第70話
※ 三人称視点
数で押す戦い方では『外なるもの』は倒せない。
そう結論付けた三人は役割を分担した。
十名からなる少数精鋭で『外なるもの』を討つのがヴォーケン。
軍団を率い、眷属の暴虐と負の連鎖を止めるために戦うのがハイノース。
教会の聖堂にて結界を張り、民間人や負傷者の治療と保護を担当するのがエスリンとなった。
「じゃあ行ってくるぜ」
中天に座す『外なるもの』に攻撃できる者を集め、ヴォーケンが教会から発った。
精鋭部隊の誰もが素早く移動でき、眷属が反応できないような速度で王都を駆けて『外なるもの』のすぐ近くまで来る。
鹿の因子を持つ彼は、心臓と肺の機能が優れており、足腰も強靭で極めて高い走行能力を持つ。
「おっ?」
「団長、体が……!?」
『外なるもの』の大口の中から、ずらりと並ぶ瞳が彼らを捉える。
呪縛の力を宿す眼光によって、動きを封じられたのだ。
「舐めるなよ、化け物風情がァ……!」
ヴォーケンの魔力は『切断』の特性を持っている。
縛られているなら、縛りつけてくる呪いを『斬れ』ば良い。
彼の斬るというシンプルな魔法は、物質的なものに限らず、形なき概念的なものまでも斬れる領域へと達していた。
その魔法をもって、自分と仲間を縛る呪いを絶ち斬る。
「お返しだァ! 行くぞ野郎共ォ!」
地上から剣を振るっても、遥か天上に届く由もない――彼らを見下す『外なるもの』は、その小さな存在を嘲笑う。
だがヴォーケンの振るう剣は、魔法は、物理法則を飛び越える。
ヴォーケンの一振り目を見た『外なるもの』は、直後に彼らを見失う。
「いただきィ!」
彼らは『外なるもの』の頭上に瞬間的に移動し、各々の最大火力を叩きこむ。
一閃にて『外なるもの』の短く太い首が、八割ほど切断された。
追撃となる精鋭部隊の攻撃が傷口を押し広げ、深めていく。
黒い血を撒き散らし、銀色の肉が千切れ、ついに『外なるもの』の首が空から墜ちていく。
「やったな、ヴォーケン!」
ヴォーケンは空を飛べる仲間に抱えられ、大地に叩きつけられた首を見下ろす。
首が見下ろして歓声を上げる仲間達だが、彼の心には疑念が残る。
「(おかしくねぇか……こんな簡単に殺れるなら――)」
何かがおかしいと感じる。
その違和感の正体は、顔を上げればすぐに気付けた。
「――いや、まだだ!」
胴体はまだ空中に残り続けていた。
首から滝のように流れ出る黒い血液は、どういう訳か途中で重力に逆らいはじめ、形を文字のように変えて天空を舞う。
夜空よりもなお暗く、黒く輝く血文字は、立体的で複雑怪奇な魔法陣を描く。
「させるかよォ!」
ヴォーケンの斬撃が魔力を断ち切り、魔法陣を揺るがすが、血文字はすぐさま再生して何かを引き起こそうとする。
「ヴォーケン、あれは何だ!?」
「知らねぇよ! だが――」
それは異界の大魔術にして、
この世界の人類の知る由などありはしない。
しかし数多の修羅場を潜り抜けてきた、ヴォーケンの傭兵としての勘が告げる。
「――完成させたらマズい! 何が何でも阻止しろォ!」
精鋭部隊は二手に分かれ、片方は立体魔法陣を打ち砕かんと攻撃を放つ。
もう片方は滝のような血を流す首に炎を放つが、黒い血に呑まれて届かない。
その攻撃の後隙を突くように、『外なるもの』の触手が部隊員を襲った。
「遅え!」
狙いすました一撃が仲間に届くより早く、斬撃が触手を斬り飛ばす。
切断され、制御を失った触手が王都へと落ちていく。
切断面から零れる黒い血は、異界の文字を象り空に舞う。
「あいつ、どうやってこっちを認識してる!?」
「ンなもん後だ! やる事やれェ!」
首の断面から流れ出る血を止めようとするも上手くいかない。
魔法陣を壊すために攻撃しても、漆黒の血文字が追加される
更に五秒と経たず、『外なるもの』の触手が再生した。
「(どうやったら殺れるんだよ、この化け物……)」
試しに胴体を狙って斬ってみるものの、血文字を増やすだけに終わった。
そしてその傷も数秒で塞がってしまう。
再度、攻撃の後隙を狙って触手が振るわれ、仲間を守るためにヴォーケンが斬り落とす。
その時、魔法陣に加わる前の血文字の一文が、周囲の光を喰らうように闇色に輝いた。
直後に精鋭部隊の一人が触手に貫かれた。
「なん――」
続く言葉はなく、代わりに血の泡を吐いて地上へと墜ちていく。
「何をされた!?」
斬られた触手は、重力と慣性に従うのであれば地上へ落ちていくはずだった。
だがそうはならなかった。
その触手は胴体から切り離されたにも関わらず、意思を持ったように動き、仲間の一人を貫き殺した。
斬られた触手が再生されるまでの間に、新たな血文字が追加される。
「(婆の言う通りだった……うかつに手を出せねェ……!)」
だが、攻撃の手を止めれば魔法陣が完成させられる状況だ。
今度は無造作に触手が振るわれる。
ヴォーケンは触手を細切れにする事で仲間達を守ろうとするが、また血文字が闇色に輝くと、銀の肉片が散弾となって二人の仲間を蜂の巣に変えた。
首から溢れる黒い血の滝は、未だとめどなく溢れ、魔法陣は王都全域の上空に届く程に広がっている。
「(数が足りねェ! そうじゃなきゃ殲滅力が!)」
ここに来て王国側の作戦は完全に裏目に出た。
とはいえ、『外なるもの』も相手が変われば戦法を変えていただろう。
情報の不足。奇襲による緊急事態。悪意に満ちた眷属化による負の連鎖。
様々な要素が重なり、王国は適切な対処ができなかった。
あるいは、適切な対処法など、奇襲された時点で失われていたのかもしれない。
ヴォーケン達が手をこまねいている間に、漆黒の血文字から成る魔法陣が完成してしまった。
世界を侵犯する
王都中の人が感じた。
皮膚が捲れ、肉と骨と内臓の全てが大気に曝されるような感覚を。
沸騰する自分の血が、体内ではなく体外を循環するような感覚を。
理性と正気が剥がれ落ち、魂が剥き出しにされるような感覚を。
筆舌し難い苦痛を味わい、視界が暗転し、一瞬の時間が過ぎた後、現実に戻る。
だが、果たしてそこは本当に現実だろうか。
空は夜空に赤い血を混ぜたような色合いになっていて、その赤い空模様は生き物のように流動し、蠢いている。
見える世界もまた、真紅の光に照らされているかの如く赤い。
しかし人は違う。普通に見える。
魔導灯があるのなら、真紅の光にではなく、その光に照らされているように見えるのだ。魔導灯はあんなにも赤く照らされているというのに。
まるで人だけが、この世界の住人ではないかのようだ。
王都を囲う城壁の向こうは、空と同じような光景がどこまでも続いている。
この空間が、王都が、元の世界から切り離されたのだ。
「クソがァ……気持ち悪ィ……!」
正気を取り戻したヴォーケンは空から落ちていた。
自分を抱えていた仲間は、頭を抱え、足をばたつかせて、目を見開き、口から嗚咽と泡を零している。
空中で身をよじり、他の仲間に目を向けるものの、誰もが発狂していて、正気を失っていた。
ヴォーケンは魔法を使い、『距離』と『速度』を斬って仲間を安全に着地させる。
「どうすんだよ、マジで……」
見上げる『外なるもの』はいつの間にか首が戻っていた。
その背後の、血の混じった夜空に、孔が開いたように銀の月が浮かんでいる。
「 」
音の無い声が降り注ぐ。
結界で守られているはずの教会から悲鳴が聞こえてくる。
断腸の思いで眷属を倒していた兵士達も悲鳴を上げている。
そして、ヴォーケンの周りで正気を失ってしまった仲間達もまた、眷属へと……。
「――許せとは言わねェ……」
彼らはヴォーケンの手によって、眷属化する前に、その首を斬り落とされた。
王都中に音無き声を響かせ続ける『外なるもの』を、憎悪を込めて睨むヴォーケンだが、
「任務失敗……このまま戦っても勝ち目無し……退くしかねェな」
冷静な判断力は失われていない。
彼はまだ、絶望しきっていなかった。
思考を巡らせ、教会に居るであろうエスリンとの合流を目指し、撤退をする。
そして王国史上最悪の防衛戦が始まった。
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