第81話


 ※ 三人称視点



 ある画家が居た。


 彼は生まれつきの色盲であり、ある時まで色の無い世界で生きていた。


 それが一変したのは、魔力視という技術を会得してからだ。


 魔力の彩に溢れた世界に彼は感動し、それを描き残そうと思った。


 魔力を含む絵具によって描かれた風景画や人物画は、独特の色合いだが、不思議と調和のとれたものであり、一部の好事家や研究者から高い評価を得ていた。


 そんな彼はナッツィナに在住していた。


 彼は小さくも温かみのあるこの町を好いていて、道行く人や風景を観察する事を趣味兼日課にしていた。


 風は冷たいが、陽の光が穏やかに降り注ぐ昼時。


 懇意にしている絵具を扱う工房の前を通りかかった時の事だ。


 おかしな魔力を持つ人物を、彼は見た。


 不思議に思いじっと見ていると、まるで米粒のように小さな魔力が密集している事に気付いた。


 あまり知られていないが、魔力視には視力がある。


 これは技術的に高められるものであり、彼はその技術に優れていた。


 こういった技術を必要する人は大抵の場合、芸術家や研究者であり、傭兵など戦う事が仕事の人の間には侵透していない技術であった。


 ともかく、彼はおびただしい数の魔力が密集する、人の形をした何かを見つけた。


「なんだ、あれ……?」


 不可解なモノを目にした彼だが、その日は見間違いだろうと決めつけ帰宅した。


 それから数日して、その不可解な魔力を持つ人が増えた。


 こうなるとただの錯覚とは思えず、誰かに相談しようかと思った矢先の事だった。


 ふと、あの小さな魔力の一つ一つに、目があると気付いた。


 なぜなら、その一つと目が合ったから。


 次の瞬間、人の形を模した無数のソレが、一斉に彼を見る。


 ぞわりと背筋に冷たいものが走り、全身が粟立つ。


 小さな魔力が蠢き、人の形を動かす。


「ひっ」


 喉から空気とも悲鳴ともつかない音が漏れる。


 ヒトガタが彼に向かい、顔を笑顔の形に変えて、歩き出す。


 それを見た彼は逃げ出した。


 一心不乱に家に向かって走った。


 家に着くなり素早く中に入り、入口に鍵をかける。


 それなりに名の売れた画家である彼の家には防犯機能が備わっていた。


 玄関にはそれを起動する為の装置があり、ありったけの魔力を注いで、家を保護する魔導具を起動した。


 玄関の扉がノックされる。


 それは次第に強くなり、叩きつけるような音に変わる。


 彼は恐怖のあまり腰を抜かし、玄関をじっと見つめたまま動けなかった。


 どうか開かないでくれと祈る事しかできなかった。


 しばらくして、扉を叩く音は消えた。


 ほっと息を吐くのも束の間、別の音が聞こえてきた。


 ガリガリ、ガリガリと何かを削るような音だ。


 再び恐怖が沸き上がり、彼はほうほうの体で自らのアトリエに逃げ込む。


 声を押し殺し、息を潜め、目だけを動かして何度も何度も部屋を見渡す。


 静寂の中、何かを削る音が聞こえてくる。


 窓から聞こえてきた。


 壁から聞こえてきた。


 床下から聞こえてきた。


 天上から聞こえてきた。


 恐ろしい何かが部屋に入ろうとしてくる。


 体が床や壁についている事が恐ろしくなり、椅子の上で膝を抱えて動けなくなる。


 ガリガリ、ガリガリ、ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ。


 徐々に音が大きくなる。


 近づいてくる。


 この部屋の入口まで来ている。


 扉の下に、白いものが見えた。


 彼の目には、それがまるで無地のキャンバスのような魔力に見えた。


 それが一匹、二匹……十、二十と増えていき、数え切れないほどの数が押し寄せてくる。


「あ、あ、あ……」


 彼は椅子から転げ落ちて体を床に強打するが、そんな事はお構いなしで椅子を持ち上げて這い寄る無数のソレに叩きつける。


「くるなあッ!!!」


 椅子が壊れ、破片が飛び散る。


 何匹かのソレは潰れるが、ゆっくりと元の形状に戻ろうとするのが見えた。


 急に足に力が入らなくなり、彼の体は再び床に叩きつけられる。


 足を見ると、無数の白いソレが群がっていた。


 キャンバスに色が塗られるように、彼の魔力がソレに移っていく。


 いや、奪われていく。喰われていく。


「誰か、たすけ――」


 床に倒れた彼はソレを間近で見る事になった。


 小さく、虫のようで、虫でない異質なモノ。


 線状の何かが無数に組み合わさって出来た楕円形の体に、斑模様のような無数の目がギョロギョロと忙しなく動いていた。


 その奇怪な体を支える手足は人の赤子に似ていて、地面に向けて咲く花弁のようで、何本も生えている。


 ソレが飛び掛かかってくる際に、口らしきものがその手足の根元に見えた。


 不思議と痛みは無かったが、彼にはそれがかえって恐怖だった。


 ただただ自分というモノが奪われ、消えていく感覚。


 それが画家の最期。


 悍ましく残酷な、非業の死に様であった。






「……ふぅ」


「クタニア様」


 人目のない深夜、二人はアリドから聞いた事件現場に来ていた。


 当然、不法侵入である。


 クタニアは死者の記憶を読み取り、その悪夢のような死に様を見て少し気分が悪くなる。


 彼女は心配そうなアルシスカを安心させるように微笑む。


「私は大丈夫。アルシスカは心配しすぎです」


「敵は常識が通用しないのですから、心配しすぎるくらいで良いのです」


「もう、いつまでも子供じゃないんですよ?」  


 不服そうにするクタニアを優しい目で見るアルシスカ。


 そんな彼女の視線を受けて、クタニアは気持ちを切り替える。


「アリドから頼まれた事は無事に終わりました。宿に戻りましょう」


 クタニアの口からアリドの名前が出ると、アルシスカはあまり良い顔をしない。


 彼女はそれを分かっていて、あえて彼の名を口にする。


 ちょっとした仕返しのつもりで言ったクタニアだが、そんなだからアルシスカからは子供扱いされている。


 仲良くじゃれる二人だが、不意にアルシスカの表情が引き締まる。


「……何かが近くに居ます」


 クタニアの体を抱きかかえ、魔法を使うアルシスカ。


 彼女の魔力の性質は『冥漠めいばく』。


 言葉の意味のみであれば、暗くて遠いさまを表す。


 魔法として使う場合、主に何かを隠す用途に使われる事が多い。


 まさに今、壁や床を無視して影の奥に潜り込み、二人は姿を隠す。


 暗い場所や深夜であれば、アルシスカにとって隠れる事は容易だ。


 弱点としては、光で照らされると魔法が解除されてしまうという点がある。


 闇の中で息を潜めていると、何者かが玄関の扉を開け、アトリエに向かって来る


 部屋に入って来たのは男と思われる人影。


 暗くて全容は見えないが、首も動かさずただ立っているように見える。


 しばらくして、踵を返して男は離れていった。


 それを確認した二人も影から出る。


「どうしましょう?」


 クタニアの言う「どうする」は、対象を攻撃してから帰るか、しないで帰るかという問いだ。


 付き合いの長いアルシスカは当然その事を理解している。


 勝ち筋の見えない相手には、こう言わない事も。


 つまり先ほどの人影が何であれ、勝算があっての言葉だろう。


 とはいえクタニアに危ない事をさせたくない彼女はこう言った。


「あいつは自陣の情報が漏れる事を嫌いますからね……静かに帰りましょう」


 アリドをダシにしてクタニアに情報隠蔽の重要性を説いたのだ。


「……確かにアリドなら無駄に痕跡を残す事を良しとしませんか」


 アルシスカとしては、あまりアリドから影響を受けて貰いたくないのだが、五年前に再誕した事で記憶を失ったクタニアの精神にはまだ幼さが残る。


 おまけに人見知りの激しいクタニアは人付き合いも少ないので、数少ない他の仲間からの影響を受けまくっているのだ。


「(せめて影響を受けるのが司祭やユーティのような真っ当な人なら良いんだが……アリドは良くない。あいつは性格悪いし、捻くれてし、狡賢い。クタニア様がグレたらきっとアイツのせいだ)」


「アルシスカ? 何か変な事を考えてません?」


「そのような事、あろうはずがございません」


 アルシスカにとっては変でも何でもなく、至極真っ当な事を考えてるつもりだ。


 緊張感のない二人だが、実際苦労もなく誰にも見つからず宿へ帰還した。


 伊達に五年間も隠遁生活を送ってはいない。


 二人は身を清めてから宿のベッドの中で翌日アリドに伝える情報を整理する。


 ある程度纏まった所で、一緒に眠りについた。




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