第5話 天裁《ヘヴンズライン》

「主天使、第十位階⁉」


 簪の言葉に、イテラがその身体を人間へと戻す。


 種族秩序は、その位階によってその種族名称が変わる。

 中でも天使秩序は翼の枚数やその大きさによって判別できる為分かりやすく、天使、大天使、主天使、智天使、熾天使、そしてそれらを束ねる神使。

 第十位階は丁度中間であり、イテラと同じく多層刻印であるなら最高位階、それでもその姿はまるで。


「天使秩序にロンゴミアント、本当に暁みたいね」

「先ずは一撃です、イテラさん。お腹の傷、回復するのであれば待ちましょうか?」

「あはっ、冗談言わないでくれるかしら!久しぶりで調節を間違えただけ、よっ――――――!」


 そう言うと刹那、イテラの脚が勢いよく大地を砕く。


 竜種の特徴は獣種よりも更に極度の身体硬化、速度は僅かに落ちる代わりにその鱗は千の銃弾すら弾き返す程に硬く、また一度竜化すればその炎は万里を焼き尽くす。

 正に、肉弾戦においては最強の種族と言えるだろう。


 彼女に一度攻撃されれば。


「くっ……」

「あら、威勢が良いのは最初だけかしら。守らないと死ぬわよ、ほら、ほらぁっ!あははははっ‼」


 そして、かなりの戦闘狂でもある。


「イテラ姉、あんま壊したら崩れるって!」

「大丈夫よ、これだけ階段降りたのはその為でしょ」

「なるほど!」


 イテラはそう言うと、更に地面を蹴り上げ羽で守られた少女の身体をかち上げると、天井を踏み越え、更に大鎌を振り下ろす。


 片翼の先が斬り落とされたのは、それから直ぐだった。

 天種の特徴は、羽を使う事による防御や攻撃、飛翔、そして頭上に浮いている光輪を利用することによるエラの守護壁。

 物理的な攻撃は翼で防ぎ、エラを介した攻撃は光輪で遮断する、かなり守護に特化した種族だが、一方で身体的な能力は人族とさして変わらず、おまけに力もあまり強くない。


 そういった意味では、竜種は天敵とも言えるだろう。


「あら、威勢のわりに大したことないわね。このままだと直ぐに飛べなくなっちゃうわよ」

「……流石ですね。私も技術は磨いてきたつもりでしたが」


 そう言うと、少女は手に持っていた槍を手放す。


 何をする気か、予想外の状況の連続にイテラは反射的に武器を構え、同時に未だ戦闘に参加していなかった簪は不意をついて横から飛び出す。

 先手はようやく組み上がった氷魔術、だが恐らく天使の輪に弾かれる。


 本命は、氷の弾丸に紛れて接近して放つ、異装。


「簪、待ちなさい」

「大丈夫、今のイテラ姉の見て大体の感覚は掴んだ。最悪ミスっても――――――」


 簪の言葉に、ルクスの元へ到達した氷が砕ける。


 膜のようなもので往なされるのかと思っていたが、結界のような形なのか。


 何にせよ、これなら。


「射程圏内だぜ。カ――――――」

「解放、竜種秩序」


 だからこそ次の瞬間、突然と目の前に現れた巨大な竜の姿と吐き出されたブレスに、簪は防御を忘れてしまっていた。


「……‼影式、憑魔、影帽子!」


 イテラの言葉に、簪の足元から一つの影の膜が視界を覆う。


 これは彼女の持っているもう一つの異装『シャドウカーテン』の陰陽術、影を対象の前方に展開して身を護る能力だが、確か一人にしか展開できなかったはず。


 ならば彼女自身は。


『――――――‼』

「イテラ姉!」


 簪の叫びに、一筋の閃光が辺りを呑み込む。


 後方で巨大な衝突音が聞こえたのは、影が落ちていくののとほとんど同時だった。

 簪は咄嗟に再び剣を構えるが、追撃してくる様子の無い竜と数秒間睨み合うと、やがて直ぐに後方へ身体を翻す。


 そこには、壁に寄りかかったまま身体中から血を流したイテラの姿が有った。


「げほっ、油断した……わ」

「イテラ姉、大丈夫⁉」

「ええ……回復薬を飲めば問題ないわ。でも、あの秩序……」


 イテラはそう言うと、簪が取り出した液体を4瓶纏めて飲み干す。


 彼女は、数多の戦場を渡り歩いた歴戦の探索者だ。

 とはいえ、今の威力は明らかにイテラと同等、或いはそれ以上の火力を持っていた。

 多層刻印の第十位階?


 否、もし仮にそれが本当なら簪には最早近づく事さえ。


『イテラさん、私の勝ちですね』

「あら、両手に同じ秩序を刻んでいる貴女が二つの種族を使えるなんておかしいわね?もしかして、それがかしら?」

「……」


 イテラの言葉に、ルクスがその巨体を人間へと戻す。


 恐らく回復を待ってくれているのか、だが、彼女が回復するまでは回復薬を使っても最低戦える状態まで1分程度、ならばそれまでは簪一人で耐えなければ。


「簪、私の事は気にしなくて良いわ。彼女の秩序は一つよ、あなたが倒しなさい」

「……いやいや、イテラ姉だって見たでしょ!あいつは秩序二つ持ってる、それに多分両方第十位階。全盛期のイテラ姉と同じだよ⁉」


 天種秩序と竜種秩序、合わせるとどういった秩序になるのかは分からないが、少なくとも簪の手に負えない事だけは、言わなくても分かる。

 片や中間とも言えない第三位階、片や発動の仕方すら分からない第一位階秩序、そして。


「簪、諦めるの?」

「……‼はっ、んな訳ねえっての!俺は絶対に、新世界大戦で優勝する」


 そう言うと、簪は豪快に笑い大剣を構える。


 諦める、無理、不可能……それは簪・レゼナ・ヴァ―リという探索者にとっては、十年間聞き続けた最も嫌いな言葉。



『おい、あいつだぜ?能力も分からない秩序を使い続けてる馬鹿』

『あいつ、死んだ優勝者の子供らしいぜ、無駄な事するよな』

『どうせ直ぐに強くなるわけでもない。違う秩序を使えば良いのに、本当に頭の悪い奴』


『簪、私は貴方の翼よ。邪魔なものは消してあげるし、見たくないものは塞いであげる。だから、貴方は真っ直ぐに走りなさい。届かない所は――――――』


 ――――――私がどこまでも連れて行ってあげるから



「簪さん、次は貴方がお相手をされますか?失礼ですが私が推測するに――――――」

「ああ、がたがたうるせえよ!俺はいつか、イテラ姉も超えて新世界大戦で優勝する男だぜ?お前程度に――――――!」


 簪はそう言うと、手元から二対の氷塊を発射する。


 既に少女に対応する素振りすら見えないのは、第二位階程度の魔術は効かない事が分かっているのだろう。


 とはいえ、実際に簪の使える魔術で、第十位階の竜燐を貫ける威力のものは持っていない。

 一つを除いては。


「簪、翼は必要かしら?」

「必要ねえよ、俺でも届く!」


 簪が大地を蹴る。


 通常の剣と違い、大剣は両手で扱わなければならない為、片手での術式記述が出来ない。

 最も、現在の簪が扱える最高位階は第三位階、直撃させたとしても対した傷は見込めない。


 通用する手段が有るとすれば。


「扱い慣れていませんね。簪さん、前は別の武具種を使用していたようですね」

「くそっ、振り回されんなぁ、これ――――――」


 簪は大剣を振りながら、突き出された槍を間一髪で弾き、身体が吹き飛ばされる。


 やはりまともに打ち合えば、勝ち目は万に一つもない。

 身体能力は向こうが上、エラも、秩序位階も。


「簪さん、大人しくイテラさんの回復を待つのが賢明だと思います」

「はっ、お前、こっちを殺す気ねえんだろ?なら、俺達に負けはねえよ。俺は絶対に諦めないからな」


 回復薬、ポーションが有る限りは回復をして、無くなれば自然回復を待って。


「……理解に苦しみます。どうしてそこまでする必要が?」

「必要?んなもん楽しいからに決まってんだろうが!お前、ずっとここに居たのか?」

「……」


 簪の問いに、ルクスが頷く。


 その返答に思わず呆気に取られてしまったのはきっと後方に居るイテラもだろう、暁が死んでからは約十年、食料や水、最悪それらはどうにかなっていたとしても、何故、否、何のためにそんな途方もない命令を暁は彼女に命じたのか。


「母さんは、何か言ってたか?」

「いえ、ですが……もし命じられたこの役目を果たせたなら、外に出ても良いと」

「はっ、なら今日で出られるじゃん!何かやりたいことは?」

「……『原初地球』を、見てみたいです」

「原初地球?」

「……あなた、中等部までは学園行っていたでしょう。『第一世界』よ」

 ああ、あれか。


 イテラの言葉に、簪がようやく思い出したのか、小さく頷く。


 原初地球、それはかつて肉体を持っていた人類が住んでいたと言われる、現在では放棄された始まりの世界の名称だ。

 昔習っていた限りでは、秩序や人工生物などは存在しないらしく、資源も有限、暴力や差別を『法』によって取り締まっているという、現在から考えるととても非効率的な場所だが、どうしてそんな場所に。


「原初地球、行く方法ってあるのか?」

「無いわ、行く必要が無いもの。多分新世界大戦で優勝したら、同一に限りなく近い世界を創り出すくらいは出来ると思うけど」


 EVEによって平和が確立され、無限の資源や娯楽、安寧が約束されたこの世界から抜けだそうとする者など居ないし、その必要もない。


「……世界を、創れるんですか?」

「お前、新世界大戦を知らないのか?なら、丁度いい。この戦いが終わったら、全部見せてやるよ」


 そう言うと、簪は空中に文字を書き殴る。


 彼女の速度や力に追い付けない事は大体分かった。


 だからこそ、今の簪でも狙える場所は。


「……死んでも、文句は言わないで下さい」

「はっ、ようやくその気になってきたのか。なら始めようぜ、俺達の――――――っ!」


 瞬間、簪が大剣を構えたまま大地を踏みしめる。


 直後に二人の間を別ったのは天井まで着くほどの氷の壁。

 簪が使える第三位階防御魔術氷壁、だが、今回はあくまで守る目的ではない。


『目眩ましですか。ですが、そんなもの――――――』


 竜となったルクスが巨大な閃光を口元から吐き出す。


 氷壁が原型を留められなくなるまで、一秒とも時間は掛からなかった。


 当然、その先には居ないが。


『……⁉どこへ』

「……っとと、危なっ。感撃ちで当たらなくて良かったぁ。とはいえ、燃やしきれなかった氷壁の裏なんて直ぐバレるけど……」


 そう言うと、簪は遠くで壁に凭れ掛かっているイテラの無事を確認すると、僅かに近づいたことでよりはっきりと見える竜の巨体を確認する。


 距離は後十数メートルくらい、ブレスを溜めている時間は無いとしても接近するには尻尾か、或いは一、二撃程度の攻撃は避けなければならないだろう。


 後は純粋なタイマンのみだ。


『……柱の裏ですか。終わりです――――――!』

「やべっ!『術式展開』――――――!」


 横薙ぎに振るわれる竜の尾に、辺り一面が砂塵を上げ、更に氷の柱も崩れる。


 とはいえ狭い空間だったことで崩れてきた瓦礫に身を隠し、何とか身体能力の強化は間に合った。


 ただ、居場所も完全にバレた。


『……逃げ回るのもここまでです』

「別に、逃げ回ってるつもりはねえよ。今度はこっちから――――――」


 攻める、そう言って簪は大地を蹴る。


 最初に接近したのはさっきと同じ横薙ぎの尾、だが身体強化を使った今なら、上に。


「っぶね、ギリギリ!」

『……空中なら――――――』


 簪の言葉に、竜がその巨体を揺らす。


 伸ばされた咢は簪を捕食しようと言うのか、だが、これさえ躱せれば。


「こ、れでーっ!」


 強引に空中で大剣を振るい、身体を捻る。


 真横を通り過ぎていった口元は、後一瞬遅れていたら確実に喰われていただろう。


 だが、これで。


『……!やりますね。でも、貴方の力では……』


「いや、終わりだよ。カラドボルグ――――――」


 簪が異装の名前を呼ぶ。


 その瞬間、光を放った刃に、ルクスも存在を思い出しただろう。


 魔導剣カラドボルグ、まだ使用していない『断絶』の魔法を。


『なるほど、私の負けですか……』

「そういう事。だから……これから宜しくな、ルクス」

『……はい』


 僅かに頷く竜に、簪は大剣を振り下ろす。


 巨大な光の刃が彼女の身体すれすれを、そして遺跡ごと彼方に見える空まで切り裂いたのは、僅か一瞬の事だった。


 明らかに過剰威力、近づく必要すらない程の一撃を。


天裁ヘヴンズライン

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