第69話


 ※ 三人称視点



 デュオイット王国。その王都ゼミドット。

 大陸東部の大国であり、その心臓部となる大都市。

 王城は天を衝く程に巨大であり、都市のどこからでも見ることができるその雄大な建造物は、王国のシンボルにもなっていた。




 その日の夜、王都は唐突に戦場と化した。


 どこから来たのか、何が目的なのか、誰も分からぬままに戦端が開かれたのだ。


 月の浮かぶ中天より降り注ぐ、巨大な口だけの怪物の群れ。


 その数はゆうに千を超える。


 怪物の群れは家屋を壊し、のたうって瓦礫の中を這いずり、生きている人を察知すればすかさず喰らいつく。


 血飛沫が舞い、悲鳴がそこかしらから上がり、肉を咀嚼し、骨を砕き、血を啜る音が響く。


 地獄が地上に現れたかのような惨状がそこにあった。


 それを見下ろすのは銀色の『外なるもの』。


 閉じる事のない巨大な口と、歯の代わりに並ぶ数多の瞳。


 皺の刻まれた銀色の球体が無数に連なった胴体。


 揺らめく四本の触手。


 十メートルを超える、この世のどんな生物とも似つかない巨体が、鳥の如き翼もなく、魔力もなしに天空に静止している。


 まさにこの世の理から外れた存在であると言えよう。


「               」


 音の無い声が王都に降り注ぐ。


 精神の壊れた者ほど、その声は魂を震わせる。沁み込んでいく。


 唐突な惨劇に、家や家族の喪失に、受け入れ難い現実に、心を壊した者ほど素早く眷属化してしまう。


「あぁ……あああ!   ぁ      ぁ!」


 魂を変質させられ、肉体までもが変貌する。


 頭部が肥大化し、口ばかりが比例して大きくなり、それ以外は膨れ上がった肉に埋もれてしまう。


 人の声を失い、やがて音無き異界の声を響かせる。


 その眷属の声もまた眷属化を促す力があり、連鎖的に被害が広がっていく。


 死者が百を超え、千に迫ろうとしていた……その時である。


 口だけの怪物――銀の『外なるもの』の眷属が撃破されていく。


「民を守れッ!!!!」


 戦場を突き抜けるように轟いた号令に呼応して、金属の鎧に身を包んだ兵士達が街を駆ける。


 声の主は豪奢な鎧を身に纏った騎士――王国守衛隊隊長、ハイノースという益荒男ますらおであった。


「負傷者は聖堂に連れていきな!」


 老女が救助された民間人を運ぶ兵士達に指示を飛ばす。


 深い皺の刻まれた顔と、白く染まった髪からは相当な年期を窺えるが、背筋を伸ばし凛と立つ姿と、金の瞳が放つ意思の輝きは、老いなど感じさせないものであった。


 見た目とは裏腹に、その存在感からして眩さと美しさを感じさせる彼女は、太陽神の聖女――名をエスリンという。


 眷属の侵攻が食い止められ、その原因をこの二人と判断した『外なるもの』は、百体の眷属を呼び寄せ、ひょうの如く二人の頭上に降らせる。


 いかに優れた個人と言えど、力には限界というものがある。


 水道の栓を全開にしても、蛇口という限界を超える水が出ないように。


 あるいは、その限界を超えようとすれば、蛇口ごと壊れてしまうのだから。


 空から落ちてくるおびただしい数の眷属に、二人は驚きも焦りも見せない。


 銀の『外なるもの』が疑問に思うより早く、魔術や魔法、矢の嵐が眷属をバラバラに引き裂いた。


 傭兵達からの攻撃である。


 彼らの最前列、その中央に立ち、不敵な笑みを浮かべて『外なるもの』を睨む傭兵が居た。


 大陸内で一、二を争う実力を持つ傭兵団の長、ヴォーケンが、国王からの依頼を受けてこの戦場に現れた。


 彼は信頼する部下に仕事を任せ、ハイノース、エスリンの二人と合流をする。


「よお旦那、こっからどうするよ。特にあのお空に浮いてんの」


 軽薄な口調でハイノースに言葉をかけるヴォーケン。


「まずは奴の分析だ。エスリン殿、現段階で何か分かりましたかな?」


「さてね、精神に干渉する波のようなものを放ってる事と、距離を無視して眷属を引き寄せる手段を持ってる事くらいしか分からないねぇ」


 エスリンは肩をすくめて、そう答えた。


「精神干渉……速やかに防御手段を整える必要がありそうですな」


「距離を無視って……つまりあの怪物、いくらでも増援を呼べるって事か?」


「ハッ、なんだいビビってんのかい?」


 唸る二人を見て、エスリンは口の端を釣り上げて挑発的に笑う。


 言い訳を口にしようとしたヴォーケンだが、視界の隅に映ったものに目を奪われる。


「――――わりぃ、これビビるわ」


 いつになく弱気な言葉に疑念を抱くエスリンとハイノースは、彼の視線を追って、その先にあったものに表情を引き攣らせる。


 眷属の死体の内、元は王都の民だったものが、中途半端に人の形に戻っていた。


 怪物の姿のまま死んでいるのは、王都襲撃前に眷属化した人々だ。


「これは……いかん、兵士達の士気がッ!」


 怪物を殺して、それが守ろうとした元民間人だと知ったら、兵士の精神に強い負荷がかかるのは必至であった。


 眷属化した王都の民の死体が、徐々に元の姿を取り戻していく。


 中には知った顔もあったのかもしれない。


 兵士達の間に動揺が広がっていく。


「               」


 再び空から音の無い声が降り注ぐ。


「あ……ぐ……ッ!?」


 何人かの兵士が頭を両手で抱え込むように押さえて苦しみだす。


「婆さん!!」


「任せな!!」


 エスリンの太陽神の奇跡を顕現させる。


 辺り一帯が昼のような明るさに満ち、苦しんでいた兵士達の呼吸が落ち着く。


「ひとォつッ!!! 王都守衛隊は決して揺るがぬ盾であるッ!!!」


 魔力の伴った激励が兵士の精神に力を与え、こびり付く悪意を振り払う。


 どうにか持ち直す周囲の兵士達……だが、


「               」


 戦場は広大な王都。


 声も、光も、その全域をカバーする事はできない。


 対して『外なるもの』の音無き声は、耳を塞ごうと、部屋に閉じ籠ろうと、響き、届くのだ。王都全域に。


 遠い場所では、兵士達の中から眷属化する者が現れ出した。


「あの化け物よォ! クソほど邪悪だなァ!?」


 ヴォーケンが叫び、剣を抜き放つ。


「待ちな! 奴が姿を晒してんのは理由があるはずだ!」


「じゃあどうすんだよ、この状況よォ!?」


 エスリンの言葉で、ヴォーケンは剣を振るうのを止めるが、代わりの打開策を求めて叫ぶ。


「まずは精神干渉を防ぐ手立てを整えよッ!!!! その後に攻勢に出るッ!!!!」


 それに答えるように、ハイノースが凄まじい大音声で叫んだ。


 ホエザルの因子を持つ彼の声は、魔力で強化する事で数キロメートル先まで届く。


 各所に配置された伝令が、王都中の部隊に彼の声を届ける手筈となっていた。


 その声の大きさに、思わず耳を塞ぐエスリンとヴォーケン。


「ったく、声がでかいったらありゃしない……次から先に一声かけなハイノース」


「あ、あー……あれ? 鼓膜破れてないよな? 大丈夫だよな、俺の耳?」


 他の近くに居た兵士達も大声にやられたのか、ふらついている。


 そんな事を一切気にせず、ハイノースはエスリンに二人に声をかける。


「全責任は儂が持つ。この行動方針で良いな、二人とも」


「まあいいさ、どのみち攻撃しなきゃ勝てないんだからねぇ」


「なあ、この後の話してる? ちょっと耳イカれてんだけど……」


 耳がおかしくなってるヴォーケンを、エスリンは片手間に癒す。


 本来、癒しの権能とはこんなにも簡単に、何の対価もなく行えるものではないが、それができるのがエスリンという聖女だ。


「奴への攻撃は、ひよっこ共の精神を守れる準備を整えてからだよ」


「ああ、それなら問題ねぇわ。俺の部下にも頼むぜ」


 ヴォーケンが正常になったのを確認し、ハイノースが声を上げる。


「教会への一時撤退指示を出す」


 その言葉を聞いて、周囲の者達は即座に耳を塞いだ。


「全軍一時撤退ッ!!!! 可能な限り負傷者を連れ、事前に指定された場所に退避せよッ!!!!」


 波が引くように、統率された軍隊が退いて行く。


 教会まで退いた彼らを見下ろす『外なるもの』は、不気味な程に何もしなかった。




 この時点で、王都は民を一割ほど失った。


 眷属で殺し、生き残ったが故に絶望した者を眷属化し、また殺させる事で更なる絶望を振り撒く負の連鎖。


 邪悪で、合理的で、効率的な侵略だった。


 だが王都の守護者たちは諦めない。


 彼の『外なるもの』を必ず討たねばならぬと決意を新たにし、攻勢に出る。




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