第22話『摩訶不思議』
俺が周囲の視線に気を付けながら、急ぎ足で体育館裏へやってくると、先に教室を出た岸野さんが待っていてくれた。
「遅れてごめん」
「大丈夫、そんなに待っていないから」
わかっているがデートの待ち合わせをしたわけではない。
やや頬を染めている岸野さんがとてもまぶしく、俺の動悸が濁流のごとく激しい。あの岸野さんが俺だけを見てくれている。並んで歩くのは緊張しなかったのに、見つめ合うと緊張がハンパない。
「それでサトルくん、話って何かな」
思っていた想定とはだいぶ違うけど、質問するにはこれ以上のチャンスはない。
落ち着くんだ、大きく深呼吸して平常心を保つんだ。
岸野さんの瞳がまっすぐに俺を見つめている。
ダメだ、平常心を保てない、でもこのチャンスを逃せない、逃してはいけない。こうなったら勢いだ。勢いをつけて一気に質問をしてしまえ。
「岸野さん!!」
「はい!」
かなりの大声になって驚かせてしまってごめん、でも、もう止まれない、このまま行くんだ。
「ちょっと、突拍子もない話かもしれないけど、あの誘拐騒動があった日に、俺たちって異世界に飛ばされたり、召喚されたり、吸い込まれたり、落とされたり、のどれか類するものに遭遇しませんでしたか」
もしも幻覚の出来事が本当に幻覚だったら、岸野さんには意味の分からない質問になる。緊張のし過ぎで、かなり余計な単語の多い質問になってしまったが、幻覚が本当に俺の記憶だったとしたら通じるはず。
「…………」
岸野さんが無言になってしまった。
やっぱり、俺が見たのはただの幻覚だったのか。
驚きのあまり岸野さんが両目を見開いている。いまから冗談でしたで通用するかな。
そして、岸野さんの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「思い出して、くれたの」
声も涙声になっている。
「いや、思い出したとかではなく、近頃リアルな幻覚を見るようになりまして」
女の子の涙の威力に押され、声が小さくなり岸野さんには聞こえていなかった。
「よかった、思い出してくれて、本当によかった!!」
歓喜と共に岸野さんが俺の頭を自分の胸元に抱え込んだ。
何が起きた。
抱きしめられている。俺の頭が岸野さんの胸に、やわらかくていい匂いだー。溶けてしまいそうになる。
だが、俺は質問の答えを聞いていない。
岸野さんは俺が思い出したと言っている。やっぱり仮説は正しかったのか、俺は岸野さんたちとの記憶を無くしているのか。
このまま、やわらかい幸せに包まれていたいけど、誤解が発生している。このまま放置すればとんでもない傷を岸野さんに与えてしまうかもしれない。それだけはダメだ。
岸野さんの両肩を掴み、喜んでくれている岸野さんを引き離そうとするが――。
「あれ」
――本当にあれ、なんて強力な力なの、まるでレベルが違う。優しく抱きしめられているだけで苦しくないのに、岸野さんのホールドから抜け出すことができない。
マジにレベルが違う、生まれたての零歳児が母親の腕から抜け出せないように、俺は岸野さんの抱きしめから抜け出せない。
神は俺を楽園から解放してくれないらしい、ってダメだって決意したばかりだろ。
「ちょっと待って、岸野さん、ストップストップ」
仕方がなく声を出した。
「あ、ごめん、嬉しすぎてつい、ごめんね苦しかった」
「いや、ぜんぜん苦しくはありませんでした」
即答で否定、むしろとても幸せでした。そこは間違いなく、止めたのは苦しいからではなく、間違いを訂正するためだ。
「喜んでくれた所、申し訳ないんだけど、俺は記憶が戻ったわけじゃないんだ」
「え⁉」
一瞬で歓喜の顔が絶望へと切り替わる。できることならこんな顔はさせたくなかったけど、勘違いさせたままでは、後から知った方がダメージは大きくなっていたはず。
「俺は――」
事情を説明しようとしたら、強烈な殺気を背後からぶつけられた。
なんだこの殺気は、人間のモノとは思えない。
「グレイウルフ!」
岸野さんの纏う雰囲気が少女から騎士へと切り替わった。彼女が睨む先に視線を向ければ、学園の塀の上に、一匹の巨大な狼がいた。
体を覆う体毛はグレイ一色で、特徴的なのはカマのような長い爪と眼球ながい全てが緑色の目。明らかに普通の生物ではない。
グレイウルフと呼ばれた狼は、塀の上から飛び上がり襲い掛かってくる。
幻覚の中での俺なら、軽く回避して漆黒の刀で斬り伏せていたが、現実の俺では、軽くどころか回避も間に合わない。何でこんなに体が重いんだ。
屋上で不良を相手にした時にはとても軽く感じたのに、本物を殺気をぶつけられたからか、全身が鉛のようだ。
頭でイメージする動きに体が付いてこない。
「サトルくんはやらせない!!」
岸野さんが俺とグレイウルフの間に割って入ってきた。
なんと、輝く手刀でグレイウルフの爪を弾き、更に追撃を仕掛けることで、グレイウルフの勢いを完全に止めて強引に後退させた。
四肢を折り曲げ、低姿勢を取ったグレイウルフが顔に皺を寄せてうなり声を出している。
「もう絶対に、失いたくないから」
輝く手刀から光の剣が伸び、睨み合う両者が同時に動いた。
勝ったのは光の騎士、閃光の踏み込みでの交差、輝く剣で岸野さんがグレイウルフを一振りのもと斬り伏せる。
「岸野さん」
「ごめんね、少し待っていて」
俺を安心させるように少しだけ微笑むと、輝く剣をそのままに周囲を油断なく探っている。
まだ周囲に魔物が潜んでいないか、警戒しているようだ。
数分が経過してようやく構えを解き光の剣を消すと、スマホを取り出しどこかへ連絡をする。
「もしもし、ケンジくん、グレイウルフが出た。――うん、サトルくんと一緒。ケガしてないよ、私もサトルくんも」
騎士の雰囲気を纏ったまま電話を続けている。
いつもの優しい雰囲気の岸野さんはキレイだけど、今の凛々しい岸野さんは美しいと感じてしまい、ついさっき命の危機に直面したのに見惚れてしまった。
電話が終わりこちらへ振り返る。
「サトルくん、記憶が戻ったわけじゃないんだね」
「その言い方だと、やっぱり俺には忘れている記憶があるんだ」
「何かの切欠で、記憶が無くなっていることに気が付いたってことかな」
「そんな感じかな、あの誘拐騒動からずっと、信じられない幻覚を見ることがあるんだ。ここではない異世界を旅していて、そこでは俺が影法師で、岸野さんが聖騎士になっていた」
「記憶の断片が残っている」
顎に手を当てて考え込む岸野さんはすでに騎士ではなく、いつもの岸野さんの雰囲気に戻っていた。
「一緒に来て欲しい場所があるのサトルくん、もし記憶を戻したいと思うなら、一緒に来てくれるかな」
とても不安そうに聞いてくる。
先ほどまでの凛々しい姿はどこにも残っていない。
俺の何かが、岸野さんを悲しませている。付いていくことでそれが少しでも解消されるなら、たとえ魔物が跋扈する異世界にだって行ってみせる。
「いいよ、どこに行けばいいのかな」
「こっちだよ」
不安は拭えたようだ。いつもの笑顔を取り戻した岸野さんの案内で、俺たちは学園校舎の隣にある。部室棟へとやってきた。
もしかしたら、ここに異世界に通じる入口があるのか、そう覚悟して部室棟最奥にある。一つの部屋の前で足を止めた。
ここは部室棟なので、存在する部屋は全てが部室になる、はずだ。
「あの、岸野さん、ホントにここでいいの」
「えっと、あっているはずなんだけど」
岸野さんが自分のスマホで何度も場所を確認しているので、ここが目的地で間違いないらしい。だが入りたくない。
命の危機とかではなく、別の意味で俺も岸野さんも、入るのにためらってしまった。
だって入口に掲げられている部活名が。
『洞窟探検フットサル不思議研究部』
と言う。摩訶不思議な看板が掲げられていたから。
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