第4話 コンサートチケット

 高層マンションに富永紗矢とみながさやは夫の慶介けいすけと5歳になる息子の煌輝こうきの3人で、静かな暮らしをしていた。

 その上の階は上層階級の家庭が多く、あまり関わりがない…はずだった。


 たまたま伊藤千寿子いとうちずことエントラスですれ違う事が多く、千寿子から声をかけてきた。年齢は50半ばだろうか。日頃の話し相手と言うよりは、自慢話を聞かせる相手が欲しかったのだろう。平日の昼間は紗矢を自宅に呼び、夫の仕事や成人した息子、先日行った高級レストランが美味しかっただの、自慢話が次から次へと出てくる。内容はだ。録音して、テープレコーダでも回せば良いのではないかと思うくらいに。

 今日は。そんな紗矢の願いは届く事なく、朝早くから捕まってしまった。ちょっと用事がある、と断っても聞き入れてもられず、「今日はお話があるの。」と結局、強引に誘われてしまった。


 千寿子はいつものようにクラシックをBGMに紅茶を淹れ、どこそこのクッキーをのお皿に綺麗に並べててテーブルに出した。

「あの、お話と言うのは…。」

「そう!それよ。以前にお話した、特別な上流階級の方しか招待されない、神代ゆづりのコンサートの話は覚えてる?」

「ええ、もちろんですわ。とても楽しみにされてましたもの。」天才と言われるバイオリニスト神代ゆづりのコンサートは、政治家、議員、上流階級の主催で行われる事が多いため、一般市民には雲の上の話だ。そのコンサートの招待状が来たと、先週はその話ばかりしていたのだから。

 千寿子はテーブルの上に身を乗り出し、紗矢に顔を近づけた。

「それがね、知り合いが行けなくなってしまったの。良かったら、あなた行かない?」

「え⁉︎」

「3枚あるわ。もちろんお金はかかるけど。」

「そんな、我が家は分布相応ぶんぷそうおうですわ。」

「でもこんなチャンス、あなたにはもう二度と来ないかも知れないわ。行きましょうよ。」

「あの、ちなみにおいくらでしょう?」

 千寿子はソファの背もたれに身体を戻しながら「1枚10万円よ。」と言った。


 自宅に戻った紗矢は、手に神代ゆづりのコンサートチケットを握りしめていた。なんだかんだ買わされてしまった…。慶介に叱られてしまうだろう。

 紗矢が夕食の準備をしているところへ、慶介は帰ってきた。

「話があるの。」紗矢は、神代ゆづりのコンサートチケットを出しながら切り出した。それを見た慶介は驚いた顔をした。

「実は上階の伊藤の奥様から譲っていただいたのだけど、金額が高かったの。ごめんない。」

 しがないサラリーマンでは手に入る事のないチケットだ、という事は慶介もわかっていた。また、紗矢が強引に買わされたことも感じ取った。

「よし、今週の土曜日は家族でコンサートを楽しもう!煌輝も大人しく聴いていられるだろう?」

 小さな息子に目をやると「うん!」と元気に返事をした。

「もう気にするな。」

 そう言って紗矢の肩に手を置いた。


 

ーコンサート当日ー

 コンサート会場に着いた紗矢は、先に煌輝のお手洗いを済ませた。煌輝は楽しみで仕方ないと言った感じで駆け出した。

「走ったら危ないわよ!」

 追いかけると、煌輝が人にぶつかってしまった。慌てて謝罪をし、顔を見るとだった。


「もうすぐ。小さなお子様連れの方はご遠慮下さい。」

「そんな!なんです。子供は静かに音楽を聴くようしつけてありす。どうかお許しを…」

「どうぞご遠慮下さい。では失礼します。」


 そんな…そんなことって…

 紗矢はガックリと肩を落とした。

「仕方ない。僕達が知らなかったんだ。今日は帰ろう。」

 紗矢は泣いた。自分が悪いことをしたのだと煌輝は思い「ママ、ごめんなさい。」と謝った。

 3人は会場から出た。今にも雨が降り出しそうな…重い空気だった。


 翌日、泣き腫らした目で紗矢は朝食の準備をした。トーストにハムエッグにサラダ。そしてコーヒーを淹れた。

 テレビを付けるとニュースが写り、なにか大きな事件でもあったのか、アナウンサーが叫んでいた。カメラはガラス造りの美しいコンサートホールを写していた。どこか見覚えのある場所。まさに、昨日行った場所ではないか。紗矢は持っていたコーヒーカップを落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る