第9話 初恋
ユーフラジーはルブラン氏から散歩を勧められた。太陽の下を歩くのが胸の病気にいいのだという。付き添いにヴィクトルを指名した。
ヴィクトルは普段多忙だが、ピエールに勉強を教える業務で息をつくことはできた。教えることは好きで、やりがいを感じられた。
そしてユーフラジーに会える。
ユーフラジーとヴィクトルの二人はルクセム公園を歩いていた。話すことはピエールのことが専ら。文字が読めても書くことは難しかったが、アルファベットをすべて覚えてしまったこと、四則計算ができるようになってきたこと。
ユーフラジーがせき込んで、二人はベンチに座った。
ヴィクトルはいろいろ迷ったあげく、ユーフラジーの背中をさすった。ユーフラジーはびくりと震え、彼を見る。その顔は真っ赤だった。
修道院で過ごしてきた彼女は男性に不慣れであり、触られることもなかった。街の同じ年頃の娘は女工をやりながら男と出歩いたり、仕事もせずに富裕層の恋人の世話になりながら遊んで暮らすということが多い。
ユーフラジーはそのままじっとして、緊張でわずかに震えていた。
「すまない。咳がつらそうだったから」
思わず砕けた口調が出てしまうヴィクトル。
「すみません」
……と言い直したが、ユーフラジーは笑う。
「いいですよ。私、友達がいませんから、友達に話しかけられた気分で嬉しいです」
「
「
君と呼ぶなんて、友達か、あるいは『恋人』ではないか。
「君は、周りの視線に気づいているか」
「視線?何のことですか」
「みんな君を見ている」
「
「
カウンターを食らったユーフラジーは黙った後、小さく「君は……」と呟いて続けた。
「何を言っているの?」
「周囲の人間が君を見ている」
「どうして?」
「目立つからだろう」
話題は何でもよかった。ヴィクトルはただユーフラジーの声が聞きたかった。彼女と会うたび、彼女への思いは強くなった。そして好かれたいとも思った。
「私は昔からこうです。あまりいい気はしませんが。そういう君こそ、見られているわ」
話題は何でもよかった。ユーフラジーはただヴィクトルに呼んでもらいたかった。彼と会うたび、頭がくらくらするような、あたたかくなるような気持ちがした。そして知りたいと思った。
「まあ、慣れているから」
「私も慣れているから」
沈黙。
数々の女性を相手にしてきたヴィクトルも何も思わないわけではない相手に戸惑う。動悸がして、まぶしい。病気になったかのように。
ユーフラジーも農村にいた頃は数々の男に言い寄られてきたが、若干の憧れを感じる彼に億劫になる。彼の周りに星が舞っているかのような、太陽のようなあたたかさを感じる。
「君、警部なんて忙しいんじゃないの」
「まあ、体は張るが」
「怪我しないでね」
「保証はできないけど、そうするよ」
また沈黙。
話しかけたいのに、話題が見つからない。
呼んでもらいたいのに、話が続かない。
ヴィクトルはふと思いついた。今まで女性に近づくプロセス、その最初。
「シスター・ユーフラジー。君を友達としてユーフラジーと呼びたい」
どきりと心臓が跳ねたように、ユーフラジーは感じた。その申し出はまさに望んでいたこと。
「ブライユ警部。私もあなたを友達と呼びたい。だからヴィクトルと呼ばせて」
「ああ。かまわない」
「ヴィクトル」
「ユーフラジー」
二人は握手を交わした。
刹那、ユーフラジーの頭に電流が迸ったように駆け抜けた。
大量の情報が蘇り、ユーフラジーは倒れた。
ヴィクトルの声かけもむなしく、ユーフラジーは気絶した。
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