第75話
深夜、大抵の人々が寝静まった後の時間帯。
窓からひっそりと糸のように細い触手を伸ばして町の探索を行う。
今は冬。羽虫が飛ぶには少々寒さが厳しい季節だ。
夜ともなればなおの事。
「(でもまあ既に飛ばしちゃってるし、いいか)」
見つかったらその時はその時で言い訳を考えよう。
羽虫ドローンを通して町を
所々にある街灯が、誰も居ない静まり返った表通りを照らしている。
街灯の明かりが届かない町の大部分は影に覆われていているが、魔力視をすればポツリポツリと人影が見えた。
何か悪い事でもするのかと、その内の一つに羽虫ドローンを近づけてみる。
そこには二足歩行の兎が居た。
兎の獣人ではない。
赤黒い左右に突き出した目、全身が白い毛並みで覆われていて、手足が異様に長く、ひょこひょこと二本の足で不器用に歩く、兎に似た生物。
長い耳をぴくりと動かすと、アンテナのようにくるりと回し、顔をキョロキョロとあちこちに向けて周囲を警戒するような動きをする。
観察していると、顔がこちらに向き、羽虫越しに目が合った。
次の瞬間、兎モドキは全力で逃げ出した。
「(速いな)」
上昇し、俯瞰視点から魔力視で追う。
兎モドキはこちらの位置を掴んでいるのか、時折こちらを振り返る。
「(感知能力が優れてるってレベルじゃないんだが……)」
こちらの視線から逃れるように家と家の隙間に入り込む。
見失わないように、その隙間が見える角度に移動するが……。
「(……消えた)」
視野を確保できる位置に到着するまでの間に、影も形も見えなくなってしまった。
再度空高くに位置取り、町全体を見渡すものの、魔力視に映る人影はどこにも見当たらない。
「(たぶん眷属だよな……)」
嫌な予感が膨れ上がる。
この町でも何かが起きているのだろう。
空が明るくなる直前まで暫定眷属の兎モドキを探したが、見つける事は叶わなかった。
翌朝、日の出の鐘が鳴った後ソノヘンさんの部屋に向かう。
ノックをすれば、普通に出てきて対応してくれた。
「おはよう。早々で悪いけど一つ頼みがあるんだ」
「おはようございます。それで、頼みとは何でしょうか?」
こんな早朝だというのに嫌な顔一つせず話を聞いてくれる。
「教会に行って『外なるもの』関連の何かが侵透してないか調べて欲しい」
「……昨日の時点で何か見つけましたか?」
「まあね。ただ確証は無いし、どこが洗脳だの何だのされてるかは不明。だから一応その確認としてって事で、様子見してきて貰いたいんだ」
「成程、分かりました。そういう事なら喜んで協力しましょう」
二つ返事で頷いてくれるソノヘンさん。
実に信用できる男だ。
「じゃあ俺は傭兵ギルドに探りを入れてくるから。情報共有は夕飯の後にでも」
「分かりました、お気を付けて」
話を済ませて傭兵ギルドに向かう。
クタニアとアルシスカにも何か頼むべきか考えたが、二人の存在はまだ伏せておこうと思う。
ユーティは信用できないので今は放置。
ギルドに到着するが、それほど賑わってもいないようで、傭兵の姿はまばらだ。
中に入るとコロムさんの仁王立ちが視界に飛び込んでくる。
受付カウンターの奥ではなく、入ってすぐの所に立ってた。
「おはよう」
「……来たか、奥で話すぞ」
「挨拶は大事。古事記にもそう書かれている」
「やかましい。いいから来い」
そう言うと、こちらに背を向けてずんずんと歩いて奥に行ってしまった。
恥ずかしがり屋さんなのかな?
とりあえず、置いて行かれないよう後に続こう。
歩幅的に少し小走りを交えつつ、ギルドの奥に向かって行く。
ちょっとはこっちの事気にしてもいいのよ?
一つの扉の前に着くと、ゴンゴンと力強くノックする。
「どうぞ」
中から声が返ってくると、コロムさんが扉を開けて、目で入室を促してくる。
それに従って入ると、そこは応接室と思われる部屋だった。
奥に座っているのは初老の女性。
穏やかそうな顔立ちの狐の獣人が、柔らかな微笑みを浮かべて俺を出迎えた。
「やあ、君が正体不明の化け物を見たという傭兵かな?」
「いかにも」
鷹揚に頷いて見せると、愉快気に目を細めた後、クスリと笑う。
呼吸、視線、表情、どれを取っても怒りは感じない。
悪い意味でプライドが高い、なんて事はなさそうだ。
「ああ、自己紹介がまだだったね。私はこの傭兵ギルド・ナッツィナ支部のギルド長をやっているスイフォアだ」
「アリド。見ての通りの新人傭兵」
「私の知ってる新人は、ギルド長やそこのコロムの前で、そんな殊勝な態度は取らないよ」
「他所は他所。俺は俺」
優雅な仕草で口元に手を当てて笑みを深めるギルド長。
表面的には楽しそうにしているが、はてさて。
「面白そうな坊やだね……でも、先に聞くこと聞かなくちゃね」
「俺が知ってるのは、まんま魚の顔をした眷属と、二足歩行の兎モドキだね」
眷属と口にした所で、ギルド長の顔つきは変わらないものの纏う空気が変わる。
「知ってるんだね?」
「まあね。で、たぶん兎の方も眷属だと思うよ」
「戦ったって言ってたらしいじゃないか、どこでだい?」
「魚は港町のランゴーン。兎モドキは夜のこの町で見かけたけど、即座に凄い速さで逃げられた」
ギルド長の反応を窺うが、その表情から内心を読み取る事はできそうにない。
コロムさんに目を向けてみるが、彼は巌のような表情で固定されている。
少しの沈黙の後、ギルド長が口を開く。
「ランゴーンでの一件はあそこの領主から情報が広まっている……その情報の中に腕の立つ傭兵が一人居たとあったが、あんただね?」
「たぶんね」
「成程ね、こいつは期待できそうだ」
口の端を吊り上げて犬歯を覗かせて笑う。
どうでもいいけど、どう笑ってもイケおばだなギルド長。
「聞かれた事に答えたけど、こっちの要求は?」
「戦力の招集されている地域と、未確認か新種の魔物の情報だっけね」
「そうそれ。まあ正確にはその情報から分析できる事が大事なんだけど」
「フフッ、分かってるさ。そうさね、まず前者から教えようか」
話が早くて助かる。
「アリドが知りたいのは『外なるもの』共の位置と、それに対抗する戦力がどこに配備されているかだろう? 今現在確認されている『外なるもの』は六体。一体はアリドの知っているであろう魚共の主だ」
あと五体かぁ……人類勝てるのかね?
「後は西の大帝国に一体、所在不明の雲に紛れて空を彷徨うもの、北限の海に一体、海を渡った先の東方大陸、南方大陸にそれぞれ一体だ。戦力は主に各国の首都近郊に集められていて、網を張っている状態さ」
世界中に分布してるんだな……いや、待て。
「その中に、空に浮く銀色の
俺の言葉でギルド長の表情がスッと抜け落ちた。
何となく察する。
「後者の方……未確認の化け物だが、今アリドが言った事で一体増えたね。それと町中で見たっていう兎モドキが眷属ってんなら、更に一体増える。そして私達の追っている事件も『外なるもの』絡みの可能性がある」
この調子だと他にもまだ確認されてない『外なるもの』多そうだな……。
だが今はこの町の事件に集中しよう。
「噂になってるギルド職員行方不明事件?」
「耳が早いね、優秀な傭兵になれるよアリドは」
「その暫定眷属の兎モドキが犯人て可能性は?」
二体同時は普通に絶望できるので希望的観測を口にする。
「あり得なくはないが、断定はできない。死体が異常すぎてね……」
冷静なギルド長はきちんと最悪を想定しているようだ。
しかし異常な死体か……確かジレンが言っていたな。
肉が全部なくなって、血と噛み痕だらけの骨だけが残ってると。
「その調査って、どの程度進んでる?」
「まったく、さっぱりだね……そこで、ランゴーンの問題解決に一躍買った新進気鋭のアリドに頼みがあるんだが……」
妖艶に微笑むギルド長。
彼女の若かりし頃であれば、恐らく男の大半は射止められるであろう魔性を感じる笑みであった。
というか今でも効く人には効果
だが効かぬ。なぜなら俺はスライムだから。
「護衛の依頼受けてまーす」
「司祭の護衛だろう? 安心しな、教会自治領からの駅馬車は見送りになる予定だよ……この案件が片付くまではね」
「マ?」
「最悪を想定するなら、被害は最小限に抑えるべき……という事だ」
理屈は分かるが、納得はできねえ。
要はこの町を生贄にしてる間に戦力や情報を集めて、最悪この町ごと敵を焼き払うつもりって事じゃないか?
確かにそれなら今回の被害は最小限で済むだろう。
でも内ゲバ加速する未来しか見えないんですけど?
生贄否定派の人類VS正義、人類の為なら犠牲容認派の人類……とか。
なんなら「人類の為」という大義名分を盾に、政敵を攻撃する為政者モドキが登場する事は想像に容易い。
この前例を作ったら人類終わるだろ常識的に考えて。
でもこれ、きっと上からの指示なんだろうなぁ。
上の連中は『外なるもの』の脅威を正確に把握してない気がする。
いや、してても使徒や聖女が何とかするって考えがありそうだ。
どうしよう、現実逃避したい。
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