第67話


 ※ 三人称視点



 深い入り組んだ海底に、一軒の隠れ家がある。


 そこはランゴーンで暗躍していた死霊術師ネクロマンサーが隠れ住む場所だ。


 操っていた死体との接続を全て失い、目を開いた。


 灰色の長髪と肌と瞳に、横に長い瞳孔。掌や足の裏に吸盤がある。


「……はぁ、面倒な事になったわね」


 蛸の魚人である彼女は、通常の脳に加えて八つの小脳を持つ。


 その優れた演算能力によって、数多の死体を同時に操っていた。


 それと、肌や髪の色、身長や体形、顔の造形など、見た目に関しても、ある程度は自由に変化させる事ができる便利な身体を持っている。


 その代わり骨が弱いという欠点を持つが、彼女がそれを気にした事はない。


 短所を補って余りある長所があるためだ。


 優れた頭脳を持ち、勤勉で慎重な彼女は、しかし困り果てていた。


「眷属が私を敵視している……アリドがなにかした?」


 彼女は傭兵ギルドで出会った人間の少年を思い浮かべる。


 死霊術師は「ヤギナ」でも有象無象の死体でも声を同一にした。


 眷属達と毎度同じ身体で会う訳ではなかったため、音声を統一する事で自身である証明としていた為だ。


 あの後、下水道でアリドと眷属が会敵した際に声真似でもされたのではないかと、彼女は考えている。


 スライムのような変幻自在の身体を見て、声などいくらでも変えられると思った。


 何より彼女の知るアリドは油断もなく、容赦もない。


 それなり以上に頭の回る新米傭兵を、彼女は高く評価していた。


「ランゴーンで残ってるのは……空の器くらいね」


 アリドの悪知恵によって行われた離間工作だが、実に効果的に働いた。


 彼女の手足となるはずの死体は、領主側からも眷属側からも破壊され、もう残っていない。


 残るは空の器のみ。


 彼女から眷属に提供した肉体保存技術だが、実は保存のみではなく、死霊術で操れるよう受信機としての機能も混入させていた。


 空のままの状態であれば操る事ができるが、眷属が入ると制御権を奪われてしまう程度のものではある。


 アリドが一度目の下水道探索に出かけた時に教会付近で遭遇した、中身の無い眷属の正体はこれだ。


 彼女としては気が進まないが、死霊術で意識を転写して様子を窺う事にする。


 場所は空の器の保管所。


 丁度良く眷属が器に入ったようで、魚面が動き出す。


 眷属は歩きもせず、その場で蹲ってしまった。


「(どうしたのかしら?)」


 しばらく様子を見ていると、後から数人の眷属がやって来て、誰もが無言だった。


 死霊術師はまるで通夜のように陰鬱な空気に満たされた眷属達を観察する。


「……もう駄目だ、どうしようもない」


 沈んでいる眷属の誰かが、諦観の言葉を零す。


「あの死霊術師……きっと最初から、こうするつもりだったんだ」


「(何がどうなったのよ……いじけてないで喋ってくれないかしら)」


 彼女の想いが届いたのか、眷属達は口々に勝手な憶測を喋り出す。


「あいつは俺達が対価を払えなくなるのを待ってたんだ」


「そうだ、いつかは払えなくなるものを要求してきてた」


「あの外から来た傭兵だって、いつかこうする時の為に取っておいたに違いない」


「我らの主は、どこへ行ってしまったのだ?」


「奴も『外なるもの』を呼び出したと言うじゃないか……我らの主を狙ってたんだ」


「初めから信用すべきじゃなかった……他の仲間も、みんなあいつに殺された……」


 悲嘆に暮れる眷属達の会話を盗み聞き、彼女は状況を推測する。


「(アリドが私の声真似をして暴れているのはほぼ確定で良いわね……奴らの『主』が行方不明なのは、アリドがやったと断言できないけど、関連性はありそうだわ)」


 更に話を聞いてみると、残る眷属はここに居る数人と、他の沿岸の町に派遣した少数のみだと彼女は知った。


「(……アリドは敵に回したくないわね。味方は無理でも、取引相手くらいにはなれるかしら?)」


 正直な所、彼女はアリドをそこまで嫌っていない。


 むしろ、見た目も性格も好みであると言える。


 呼び出した『外なるもの』によって嬌声を上げさせられた姿を見て、普段の冷静な態度とのギャップに興奮を覚えたくらいだ。


「(あれは眼福だったわぁ……)」


 彼女がアリドの痴態を思い返して悦に浸っていると、空の器の一つが動き出した。


 眷属達は気付かず、延々と死霊術師に対する憎悪を嫌悪を口にしている。


「(遠征に出たという眷属……じゃない! なに、あれは?)」


 器の表面がのたうち、蠢き、形を変えていく。


 魚の顔が人の顔に、手足も人のそれとなり、黒い長い髪が生えていく。


 開かれた瞳の色は、左が白。右は、まるで鉱石のような昏い虹色をしていた。


 ぞっとする程に美しい少女のかんばせがそこに在った。


 右の目を閉じもせずに指でなぞると、虹の瞳は白濁したものへと変化した。


 白い瞳が、死霊術師の意識の宿る器へと向けられそうになる。


 その瞬間、彼女は圧倒的な存在感に潰されそうになり、同時に凄まじい恐怖と悪寒に襲われた。


「(――まずっ)」


 完全にその瞳に捕らえられる前に、彼女は器から意識を元の肉体に引き戻した。


「……はは、なにあれ……あれが『外なるもの』?」


 死霊術師の口から乾いた笑いが漏れる。


 彼女は、眷属の主と、自分が呼び出したものとの差に慄然とする。


 だがその思考はすぐに改めた。


「いや違うわね、私が召喚した奴だって、五年前ならあの比じゃなかったはずだし……」


 たかだが百にも満たない死体で呼び出したため、あの程度で済んでいたのは紛れもない事実だった。


 もし五年前に召喚が成功していれば、一キロメートルを超える巨体が顕現した事だろう。


「案外、五年前は失敗して良かったのかもしれないわね……」


 成功していれば、自分がどうなっていただろうかを考えて、彼女はそう呟いた。


 しばしぼんやり天井を眺めて、静かに呼吸をしながら心が落ち着くのを待った。


 気持ちが落ち着いてから、ふと気付いた。


「アリドにこの情報売れるかしら」


 敵ではないが、味方でもない。


 そんな中立の立場になる事ができそうだと彼女は考える。


「私は私の目的を果たす……その為なら利用できるものは全部使うわ」


 世界の深淵の、その先を目指すため、彼女は思考を巡らせる。




 一方で、器の保管所には少女の形をした『外なるもの』だけが残っていた。


 空の器も、眷属達も、まるで夢であったかのように消えて無くなってしまった。


 見る者全てを魅了するような笑みを浮かべ、それは愛しいものの名前を呟く。


「有戸……アリド……アリド君……うん、間違いない」


 眷属と同じく、実態を持たないこの『外なるもの』の化身アバターは、一度は混沌神によって完全にこの宇宙から消滅させられたはずだった。


 再びこの世界へ化身を送り込む事は『外なるもの』からは不可能であり、かと言って現地民に『外なるもの』召喚できるほど異界の知識に精通している者も少ない。


 しかし眷属が残っていた。


 信仰という回路バイパスによって、辛うじて繋がりが残っていた。


 原産地がこの世界のものである眷属の魂を乗っ取る事で、速やかに舞い戻って来れたのだ。


 全ては愛しい魂を手に入れるため。


「早く会いたいなぁ」


 異邦の神の独善エゴが、アリドに向けられる。


 熱烈に、執拗に、どこまで深く、強く、激しく。


 だが自身が大幅に弱体化している事と、今のままではアリドをお持ち帰りできない事が分からない『外なるもの』ではない。


「しばらくは、この世界を一緒に回るのも悪くないよねぇ」


 近くで機を窺う事にしよう――「ユーティ」とアリドに名乗った『外なるもの』はそう考えていた。


「それじゃあ『第二次アリド君お持ち帰り計画』を練りましょうかねぇ」


 彼を知り、学び、愛し、いつか一つになる日を夢見て。



 実はユーティが精霊と交信できる祈祷師シャーマンであるという話は嘘ではない。


 乗っ取られた眷属と、この場に居た眷属に備わっていた才能や技能を奪ったのだ。


 記憶や経験も、演技キャラ付けに必要なものを奪った。


 ソノヘンニールとの出会いは、夢の権能にて恣意的しいてきに操作されている。


 あの夢の世界の支配者はユーティなのだから、この程度は当然できた。


 使徒でも聖女でもないソノヘンニールの魂では『外なるもの』の権能に抗う事はできなかったため、ユーティの望む通りの展開になった。


 ユーティが彼を助けたのは、アリドに近づく為の一手に過ぎない。


 弱体化こそしたが、だからこそ、今の彼女に油断や慢心は無い。


 持てる全てを尽くし、アリドを手に入れるためにユーティは動き出す。




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