第130話
安心とは何か。
辞書で引けば「不安がなく、心が安らいでいること」とでも出るだろう。
要は不安がなくなれば良いのだ。
俺の正体はスライムだし、『外なるもの』はヤバイし、人類は内ゲバがいつどこで起きるか分からんし、不安は尽きない。
この中で、教会が解消できそうな不安が一つある。
「教会が『外なるもの』に関する情報を秘匿せず、一切を公開する事。これが俺の求める一つの安心に繋がるから、報酬はこれが良い」
「その結果、世が乱れる事になってもかい?」
教皇が俺の要求に対して疑問を投げかけてきた。
それに対する回答は簡単だ。
「それでもだ。どれだけ抑えつけても世の中なんてのは結局乱れるものだろう。なんなら『外なるもの』が居なくても人類同士で勝手に乱すだろ」
前世では人の歴史は戦争の歴史だった。
教会自治領に来るまでの間、暇な時間にガザキから傭兵の歴史を聞いていたが、この世界も同様に人同士の戦争がそこそこの頻度で起きている。
「人類同士で潰し合うような事態になったとしても、相手が『外なるもの』に関与しているか、していないかの判断は重要だろ?」
「教会が情報公開をする事で、君は人の本心が分かる様になると?」
「ならんよ。そもそも問題は本心じゃなくて行動だ。仮に敵が精神を操作、又は洗脳できるとしたら、本心なんてものは信用に値しない。本人が心の底から人類の為に動いてると思っていても、実行動が逆だったらそいつは止めなきゃならん」
教皇は僅かに目を細める。
「成程、確かにアリド君の言っている事は合理的だ。しかし合理性だけで人は生きていけないのだよ」
「知ってる。ヒトなんて非合理と不条理の塊だ。感情とか特にな」
「一時の感情が様々な厄災を引き起こすと分かった上で言っているのだね?」
「それは分かってるし、人類は失敗しないと学ばないのも分かってる。傷が浅くて済む内に経験しとけって事だよ。世界の外からの敵性侵略者って人類史上初だと思うし、今の人類は経験も学習もほぼゼロだろ」
混沌神の滅びの予言は、内ゲバが最悪のタイミングで起こる事が条件の一つにある。
だったら先に起こしてしまえば良いという考えはあった。
今まで現実的な起爆剤が思い付かなかったが、今になって現れた。
利用しない手はない。
「君は研究機関が意味が無いと思っているのかな?」
「思ってないよ。ただ、それだけだと間に合わないと思ってる」
「……そうか、君の考えは理解できた」
教皇は目を瞑り、沈黙する。
重くなった空気に、他の教会の面々は誰もが口を開けずにいた。
俺は空気読まずに喋るけどな。
「判断に時間がかかるようなら後にしてくれ。まあ他に話があるならだけど」
教皇がゆっくり目を開き、頷く。
「……ふぅむ、そうだね。では別の話題に移ろうか」
まだあるんだ、
「話は変わるが、死神の聖女が君と共に行動しているらしいね」
「うむ」
正確には聖女とその従者だけどな。
「彼女をここ、大教会に招いて直接言葉を交わしたいのだが、どうだろう?」
「知るか。本人に聞け」
どうとか俺に聞かれても困るわ。
「そうしたいのはやまやまだが、伝手がなくてね、頼めないだろうか?」
「報酬は?」
「善意の協力とかは……」
「傭兵に求めんな」
「君は、本当に理知的だねぇ……」
「褒めても安請け合いはしないぞ」
ゆっくりと細く長く息を吐く教皇。
「ふぅー……よし分かった。では次の話に行こう」
「まだあんの?」
「君の性格も、ちょっと分かってきたよ……」
今度は普通に溜め息を吐く教皇。
「アリド君は混沌神の声を聞く事ができて、使徒を名乗る事を許されている……この認識は合っているかな?」
教皇の言葉に頷きを返す。
正確には声を聞くだけじゃなくて会ってるんだけど、別に訂正は良いか。
「君は混沌神から何か使命や役割を与えられていないかい?」
その質問に思わず首を傾げてしまう。
「特にないのかな?」
俺の反応を見た教皇がそう推測してくる。
ソノヘンさんから聞かなかったのか?
「ん? ……もしかしてソノヘンニール君、アリド君の使命を知っているのかな?」
「あ、はい。本人から、聞いた事がありまス」
ソノヘンさんは若干声を震わせながら答える。
そもそも知っているとすら思われていなかったようだ。
一つ思い当たる所があった。
「ああ、教会の秘密主義が俺にも適用されてると思われてたのか」
「秘密主義とは随分な言いよう……いや強く否定はしないが……」
たぶんそういう環境で育って、そういうのが普通になっているんだろう。
周囲の奴らの反応含め、それが何となく察せられる。
「誰が何をできるか明確に把握してないと作戦に不備が出るだろ、常識的に考えて」
「ふむ……アリド君の考え方は、根本から我々と大きく異なるんだね」
「合わないと思ったら帰してくれて構わんよ」
「いや、むしろ貴重だ。違った視点を持ち、ここまでハッキリ言ってくれる存在は我々に欠如していたものだからね」
なぜか教皇の機嫌が上向きになった。
面倒事の気配が強くなった気がする。
「話を戻そうか。アリド君、混沌神から賜った使命を教えてくれるかね?」
さて、どう説明するか……つっても、既にハーゲンディにはバレてるし今更か。
変に誤魔化さず言おう。
「この世界の生物、物質の因子を可能な限り回収する事。これが俺が混沌神から頼まれた内容だよ」
「……『外なるもの』に関しては?」
「何もないよ」
ソノヘンさん以外、驚いたような反応をする。
察するに、ここに居る使徒聖女の全員は『
「聞き方を変えよう。混沌神は『外なるもの』に関して何か言ってなかったかい?」
「世界が滅ぼされるから、次に向けて因子集める必要があるんだってさ」
「次……そうか、それが混沌神の役割……」
教皇は表情を曇らせ、何かを理解したように呟いた。
混沌神が人類に興味なさそうだと感じたのだろう。
実際興味ないと思うわ、あの神様。
「だがそうなると、アリド君は積極的に『外なるもの』と戦う必要はないのでは?」
「俺だって積極的に戦いたくなんかないんだが?」
「ふむ……どんな理由があって戦っているか聞かせて貰ってもいいかな?」
「色々あって最終的に俺が死ぬことでその仕事は終わるんだけど、俺個人としては死にたくないから『外なるもの』と戦ったってだけだよ」
俺がそう言うと、教皇がふとハーゲンディに視線を向けた。
「嘘は言っておらぬ」
「何? 信じられてないの?」
「神の使命より私情を優先する事が信じ難いのである。吾輩達のような使徒や聖女からすれば尚の事に」
ふーんって感じだな。
神様の使命に一生懸命になるのを笑いはしないし、むしろ尊敬できるが、共感はできない。
「ところで話ってまだあるの?」
「む……ああ、そうだね……アリド君は、魔人をどの程度知っているのかな?」
少し遠い目をしていた教皇が、ハッとなりまた別の話題を振ってきた。
老人の話は長い。
「大して知らない。昔狩られてたってくらい」
「そうか……アリド君も恐らく魔人だろうし、少し話そうか」
スライムです。
でもこの勘違いはありがたいな。
「魔人には二つの段階がある。現代の研究において、魔人は先天的には生まれず、必ず後天的に為るものだ」
そこ言葉を一旦区切って、俺を見る。
「魔人化は必ず、人の中の動植物の因子が高濃度の魔力によって魔物化する事で
「つまり俺は違うと。人間の前例はないの?」
「少なくとも教会の目が届く範囲においては無い」
かなり特殊な例として見られてしまっているようだ。
これは面倒な事になったな。
「人為的に造ろうとかは?」
「それは明確に違法だ……特に人間の人為的な魔人化の研究は、人道から大きく外れた、決して赦されない行いである。子供の骸が積み上がるからだ」
教皇は真剣な声音でそう語る。
被検体が死ぬなら、表向きに研究される事はありえないな。
「話を戻そう……第一段階は先ほど話した因子の魔物化だ。そして第二段階では、成長した魔物因子が人を乗っ取ろうとする」
「どうやって?」
「因子に魔物の魂が宿り、人の魂を追い出そうとするのだ。具体的な感触は言葉にはしづらいのでな、君なら分かってくれると思ったのだが……」
いや知らん……なにそれ……こわ。
「ともあれ、魂同士の戦いで勝利する事で魔人と為る。この状態であれば、人類神は魔人であっても人と判断する」
「負けたら?」
「魔物に堕ちる……そうなると、人類神から見放され、人として認識されなくなる」
なるほどね……しかし、その理論だと俺、魔物側だわ。
「これが現代の魔人に関する知識だ」
「把握……で、そっちから見て俺は魔人で良いの?」
「難しい所なのだが、恐らく君は、魔物と人の魂が混ざった存在なのではないかと推測していてね」
あながち的外れでもないと思う。
俺の中、人も魔物も吸収してきたせいで混沌としてるし。
恐らく魔人、って言ってたし、勘違いでもなかったな。
きちんと俺について考えた末の結論だったわけだ。
「君が仕事で学者の国に行けば、護衛のついでにそれを調べる事もできるだろうと思っていたのだよ」
先にそれを言えよ。
「私の結論としては、君が混沌神の目に留まったのは、そういう理由があるのかもしれないと思ったのだ」
たぶん、恐らく、きっと、それはないと思う。
なんとなくノリと勢いで選ばれた気がする。
俺と混沌神の最初の会話教えてやりたいくらいだわ。
教えないけど。
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