11話 一歩目は

月曜の朝。


目覚めは悪くないが、少しソワソワしている。


今日は井上さんにルーズリーフのお礼を渡すという、自分にとっての一大イベントが控えているからだ。


昨日は勢いで「こんなこと俺にだってできる」とかなんだ考えていたが、実際当日を迎えると億劫になっている自分がいる。


ほんとにこれでいいのか……。

井上さんに変に思われたりしないだろうか……。


そんな不安が頭によぎる。


ただ、何もしなければ前に進めない。

あの最悪な夢を見た日のような思いはもうしたくない。


今日は今までの臆病な自分に踏ん切りをつけるのだ。


今は出席番号順の席なので、井上さんが座る席の周りは女子ばかり。

そんな中で井上さんにお礼の品を渡しに行くのは少し気が引けるので、放課後の人が少なくなるタイミングを見計らって渡すことにする。


今日1日なんだか生きている心地がしない。

授業内容もあまり入ってこず、前の席の倉本と中身のない話を延々としていたことくらいしか記憶にない。

あとは休み時間に、山本が「美味しいものってなんであんなに美味しいんだろうな?」と、相変わらず訳のわからないことを言っていたことぐらいしか覚えてない。


そしてあっという間に帰りのホームルームも終了。

なぜこういう時だけ時間の流れが早いのだろうか。


ホームルームの後、皆それぞれ部活に行ったり、教室でだべったりして各々の時間を過ごす。


井上さんはバレー部のマネージャーなので、

教室に長居することはなく、いつも放課後はすぐ部活に向かう。


そのタイミングを見計らって、俺は井上さんを後ろから呼び止めた。


「い、井上さん、ちょっといい?」


「ーーうわ、ビックリした!並川くんじゃん、どしたん?」


やらかした。急に後ろから話しかけたら誰だって驚いてしまうだろう。

いつもの俺ならここで怖気付いているところだが、今日はそういうわけにもいかない。


「こ、これ、井上さんにちょっと渡したくてさ」


俺が井上さんからもらったルーズリーフのお返しとして買った、

ノートとチョコレートが入った袋を渡す。

井上さんは何のことかわからない、といった様子でキョトンとしている。


「ーー?なにこれ?」


「ルーズリーフ前にもらったときのお礼まだしてなかったから。もらいっぱなしじゃ申し訳ないなって思って」


「え、全然気にしなくていいのに!ルーズリーフめちゃくちゃ余ってたし」


「いや、一応それでもお礼はしときたいからさ。じゃ、そういうことだから、俺もう行くね」


「あ、ーー」


井上さんが何か俺に言おうとしていたようだが、俺はこの空間にいるのがいたたまれなくて、足早に立ち去った。


ーーその日の夜は、事を終えた安堵感と、やっぱり井上さんに引かれていないだろうか、という不安の両方で頭がいっぱいだった。


ただ、やれるだけのことはやった。

そこには自信を持っていいだろう。

結果はともあれ、自分なりの小さな一歩を踏み出せたので悔いはない。


少しゆっくりして今日はもう寝ようかーー


携帯で動画でも見てくつろごうかとしたその瞬間、俺の携帯の通知が鳴った。


『(いのうえはる)いきなりごめん、今日はわざわざお礼してくれてありがとね!』


……これはどういうことだろう。


井上さんからメッセージが来ている。

クラスのメッセージグループには参加しているから、おそらくそこから俺の連絡先を追加したのだろう。

思いもよらないメッセージに俺の胸の鼓動が早くなる。


「……一応、なんか返しとくか」


無視するわけにはいかないので、少しだけ時間を置いて井上さんに返事をする。


女の子とメッセージのやり取りをするのは久しぶりで、正直今でも勝手がわからないが、気持ち悪くない文章にすることだけは心がけよう。


『(並川アキ)いや、全然大丈夫。こちらこそ、わざわざ連絡してくれてありがとう!」


こんなところだろうか。

おそらく不自然なところはないはずだ。

すると、井上さんからすぐに返事が。


『(いのうえはる)ありがとうって言えてなかったから、ちゃんと伝えなきゃって思って。お礼、めちゃくちゃ嬉しかったよ!」


『(並川アキ)それならよかった。変に思われてなかったか結構不安だったから」


『(いのうえはる)お礼してもらえて嬉しくない人はいないって!』


『(並川アキ)そっか、それならよかった』


『(いのうえはる)てか、並川君がアイコンにしてるバンド、私も好きなんだ!並川君も好きなんだよね?』


俺はメッセージアプリのアイコンを、自分の好きなバンドのジャケットにしていた。


メジャーデビューはしてるものの、一般的には知らない人の方が多いであろうバンドなのだが、まさか井上さんも好きだとは。


その後も、メッセージのやり取りは予想以上に続いた。


もう遅い時間になってきたので、一旦今日のところは返事が止まったみたいだが、まだ話の途中ではあるので、明日また返事が返ってくるかもしれない。


しかし、俺が「あの」井上さんと連絡先を交換して、やり取りをしているなんて。

今でも夢をみている気分だ。


「ドッキリじゃないよな、これ……」


そんな独り言を呟いて、俺も今日は寝ることにした。


人生何があるかわからないものである。

あの遠い存在で、俺とは無縁の世界にいると思っていた井上さんとこうやって知り合えて。


今日の「小さな一歩」は、俺の何かを変えてくれる「大きな一歩」のような気がした。

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