第144話
※ 三人称視点
魔力を動力にして動く様々な設備の停止。
そして教会自治領の至る所で発生した魔物。
これらの出来事は、自治領全域で大きな混乱を巻き起こした。
リュアピィを始めとする一部の冷静な人達は、魔物の発生には高濃度の魔力が必要で、自治領全域の魔力設備が止まった事から魔導脊髄に問題が起きたと推測する。
だが問題が分かったとしても、対処できなければ状況は悪化する一方だ。
魔導脊髄から魔力が漏れるようになった原因を排除しなくては、いくら治しても意味が無い。
とは言え何の情報もなく、原因不明では打つ手が無い。
結局、今の段階では目先の問題に対処するしかなかった。
冷たい雨が降りしきる中、傭兵や聖騎士は目の前の魔物を排除し続ける。
彼らがどんなに魔物を倒しても、次から次へと新たに発生してくる。
最早、教会自治領に安全地帯は存在しなかった。
仮に結界や障壁を張ろうと、足元の地面が魔物になってしまっては、逆に自分達の逃げ場を断ってしまう。
しかし、これだけの状況にありながら、一般人への被害は少なかった。
自治領の一部地域を縄張りとする各傭兵団は、世界的に見ても上位に位置する。
彼らの存在の大きさが、この一件を通して明瞭になっていく。
商店街に目を向けてみれば、傭兵団『黄金郷』が魔物を蹴散らしていた。
彼らは皆、黄金に輝いている。
身に纏う装備も、皮膚も、目や口の中すらも。
瞳を動かし、声を上げ、連携を取って動くその姿から分かる通り、彼らは黄金の彫像ではない。
レドリッチの魔法によって黄金化した『黄金郷』の傭兵達だ。
魔物の牙も爪も刃も、その黄金に傷一つ付けられない。
彼らが黄金の剣を振るえば、金属が変異した魔物であろうとケーキよりも簡単に両断される。
「ヌフハハハハ! その調子ですぞォ! 流石はワタクシの兵団ッ!」
その黄金の兵団を指揮する団長、レドリッチは一際高い建物の上から団員達に指示を飛ばしていた。
一般人を手厚く保護する一方で、不仲であったり、思う所のある商店に対しては守りを薄くするよう密かに命じていた。
「(商品が魔物化したのは痛手でしたが、この非常事態は宣伝のチャンスでもありますなァ。一般人に見せるイメージ戦略としては強くて頼りになる傭兵団。商人からは……)」
今後の展望を見据える余裕すら見せ、黄金の兵団は圧倒的な戦力差で魔物を粉砕していく。
他の傭兵団が担当する地区も同じように、魔物による被害は最小限に抑えられた。
大教会は教皇ロフェトの権能により、備品や建造物の魔物化は抑えられていた。
聖堂に集まった聖職者達は身を寄せ合い、事態が収束するまで待つ事にした。
魔物化は抑えられたが、魔力で動く設備は全て停止したままだ。
その為、光を取り入れられない奥まった場所は、深い暗闇に包まれている。
ソノヘンニールはそんな暗い通路を、アリドからの頼みに応えるために突き進む。
イルカの魚人である彼は、魔法と組み合わせる事で地上でもエコーロケーションが使える。
難なく地形を把握して、記憶を頼りに大教会の奥を目指す。
「そこに居るのは誰ですか?」
か細い声がソノヘンニールの耳に届く。
彼はその声に聞き覚えがあった。
「司祭のソノヘンニールです。太陽神の聖女様」
太陽神の聖女、フィロフィーヤ。
カナリアの鳥人である彼女は、当然ながら暗い場所では何も見えない。
「ああ、良かった……暗くてどうしようかと……」
「……その、失礼ですが、魔法か魔術は?」
「お恥ずかしい事ですが、私は魔力に乏しくて……それと明かりが欲しいというだけで、太陽神様のお力を借りるのもどうかと思い……」
「それは……配慮が足りぬ質問をして申し訳ありません」
「い、いいえ! これは私の未熟さ故ですので、どうか謝らずに」
ソノヘンニールは魔術を使い、灯りを生成する。
「あ……ありがとうございます」
「いえ、人として当然の事をしたまでです」
ほっと息を吐くフィロフィーヤの様子に、ソノヘンニールは頭を悩ませる。
アリドの頼みを急ぐべきか、彼女の護衛を務め、安全な場所に送り届けるか。
「しかし、ソノヘンニールはなぜここに?」
「ハーゲンディ様を探していたのです」
「そうですか。けど教会には居ないと思います」
「分かるのですか?」
「ええ、あの方の気配は分かり易いので……たぶん、町の上空に居ます」
入れ違いになったソノヘンニールは、人命の方が大切だと己を納得させる。
「それで、何があったのでしょうか? 不穏な気配は感じていたのですが……」
「簡潔に言うと、全ての魔導設備が機能停止し、大教会内……いえ自治領全域で魔物が発生しました。現在、教皇猊下の御力で教会内は鎮静化しております」
フィロフィーヤは、ソノヘンニールの言葉に大いに驚く。
「確かに猊下の御力を感じました。そんな事があったのですね……」
「とりあえず、安全な場所まで移動しましょう」
「そうですね。何かお力になれれば良いのですが」
ソノヘンニールは踵を返し、人の集まる場所に目的地を変更する。
そして一歩踏み出した瞬間、急に後ろからフィロフィーヤに引っ張られた。
「ぐっ!?」
ソノヘンニールが先程まで居た場所に、枯れ木のような肌の、人に似た生物が現れる。
それを見た瞬間、フィロフィーヤの背筋が凍り付く。
「(なにあれ、怖い……怖い、怖い、怖い、怖い!)」
全身が麻痺したように動かなくなり、呼吸ができなくなる。
対して、その生物を『外なるもの』と認識したソノヘンニールの行動は早かった。
「フンッ!」
衝撃の魔法を伴う拳が『外なるもの』を粉砕する。
「御無事ですか!?」
「あ……ま……」
ソノヘンニールは、フィロフィーヤが動けない事を悟ると、素早く決断する。
「失礼します!」
彼女を抱きかかえ、その場から離れる事にしたソノヘンニール。
結果として、その判断は的確だった。
ソノヘンニールは、エコーロケーションによって粉砕したはずの『外なるもの』の体が消えた事を把握する。
その後、別の場所に現れた事も。
「(消えたと思ったら急に現れた……高速移動ではない。しかも再生されている。いったいどういう仕組みだ?)」
「ま、まだ……まだ……」
「(まだ……? 『まだいる』?)」
腕の中でたどたどしく喋るフィロフィーヤの言葉に、嫌な予感を覚えたソノヘンニールは魔法による知覚能力の拡大を最大限に行う。
「(魔力の波が途切れる、いや無くなってる場所がある……避けるべきか)」
ソノヘンニールは直感に従い、魔力が反響しない空間を避けて走る。
横を通り過ぎるタイミングに合わせて、その場所に枯れ木のようなヒトモドキが現れた。
「(私と同じ場所に現れようとしている……?)」
二体のヒトモドキを振り切って逃げ出したソノヘンニールは、聖堂を目指す。
協力するにせよ、避難するにせよ、放置すべきではないと判断した。
だが、聖堂に到着すると、そこは既に地獄と化していた。
悲鳴と怒号、笑い声と嬌声、溶け合い混ざり合って、小山のように大きくなった人肉の塊から、生える人の頭の群れが叫び声を上げている。
生えているのは頭だけではなく、手や足もある。
手から手が生え、どこまでも伸びて逃げ惑う聖職者の足を掴んだ。
「だ、誰かぁ! たすっ、たすけっ!」
その言葉が最後まで発される事はなく、肉塊の中へと引きずりこまれる。
次から次へと肉塊は伸びる手で聖職者を掴み、取り込み続ける。
「猊下! どこですか猊下ァ! あっ、離しっ、嫌だああああ!」
「神よ、どうか我々を御救い下さい! どうか、どうかどうかどうかああああ!」
ソノヘンニールも、フィロフィーヤも言葉を失っていた。
どうしてこんな事になっているのか、まるで分からなかった。
フィロフィーヤは完全に放心して、頭が真っ白になってしまう。
ただソノヘンニールは、後ろから追ってくる敵が居る事、あそこに飛び込んでも無駄死になる事の二点だけは分かっていた。
「(体を粉砕しても再生された。私では殺し切れない。限界はあるかもしれないが、聖女様があの化け物に取り込まれるリスクを負えない)」
ソノヘンニールは一人でも多くを助けたいと思うものの、苦渋の判断で逃げる事にする。
肉塊から無数に生える頭の目につかぬよう、身を引くして聖堂の端を走る途中、地鳴りのような音と共に周囲が暗くなっていく。
なんとか外に逃げおおせた聖職者達が、聖堂の大扉を閉じようとしていた。
「(まずい!)」
どう急いでも間に合わないと判断したソノヘンニールは急ぎ柱の陰に身を隠す。
大扉が閉じると、逃げ遅れた聖職者が扉を必死に叩いて絶望の叫びを上げる。
ソノヘンニールが逃げてきた通路から追いついた枯れ木のようなヒトモドキは、大扉に群がる人の山に顔を向けると、そちらに向かって走っていく。
息を殺し、もう一度通路へと戻るため移動を開始する。
エコーロケーションも魔法も使えない。
あの肉塊の中には様々な人種が取り込まれている。
ソノヘンニールは、それらを使えば気付かれるだろうと判断した。
あと十メートル。
大扉方面からの悲鳴はまだ続いている。
あと五メートル。
悲鳴が止み、肉が潰れ、液体が滴るような音が聖堂に響く。
通路の入口に到着した。
ソノヘンニールは振り返らなかった。
だが、フィロフィーヤは人肉の塊へと目を向けてしまう。
この世界では、視線や気配に敏感な人種が居る。
当然、肉塊に取り込まれた人の中にも、それは居た。
頭の一つと、フィロフィーヤの視線がぶつかる。
「ふぃろふぃーや、さま」
声を聞いた瞬間、ソノヘンニールは振り返らず走り出す。
肉塊は大きすぎて通路の中に入れない。
だから、枯れ木のようなヒトモドキが、二人を追いかけてきた。
そのヒトモドキの数は、全部で五体。
ソノヘンニールは、ふとアリドと作戦を立てた時の事を思い出した。
「(まず勝利条件があるかどうかが肝心……)」
自分でも、抱えている聖女でも敵わないなら、アレを倒せる人に任せるしかない。
ソノヘンニールの頭には、アリド、ハーゲンディ、教皇ロフェトの三人が浮かぶ。
「(アリドさんは恐らく来ないし、来れない。ハーゲンディ様は町で人を助けているはず。解決まで戻らない可能性が高い。猊下が来てくだされば解決するはずだが、来ないという事は足止めされている可能性が高い……しかし永遠に足止めはできないはず。ならばここは、逃げ続けるしかない)」
やるべき事を決めたソノヘンニールは全力で逃げ続ける事にする。
それが勝算になると信じて。
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