第3話 記憶と理由
(はあ、やっぱかっけえなぁ。イテラ姉は……)
静まり返った空間の中、こちらを向く視線に軽く手を振る。
彼女はいつも簪を助けてくれる、どんな時間でも、どんな状況でも、どんな場所でも。
恐らく、彼女が居なければ簪はここまで母の秩序を探し続ける事さえ、自分自身の性格を貫き通す事さえ出来なかったはずだ。
だが、だからこそ……時々だけ考えてしまう。
「お帰り、流石の強さでございました、イテラお姉様」
「あなたねえ、勝てるかどうかくらい考えてから、喧嘩売りなさいよ」
「あはは、面目ない……新世界大戦の出場者って聞いてつい」
「そんなもの探さなくても、ここにいるじゃない」
「……イテラ姉じゃ、例え指一本でも訓練にならないでしょ」
「ふふ、そうね」
イテラの言葉と差し出された細腕に、簪は軽く腕を引いてもらいながら立ち上がる。
買った花が潰れていないか念のため下敷きにした腰の科学秩序制ポーチを触ってみたが、どうやら大丈夫だった、人類の英知の結晶だ。
とはいえ、万が一駄目だったとしても、最早ここで買い物は出来ないだろうが。
「花、買い直さなくて大丈夫?」
「おう、セーフ!『同化復帰』していいよ」
「分かったわ」
簪の言葉に、イテラはわずかに画面を開くと、一つのボタンを押す。
そしてその瞬間、景色が割れた。
――――――――うおぉぉぉおおおおおおおおおーーーーーっ‼
「うわ、めっちゃ賑わってるじゃん。やば」
周囲を取り囲む人の波にイテラが簪を余所に、小さく手を振る。
これは争いが禁止された世界で、探索者同士が戦う時のルール。
第二地球で探索者同士の戦闘を検知すると、自動的に第二地球から生物を覗いた全く同一の『複写地球』へと自動的に飛ばされ、終われば元の場所へ復帰する。
「ふふ、探索者同士の戦いは一般人にとっては危険の及ばない場所で命を懸けた戦いが見られる最高の娯楽だもの。まあ、ここまでの規模になった原因は私でしょうけれど」
「でもさ、こっからどうやって出んの?一般人も建物も傷つけらんないよ」
「あら、そんなの簡単よ。『それじゃあ――――――』」
イテラが手を掲げる。
直後、その場に現れた黒色の竜は、彼女が再び竜種秩序を発動させたのだ。
これは彼女が囲まれた時のいつもの方法。
当然誓約が有る以上傷つけることは出来ない、とはいえ突如室内に十メートルにも及ぶ竜が現れ、その牙を向けば。
「うわぁ、竜が出たぞーーーーっ!!」
「きゃぁあああああ、逃げて、早く!!!」
「ふははは、これが世界の終末!!」
『……あなた、何してるのよ。ほら、折角人散らせたんだからさっさと行くわよ。今日は暁のお墓参りなんだから』
イテラの言葉に、簪は一瞬だけ制止すると、直ぐに人間に戻ったイテラの手を取る。
外へ出たあたりで差し込んだ夕日は買い物、否、不意に挑まれた戦闘のせいだろう。
そう、今日は母、暁・レゼナ・ヴァ―リの命日。
「さて、それじゃあ気を取り直して行きますか!」
「ふふ、ええ。でも簪……ああは言ったけど、今日でもう十年よ」
「言ってんだろ、イテラ姉。俺はいつか母さんの残した秩序を暴いて、その力で新世界大戦で優勝する!」
「そう……」
手を掲げる簪に、イテラがふと歩いている足を止める。
きっと心配してくれているのだろう。
正直な所、簪・レゼナ・ヴァ―リは、母である暁の事をあまり覚えていない。
勿論今でも偶に思い出すことは有るが、もう二度と更新されることの無い思い出は過ぎ去る時間の波に流され、最近ではその存在も忘れてしまいそうになる。
「簪、あなたが昔から本気で新世界大戦に憧れているのは知ってるわ。だからこそ、あなたが過去に囚われて今日みたいに一方的にやられているのなんて、きっと暁も望んでないわ」
「……なら、諦めるの?イテラ姉、俺の負けず嫌いな性格は一番よく知ってるでしょ」
「ええ、知っているわ。だから負けず嫌いなあなたは今、負けて悔しがっているでしょう?」
「……‼流石イテラ姉、よく見てるね」
イテラの言葉に、簪は僅かに脳裏でこちらを見下ろす男、ヴォルグの姿に歯噛みする。
簪・レゼナ・ヴァ―リはいつも力が無い。
好戦的な探索者に勢いよく啖呵を切っても、挑戦を受けても、いつも最後は今日のように助けに来たイテラを頼ってしまう。
魔術秩序は確実に強くなってはいる……だが確かに、もっと力が欲しいと感じている自分がどこかにいる。
(そうだな……俺は……)
『おかあさん!』
『ただいま、簪。今日の試合、見てくれた?』
十数年前、扉を開けるなり、簪が入って来た暁へと飛びつく。
『うん!30メートルくらいあるおっきな機械をずばーっん!って倒すの、カッコよかった!』
『ふふ、結構苦戦しちゃったけどね。もし私が優勝したら、お祝いしてくれる?』
『うん!「しんせかい」をつくるんでしょ!ぼく、おっきな家にすみたい!』
『くす、考えておくわね』
簪の言葉に、暁が小さく口元を抑えて笑う。
子供の頃、母である暁が上位探索者だった影響もあり家を空けることが多く、一人で居る事が多かった簪は、探索者達の試合を見ることが一番の楽しみだった。
思えば、きっとこの頃から探索者、そして彼らが全身全霊を賭けて争う新世界大戦に魅入られていたのかもしれない。
最強の探索者だった母は、【灰明の天使】は誰よりも格好良くて。
『……簪、ごめんね?本当ならもっと一緒に居てあげたいんだけど――――――』
『だいじょうぶ!おかあさんのしあい見てるの楽しいもん!「でんしせかい」ってすごいね、ぼくもいつかお母さんみたいにさいきょうのたんさくしゃになる!』
『ええ、楽しみに待ってるわ。ふふ、もし優勝したら簪に使ってもらえるような秩序にしないといけないわね』
『ゆびぱっちんで、世界の半分をけせるのうりょくがいい』
『……変な漫画買ってき過ぎたかしら』
簪の言葉に、暁が小さく笑う。
母が居なくなってからは、この時の記憶から、簪はこの世から存在を抹消された秩序を暴こうと、色々な手段を試した。
手から電撃を出そうともしてみたし、指パッチンで世界の半分を消すという、どこかのヴィランのような事もしようとした。
ただ一月経っても……一年経っても……十年経っても。
『……ねえ、お母さん。ぼくお母さんのじゃまになってない?』
『あら、どうしてそんな事言うの?私の世界で一番愛しい簪』
『……だって』
僅かに俯く簪。
そう言えば、幼い時の簪は時折、普段家に居ない母が恋しくて、こうして拗ねているふりをして甘えていた。
きっとこの時くらいだっただろう、いつも優し気に微笑んでいる母が少しだけ困った様な笑顔を浮かべたのは。
その時の母の行動はいつも一緒。
両手を広げて優しく抱き寄せられる簪に、母がいつも額に残してくれる優しい温もり。
『ふふ、苦しいよ』
『あら、そう言わないで。いつも家に帰らず不安にさせてごめんね。愛しているわ、私の世界で一番愛しい――――――』
「……簪?」
「イテラ姉、やっぱり俺……もう少しだけ探してみたい」
視線を覗き込むイテラに、簪は目を合わせる。
「……‼良いのね?」
「ああ。いつも心配してくれてありがとね、イテラ姉。正直母さんの事あんま覚えてないけどさ。今ふと思い出したらあの時、いつも俺のおでこにキスしてくれたお礼、まだ言ってなかったから」
簪はそう言うと、イテラの眼を見て快活に笑う。
暁は探索者として優秀だった。
一方で、そのせいか家に居る事が少なく、正直昔は寂しく思う事も多かったし、思い出せる記憶の数も数えられるほどしかない。
ただ、合う度に額に感じた温もりだけは忘れていないから。
「マザコンねぇ……秩序なら、私が刻み続けるわよ?」
「いや、というか逆にイテラ姉がここまでしてくれてる方が謎なんだけど。母さんとイテラ姉はライバルだったって言っても、普通友達の為にそこまでしないでしょ」
「あら、私は居ない方が良かったかしら?」
「いや、そういう訳じゃないけどさ……」
暁・レゼナ・ヴァ―リとイテラ・メル=オーリア、二人の探索者の関係は謎に包まれている。公式に残っているデータ上では十年前、二人の探索者は新世界大戦で優勝を競った。
彼女曰く暁とはこの大戦の中で初めて会ったらしいが、そうなれば戦友が死んだからと言って見ず知らずの子供と10年間も、それも自分の力の半分を捨ててまで暮らす理由が分からない。
「まぁ、良いじゃない。いずれあなたにも話してあげるわ。それよりも、本当に諦めるつもりは無いのね?」
「ああ。流石にもう10年探しても無理なら考えるかもしれないけど。それに、今は人生150年時代だぜ。未知なるものを探してこその『探索者』だろ!」
簪が拳を突き出す。
この答えを、彼女はどう思ったのだろう。
ただ、答えを聞いて直ぐ、何も言わずに歩き出した彼女はやがて転移門に近づくと、僅かに微笑んだ。
「……分かったわ。それなら――――――」
イテラの姿がブレる。
何処へ行ったのかは口元を見ていたため直ぐに分かった。
今度向かう先は簪とイテラ、二人の住んでいる秩序世界、『
その広さは東京エリアの四分の一、全ての世界の中で最も小さく、二人の住んでいる小屋を除いて周囲全てを崖や森に囲まれている。
暁の墓も同じ世界の中に存在し、場所は森を20キロ程進んだ森の奥だ。
『さて、それじゃあ行きましょうか』
「イテラ姉、何で竜化?」
『乗って、あなたを面白い場所に連れて行ってあげる』
「人工生物の群れに放り出すとか止めてよ?」
『大人しく乗ってたらしないわ』
イテラの言葉に、簪が背中に跨る。
空へと飛び上がったのはそれから直ぐ、最初はお墓に連れて行ってくれているのかと思ったが、直ぐに飛んでいる方向が反対方向であることに気づく。
「ちょ、どこ行くの、イテラ姉!」
『大丈夫、直ぐに着くわ』
巨大な竜の翼が空を切る。
木々を揺らし、川を凪ぎ、眼下に見える人工生物を焼く。
崖の上に向かっていると気づいたのは、出発してから五分も経たない内。
立ちはだかる崖を駆け上がるように身体を反らし、天へと上る。
辿り着いたのは……世界の果てだった。
「ここは?」
『ふふ、綺麗でしょう。崖と世界の境界、私と暁のお気に入りの場所なの』
イテラが高度を下げる。
崖の高さは地面から数百メートル、翼、或いは何かしら空を飛ぶ手段がない限り辿り着くことの出来ない高さだろう。
視界を囲む空に落ちかけの電子太陽と、まるで秘密基地のような一つの小屋。
地面には……一振りの大剣が刺さっていた。
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