第10話 記憶秩序

「これが、外……‼」

「っしゃあ、昨日ぶりの階層世界だーっ!」


 約一時間後、階層世界。


「あなた達、本当に賑やかねぇ。ルクスちゃん、階層世界の仕組みとかはもう覚えた?」

「はい!階層世界は全十層から構成された新世界大戦の主な予選地となる場所。討伐することで新世界大戦におけるポイントやエラを吸収できる人工生物は上層に向かう程強くなり、時折周囲のエラを吸収することで通常より強さやポイントの大きい人工生物の住処である遺跡や洞窟が出現する。後は――――――」

「おーい、さっさと行こうぜ!」

「……もう歩いてる、あの馬鹿には一回きっちり勉強させようかしら。ルクスちゃん、二人でいる時に何か起きたらルクスちゃんの判断を優先してね。簪は感情で動きがちだから」


 まあ、そこが良い所でもあるんだけど、と笑うイテラにルクスが一瞬の逡巡の後、にっこりと笑って頷く。


 今簪たちが居る場所は階層世界の最下層、翡翠殿。

 昨日簪が訪れていた第二層よりも更に下、緑に溢れた比較的環境変化も少ない、主になりたての探索者が訪れる場所だが、任務の指定場所はここから百キロ以上先。


『簪、飛ぶわよ!』

「りょうかーい!今行く」


 竜化したイテラに、ルクスと、続いて簪が乗る。


 目指す場所は翡翠殿の奥、比較的気性の洗い人工生物の住む通称『雨降らずの丘』。


 歩いていては日が暮れてしまうが、彼女の翼を使えば十分程度だ。


「ふわぁ、高いです!凄いです!」

『ふふ、喜んでもらえたなら嬉しいわ。少し加速するから、しっかり掴まっててね』


 イテラはそう言うと、翼を振り、その巨体を揺らす。


 階層世界の広さは、直径にして一層約五千キロメートル。

 全層を合わせれば第二地球と同等以上の広さになるため、遠方の場合には各所の簡易転移門を使ったり、移動系の秩序を使う事が一般的。


『見えて来たわよ』

「やっぱり一家に一人イテラ姉だよなぁ、うん!」

『振り落とすわよ?』


 簪の言葉に、イテラはゆっくりと地面へ着地し、そのまま二人を降ろす。


 雨降らずの丘は、一つの巨大な丘を中心に、まばらな木々に囲まれた荒野と草原の中間地帯。

 名前の由来はこの丘の地形を更に大きく囲む崖と山の影響で降雨量が極端に低い事。


 ちなみに、遠くに見える猪のような奴が、今回討伐目標の一体だ。


「しゃ、それじゃあ行くか!」

「普通に倒せば良いんですか?」

『ええ、倒せば新世界大戦のポイントは貯まるわ。討伐証明の角は倒した後十分以内に剝ぎ取ってね。それを超えると、自動的に消えちゃうから』


 新生世界での討伐依頼は大体討伐そのものが目的ではなく、彼らを討伐した上で手に入る素材を目的として出されたものがほとんど。


 とはいえ、この層の敵であれば消えた所で最悪別の奴を倒せばいいが。


『それじゃあ、適当に頑張って』

「ん、イテラ姉はいかないの?」

『私が居たらこんな層肩慣らしにもならないでしょ。丁度少し遠いし、暇つぶしに採集依頼の方を終わらせて来るわ』

「ああ、あれイテラ姉用だったんだ」


 簪の言葉に、イテラは身体反転させると、再び向かってきた方へと飛び去っていく。


 確かに採集依頼なんてと言ってはあれだが、初陣に敵を倒そうと思っていた所に変な依頼紛れ込んでいたとは思ったが。


「イテラさん、凄いですね」

「まあ、イテラ姉はずっとあんな感じだから。取り敢えず、俺達も行くか」

「はい!」


 僅かに笑って頷くルクス。


 最初の討伐対象は丘を歩いた先、視線の先に見える左右非対称の角を持つ人工生物、『爪とぎ上戸アンバランス』。


 油断は良くないが、角にさえ気を付ければ特に問題ない個体だ。


(そうだ、折角なら……)


「簪さん、どう戦いますか?」

「悪い、最初俺一人で行って良いか?ルクスが教えてくれた記憶秩序を試したい」

「分かりました、使い方は?」

「大丈夫……多分」


 確かルクスから聞いた限りでは、記憶秩序に必要な手順は二つ。


――――――ブモ‼


「気づかれました!」

「ああ、任せろ――――――っ!」


 刹那、突進してきた猪の角に、簪が大剣を叩きつける。


 力は互角……いや、こっちの方が上。


 とはいえ、うっかり角ごと切ってしまいそうなのは、それだけ剣が優秀である証だろう。

 

――――――‼


「はっ、すげえなこの剣(カラドボルグ)!でもこれはさっさと試さないと……と思ったけど、もしかして何も『刻印』してない?」


 簪は「解放」と呟き、直後再び突撃してくる猪の角を今度は剣の腹で受け止め、僅かに後退する。


 使い方は分かると息巻いて出てきたが、意外と不味い。


「簪さん、大丈夫ですか?」

「無問題!こういう時はっ――――――!」


 簪は後退した地面にカラドボルグを突き刺すと、空いた右手に魔術式で第一位階、氷の剣を出現させる。


 秩序を刻印する方法は確か攻撃を受ける事と言っていた、なら出来るかは分からないが自分の秩序で自分を傷つければ。


『刻印』


 ――――――‼


「……ん、若干エラの吸収量が増えた?これは成功か?なるほど……地味だな」


 この時、簪の脳裏に思い浮かんだのは、昔の母親の記憶。


(ん、記憶。はっ、なるほど。使える秩序、ねぇ……)


 新世界では手から稲妻を出すことが出来る、指を弾いて世界の半分は消せずとも敵を殺す事や、或いは世界の敵にすら成ることも。


 だからこそきっと、母は可能性を叶えたのだ。


――――――‼


「おいおい、暴れんなよ!今から良い所なんだ!『解放』、魔術秩序――――――!」


 簪が大剣を構え、突進してくる猪を受け止め、その腹で勝ち上げる。


 重層刻印をした今なら、簪は第四位階の魔術を使える。

 しかし、魔術はあくまで発動するための起動文を学ばなければ使用する事は出来ないし、その文は魔術秩序の秩序世界にある。


 ならば、選ぶのは。


「二重記述、先ずは一つ目――――――」


 簪は大剣を突き刺し、勝ち上げた人工生物の上空から一つの小さな氷の塊を降らせる。


 第一位階魔術、氷塊アイスバレット、魔術秩序を選択した探索者が最初に学ぶ魔術であり、殺傷能力はこの上なく低いため、これだけでは倒すことは難しい。


 最も、だからこその二発目だ。


「記述完了、貫け――――――」


 簪の言葉に、地面から二対の氷柱が人工生物の身体を刺し貫く。

 簪が使用できる中で最も威力の高い第三位階魔術、氷茨アイスソーン


 空中に磔にされた人工生物は既に動けない、後は斬られるのみだ。


『ふふ、もし優勝したら簪に使ってもらえるような秩序にしないといけないわね』

「まあ、悪くは無いな。見ててくれよ、俺はこの秩序で――――――!」


 簪が大剣を振るう。


 血飛沫と共に地面へと堕ちる人工生物の身体と、遠くからこちらへ向かってくる竜の姿が見えたのはそれから直ぐの事だった。




「あなた、あれから1時間も経ってるのにまだ一体しか倒してないの?」

「うっせ!そういうイテラ姉だってまだ行って帰って来ただけだろ⁉」

「あら、私は五つとも終わらせてきたわよ。勿論全部――――――」


 そう言うと、丘の中腹、イテラは袋の中に入った大量の素材を見せる。


 明らかに採集依頼対象の薬草、それも量も二倍以上ある。


「くそ、腹立つ……!」

「まあ、第一種相手でも問題なく勝てたのは大きい事だわ。それに――――――」


 イテラはそう言うと、小さく「解放」と呟く。


 何か刻印したのか、だが簪が疑問を発するまでもなく、彼女の身体は直ぐに変化を迎えた。


「……!深紅の瞳、もしかして、それが母と互角に渡り合ったという血種ですか?」

「ええ、この姿になるのも十年ぶりかしら。第一位階だし竜状態での蝙蝠化とかは恐らく出来ないけれどね。適当に歩いていた奴から攻撃受けて拝借して来たわ。これである程度の奴までは誤魔化せるでしょ?」


 種族秩序血種、吸血鬼の特徴は赤く光る瞳ととがった牙。

 勿論低位では出来ることは限られるが、それでも彼女の瞳は、見る人が見れば確かに力を失っているとは思わないだろう。


 それに、紅い瞳に成れた簪にとっては。


「どう、似合ってるかしら?」

「最高!黒眼も良いけど、やっぱイテラ姉はそっちの方が似合ってるよ!何て言うか……めっちゃ綺麗」


 簪・レゼナ・ヴァ―リは幼い頃、探索者に憧れた。

 イテラ・メル=オーリアという最強の探索者に、誰よりも強い【血竜姫】に。


「……イテラさん?お顔が――――――」

「……ん」


 覗き込むルクスに、イテラが僅かに顔を背ける。


 僅かに赤らんで見えた顔は、珍しく照れているのか、或いは。


「まあでも、何にせよ後四つで討伐依頼は終わりだろ、さっさと次行こうぜ」

「ええ、でもそろそろ日も呉れ始めるから、手分けして狩っちゃいましょうか。私が三つは終わらせておくから……はい」


 イテラはそう言うと、一つの依頼書を簪の画面へと送る。


 受けた依頼内容は、全て自身の開く端末の画面で見ることが出来る。


 わざわざ送らなくても。


「ん、これ依頼、こっちからも見れるから別に送らなくても……って翡翠殿、階層主⁉」

「あら、第一種なんて幾ら狩っても同じでしょう?わざわざ使う必要のないエラまで使って、随分楽勝そうだったものねぇ?」

「いや、全部見てるじゃん……階層主の強さ分かってるでしょ⁉一つの階層に十体しか出現しない二層上、第三種と同等の強さを持つ第一種の突然変異個体、通称ボス個体!」


 階層主は一月に一度全人工生物の中からランダムで十体が補給され、一般的に適性位階の探索者が八人居れば討伐可能とされている。

 第一種であれば、第一位階から第二位階。


 秩序位階という視点で見れば、簪の適性は第二種、ルクスの適性は第五種なので、倒すには不可能ではないのだが。


「簪さん、行きましょう!人工生物のボス、私も戦ってみたいです!」

「いやいや、ルクスは行けても俺死ぬよ⁉」

「大丈夫よ、多分ルクスちゃん少なくとも最近ほとんどエラ吸収してなさそうだから、私の見立てでは総合的な能力はあなたと変わらないわ」

「それ、寧ろ不安になっただけなんだけど⁉」


 ルクスの能力をあてにしていたのに、彼女がもし仮に簪と同じ第二種相当ならば、いよいよ勝ち目は。


「簪?」

「……あー、いやいや、分かってるって!この程度、新世界大戦に出るためには朝飯前だもんね!ちなみに場所は?」


「そうね、確か――――――」


 イテラは人差し指を顎に当てる。


 視線の方向は丘の上、そして彼女の姿が僅かにブレた瞬間、この場所を象徴する丘の最上部から一つの巨大な鹿のような生物が頭を出した。


――――――ギィイイイエエエエエエ‼


『ここよ?』

「俺、死んだらイテラ姉の事絶対恨むから……」


 簪の言葉に、目の前の竜が一瞬首を傾げたかと思うと、空へと飛び立っていく。

 そして、一筋の稲妻が二人の足元を直撃した。


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