第68話


 ※ 三人称視点



 教会の一室で、ソノヘンニールと二人の男が会話をしていた。


「――ですので、司祭ソノヘンニール。貴方には教会自治領に赴き、此度の件について詳細な報告を行う義務があります」


「……分かりました」


「枢機卿も、教皇様もこの件に注目しております。これは極めて重大な任務です」


 領主が教会自治領と連絡を取った事により、前任の司教の死亡が伝わって新しい司教がやってきたのだ。


 たった今ソノヘンニールに教会自治領への帰還を命じた男が新任の司教だ。


 もう一人は新任の司祭で、特に何をするでもなく司教の隣に直立不動でいる。


 ソノヘンニールは浮かない顔をしていた。


 自治領への帰還命令に対するものではなく、自責の念からくる表情だった。


 聖職者であれば、その表情は当然良く知っていた。


「前任の司教を失ってしまった事は残念な事でした。しかし贖罪をするのであれば、今すべき事は悼む事ではないのではありませんか?」


 新任司教はソノヘンニールを窘めるように声をかける。


「はい、承知しております」


 その言葉に満足げに頷く新任司教。


「では、三日以内に出発してください。事態は急を要するのですから」


「分かりました」


「話は以上です。貴方の行く先に神の加護があらんことを」


 そう言ってソノヘンニールに退出を促す新任の二人。


 既にランゴーンの教会は、新任司教の手に委ねられた。


 ソノヘンニールの帰るべき家は、この町のどこにもなくなったのだった。


 彼は荷物を纏め、その日のうちに教会から離れる。


 駅馬車の運行について調べ、教会自治領への足を確保する為に行動をしている途中で、ソノヘンニールはアリドと出くわした。


「やあ」


「アリドさんですか……どうかしましたか?」


「いやさ、仕事が無くて金欠でね……護衛とか雇う気ない?」


 唐突な出会いに驚くソノヘンニールだが、その言葉にもっと驚く事になる。


 彼にとって渡りに船だが、アリドの事なので何かしらの方法で情報を得ていた可能性が頭をよぎった。


「どうやって知ったかは聞きませんが……ありがたく雇わせて頂きます」


「よし、それじゃあちょっと一緒に傭兵ギルドに来てくれ。あの空気の中で一人はちとキツイんだわ」


 アリドの変わらない態度に、ソノヘンニールは妙な安心感を覚えつつ、旅路を共にする契約を結んだ。


「ああそうだ。あの二人もついてくるけど、良いよね?」


「ええ、そちらがそう決めたのであれば、問題ありません」


 数日後に駅馬車での合流を約束し、二人は別れた。




 ◇


 ランゴーンの傭兵ギルドは鬱屈とした空気で満たされたいた。


 まっとうに働いていた職員にとって、領主からの通達は余りにも受け入れ難かった。


 彼らからすれば、ある日突然、同僚が、先輩後輩が、上司が、部下が、動く死体だったと告げられたのだから。


 傭兵団のいくつかも消滅した。


 中には町で信頼を集めていた所もあり、その損失は計り知れないほど大きい。


 ギルド長や受付にいつも立っていたヤギナをはじめ、職員の三割が居なくなった。


 当然運営は困難となり、領主から人材を派遣してもらうことで、どうにか仕事を回しているのが現状となっていた。


 残った職員の中には、犬の獣人オーベッドが居た。


 五年前の疫病で妻子を失い、自棄になっていた所を、ギルド長だった男に救われた過去があった。


 彼は今、仕事を終えて、いつもなら寄る酒場にも入らず、まばらな街灯が照らす薄暗い路地を、背中を丸めて地面を見つめながら歩いている。


 顔色は悪く、頬はこけ、目の下には隈が浮かんでいる。


 人員が減った事で慣れない激務に追われ、信頼していた人々が死体だという真実を叩きつけられ、今にも心が死にそうになっていた。


 食事は味のない砂を噛むようで、家に帰って安酒をあおり、泥酔する事で無理矢理眠る日々を繰り返す。


 かつては海の傭兵として名を上げた彼は、今では見るに堪えない有様であった。


 心身共に壊れかけた彼だが、帰り道の途中で不意に足を止める。


 誰かが立っていた。


 オーベッドが顔を上げると、彼の目には、この世のものとは思えないほど魅力的な少女が映った。


 一度彼女の右目――怪しく光る昏い虹色の瞳を見ると、目が離せなくなった。


 彼の頭の中で警鐘が鳴り響く。


 即座に逃げ出そうとするものの、しかし体が動かなかった。


「(何だコイツ!? 明らかに異常だ!!)」


 美しすぎるものとは、往々にして人を狂わせる。


 海賊や商人の手を渡り歩いた、持つ者が不幸に遭う呪いの宝石。持てば人を切らざるを得なくなるという悪霊付きの刀剣など。


 曰く付きのそれらは、芸術的な美しさのみならず、纏う空気もまた、特定の人物を強く惹きつける色気を放っているものだ。


 オーベッドは少女から、それらに似た空気を感じ取っていた。


「――ッ! ――ッ!?」


 大声を出して助けを呼ぼうとし、言葉が出ない事に気付く。


 そうして何もできないまま、オーベッドが路地に倒れた。


 少女が自分の右目を指でなぞると、虹の瞳は白濁の瞳となった。


「私、思うんですよねぇ」


 少女は独り、誰も聞かない言葉を呟く。


「というか考えなしだったんですよねぇ……ええ、無能な働き者なんて、意思のない人形にでもすべきでした」


 彼女――ユーティは、自分が人の力でどうこうされるとは思ってもいなかった。


 適当に数揃えておいて、後は勝手にやらせれば良いと考えていた。


 慢心していたのだ。


 それが混沌神の介入を許すと言うミスに繋がり、結果今の弱体化した姿になった。


「今の私は弱い、脆い、遅いと三拍子揃ってますからねぇ……なので、不遇だけど才能ある者を、ちゃんと選んで引き抜く事にしました」


 だが同じ失敗を繰り返すほど彼女は愚かではない。


 神々に介入させず、アリドのみを誘い出し、今度こそ彼の魂を持ち帰るのだと意気込む。


「アリド君が町から出る時に合流するとして、それまでに手駒をいくつ増やせますかねぇ」


 ユーティは倒れたオーベッドを掴み、引き摺りながら夜の闇へと姿を消した。



 この夜のオーベッドの失踪事件は、精神的疲労などを原因とする夜逃げと判断され、捜査は適当な所で打ち切られた。


 傭兵ギルドに募る不信。職員にかかっている重圧や重責。


 そういったもののせいで、誰もが深く探ろうとはしなかった。


 何より夜逃げしたのが彼だけではなかったと言うのも大きい。


 そのせいもあって、ユーティの暗躍は順調に進んだ。




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