第64話


 クタニアとアルシスカが海へと飛び込んできた。


 二人とも綺麗なフォームで泳げている。


「呼吸や会話に支障はないか?」


 クタニアはふわふわと海を漂いながら、落ち着いた様子で口を開く。


「私は問題ありません」


 アルシスカに目を向けると、息を止めているようで頬を膨らませている。


「…………」


 まあいきなり順応は難しいか。


 しばらく見つめていると、限界が来たのか口から泡を吐く。


「ごぼッ!」


「気合いで何とかなるから頑張れ」


 軽く言ってやると、目を吊り上げて俺を睨む。


「簡単に言うなッ!」


「喋れるようになったじゃん」


 呼吸ができないという思い込みを怒りで上書きできたのだろう。


 アルシスカは一瞬きょとんとした後、自分が水中で普通に喋れた事に驚いていた。


「息が……苦しくない……」


「厳密には違うんだろうが、夢みたいなもんだからな」


「夢の中らしい、幻想的で綺麗な海ですね……」


 クタニアが海に対して感想を述べる。


 海の中は色鮮やかな珊瑚礁が広がり、ふわふわと緑の光が所々に浮いている。


 光はホタルイカとかウミホタルとか、そういう類の生物ではないようで、その正体は分からない。


 以前の事を考えると、これらの中身は想像がつく。


 この情報をあえて共有する必要はないだろう。


「とりあえず、あの大きな建物が敵の本拠地だろうし、慎重に向かおう」


 先導して海底を歩いて進む。


 徐々に近付き、建物の全容が明らかになった。


 凹の字のような形状で、所々に珊瑚を乗せた岩と一体になっていて、大きさは前世での小中学校くらいはある。


 へこんでいる部分に扉があり、正面から乗り込むと建物の窓から十字砲火を受けそうな地形だ。


「どうやって侵入するか……」


 俺だけなら強引にでも行けると思うが、ソノヘンさんを人質にされると面倒だ。


 できれば隠密に侵入したいが……。


「私が行く」


 アルシスカが潜入を申し出る。


「アルシスカは隠密行動や潜入捜査が得意なんです」


「任せろ、私はこっちの方が本職だ」


「分かった。バレずに侵入できそうな道があったら教えてくれ」


 隠密行動が得意なら、ここは任せる方が良いだろう。


 アルシスカは岩と珊瑚の間をスルスルと登って行き、あっという間に見えなくなった。


 遠目に眷属の拠点らしい建物を観察していると、後ろから声がかかる。


「あの、アリド、一つ聞きたいのですが」


「ん? なんだ?」


 控えめにクタニアが質問をしてきた。


「アリドが戦った『外なるもの』がここに居たら、大丈夫でしょうか?」


「大丈夫じゃないな。遭遇したら即帰還する」


 クタニアが夢の世界でどの程度の戦力になるか不明なので、勝ち筋が見えない。


 俺の即答に彼女は驚いたように声を上げる。


「それは……司祭殿の救出を、諦めると……?」


「全滅したら元も子もないしな。それにソノヘンさんは、自分の為に犠牲が出る事を許容する性格だとは思わない」


「確かに、そうかもしれませんが……」


 理屈では理解しているのだろうが、納得はできないといった顔をしていた。


 この辺はまだ幼さを感じるな。


 死神の聖女という役職から、もっと人の生き死にに慣れてると思っていたが。


「私は、五年前からの記憶がないんです」


 俺の内心を知ってか知らずか、疑問への回答に繋がりそうな話題になる。


「生まれ直しか?」


「……気付いていたのですか?」


 呆気に取られた表情でこちらを見てくる。


「いや単なる予測だよ。そういうクラゲが居るって知ってただけ」


「そうなんですか……私、記憶はないのですが、記録は知っているんですけど、全然上手に利用できなくて」


「死者の記憶を記録として知る事ができるけど、上手く活用できないと?」


「はい、アリドは、本当に何でも分かるんですね……」


 俺も似たような事ができるから、本当にただの予測なんだよなぁ。


 この勘違いは正しておきたい。


「何でも分かるなんて事は無い。ただの経験と知識から来る予測であって、それ以上ではないよ。俺にだって分からない事だらけで、いつだって迷って、悩んでいる」


「私には、とてもそうには見えないのですが……」


「そう見られる事、それ自体が付け入られる隙になるからな。悪意から身を守るために身に着いた技術の一つだよ」


 前世では一つの失敗で鬼の首を取ったように叩く連中がどこにでもいたからな。


 こういうのは自然と身に着いたものだ。


「例えばな、間違いを指摘されても『そっちか』とでも言っておけば『別の可能性も考えてました』って態度を取れるだろう?」


「え、えぇ……?」


 急に何をって感じの反応だが、これは前提として教えておきたい事だ。


「他には、何も分からなくても『単なる予想で場を振り回したくない』と言っておけば『いくつか考えがあるんだぞ』って風に装えるだろう?」


 クタニアは開いた口が塞がらないといった感じで呆然としていた。


「他人からどう評価されるか、どう見られるかをコントロールできれば、他人の動きや感情をある程度誘導できるんだ。そしてそれは自分の身を守る事にも繋がる」


「……アリドは、頭が良いのですね」


「いや、頭の良し悪しじゃない。こういう技術を身に付けなきゃ、マトモな仕事の一つもできない環境で生きてただけだよ」


 面接だの履歴書だの、嫌な思い出しかない。


 あれらで前世の人間の大半は、印象操作の技術と知識を学ぶのだ。


「何度も嫌な経験を積んで、それを回避するために技術を向上させた。クタニアには、そういった経験が少ないってだけだろう。そして、それは決して悪い事じゃない」


「はい、適材適所、ですね」


「そうだな。どんな経験でも、知恵をもって技術に変換できれば、それは価値のあるものだ」


 気付いたら人生相談のようなものになっていた。


 いつから俺はこんなに説教臭いスライムになったのだろうか。


 自分の考えに耽るクタニアを横目に待機していると、アルシスカが戻って来た。


「どうだった?」


「拠点内部の構造だが、三階建てで地下がある。三階から一階に気配はなかったが、地下にはあったから、そこで引き返してきた。今なら正面から行っても人目につかないだろうな」


 アルシスカは端的に分かりやすく報告をしてくれる。


「ありがとう、良い情報だ」


 当然だと言わんばかりの顔で頷く。


 礼を言っても愛想笑い一つしないが、耳と尻尾はまんざらでもなさそうだ。


「よし、正面から乗り込むぞ。疑う訳じゃないが、念のため俺が先行する。夢の世界特有の罠とか、帰還した眷属とバッタリ出くわす可能性もあるしな」


「分かった」


 二人をその場に残し、眷属拠点の入口に到着する。


 自分の目で改めて周囲を見渡しても何もなく、物音の一つもしない。


 手を上げて安全を確認したという合図を送る。


 扉に鍵などかかっておらず、そのまま内部に侵入して、今度はアルシスカの先導で地下を目指す。


「ここだ」


 地下への入口を短く告げるアルシスカ。


 入口の先に灯りは少なく、薄暗い下り階段が続いている。


「こっからはまた俺が先行する。行くぞ」


 頷く二人の前に出て、階段を飛び降りるように、しかし音は立てずに下って行く。


 探索用の触手を伸ばすべきか悩んだが、過去の経験から夢の世界では精神、または魂の強さが存在感と比例してる気がするので、現実世界と同じ隠密性は確保できないと判断して止める。


 実際、異形の『外なるもの』の存在感は凄まじかったしな。


 階段を下り切った先には広間があり、落ち着かない様子の眷属がたむろしていた。


 こちらに気付かなかったようなので、少し引き返して身を隠す。


 後ろから来る二人を手で制し、止まってもらう。


 恐らく、こっから先は時間との戦いだ。


 動き出したら、あとはもうノンストップで駆け抜けるしかない。


 あと少し無事でいてくれ、ソノヘンさん。




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