第136話
※ 三人称視点
孤児院に一人の人影が訪れる。
黒い祭服に身を包んだ男だ。
その男は孤児院の広場にシスターが居ない事を確認してから、そこで遊んでいる孤児の一人に近寄る。
子供達はその男に見覚えがあったからか、特に警戒をしなかった。
「あの人、見た事あるけど、誰だっけ?」
「シスターと良くお話してる人。名前は知らない」
そんな話をしてる子供達に近付いて来た男が口を開く。
「やあ、こんにちは。私の名前はトークンというんだよ」
にこやかに微笑をたたえてトークンと名乗った男は、ふと真面目腐った顔になると、声を潜めて、まるで秘密を告白するかのように言った。
「実は……聖女ラミト様、つまり君たちのお姉ちゃんが大変な事になってるんだ」
トークンの言葉に子供達は驚いて、口々に不安を零す。
「お姉ちゃんが? どうなってるの?」
「おじさん、何があったかもったいぶらずに教えてよ」
「嘘でしょ? 私信じないよ」
泣きそうな子、興味津々な子、強がる子……反応は十人十色だが、誰もがラミトの事を気に掛けていた。
それを見た黒い男は内心でほくそ笑む。
「ねえ、僕達に何かできる事はない?」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、トークンはそう言った少年の方を向く。
そしてさっきよりも声を抑えて、口元に手を添えてひそひそと子供達に告げる。
「実はね、今日はその事で君たちに頼みがあって来たんだ……」
子供達は真剣な顔でトークンの話に聞き入った。
青い血肉の洞窟にて、ラミトと『外なるもの』の戦いは続いていた。
肉体的な疲弊が関係ないこの異界にて、ラミトは疲れ知らずで戦っている。
一方で『外なるもの』はいつまでも攻撃が当たらない事に疑問や疲れが生じていた。
嫌気が差しているが、獲物がラミトしか残っていないため『外なるもの』は仕方なく相手を続けている。
だがその戦いは唐突に終わりを迎えた。
ラミトは『外なるもの』の姿が消えた後、素早く距離を取るが、獣の直感と言う名の危険予知が働かない事に違和感を覚える。
再び『外なるもの』が姿を現した時、奴はラミトから離れた位置に出現した。
そのまま凄まじい速度でどこかへと走り去っていく。
「なっ、まっ、待て! 逃げるな!」
ラミトの叫びを無視して『外なるもの』はあっという間に見えなくなった。
急いで追いかけるものの、縦横無尽に入り組んだ洞窟を『外なるもの』がどこをどう通ったのか、皆目見当もつかない。
出口の分からない不気味で陰鬱な洞窟に独り残されたラミト。
「くそっ、敵はどこへ……」
怒りや敵意の矛先がなくなり、現状に意識が向いた事で別の感情が湧き出す。
「私はどこに行けば……そもそも、ここはどこだ……?」
契約神との繋がりも薄れ、不安が鎌首をもたげる。
「一体、私はどうすればいい……?」
それでもしばらくの間、当てもなく走り続けるが、いつまでも変わらない光景に、やがて足を止めて立ち尽くしてしまう。
トークンは言葉巧みに子供達を誘導して、例の
「いいかい、今から君たちに教えるのは、小さい神様を呼び出すとっておきの儀式だ。あまり沢山の人に知られてはならない、秘密の奇跡なんだよ」
そう言ってシスターと子供達を分断して、トークンは秘密の奇跡と
「どうして小さい神様なの? お姉ちゃんが信仰してる神様じゃ駄目なの?」
「大きい神様を呼び出すのはとっても難しいんだ。それこそ聖女様や使徒様でないと呼び出せない程にね。だから私達は身の丈に合った神様を呼び出すんだよ」
「おじさんは普通の人なの?」
「……ああ、そうだよ。私は特別じゃあない。神というのは、努力や才能で聖女様や使徒様を選ぶ訳じゃないからね」
「わたし知ってる! お姉ちゃんが言ってた。神様は私達の心や魂を見てるんだって。だから嘘をついたり、悪い事すると天罰が下るんだって」
子供達の純粋な言葉を受けて、黒い男の目の奥に暗いものが宿る。
それに気付かれぬよう目を細め、トークンは本来の目的を果たすべく子供達に話しかける。
「さあ、それじゃあ実際に小さい神様を呼び出してみようか……聖女様の為にもね」
トークンは努めて明るい声で子供達に儀式を始めるよう促す。
「はーい!」
純粋な子供達は善意や好奇心から、あるいは特に理由もなく、教わった儀式を実行する。
複数の金属板を連ね、組み合わせる事で一つの巨大な紋様を描いた。
トークンは低く唸るように声を震わせ、この世界の言語ではない言葉を紡ぐ。
すると紋様が怪しく輝き出し、景色が歪んだと思うと、歪みの中心にぽっかりと黒い孔が開く。
子供達が目の前の光景に驚き、興奮してはしゃいでいると、孔の中からソレが出てきた。
ソレは枯れ木のような皮膚をしたヒトのようで、顔には目と口を思わせる歪で不揃いな黒い穴が空いていた。
「……え、なにあれ?」
「変なの……本当に神様?」
現れた異形を前に、子供達が不安を覚えると、唐突にソレの姿が搔き消える。
子供達は勿論、トークンも慌てて周囲を見渡すが、どこにも居ない。
数秒が経って、子供の一人が悲鳴を上げた。
「痛い、痛い! 痛い痛い痛い痛いいいいいい!!」
「おい、どうし……ひっ!?」
その場に居た面々が悲鳴の元に目を向けると、子供と異形が混ざった姿があった。
左右の肘から腕が二本、子供のものと、異形のものが生えていた。
頭は子供の右目と、異形の左目に相当する穴が合わさって、目玉がだらりとぶら下がり、本来なら目玉の奥にある神経などが丸見えになっている。
股から生える四本足は長さが不揃いとなり、バランスを取るためその場で足踏みを繰り返す。
きっと服の下も酷い事になっているであろう事は易々と想像できた。
「う、うわああああああああ!?」
「逃げろ!」
「ねえ開かない! なんで!? ドアが開かないの!」
泣き喚きながらも子供達は必死に部屋から逃げ出そうとするが、扉はトークンによって施錠魔術が施されていた。
秘密を守るためと言えば、子供達は誰も疑わなかったのだ。
当然、防音も完備されている。
「おじさん! ねえ、アレどうにかしてよ! ねえってば!」
一人の子供がトークンに詰め寄るが、黒い男は座ったままピクリともしない。
「ねえ!? どうして何も言わな――」
両肩を掴み、思いっきり揺さぶると、黒い男は力なく倒れた。
まるで操り人形の糸が切れたかのように、四肢を投げ出し、能面のような表情で。
「――うそ……なにそれ、なんで?」
次の悲鳴が上がる。
頭が三つに増えた。腕が、足が六つに増えた。
枯れ木のような異形の皮膚がほんの少し明るい色に変わって、亀裂のような皺が少し浅くなる。
閉ざされた部屋の中で、次々と子供達が『外なるもの』に取り込まれていく。
悲鳴と断末魔が部屋を満たし、その声は数秒おきに一つずつ減っていく。
最後の一人が混ざった辺りで、トークンの体は空気に溶けるように消えた。
時間経過で薄れて行く施錠魔術を残して。
孤児院のシスターが、いつの間にか子供達の姿が見えなくなっている事に気付いたのは、朝の家事を終えてからだ。
いつもなら家事中に子供の声が聞こえてくるものだが、今日はやけに静かだ。
「メスコラーレ、エモリーレ……どこに行ったのー?」
シスターは年長者の子供の名前を呼びながら、中庭、子供部屋、厨房や倉庫を調べるが、誰も居ない。
孤児院に務めてから初めての異常事態に焦りが生まれる。
「誰か……! 誰でも良いから返事をして!」
収まらない胸騒ぎと嫌な予感に突き動かされるように、残る魔除け製作の作業部屋の前に着く。
普段この部屋には鍵をかけていて、既にちゃんと鍵かかかっている事を確認したはずだった。
シスターが扉の鍵を開けようとすると、鍵がかかってない事に気付いた。
だがドアノブを回して、押しても引いても扉は開かない。
「どうして? どういうこと!?」
扉を叩き、シスターは必死に声を上げる。
「みんな、中に居るの!? 返事をして! お願いだから!」
シスターの必至の叫びに対する返答は……あった。
「しすたぁー、しすたぁー」
「おなか空いたぁー」
「さむいよぉー、くらいよぉー」
妙に緊張感のない間延びした声が聞こえてきた。
それでも聞き覚えのある声に胸を撫で下ろすシスター。
「中で何をやってるの? 開けてちょうだい、怒らないから……」
「あけてぇー? あけてぇー」
「ここをぉー回すのよぉー」
聞こえてくるのは子供の声のはずなのに、どこか違和感がある。
シスターの嫌な予感と胸騒ぎは収まらない。
ドアノブが回る。
ガチャガチャ、ガチャガチャ、ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ――。
「あかないよぉー……しすたぁー、あかないよぉー」
部屋の内側から扉が叩かれる。
それは子供が叩いてるような音ではなく、重い鈍器を叩きつけるような音。
肌で感じられるほどの大気の振動が内臓を揺らす。
シスターは部屋の中に居るのが本当に子供かどうか分からなくなってしまった。
ただただ冷たい恐怖が背筋を貫き、正気や理性といったものが削られていく。
「しすたぁー、あけてぇー、しぃすぅたぁああああああああ」
部屋から聞こえる複数の子供の声が重なり、大合唱の様に同じ言葉を叫ぶ。
シスターは悲鳴を飲み込み、息を殺して徐々に扉から距離を取ろうとする。
じりじりと十数メートルは離れた所で、施錠魔術と扉の耐久は限界を迎える。
扉と周囲の壁が砕かれる音と共に、『外なるもの』が解き放たれた。
舞う煙の向こうに見えるものが明確になる前に、シスターは逃げ出した。
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