は俺が片付ける」

「へいへい」

「ちっ、了解!」


 ザイードはそう言うと、反対側を囲んでいた二人を女性の方へ向かわせる。

 結界越しにこちらを見るイテラの視線は、今のうちに逃げろという事だろう。


 決して、今の簪たちでは敵わないと。


「簪さん……」

「あー、分かってるよ。合言葉は絶対だもんな。簡易転移門までの距離は……」

「はい、後100キロほどですね」

「100か、結構遠いな」


 階層世界も新生世界と同じく簡易型転移門が各地に設置されているが、それでもその全てはカバーできない。


 後は、二人がどう切り抜けるかのみだ。


『大丈夫です、私が飛べば』

「そう言えば、ルクスが竜種なの忘れてた。なら100なんて直ぐ……っ!」


 簪は竜化したルクスの身体に跨ると、直後、飛んできた短剣の一つが頬を薄く切る。


「ふん、逃げられると思うか?」

「はっ、余裕だね!お前の秩序が何かは知らないけどっ!」


 簪の身体が、ルクスに運ばれて空へと昇る。


 この世界では、飛ぼうと思えば全ての人が空を飛べる。

 必要最低限ではあるが、対処法が無くならないよう空中歩行デバイスという異装が開発されたためだ。


 とはいえ、この魔具はあくまで持続してエラを消費することで空中を蹴れるようになるだけなので、元々空中戦闘に向けた秩序と戦ったとすれば、その差は歴然だ。


『簪さん、飛ばします』

「……ふん、誰を振り切ると?」

「あ⁉」


 だが、元々身体能力が高い種族ならば、そんな不利すらも覆す事もしばしばある。


『簪さん!』

「や、っばいっ!」


 迫る短剣に、簪は咄嗟に大剣を振るい、その身体に小さな傷が奔る。


 速い、恐らく何らかの種族秩序を持っているのだろう。

 とはいえ、ルクスが最高速度を出せれば流石に。


「ルクス、俺の事は一切無視して飛べ!術式記述――――――」


 簪はそう言うと、直後急速に増した風圧にお構いなしに、指を動かす。


 男の姿が見えなくなるのは一瞬だったが、直ぐに追いつかれることは分かっていた。


「大旋風(ストームブラスト)」

「おわ、魔法かよ!防げなさそうだな。記述完了!それに、『惑え』――――――」


 背後から迫る一筋の巨大な渦に、簪は氷の壁を展開する。


 明らかに規模が違うのは分かっている。


 だが、僅かに二人の隣を貫通していったのは、ギリギリで幻術秩序が機能してくれたお蔭だ。

 とはいえ、追いつかれている以上このままでは不味い。


 どこかで一瞬、脚を止める事さえ出来れば。


「……魔術秩序に幻術秩序か。だが、弱いな……」


 男はそう言うと、今までよりも更に強く空中を蹴り、同時に二人の更に上へと跳び上がる。

 その際に外れたフードから見えた歪な角は、魔族か。


 なら、やり飛べはしない。


「ルクス、『チェンジ』!」

『良いんですか、バレますよ?』

「んな事言ってられる状況じゃない。でも、不意を突ければ――――――」


 そう言うと、簪は手に流れるエラを切り、その直後上空から振り下ろされる短剣を間一髪で防ぐ。


 片手を離し、直後に数発の銃弾をザイードの身体に撃ち込んで。


「何……っ?」

「残念、幻術秩序はルクスのなんだよ。さっさと……!」


 簪が男の身体を蹴り上げる。


 銃弾を身体に受けていても動じた様子が見られないのは、そしてそんなザイードに蹴りを止められた事は、今更驚かない。

 男は明らかに二人を合わせたよりも格上、勝てる可能性が有るとすれば。


「……‼くくっ」

「天裁」


 簪が大剣を振るう。


 防御不可能な一閃、ザイードは咄嗟に剣を潜り込ませるが、直後に防げないことを悟ったのかルクスの身体を蹴り上げ、竜の翼がタイミングを合わせて加速する。

 ダメ押しの銃は全て躱されたが、落ちていくのと共にあっという間に姿を消した男の姿は、流石にもう追いつけない。


 とはいえ、状況は全く好転していないが。


「ちっ、イテラ姉……」

『簪さん、どこへ向かいますか?』

「……二手に分かれよう。俺は探協、ルクスは千夜工房に。師匠とレヴィンさんに協力を頼む。もしどっちかの協力が得られれば、イテラ姉を助けられる」


 本当なら今すぐにでも向かいたいが、今の一戦、簪は不利な状況のザイードからの攻撃を受けきることしか出来なかった。


『簪さん、イテラさんは強いです』

「ちっ、分かってる。でも、俺が居なければそもそもあんな呪術は喰らわなかった」

『あれは、気付けなかった私に責任が有ります』

「違ぇよ!そもそも俺が居なきゃ、イテラ姉はもっと高い層に潜って、また直ぐに一線級に返り咲いて!俺がいつも足を引っ張ってる!」


 簪・レゼナ・ヴァ―リという弱い探索者が居なければ、血竜姫はいつでも輝ける。

 助けてもらった数など数えきれない、いつも簪が無様に負けて、いつもイテラがその尻拭いをして。


 こんな時、格好良く守ってあげることすら出来ないのに。


『簪さん……』

「……悪い、ちょっと苛ついて当たった」

『大丈夫です。まだ十分ほど有るので、少しリラックスしてください』


 そう言うと、追いつかれないことを確信しているからか、僅かに速度を緩めるルクス。


 空気の流れる音と辺りを包む夕暮れ時の景色、そう言えば、初めてカラドボルグの刺さっている崖に連れて行ってくれた時も、このくらいの時間だったか。


『簪さん……私今、毎日が凄く楽しいです』

「……外に出られたからか?」

『ふふ、それも有ります。8割ほど』

「8割って、ほぼ全部じゃん……」


 結局何が言いたいのか、ただ本当に嬉しそうなのだけは、その口調から分かった。


『あはは、冗談です。私、今までずっと、母さんとしか会話をしたこと無かったんです』

「それは、あそこに居たらな」

『はい、その時はそれで満足でしたし、母さんの優しい表情に私はいつも安心していました。でも――――――』


 暁は、いつもルクスに対して優しく微笑みかけた。

 それは安堵という感情、だが、他の感情は鏡に映った自分の顔と文献でしか知らなかった。


 感情を向ける相手も向けてくれる相手も、どちらもあの場所には居なかったから。


『私、お二人を最初に見た時、羨ましいって思ったんです。互いに文句を言い合いながらも、常に互いの行動や言葉、気持ちを『信頼』している』

「……それは、あれだけ一緒に居たからな」

『はい。それなら、今回も分かるんじゃありませんか?』


 イテラは簪を誰よりも信頼している。

 もちろん大切である事に間違いは無いのだろうが、時には彼が拒否してでも死ぬかもしれない階層主に挑ませ、またある時は簪の行動に自身の行動を合わせる。


 それは、簪の行動に対する絶対的な『信頼』なのだ。


『……簪さん、諦めますか?』

「……‼はっ、んな訳ねえっての、強い奴を倒してこその探索者だろ!」


 簪は小さく息を吐くと、自身の顔を両手で叩く。


 思えば、いつから負け癖がついてしまったのだろう。

 都合が悪い時はイテラに頼って、威勢よく啖呵だけを切って。


「……っし、悪いルクス!行こうぜ!あいつらをぶっ飛ばして、イテラ姉を助ける!強くなるのは間に合わなかったけどな!」

『はい!』


 簪の言葉に、ルクスはその身体をゆっくりと下降させる。

 転移門に到着したからだ。


『同盟【魔女の晩餐】より【再臨の天竜】に対して同盟戦申請を受信しました。回答期限は翌日、4月27日12時。移動ポイントは100%。参加者数は両3名同盟長簪・レゼナ・ヴァ―リ、副同盟長ルクス・レゼナ・ベルンハイム、イテラ・メル=オーリア――――――』


 そして簪たちにとっての初めての、新世界大戦5位を誇る大同盟との余りに無謀すぎる同盟戦争が始まった。




「ああ、お前また逃がしたのか?」


 同時刻、第二層の同じ場所にて。


「ザイード、同盟戦やんのは構わねぇけどよ、万が一にでも負けたらお頭に粛清されるぜ」

「……ふん、血竜姫が動けない状況で負ける訳が無いだろう。だが、まさか貴様がだとはな」


 ザイードはそう言うと、結界の側に倒れている使い捨ての女性を余所に、その結界の中に座る女性を覗く。


 もし仮に彼女が本当にかの有名な血竜姫だとするなら、あまりに弱すぎる。

 恐らく、こんな結界力づくで破壊して尚、ここの達3人など瞬殺できるはずだが。


「おい、ザイード、その結界、解除すること出来ねえのか?折角の女だ、そのままにしとくには勿体ねえぜ」

「止めておけ、もし仮に彼女が本物の血竜姫なら、結界を解除した瞬間に俺達3人は皆殺しだ。それに……」


 ルダの言葉に、ザイードはさっきの戦闘と秩序を思い出す。

 明らかにあの秩序は、タイミングが合い過ぎていた。

 竜化して前を向いている状態で、後ろで戦っている相手を完璧に援護など、まだ相応の強さを持っていれば別だが、有り得ない。


「近頃表舞台に出てきていなかった血竜姫に奇妙な秩序を扱う探索者達、か。くくっ、面白い。精々足掻くと良い――――――」

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