第86話


 ※ 三人称視点


 コーラス商会。


 その起源はある一人の行商人であり、およそ十年の歳月をかけて大陸随一の大商会へと至った。

 偉大なる商会創立者の名はルナミィ・ノーンタイム。

 先見性に極めて優れており、まるで未来を見通しているかのような偉業の数々によって、時間の神の寵愛を受けているのではないかと囁かれるほどの人物だ。

 コーラス商会が出店していない町は、別大陸か遠い異国くらいのものだろう。

 高い給料、無理のない労働、正当な評価、充実した福利厚生、何より魔物の居る世界においての安全保障。

 これらによって大多数の人がコーラス商会で働く事を希望し、また利用する。


 まるで商人の理想像を体現したかのような商会であった。






「僕はそのコーラス商会でも、そこそこの立場なんだよ」


 自慢するように、いや自慢なのだろう。


 アリド曰く「ナンパ君」、オイドリックはそう誇らしげにユーティに語る。


「そうなんですねぇ」


 対するユーティは特に興味もなさげに返答をする。


 顔は微笑みを浮かべたままだが、それで表情が固定されているためオイドリックはユーティの本心を掴めずにいた。


「何か欲しい物はない? コーラス商会に揃えられない物はないよ?」


「この目ですからねぇ……物欲は元より少ないんですよねぇ」


「そ、そうなんだ。ユーティさんは、謙虚なんだね」


「単に興味が無いだけですよぉ」


 オイドリックはとにかく褒めれる場所を探してそれを口にするが、ことごとくが滑っている。


 そんな彼を気にも留めず、ユーティは思い付いたように質問を口にする。


「興味と言えば、コーラス商会というのはいつからこの町にあるんですか?」


「あ、ああ……一年くらい前からかな……でも、なんで?」


「アリド君の役に立ちそうな情報かもしれませんからねぇ」


 オイドリックの顔が醜く歪む。


「(クソッ! なんでこの女はあのガキにばっかり……! 俺の方が金も有るし、将来性も担保されてるし、人脈だってある! あのガキが持ってない物をこんなにも持ってるのに!)」


「何でか気になりますかぁ?」


 ユーティの顔が、その日初めてオイドリックに向けられる。


 その仕草に、オイドリックの心臓が跳ねる。


 夜を集めたような流れる髪、白妙しろたえの肌、薄い桃色の唇に整った鼻梁、盲目という欠陥すら、彼女という芸術の一部に思えてしまう。


 彼女の間延びした甘い声に、オイドリックの嫉妬の炎は沈静を見せる。


「ああ、うん。できれば、聞かせて欲しいかな」


「そうですねぇ……例え話をしましょうか」


 オイドリックは彼女の言葉に耳を傾ける。


「例えば、世界を滅ぼそうとする悪が居て、あなたに神々が武具を与えたとして、けれど他の人にも神々の武具は与えられていて、倒すのは誰でもいいのです。この場合、あなたはどうします?」


「えっと、まあ、僕ならその悪を倒しに行くかな」


「アリド君はねぇ、絶対行かないですよぉ」


 それの何が面白いのか、喉の奥で鈴を鳴らすように笑うユーティ。


 オイドリックは困惑したように質問を返す。


「失礼だけど、ユーティさんは、あの……少年? の何がそんなに……?」


「もう一つ例え話をしましょうかぁ……今度も世界を滅ぼそうとする悪が居て、けれど今度は神々は手助けしてくれません。誰かが戦わなければ世界は滅ぶでしょう。この場合、あなたはどうします?」


「使徒様や聖女様が居ない場合って事……? それだと、僕は……僕のできる事をして、少しでも人を助けるよ」


「誰もがそう考えたら、きっと世界は終わりますねぇ」


 そう言われて、オイドリックは渋面を作る。


「あの少年なら戦うと思うんですか?」


「アリド君はねぇ、自分が自分らしく在れる生活を大事にしてるんですよぉ」


 ユーティは楽しげに空を見上げる。


 その姿は、まるで恋い焦がれる少女のようで、オイドリックの嫉妬が再燃する。


「だから世界が滅んでしまうなら、大事なものが壊されてしまうなら、きっとアリド君は自分以外に何もなくっても、悪にだって――」


 目を開く。


 神秘的な白い瞳が現れ、どこか遠くを凝視するように空を見つめる。


「――神様にだって、抗うでしょう」


 それは聖女が告げる神託や予言のようで、オイドリックは言葉を失ってしまう。


 すぐ隣に居るユーティが、遥か遠い存在に思えて仕方がなくなってしまう。


 彼女が目を閉じると、神聖不可侵であるかに思えた雰囲気は夢であったかのように霧散した。


「…………あ」


 いつの間にか足が止まっていたオイドリックは、そのままスタスタ歩いて行くユーティを慌てて追いかける。


 追いついた彼にユーティは結論を告げる。


「だから私は、アリド君を気に入っているんですよぉ」


 ユーティは心の中だけで「特にあの美しい魂を」と付け加える。


「そ、そうなんだ、あの少年、凄いんだね……」


 取り繕うようにオイドリックは笑いながら返事をするが、自分でも分かるくらいに顔が引き攣っていた。


「(ただの錯覚だ、ただの幻想だ、あのガキを、年頃の女にありがちな理想の王子様に見立ててるだけだ。きっと、きっとそうだ……)」


 オイドリックは感情がぐちゃぐちゃになり、冷静さを失った。


 狂気に染まったとすら言えるほどに情緒が壊れた。


 どうあっても彼女を振り向かせる事ができないと心のどこかで思ってしまった。


「(もういい、この女に現実を教えてやる)」


 彼はどうせ見えていないのならと悪意と狂気に染まった顔になる。


「そろそろ戻りましょうか、近道があるんです。案内しますよ」


「そうですねぇ、そうしましょうか」


 ユーティの手を取り、オイドリックは歓楽街の路地裏へと歩みを進める。




 しばらく歩いて、オイドリックはある店の裏側にやって来た。


 地下に続く階段を下り、扉を決められたリズムでノックする。


 扉の覗き窓が不快な音を立てて開き、何者かがオイドリックを確認すると、扉の向こうからこう聞かれる。


「森の川には何が流れついた?」


「裕福な樽」


 オイドリックがそう答えると、鍵の開く音が響き、扉が開く。


「入んな」


 ユーティの手を強く引いて、オイドリックは中へと入る。


 そこは薄暗いが小奇麗な部屋で、中の居た者達は彼とユーティの姿を見ると驚いたように声を出す。


「オイドリック先生、すげえ上玉連れてきましたね」


「ああ、例の部屋に送る予定なんだ……ただその前に楽しもうと思ってね」


 下卑た笑い声が地下室に響く。


 オイドリックはユーティの方を振り返る。


 優しさも富も意味はなかったが、暴力ならどうだと期待を込めて。


 そこには彼の想像とはまるで違う顔があった。


 愉快そうに笑みを深める彼女の姿に、オイドリックの背筋に冷たいものが走る。


 頭から血が引いた彼は急に冷静になって、何か致命的な間違いを犯してしまったような気がしてしまう。


「オーベッド」


 ユーティが名前らしい言葉を口にする。


 オイドリックも、この部屋に居る誰もが知らない名前だ。


 ユーティは地下室に居た内の一人を指差す。


「アレだけでいいですよ」


 次の瞬間、どこからともなく肉厚な剣を持った大男が現れ、指差された相手に斬りかかる。


 襲われた男は咄嗟に手を前に出して体を守ろうとするが、脳天から股下まで一息に両断された。


 一瞬遅れて、ある者は怒号と共に大男に襲い掛かり、ある者は悲鳴を上げた。


 襲い掛かった地下室の住人は、あっという間に手足を折られ、呻き声を漏らしながら芋虫のように地面に転がる。


 彼はランゴーンの傭兵ギルド職員であったオーベッド。


 その姿は、いくらか若返ったような姿になっていた。


 全盛期の肉体を取り戻したのだ。異界の外法によって。


「あ、開かない……なんで!?」


 逃げようとした者が扉を叩き、覗き窓やドアノブを必死にガチャガチャするが開く気配は無い。


 この地下室と、それ以外を隔てる境界の全ては、人智の及ばぬ力によって完全に閉ざされていた。


「オーベッド、彼らを一か所に集めて」


「分かりました」


 全員がユーティの正面に集められ、彼女は閉じられた目を開く。


「私の目を見てくださいねぇ」


 白い瞳が彼らを睥睨する。


 彼女に逆らってはいけないと本能的に察知した彼らは、言われるままに白い瞳を視線を合わせる。


 瞼を閉じずに、ユーティは右目を指でなぞる。


 その行動にギョッとする彼らだが、指でなぞられた右目が昏い虹色に変わっていた事で更に驚く。


「(なんだアレ、なんだアレ……)」


 オイドリックにはユーティが理解し難い怪物に見えてならなかった。


 どうしようもない失敗をしたという確信が彼の頭を支配する。


 地下室に居た連中もオイドリックを責め立てようとするが、恐怖で声が出せない。


「大丈夫ですよぉ、私は貴方達を殺すわけではありませんから」


 甘い声が彼らの脳に響く。


 見つめる昏い虹色の瞳が、燦然と煌めく虹色へと変わっていく。


「それじゃあ貴方達の知っている事を全て教えてくださいねぇ」


 いつの間にか恐怖は消え、代わりに多幸感が彼らの感情に満ちる。


 彼女に従えばもっと幸せになれる、もっと満たされる。


 そんな考えが彼らの思考を埋め尽くす。


「ああ、貴方達が喋る必要はありませんよぉ」


「ではどうやって?」と彼らが問う前に、心地よい眠気が彼らを襲う。


「直接頭の中を覗きますから」


 ゾッとするほど冷たい声と、その声よりも冷たい瞳が、眠りに落ちる彼らを見下していた。


「ああ、オーベッド。その死体消せます?」


「問題ありません」


 オーベッドが最初に斬り殺した人の死体が変容していた。


 皮膚は白い毛皮に覆われ、兎のような大きな耳が生えていた。


 耳まで裂けた口には肉食獣の如き牙がずらりと並ぶ。


 それは深夜にアリドが見かけた眷属の姿であった。


 魔力視をすれば、鮮やかな緑の魔力が見えるだろう。


「アリド君が死んだら、魂をあの神に奪われてしまいますからねぇ」


 夢を介して精神を切開し、記憶から必要な情報を抜き取りながら、アリドを違和感なく手助けする方法を考える。


 お持ち帰り計画は未だ完成を見ず、彼女も時間を欲しているのだ。


「それにアリド君は好感度と信頼度は別で考えられる子ですからねぇ」


 ユーティは信頼されるのは難しいだろうが、好感を得ることはできると思っていた。


 なのでアリドの好感度を稼ぐ方法も並行して考え出した。


 一目惚れした時から、いつだって彼女の行動基準はアリドにあるのだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る