第142話


 ※ 三人称視点



 暇を持て余していたクタニアは、本を読み耽っていた。


 本と言っても、学術書などではなく、大衆向けの娯楽としての本だ。


 自室のベッドの上で寝転がり、ペラペラとページを捲っていく。


 ベッドの脇には読み終わった本が山のように積まれていた。


 これらの本の持ち主はナッツィナで他界しており、副団長のカフィードが暇そうにしている彼女に「退屈しのぎにどうか」と奨めたものである。


 娯楽本はクタニアにとって新鮮味に溢れるもので、それはもうのめり込んでいた。


「クタニア様、食事を取ってきました」


「んー」


 時刻は正午。


 昼食を取りに行っていたアルシスカが戻って来たが、本に夢中になっているクタニアは顔を上げもせず生返事で答える。


 雪崩を起こしそうな本を見て、アルシスカはクタニアに聞こえぬよう溜め息を吐く。


「クタニア様、そろそろ休憩しましょう。朝からずっと読み続けてますよね」


「んむー」


 クタニアは肯定とも否定とも取れない返事をするが、顔が本から離れる事はなかった。


 足をゆらゆらと動かしているが、特に意味があるとは思えない行動だ。


 むしろ服が捲れ、素足や白い柔肌がチラ見えする始末。


「…………」


 流石のアルシスカも、どうにかした方が良いと思い始める姿だった。 


 聖女として気を張っていた頃と比べると、今のクタニアはただ浪費するだけの無職のようだ。


 とは言え、部屋から出なくても結界や聖域を展開できるので何の役にも立たない訳ではない。


 現に今居るこの拠点は、彼女によって悪意あるものから守られている。


 団長であるガザキから頼まれている事でもあり、クタニアは部屋に引き籠る大義名分を得ていたのだった。


「(しかしナッツィナに居た頃から運動不足気味な状態が続いている……)」


 アルシスカの懸念の通り、クタニアの腹部はぽっこり丸みを帯びてきている。


「クタニア様……」


「ん?」


 声のトーンが下がったアルシスカに、クタニアもただならぬ雰囲気を感じたのか反応を示す。


「昼食を終えたら、少し運動をしましょう」


「――――え?」


 クタニアは目を丸くして驚き、固まってしまう。


「運動を、しましょう」


「な……何を言ってるの? どうして、そんな事をする必要が……」


 アルシスカは無言でクタニアに歩み寄り、脇腹の贅肉を摘まむ。


「や、やめ……!」


「クタニア様、最近ふと……」


「言わないで!?」


 本を手放し、体を回転させてアルシスカの手を弾いた後、勢いのままに毛布を掴んでミノムシのように身に纏う。


 アルシスカでも今まで見た事もないような機敏な動きだった。


「うぅ……酷いわアルシスカ。アリドだってそんな事言わないのに……」


「いや、アイツ合理性の塊みたいな所ありますから、体力に問題が出るって気付いたら絶対言ってきますよ」


「そんなこと…………確かに言ってきそう」


「協力者として、聖女として、体面を保つために少しずつで良いので動きましょう」


 アルシスカの説得に、毛布から顔だけ出すクタニア。


「……お昼の量減らせば、別に動かなくても良いのでは?」


 そこまで運動が嫌なのか、抵抗の意思を見せるクタニア。


「食べずに痩せたら余計に体力が衰えますよ……あと食べずに運動しても体力が付きにくいので、ちゃんと食べてください」


「うぅ……」


 クタニアは毛布の中で自分の腹を揉んで、確かに肉が付いたと思う。


 そしてお腹が鳴り、とても空腹な事に気付いた。


 美味しそうな昼食の匂いを嗅げば唾液が溢れてくる。


「(嗚呼、お腹いっぱい食べて、本を読むだけの生活を続けたい……)」


 駄目な所がアリドに似てきたクタニアであった。


 クタニアが毛布から出て昼食を食べていると、不意に違和感を覚えて顔を上げる。


「……ん……外?」


「クタニア様、外がどうかしました?」


「むぐ……もぐ……」


「……私が見てきます」


 外が気になるのに食事する手を止められないクタニアに代わり、アルシスカが窓に近付き外を確認する。


 雨が降り出してきていた。


 それだけならクタニアが気にするはずがないと、アルシスカは目を凝らし、注意深く窓から見える景色を観察する。


 良く見ると、街灯が妙に青ばんでいる。


 明かりが灯る部分から、何か青いものが滲み出ているようで、それが雨水に溶けて混じり街灯を青く染めているようだった。


 今は光っていないため目立たないが、夜になればはっきりと分かるだろう。


 アルシスカが、振り返ると一息ついたクタニアが口を開く。


「何か見つかりました?」


「街灯から青い何かが滲み出てますね。雨に溶けて流れてます」


「なるほど、外に出ない方が良さそうですね!」


「……そうですね、運動は後日にしましょうか」


 クタニアは食事を再開しつつ、考える。


 運動をせずに済んだ事を喜ぶべきか、不穏な気配を憂うべきか。


 それと違和感の正体、青い何かは地下から来ている事に気付いた。


「(まあ、何とかなるでしょう)」


 クタニアが楽観的な理由は二つある。


 一つはその何かの侵入を防げている事。


 もう一つは死の気配をあまり感じていない事。


 ナッツィナの時と比べると、天と地ほどの差がある。


 アルシスカもクタニアが焦っていない事から、何かは起きているが、大事には至らないだろうと判断する。


「ですが最低限、自衛できるだけの準備は整えておきましょう」


「アルシスカ、お願いします」


「クタニア様、運動はしなくても良いですが、働かなくて良いとは言ってませんよ?」


「……はい。食べ終わったら、頑張ります」


 緊張感に欠ける二人だが、拠点を安全地帯にする仕事は完璧にこなす。


 その後二人は教会と傭兵とアリドが上手く対処するだろうと思い、問題が片付くまで拠点で待つ事にした。






 その男は焦っていた。


 暗い殺風景な部屋で一人、椅子に座ったと思えば、すぐに立ち上がり部屋をうろつく。


 また座り、貧乏ゆすりをしながら唇を噛みしめ、また立ち上がる。


「クソッ、どうすれば……」


 悪態を吐くこの男は、トークンと名乗った魔法の分身を操っていた男だ。


 三度に渡る分身作成で魔力を切らした彼が部屋をぐるぐると歩き回っていると、唐突にけたましい音が鳴り響く。


 音を出す物体の正体は、アリドの前世で言う所のだ。


 この世界の技術ではまだ作られていない、作る事もできない――つまり、世界の外から持ち込まれた知識によって生み出された機械である。


『やあブレイブ、調子はいかがかな?』


 受話器を取って耳に当てれば、ノイズ混じりの声が聞こえてくる。


「……その声はパンクスか、計画は失敗だ! マスターテリオンに繋いでくれ!」


 ブレイブと呼ばれた男は焦燥感溢れる声で叫ぶ。


 当然ながら、彼らの呼び名は本名ではなくコードネームだ。


『その事なんだけどね、マスターテリオンから伝言があるんだ』


「なに!?」


 ブレイブは受話器に耳を押し当てて、一言一句聞き逃さないよう注意を払う。


『作戦に貢献してくれた君には、一足先に新世界に行く権利を与えよう……■■■■■』


「へ?」


 その間抜けな声が、男の最期の言葉になった。


 受話器の向こう側から、鍵となる異界の言葉が紡がれ、電話に仕込まれていた『外なるもの』を招来する為の門が開く。


 同時に男の居る部屋は異界に取り込まれ、壁、床、天井の全てが青い血肉に覆われる。


 そしてブレイブと呼ばれた男は、枯れ木のような肌をした歪なヒトに似た『外なるもの』へと変貌していた。


 彼は生贄にされたのだ。


 傭兵や聖騎士に捕まっても、口を割らないように。


 ブレイブを贄に新たに召喚された『外なるもの』は、本能に従って他の知的生命体との同化を目指し、活動を始める。


「…………?」


 ふと『外なるもの』は、今居る異界が壊れかけている事に気付いた。


 早く外に出なくては――そう判断して『外なるもの』は出口を目指す。


 道すがら、知的生命体の存在を感知した『外なるもの』は、より優先される本能に従い相手を探そうとする。


 しかし探すまでもなく、相手からやって来た。


 その相手とは、この異界に取り残されていた聖女ラミトだ。


 彼女は足を止めた『外なるもの』に対し突撃して拳を叩き込む。


 ラミトの一撃は『外なるもの』の枯れ木のような体を砕き、更には本体である見えざる体を引き裂いた。


「…………!?」


 砕けた体が消え、離れた場所に五体満足で現れるが、現れたと同時に腕や足がもげてしまう。


「……効いてる」


 それを見たラミトは獰猛に笑う。


 慈悲の欠片もない、狩りをする獣のように。


「言われた通りだ」


 彼女は爪を伸ばし、魔力を纏わせ、夢想を現実のものとする。


「この狂った場所ごと、壊し尽くしてやる……!」


 その魔力には、暗い虹色が混ざっていた。






「……というわけで、ブレイブの口封じは済みました」


 パンクスと呼ばれた男が、電話を通して報告をしていた。


「はい……はい……ええ、異界も損傷が激しくなっていて……そうですね、あの異界は魔導脊髄の魔力を依代にしてますから……そう、異界が壊れたら魔導脊髄も連動して壊れて、自治領全域の魔力の流通が一時的に止まります……ではプラン三で。はい、全ては仰せの通りに、マスターテリオン」


 彼らは一つの目的達成の為に、多重の作戦を設けていた。


 ブレイブの失敗も、異界の崩壊も織り込み済みで、表面化していないだけで複数の作戦が同時に進行しているのだ。


 ブレイブの作戦が上手く行った場合、進めていた工作は他の作戦の布石となる予定だった。


 受話器を降ろし、パンクスは溜め息を吐く。


「イレギュラー要素一つで全体の流れは変わらない……」


 今回は作戦は成功する。


 それは間違いないとパンクスは確信している。


「けど、軽視はできない」


 彼らにとって、必要以上の損害が出たのは間違いないのだ。


 特にブレイブを口封じのためとはいえ、犠牲にするのは痛手であった。


「早急に対策が必要だな……」


 報告を終えたパンクスは素早くその場を離れる。


 そして何食わぬ顔で事件の渦中へと戻った。





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