電子世界

第1話 探索者

 約200年前、人類は電子頭脳の中へと居を移した。


 混乱を避けるために資源の無限性や犯罪の抑制、それ以外は現行制度になぞらえ、移行前の世界と何一つ変化の無い姿を創り出したが、それでも世界の変質は必然だった。

 新たな世界の出現に、電子世界だけの娯楽、刺激。


 そしてその最たるものと言えるのが。



「まあまあ、お前の言いたい事は分かる。でも俺だって別にお前達の縄張りに入りたくて入ったわけじゃ――――――!」


 鬱蒼と広がる森の中、二色髪の青年、かんざし・レゼナ・ヴァ―リが不安定な道を走り抜ける。


 黒髪に中腹から銀、両手の裏にはそれぞれ一つのマークのような物に中振りの片手剣、そして全身を覆う片腕のちぎれた灰色の服。

 今簪が居るこの場所は、数多存在する世界の一つ、階層世界(ハルファール)の一角。

 そして、今現在簪を追いかけている対の牙を生やした大量の猪のような怪物は、この世界を創り出した全知能統合型電子頭脳、『EVE』によって生み出された『人工生物ミュータント』だ。


ブモォオオオオオオ――――――‼


「そ、そんな怒んなって!ちょっと、お仲間を一匹拝借しようと思っただけじゃん⁉ああ、この数は無理だって!」


 簪はそう言うと、走りながら一筋の文字を空中に書きなぐる。

 光を放つその文字列は青年が指を止めるまで数行にもわたり、やがて空中に溶ける。

 刹那、背後に競り上げた氷の壁は、新たな世界の開拓や戦闘を生業とした簪達『探索者』と呼ばれる者達が使用できる超常の力の一つ、『魔術』だ。


「はっ、残念だったな猪ども!まっ、お前らと俺とじゃそもそもの知能が……」


 簪が氷の壁を背に歩き出す。

 先ほどまでの焦りはどこへやら、背後で響いている衝突音は人工生物質が壁を突破しようと無意味な突撃を繰り返しているのだろう。


 想定が外れたとすれば、氷の壁が崩れるのに思ったほど時間が掛らなかったことだ。


ブモォオオオオオオ――――――‼


「……えーっと、やっぱ怒ってる?」


 簪の言葉に、人工生物が小さく吠える。


 やっぱり怒っているらしい。

 さて、どうしようか。


「手持ちは剣一つに回復薬一つ。んで秩序は今のでエラ切れっと。これは……詰み!」


 簪はそう言うと、自身の手に持った剣を構え、直後に聞こえた足音に向けて剣を振るう。

 大きく吹き飛ばされた身体は、簪が力負けした証だろう。

『エラ』は探索者達が能力を使うためのエネルギーみたいなもので、これが切れたのは、いよいよ本格的に不味い。


 人工生物の数はざっと数えただけでも20弱、おまけに彼らは。


『簪、伏せなさい!』


 だがそんな簪の思考を余所に……刹那、空から飛来した一筋の閃光は、簪の視界を火の海に変えた。


ブモ、ブモォオオオオオオ――――――⁉


「ちょ、イテラ姉、俺の髪も焼けてるんだけど⁉」

『あら、丁度良いじゃない。あなたの前髪、長くて邪魔だと思ってたのよ』


 簪の言葉に、周囲に巨大な影が下りる。

 見上げた視界に映ったのは一頭の黒い羽を広げた竜。

 その姿は明らかに目の前で焼けている人工生物よりも強そうだ。


 とはいえ、はあくまでも敵ではない。


『全く、朝から置き手紙だけ残していったと思ったら、こんな所で何やってるのよ』

「いやぁ、やっぱり今回こそ本戦出場をと思って……」

『……あなたの無謀さは、心底尊敬するわ』


 そう言うと、直後竜の身体が僅かに光り、やがてその身体が急速に形を縮小させる。

 ざっくりと背中の空いた黒色のドレスのような服に開いた隙間から生えた竜の翼と細長い尻尾、手や足に薄く張った鱗、切れ長の黒眼に同色の垂れたツインテール、おまけに背負われた赤色の巨大な鎌。

  彼女の名前はイテラ・メル=オーリア、10年前から一緒に暮らしている簪の育ての姉にして、10年前、新たな世界秩序の創造者を決める、新世界大戦においてを遂げた最強の『探索者』。


「今年こそ、新世界大戦の本戦で優勝する!」

「はぁ、それ去年も聞いたわ。最強の探索者を決める新世界大戦、予選にも入れないような万年3000万位マザコン野郎には無理だって言ったでしょう」

「そろそろ俺の隠れた力が目覚めるかなって」

「目覚めずにもう6年目だけれどね」


 そう言うと、イテラは簪を余所に砕かれた氷壁を越え、倒れた猪の元へ歩み寄ると、端末を取り出して開く。

 たった今消し炭と化した人工生物は、倒すことで新世界大戦の順位を上げるポイントなどを溜める事が出来る、探索者達の『敵』。


「こいつら、第二種じゃない。あなた、こんなのに苦戦してたの?」

「いやぁ、前に他の奴らと戦ってたらエラ切れしちゃって」

「……本戦に出たいなら、秩序をなさい」


 小さくため息を吐くイテラ。


 彼女に視線で指されたのは右手、否、右手の甲に刻まれている『秩序』。

 この世界では、探索者は右手と左手にそれぞれ一つずつの秩序を刻むことが出来る。

 超常的な力を使用できるようになる『魔法秩序』や『機械秩序』などの『事象秩序』。

 身体的な能力において常人を凌駕する『魔種秩序』や『竜種秩序』などの『種族秩序』。

 あらゆるものを創造し、世界を作り替える『鍛冶秩序』や『錬金秩序』などの『生成秩序』。

 その数は合計で数十、数百、正確な数は知らないがこの世界に居る探索者達は皆、これらの秩序を組み合わせる、或いは一つの秩序を二重に刻み、強化することで新世界大戦へと挑む。

 重層刻印であれば単一の秩序を第二十位階まで、多層刻印で有ればそれぞれの秩序を第十位階まで。


 どちらが良いという事は無い、重層刻印であれば多層刻印ではたどり着けない秩序の深奥に辿り着くことができ、多層刻印では反対に二種類の秩序を合わせることで新たな境地へ至る事が出来る……らしい。


「秩序、ねぇ……」

「10年前の大戦で優勝して秩序世界を創造し、秩序を公開する直前に暗殺されたあなたの、暁・レゼナ・ヴァ―リの創り出した未公開秩序。気持ちは分かるけど、もう刻んでるのなんてあなただけよ」

「俺達だけ、だろ?」


 格好をつけて片目を閉じる簪に、イテラが小さく笑う。


 今、二人の右手には、一つの秩序が刻まれている。

 数多存在する秩序の中で未だに効果の分からない唯一つ、当初はその状況などから多数の探索者がこの秩序への書き換えを行ったが、結局本人の意思に関係なく刻んで直ぐに発現する種族秩序ではないこと以外は何も分からず、いつしか刻んでいる探索者は簪とイテラだけになっていた。


「良いよなぁ、誰も持ってない能力。もしかしたら手からミサイル出せるようになるかも」

「それなら機械秩序使えば簡単に出来るじゃない」

「いや、まあそれはそうなんだけど、なんて言うの……ロマンあるじゃん!」

「馬鹿っぽいわね。まあ、あなたのそういう所、私は嫌いじゃないわよ?」


 イテラの言葉に、簪は「でしょ」と笑う。


 とはいえ実際、秩序の力は製作者本人による情報公開無しに分かる可能性はほぼない。

 僅かな望みがあるとすれば暁が簪の母であるという事だけ。


 それももう10年だ。


「あ、そう言えば今日はか」

「そういう事。いつもみたいに魔法都市アヴェルーンで良い?」

「いや、今日は久しぶりに東京エリアに行こうぜ。最近行ってなかったし」

「ふふっ、了解。それなら――――――!」


 イテラは小さく笑うと、秩序の刻まれた左手を掲げる。

 直後に変化した姿は、数十メートルは有ろうかという巨大な竜。


 これは彼女の第一秩序、種族秩序の一つ、竜種秩序。

 竜に変化することで空を飛んだり、ブレスを吐いたり、鱗で攻撃を防いだりと空中での肉弾戦においては無類の強さを誇る種族秩序だ。


『転移門まで戻るわよ。背中に乗って』

「おっ、さっすがイテラ姉!ありがとうございまぁぁぁああああああ――――――っ!」


 簪の言葉を切り、急加速して空へ飛び立つイテラ。

 今現在、二人が居る階層世界は新世界戦争1年目の舞台にして、全十層からで構成された内の第二層、緋界殿。

 さっきの猪のような人工生物が大量に生息する戦うための新世界であり、現在探索者ではない人類が住まう主要な世界の一つ、『第二地球セカンドアース』とは世界間を繋ぐ経由地、転移門によって行き来することが出来る。


『そろそろ着くわよ。あ、向こうに戻ったら少し席を外すわね』

「あいよ、何か買い物?」

「……ええ。ちょっと武器の整備をね」


 そう言うと、下降するのと共に人型へと戻るイテラ。

 着陸するタイミングに合わせて、簪の手を引くような形で戻るのは彼女がそれだけ秩序を使い慣れている証だろう。


 転移門から出てきた探索者達がギョッとした表情でこちらを見るのも、いつもの事だ。


「一回イテラが竜化状態のまま転移して、世界の終末ごっこ、やってみたいよな」

「馬鹿な事言ってないで、行くわよ。転移――――――!」

「転移、えーっと……場所どうする?」

「渋谷辺りで良いんじゃないかしら?」

「了解。んじゃ改めて」

『転移』、簪の言葉にその視界が僅かに歪む。


 一瞬の浮遊感とぐらつき、やがて見えたのは視界に巨大な金属製の天井や床に囲まれた吹き抜けの通路だった。


 ここは。


「簪、遅いわよ」

「いや、何で俺のが先に出たのにイテラ姉のが早いの。ここって、ポータルタワー?」

「ええ、というか……相変わらず賑やかねぇ」


 イテラはそう言うと、チラチラとこちらへ向く視線を眺めながらビルの立ち並ぶ周囲の景色を見回す。


 この場所は渋谷エリアの中心である建物の一つ、ポータルタワーと呼ばれる建物の二階、探索者達のエントランスロビー。

 広々とした空間に周囲一面に広げられた通路とテラスは第二世界に住む人々にとって観光スポットであるのと同時、彼方には統合歴327年現在、旧日本国エリアにおける四大都市の一つ、東京エリアの中核を担う900メートルの大塔『スカイマークタワー』が見える。


 最も、今回の目的はその手前。


「それで、統合市場ってどうやって行くんだっけ?」

「確かスカイマークタワーに向けて直進じゃなかったかしら?竜になれれば一瞬なのだけれど」

「はっ、別になっちゃっても良いんじゃない?後で写真攻めになっても良ければ」

「あら、その時はあなたも道連れよ」


 そう言うとイテラはくすりと笑い、ひらひらと手を上げたままその場から去って行く。

 ここ第二地球に住む人々にとって、強い探索者は芸能人などと同じような立ち位置にある。

 それは一般人にとって新世界大戦という祭典が見て楽しむ『娯楽』として浸透している事の証明であるのと同時に、平和になった人類が戦争を求めた証。


「さて、んじゃ俺も行きますか。急がないとイテラ姉どうせ直ぐ用事終わらせるし」


 簪はポータルタワーを降りると、遠くに建つスカイマークタワーとその手前に立つ巨大な垂型の建物を見て、そのまま人ごみの中を歩いていく。


 統合歴327年現在、EVEの中には100以上の世界が有る。

 代表的なのはさっきまで簪とイテラの居た『階層世界』や鉱物などを採掘する『資源世界アウラレア』、それぞれの秩序用に造られた大量の『秩序世界アザーバース』、全秩序の交差点となる『新生世界リナフォールズ』、そして現在簪の居る『第二地球』。

 中でもこの世界は、統合歴元年電子世界への移行の際、混乱をもたらさないよう現実世界と完全に同一に造られ、数百年が経った今でも未だに秩序の使用に制限がある中立世界と呼ばれる珍しい世界だ。


 最も、居を移した当時は確か西暦で2120年とかだったらしいので、その当時の発展状況には寄るらしいが。


「さて、統合市場は……」


 簪は辺りを見回すと、何度か通りを曲がり、やがて巨大な五角形のドームのような建物が見えて来る。


 視界中に溢れる人と広場に建ち並ぶ露店、視界の半分以上を埋めるほどの巨大な鉄鋼の建物、あれが日本エリア統合市場、通称渋谷セントラルマーケット。

 スカイマークタワーを中心として周囲を囲む巨大な統合市場の他、大量の商業ビルが立ち並ぶ、首都という呼び名こそ国家機能の消滅によって無くなったものの、現在も第二世界のものであれば大概のものは手に入る、日本エリアの中心だ。


 とはいえ、不満が無いわけでは無いが。


『イラッシャイマセ、ドチラノハナヲオモトメデスカ?』

「あ、ここも機械になったのかよ。えーと、墓参り用(・・・・)の花を頼む」

『カシコマリマシタ』


 簪の言葉に、顔文字の書かれた二輪歩行ロボットは店内に入り、やがて小さな手に一つの花束を持ってくる。


『コチラデイカガデスカ』

「あー、何でも良いよ。料金は?」

『19バールデス』

「あいよ、振込っと」


 簪が支払いボタンを押すと、機械の顔にニッコリマークへと変わる。

 統合市場における買い物は今、高級店などを除きそのほとんどが統一通貨『バール』を介した機械との対話で完結する。


『ゴリヨウ、アリガトウゴザイマシタ。ヨケレバレビューヲ』

「はいはい、星5星5。理由?『店番ロボットマジキュート』っと」

「アリガトウゴザイマシタ☆」

「……星1にしときゃよかった」


 簪はロボットの画面を適当に叩くと、買った花束を腰に付けた拡張バッグに詰め、そのまま店番用ロボットに背中を向けて歩き出す。


 人類の全てが電子世界に移住してから数百年、現在世界人口は150億人を超えるまでに増加したが、世界の拡張速度はそれ以上に凄まじかった。

 乗り物の運転席から、店舗から、工場から、あらゆる場所から人々は姿を消し、加えて超常的な技術による創造は核都市の概念を根本からひっくり返した。


(どこもかしこも、機械機械、味気ねえなぁ……)


 スカイマークタワーを囲むように広がるセントラルマーケットでは、使用者は登録された店舗の商品を市場内に設置されているマーケットモニター、或いはタブレットや店番型ロボットから購入できる。


 使い勝手は当然上場……上場なのだが少しだけ……


「おや、お花なんて持って、ママのお使いか?」


 最も、話す相手がこんなのばかりでもやってられないが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る