第95話


 ※ 三人称視点



 町の空気が一変した。


 重苦しい雰囲気が町全体を覆い、冷たい感覚が人々の背筋に走る。


 ついに『外なるもの』が本格的な侵攻を始めた。


 下水道に繋がる、あらゆる場所から虫が這い上がって来る。


 兎に似た眷属が正体を現し、人に擬態した虫が民衆を襲い出した。


 町のいたる所で悲鳴が上がる。


 虫に喰われる者、兎に似た眷属に惨殺される者、虫の塊に襲われる者。


 ごく普通の日常が、一瞬で非日常に変わった。




 町の一角で衛兵と傭兵が手を組み戦っている。


「一般人を退避させろ! 急げ!」


「虫は焼け! 兎の化け物はどうにかして戦え!」


 少し前までは険悪なムードだった両者であったが、この事態になってからは惜しまず協力を行っている。


 逃げる一般人を誘導する衛兵に、一般人の中の一人が急に抱き着いた。


「なっ、何を……!」


 顔がボロボロと崩れ落ち、虫に戻って衛兵の口や鼻から体内に侵入する。


 獣のような断末魔を上げる衛兵。


 それを見て、一般人は悲鳴を上げ、傭兵や衛兵は動揺する。


 虫に喰われる仲間ごと焼き払う事もできず、うろたえるばかりだった。


 そんな中、傭兵ギルドの職員コロムが魔導具で火を放ち、虫にたかられている衛兵の首を剣で刎ねる。


 その行いを非難する声は無いが、主に衛兵から非難の視線が彼に集まる。


「何だその目は? 生きながら喰われるよりマシだろうが」


 返って来る言葉はなく、コロムにその目を向けてた彼らは俯いてしまう。


 皆も頭では分かっているのだ。


 ただ沸き上がる感情を止める事ができないだけで。


「その感情を否定はしない。だが向ける相手を間違えるな。お前らのソレをどこに向ければ良いか、少し考えれば分かるはずだ」


 コロムの言葉を受けて、彼らが顔を上げる。


 凄惨な死に様によって下がっていた士気を持ち直した。


「衛兵、精密な魔力視ができる一般人が居たら協力を頼め。虫を見分けられるらしいからな」


「は、はい!」


「で、お前ら……戦いが仕事の奴がビビってんじゃねぇ!! やる事をやれ!!」


「ウッス!」


 町中で眷属による殺戮が起こっているが、致命的な状況には至っていない。


 決戦の夜は、まだ始まったばかりだ。




 そんな状況の町から逃げ出そうとする人影があった。


「こ、こちらです」


 オイドリックが先導し、他三名の男が後から続く。


 その三人は犯罪組織「森竜会フォレストドラゴン」の会長リセツとその護衛の二人。


「クソが、あと一歩の所で正義の使徒が来ただと?」


「大丈夫です、その大金さえあれば、いくらでもやり直せます」


 リセツが抱えているバッグには、普通の人が一生豪遊できるほどの大金が詰まっている。


 オイドリックが商会から盗み出し、リセツの所に持って現れたのだ。


 そして使徒の到来と、不正が暴かれた事を伝えて夜逃げする計画を提案した。


 リセツはそれを受け入れ、町から逃げ出す決断を下し、今に至る。


 町の外に向かって路地裏を走る四人だが、走っても走っても路地裏が続く。


「……おい、これはどこに向かってる」


「当然町の外に……でもおかしい、本来ならとっくに外のはず……」


 足を止め、周囲を見渡す四人。


 静まり返った路地裏に、四人のものとは違う足音が二つ。


「誰だ!?」


 リセツが叫ぶと、曲がり角から二人の人影が現れた。


 一人は小柄で小太りなスーツ姿の中年男。


 もう一人は眼鏡をかけた傭兵のような姿の青年。


「これはどうも、コーラス商会ナッツィナ支部長のハルダーンです」


 中年男がそう名乗った。


「し、支部長……!?」


「お前ら……何でここに居やがる?」


 青年は何も言わず、剣の柄に手をかけたまま四人を見ている。


「いやぁ、本当に後一歩だったんですがねぇ……」


 そう言いながら懐に手を入れるハルダーン。


 それを見て警戒するリセツと護衛の二人。


 取り出された物は、袋に入った棒状の何か。


「見てくださいこれ! 新商品の野菜スティックなんですが、明日店頭で無料の試食会を行い、明後日に本格的に販売に移る予定だったんですよ! 新商品発売に合わせてのセールや雇用の増加も考えていたのに……」


「知るか。何が言いてぇんだよ」


「リセツさん、私達と貴方の間には契約があります。この新商品が販売されるまで協力するというものです。だと言うのに、貴方はこの町から逃げ出そうとしていませんか?」


「……だったら何だ?」


 野菜スティックを一つ齧り、ハルダーンは告げる。


「それは契約違反です。許されない事ですよ、リセツさん」


 彼は口の中で野菜スティックを咀嚼しながらリセツを責める。


「状況が変わったんだ。泥船から逃げるのは当然だと思わないか?」


「許されません、赦されません、違反です。違反、違反違反違反」


 狂ったように言葉を繰り返すハルダーン。


「ザッツ、ウーオ」


 リセツが護衛の二人の名を呼ぶと、彼らは武器を持って前に出る。


「俺みたいな犯罪者を信じる方が悪いんだよ……やれ」


 ハルダーンを見下しながら、そう吐き捨てるリセツ。


 護衛の二人がハルダーンを殺すために詰め寄るが、その前にハルダーンの姿が変化する。


 兎に似た眷属の姿に。


「支部長が!?」


「ビビるんじゃねえ!」


 オイドリックが怯えたように叫び、リセツは護衛を鼓舞する。


 護衛は正面と側面から挟むように武器を振るった。


 血が飛び散る、護衛達の腕から。


 護衛達の肘から先がなくなっていた。


 宙を舞う自分の両手を見上げる護衛二人だが、そこに自分の首が混じった。


「ひぃ!」


 オイドリックは腰を抜かしてその場でへたり込む。


「……クソッ!」


 リセツはバッグを抱え、背を向けて走り出す。


 一歩踏み出した後、続く二歩目は無かった。


 いつの間にか眼鏡の傭兵がリセツの足を斬り落としていた。


「あ、足が、俺の足が!? お前、パルボック、親に向かってぇ!!」


「僕はお前を親と思った事は、ただの一度も無い」


「ああ、手を煩わせてスイマセンね、パルボック君」


 ぴょんぴょんと跳ねるようにして歩き、ハルダーンが近づく。


「私は非常に残念です。悲しいです。商会の仲間から裏切られ、契約は反故にされ、計画は頓挫してしまって、主に対して何と申し開けば良いか」


「化け物がぁ……!」


「何故このような事態になってしまったのか、それを知るためには主の同類である『迷宮主』のお力を借りる必要があります。なのでリセツさん、それとオイドリック君、二人はこれから踊り食いされてくださいね」


 パルボックが路地裏の家の扉を一つ開ける。


 家の中から大量の白い虫が出てきて、リセツとオイドリックに群がる。


「ひぃいいい! ごめんなさい、助けて! 助けてください!」


「やめろ! 俺は、森竜会の……!」


 しばし二人の断末魔が響くが、やがて虫が人を貪り喰う音だけが残る。


「これで迷宮主の眷属が、彼らの事を教えてくれるでしょう」


 ハルダーンは胸をなで下ろして安堵を示す。


「あ、そうだ。パルボック君、野菜スティック食べなさい」


「……いえ、僕には分不相応です」


「その謙虚さは大変素晴らしいですね。けどね、けれどね、それは我らの主の危機より優先すべき事ですか? ねぇ、パルボック君?」


 ハルダーンは、じいっとパルボックの目を覗き込む。


「……分かりました、頂きます」


「ええ、ええ、パルボック君ならきっとそう言ってくれると信じておりました! ではどうぞ」


 パルボックは渡された野菜スティックを震える手で掴み、口に運ぶ。


 咀嚼して飲み込むと、体が別の何かに置き換わっていくのを感じる。


「うぐっ……!」


 その場で蹲って、動けなくなるパルボック。


 変化した何かに理性や感情が狂わされそうになるが、必死に抑え込む。


 それを見るハルダーンの目は、狂喜に満ちていた。


「私達が主の欠片を宿す事でできる羽化は一度きり……大半の眷属は大した蓄えもなく羽化を迎えますが、君は大違いですねぇ」


 言祝ことほぐように言葉を紡ぐハルダーン。


「私は一般的な眷属より少し多めに力を蓄えられた程度ですが、パルボック君はきっと、私なんかとは比較にならない力を持った眷属になれますよ。きっとそれは主に取って大変喜ばしい事でしょう」


 路地裏に見せかけた小さな異界の中で、新たな眷属が生誕を迎えようとしていた。




 それをオイドリックを通して知ったユーティは、彼ら眷属を叩くことにした。


「あの傭兵、眷属化すると不味そうですねぇ……」


 アリドにとって大きな不利益になると判断したからだ。


「それにあの羽化の手法、もしくは概念……私も欲しいですねぇ」


 自分の利益も忘れない。


 お持ち帰り計画の躍進に使えそうな技術を奪えるなら奪うつもりでもあった。




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