第148話


 ※ 三人称視点



 青い血肉の洞窟で、聖女ラミトは最後の『外なるもの』を仕留める。


 いつの間にか大量に湧き出た『外なるもの』を、ラミトは一心不乱に殺して回っていた。


「次はッ……!」


 死んだ『外なるもの』の残骸が、青い血肉に混じって至る所に散らばってる。


「もういないみたいですねぇ」


 緊張感のない間延びした声が響く。


 その声にラミトが振り返ると、異様に美しい少女の姿があった。


 人の形を取った『外なるもの』、ユーティだ。


「契約ですからねぇ、お願いがあるならどうぞぉ」


「もう、お前に頼む事なんてない……!」


 ユーティを睨み付け、後ずさって距離を取るラミト。


 そんな彼女の姿を見て、ユーティは優しげな笑みを浮かべて歩み寄ろうとする。


 ユーティが一歩進むと、ラミトは一歩下がった。


「でも、ここから出る方法、分からないでしょう?」


「…………」


「私にお願いしてくれれば、助けてあげますよぉ?」


「……黙れ、必要ない」


 青い肉がラミトの背を受け止め、血に染まる。


「教えた異界の魔術、使いましたよねぇ? 役に立ったでしょう?」


「うるさいっ!」


「この異界に関する知識も教えてあげたのに、つれないですねぇ」


 ユーティは肉壁のせいてこれ以上下がれないラミトの頬に手を添える。


「さ、触るな!」


 ラミトは腕を振るってユーティを振り払おうとするが、腕はユーティの体をすり抜ける。


「なっ、どうなってる!?」


「さぁ、どうなってるんでしょうねぇ?」


 混乱するラミトをじっと見つめ、鈴の鳴るような声で笑うユーティ。


 ユーティの手は確かにラミトに触れてるのだが、ラミトからは一切触れることができない。


「もう二つも私にお願いしておいて、今更ですよねぇ」


「ぐぅ……」


「契約で私からも二つお願いする権利ありますけど、こっちからのお願いには沢山制約かけたじゃないですかぁ。もう一個くらい増えても誤差ですよぉ」


「そんな甘言が私に通用すると思うな……!」


 ユーティがラミトを可愛がっていると、青い血肉の洞窟に異変が生じる。


 青い肉が裂け、血が滝のように流れる。


「そろそろこの異界も壊れますねぇ……このままここに居ると、ラミトちゃんの魂は二度と元の世界に戻れなくなっちゃいますよぉ? あの時より、ずっと冷たくて、孤独で、死ぬ事もできずに永遠に等しい時間を彷徨う事になりますよぉ?」


 ラミトは心をへし折られそうになった記憶を思い起こされ、ビクリと体が跳ねる。


「……それがどうした……私を見捨てれば良いだろ」


「震えてますよぉ?」


「……私がここで死ねば、お前に利用されずにすむ……お前が私を利用したいなら、私が頼まずとも助ける必要がある……ここで私が譲歩する理由が無い」


 唇を噛み、気丈にユーティの言葉を拒むラミト。


 必死に己の魂を奮い立たせる彼女の姿に、ユーティは愛おしさが込み上げる。


「――ふふ」


 ラミトの顔を両手で包み込むように抑え、動かせないように固定する。


「は、放せ!」


「確かに私が助けないといけませんねぇ……少し手荒になりますけど、良いですよねぇ?」


 必死に暴れるラミトだが、ユーティに触れる事すらできない。


 徐々に二人の顔が近付いていき……。


「んんんんんんっ!!?」


 ユーティがラミトの唇を奪う。


 そしてラミトの口の中にヌルリとした何かが入って来た。


 舌とは思えないほど太く、長いその何かは、ラミトが必死に歯を立てても止める事すらできず、喉より奥まで侵略してくる。


 ラミトは己の内側に何かが注がれるのを感じていた。


 悲鳴を上げる事もできず、見開いた目から涙が零れる。


 全身から力が失われ、四肢がだらりと垂れ下がる。


 ユーティはラミトを支えるように抱きかかえると、顔を離す。


 舌の代わりに黒い触手がユーティの口から伸びていて、ずるずると戻っていく。


「う……あぁ……」


「大丈夫ですよぉ、夢の中で更に眠れる睡眠薬のようなものですからぁ」


 ラミトの目から光が失われ、ゆっくりと閉じていく。


「こんな……はじ……」


「すいませんねぇ、愛でたいのに愛でられない魂が多かったので、つい」


 貞操観念以外に害のない方法でラミトの意識を奪ったユーティは、彼女を抱き上げると異界の魔術を行使する。


 青い血肉の壁が歪み、ユーティが新たに創造した異界への門が開く。


「この異界を観察してたら、良い拾いものをしましたねぇ」


 上機嫌に独り言を呟きながら、青い異界から脱出するユーティ。


「私も魔道脊髄を使って自分用の異界作れましたからねぇ。クタニアちゃんが拠点の魔導脊髄をこの異界に侵食されないようにしてたおかげですねぇ」


 ユーティは聖女ラミトを眷属化するつもりはない。


 神々と縁のある魂に、安易に手を出すと痛い目を見ると学習したからだ。


 だから契約という形で使徒や聖女を利用する方法を考えていた。


 相手が契約神の聖女だった為、この計画が想定以上に上手く行った事をユーティは喜んだ。


 布石は多ければ多いほど良いのだから。






 大量の枯れ木のような『外なるもの』が徘徊する大教会。


 ソノヘンニールと聖女フィロフィーヤは息を殺し、大教会の二階の空き部屋に隠れていた。


 外は雨。


 カーテンを通して窓から入る光は、余りに心もとない。


「(走る振動は伝わってこない……近くに居ないならしばらくは休めますかね)」


 一息つくソノヘンニールだが、フィロフィーヤは顔面蒼白で震えていた。


「今のところ、近くにあの怪物は居ないようです」


「あ……は、はい……」


 落ち着かせるように声をかけるソノヘンニールに対し、反射的に答えるフィロフィーヤ。


 しかし落ち着く事はなく、俯いて焦点の合わない瞳をキョロキョロと動かし、浅く呼吸を繰り返す。


 しばしの沈黙の後、フィロフィーヤが口を開く。


「あ、あれが、『外なるもの』……なんでしょうか?」


「恐らく、そうだと思います」


「あんな恐ろしい光景……生まれて初めて見ました……うぇ」


 聖堂での惨事を思い出し、えずくフィロフィーヤ。


 これまで人の死に触れる経験が少なかった彼女には色々と辛いものがあった。


 聖女と言えど人の子だ。


 彼女の年齢を考えれば、ごく普通の反応だと言える。


 ソノヘンニールもそこは理解していた。


「(どう声をかければ……聖女様相手に、子供のように接する訳にはいきませんし……)」


 しかし相手の立場がソノヘンニールを悩ませる。


 結局、フィロフィーヤが落ち着くまで待つしかできなかった。


「……あ」


 フィロフィーヤが不意に声を漏らし、顔を上げる。


「どうかなさいましたか?」


「ここ、危ないかもしれません……」


 フィロフィーヤの言葉を聞き、ソノヘンニールは警戒を強める。


 次の瞬間、扉が強く叩かれる。


「(いつの間に……!? 足音はなかったはず……)」


 叩く音は次第に大きくなっていき、扉が悲鳴を上げ始めた。


 ソノヘンニールは冷静に扉から伝わる振動を分析する。


「(扉前に三体……近寄ってくる音が五……いや六に増えた。正面突破は不可能。となると窓から逃げるしかありませんね)」


 ソノヘンニールが窓に近付こうとした時、フィロフィーヤが彼の腕を掴む。


「そ、そこも……」


 危ない、と言おうとした矢先に、窓を割って何かが侵入してきた。


 ソノヘンニールは考えるより先に侵入者を殴りつける。


 枯れ木のような侵入者は粉砕され、破片となって部屋に飛び散った。


「ど、どうすれば……」


「聖女様、まだ窓は危険ですか?」


「あ、はい、でも扉はもっと危険で……ど、どうすれば……!?」


 部屋の出入り口は扉か窓しかない。


 絶望するフィロフィーヤだが、ソノヘンニールは諦めない。


「なら、新しく作れば良いのです」


 ソノヘンニールは魔力を纏った拳を振り上げ、床を殴りつける。


 一発目で亀裂が入り、二発目で床が陥没し、三発目でとうとう床が崩れた。


「行きましょう! 舌を噛まないよう注意してください!」


 視界の隅で枯れ木のような破片が消えたのが見え、急ぐソノヘンニール。


 唖然としているフィロフィーヤを抱え、ソノヘンニールが床に空いた穴から下の階へと飛び降りる。


 着地の衝撃を魔法で分散させ、周囲を素早く確認する。


 敵が近くに居ない事が分かると、ソノヘンニールはフィロフィーヤに問う。


「聖女様、危険が迫る感覚というのはありますか?」


「う、上から……あと下にも何かが……」


「分かりました」


 ソノヘンニールは聖女の持つ感覚に従って逃げる。


「右以外から……正面以外に……あの、これ、追い込まれてる気が……」


「では、そこの部屋の天井を抜かせて頂きましょう」


「えっ……あ、確かにそれなら大丈夫かもしれませんけど……」


「非常事態ですので」


 フィロフィーヤの危険に対する予感は極めて正確で、二人は見事に逃げ続ける。


 フィロフィーヤ自身、今まで気付かなかった能力が開花しつつあった。





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