第127話
※ 三人称視点
教会自治領。
ここは教皇と五人の枢機卿によって統治される永世中立地帯。
基本的な理念として、教会は人道的、道徳的な秩序を重んじる。
人は皆平等であり、秩序の内にある限り、自由が約束される。
その秩序に不満を持つ者が居る。
外から来た貴族達だ。
この自治領において貴族は特権階級に非ず、ただの「金持ち」として扱われる。
それがここの
多額の「寄付」をする事で多少の優遇はされるが、あくまで多少にすぎない。
例え不審死を遂げようと、一般人と同じ様に処理される。
それが許せない
「まったく、高貴な血筋の者が死んだというのに、教会は何を悠長にしているのか」
「然様。怪しい者を片っ端から捕まえて尋問でもすれば良いものを」
「貴族の死体を
金にものを言わせて宿を貸し切り状態にして、自分らにとっての余所者が近寄らないようにした彼らは、何かを紛らわすように酒に溺れていた。
複数の国から貴族が来ていて、その中には当然仲の悪い国同士もある。
宿の貸し切りは一か所でなく、複数の宿で行われていた。
貴族の中には周囲一帯の宿を貸切る暴挙に出る輩も居たほどだ。
特別扱いされず、特別に守って貰えないという状況が、彼らにとって大きなストレスになっているのが明白と言えた。
一般の旅行客や旅人からすれば迷惑以外の何物でもないのだが。
ともあれ、貴族達は身を寄せ合い、次は自分かもしれないという恐怖から身を守っていた。
しかし彼らは貴族。
優雅であり続け、見栄を張らなければならない、
独りが怖いと無様を晒すなどできるはずもない。
「……夜も更けてまいりましたな」
本音を隠し、貴族の一人が解散をほのめかす。
「そうですな……今宵の会合はここまでとしましょうか」
寝るために孤独になる不安を、余裕と自信に溢れた仮面で隠し、貴族達は次々に席を立つ。
にこやかに別れの挨拶を交わし、従者を伴い自室へと戻っていく。
従者に介抱され、ベッドで横になった貴族は酒のおかげもあって、多くの場合はすぐに眠りについた。
だが、中には胸焼け等のせいで中々寝付けない者も居る。
「はぁ……眠れん」
酒臭い溜め息を吐き、早く寝なくてはと焦りながら何度も寝返りをうつ貴族が居た。
夜にこそ酒に溺れていた貴族達だが、昼間には真面目に事件の真相を暴こうと、頭を突き合わせて不審死に対して考察していたのだ。
結果は教会と同じく「何も分からない」だった。
貴族達は、考えれば考えるほど恐ろしくなった。
得体の知れない何かによって、自分の命も消されてしまうのではないかと。
「何の意味も無いのだろうが……」
眠れない貴族は体を起こし、ベッドの脇にある小さい机の上に置かれた
教会で手に入れた魔除けを握りしめ、彼は生まれて初めて真剣に神に祈った。
すると少しだけ心が軽くなったような気がして、急に眠気が増してきた。
眠気に身を任せ、両目を閉じて再度ベッドに横になる。
次に目を開けた時、貴族は青い血肉で出来た通路に立っていた。
幅も高さも相応にあり、窮屈さを感じないだけの広さはある。
「――……は?」
夢だろうか?
非現実的な光景を前に、そう思った貴族は強く目をつむってから開く。
頬をつねる。
思いっきり体を動かしてみる。
けれど、目が覚める事はなかった。
明かりも無いのに、いやにはっきり見える青い血肉の通路を一歩進む。
湿った音と共に、生ぬるく、柔らかく、粘液質で、夢とは思えない生々しい感触が足の裏から脳に伝わる。
そのあまりの気色の悪さに、貴族は動けなくなってしまった。
「何だ、これは……夢じゃ、ないのか?」
ぽたりと顔に垂れて来た青い液体。
生暖かい温度と、金属の臭いを鮮明に感じる。
まるで生き物のように蠢く青い血肉の道が、どこまでも続いている。
「こんな……こんなの! どうすればいい!? 訳が分からない!」
恐怖心が爆発したのか、発狂したように叫ぶ貴族。
その叫びに対しては、肉の湿った音と、血の滴る音が返ってくるばかりだ。
「夢だ! そうだろう!? こんなの現実じゃありえない!」
独りで必死に叫び、居もしない誰かに同意を求める。
当然、返ってくる答えはない――。
「――■だ!」
――そう思っていた。
遠くから、声が近付いてくるのが聞こえた。
水音を響かせて、何者かが貴族に向かって走って来る。
貴族は自分以外の誰かが居た事に驚きながらも、独りでない事に安堵して声のする方角に笑顔を向ける。
そして、その顔のまま凍り付く。
「■うだ■う!? ■ん■■■■■■あ■え■い!」
ノイズ混じりの耳障りな声を上げながら、人に似た、しかし人とは決定的に違うモノが走って来る。
頭部があり、体があり、両手両足がある。
ここまでは人と同じだが、その細部は大きく異なる。
目と思わしく二つの空洞が頭部にあるが、大きさも形状も左右不揃いで、眼球は無く、木の
口も同様に真っ黒な空洞で、形状は歪ながらも「笑み」を思わせる、輪郭の滲んだ三日月のようだ。
骨の上から皮を被せたような、だらりと
その人に似た異形が、両手を振って、ノイズ混じりの音を吐きながら近付いてくる。
「ひいっ!」
貴族は突然現れた異形から逃げるように、一本道の青い道を走り出す。
その直後、
「■い」
異形の声が、すぐ耳元から聞こえた。
振り返れば、さっきまで遠くに見えてたはずの異形がすぐ傍に来ていた。
「うおおああああああああ!!?」
貴族は驚きながらも咄嗟に攻撃性のある魔術を異形に放つ。
避けもせずに直撃した異形は、吹き飛びつつ全身がバラバラになった。
「はぁっ! はぁっ! な、なんだ、大した事ない……」
彼は腐っても貴族だ。
立派な教育を受け、魔術を学び、魔物なんかが居るこの世界で平民の上に立つ為の能力を十分に鍛えられた個人である。
当然それなりの実力はあるのだ。
「これが不審死の原因か? ……フッ、私が解決してしまったかもしれんな」
魔術が通じる相手だと判断した貴族は落ち着きを取り戻す。
「所詮気味が悪いだけか。不審死した貴族には不意打ちが上手く行ったのかもしれないが、私には通用しなかったようだな」
バラバラになった異形を見下し、勝ち誇る貴族。
それは自分に言い聞かせているようでもあった。
一つ息を吐き、異形から目を逸らして周囲を見渡す。
「後は得体の知れないこの場所から……」
「あ■■え■い■■■■い■■■■■■」
脱出するだけ、そう思っていた貴族は、聞こえてきたノイズ混じりの声に固まる。
「え?」
再びバラバラになった異形が居た場所に目を向けるが、そこには何もない。
「な、なんだ!? どこに……!?」
慌てて周囲を見渡すが、前後左右上下、どこにも居ない。
一本道で隠れる場所の無いこの通路で、見失うはずなどないというのに。
「つっ……!?」
貴族の腕に突如として激痛が走った。
その痛みの発生源に目を向けると、信じられないものが見えた。
異形の腕が、自分の腕から生えていた。
腕だけではない。
足が、腹が、胸が、首が、頭が、貴族から生える、いや、貴族と混ざる。
「まって、たすけて」
「ま■て■たすけて」
「わたしはきぞくの――」
「わたしはき■くの――」
混ざる。同化する。
肉体が、精神が、魔力が、そして魂が。
貴族と一体に成った異形が、ヒトを学習し、経験し、成長する。
心を学び、感情を知り、欲を得る。
少しだけ肉付きが良くなった異形は、青い血肉の通路しかない異界で一人呟いた。
「「さむい――――さみしい」」
翌朝、起きてこない主人を心配した従者が、不審死した貴族の死体を発見する。
その死に様は、一人目の貴族の犠牲者とまったく同じであった。
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