第63話


 教会に戻る頃にはすっかりと夜も深まっていた。


 重厚な扉を開けて中に入ると、受刑者のような面持ちのクタニアとアルシスカが俺を出迎えた。


「ただいま……何かあった?」


 執事さんが言っていた医者が関係してるのだろうか。


「おかえりなさい、待ってました」


 妙な気迫を感じる声で答えるクタニア。


 その時、横から魔女みたいな見た目の老婆がやってきた。


「カッカッカ、あんたがお嬢ちゃん達の言う頼れる奴かい」


「領主が派遣した医者で合ってるか?」


「ああ、コージッドの坊やに頼まれてきたのはアタシさ」


 予想通り、この人が医者のようだ。


 全然そうは見えないが。


「それで、寝たきりの彼は?」


「お嬢ちゃん達が言うに、どうも魚面共の血肉なんかが体内に入ってるみたいでね……少量なら問題はないが、随分と多い。おかげで薬を飲んだ時と同じ様な容態なのさ。そこで、アタシの薬であの男の夢に入って救出をするって流れになったのさ」


「把握」


 俺も眷属共を吸収してえらい目にあったからなぁ……。


 ソノヘンさんも似たような状態になったのか。


「で、その薬ってのは?」


「こいつさ」


 老婆はそう言って手に持っていた籠から一本の瓶を取り出す。


 瓶の中で血のように赤い何かが蠢いてるんだが……まあいいか。


「効果は?」


「なんだい、嫌そうな顔一つしないねぇ……」


 ちょっとこのおばあさん、中々良い性格してんな?


「こいつの効果だが、簡単に言えば、夢と現実を繋ぐ道を作るのさ」


 一応細かい性能は確認しておきたいな。


 ちゃんと答えてくれるかね、このおばあさん。


「繋がる対象は? ランダムじゃ彼の夢に行けるとは限らないぞ」


「安心しな、繋がる先は魚面共が拠点にしてる夢さね」


 薬に囚われた人を助けるなら、まあそこに繋がれば問題はないか。


 領主側もかなり情報を掴んでいたし、研究も色々やってたのだろう。


「道の強度は? あと制限時間は?」


「強度も制限時間も、この薬を飲んだ奴の精神力に依存するから、実際に飲まんと分からんね」


「渡るのは何度でもできる?」


「そこは問題ないさ。道がある限り往復は自由にできるはずさね」


「眷属がその道を使う事は?」


「そこは最初に潰したさ。アタシがそんなヘマするような婆に見えるかい?」


「いや知らんがな」


 聞きたい情報はあらかた出たかな。


 いや、あと一つ。


「ちなみに眷属の拠点で彼が死んでる可能性とか分かる?」


「死ぬか堕ちるかしてんなら魚面になってるさ」


 老婆の言葉に安堵の息が零れる。


 まだ間に合う。


 よかった――心からそう思う。


「あ、そうだ。お医者さんの事は何て呼べばいい?」


「よしとくれよ、お医者さんだなんて。鱗が逆立っちまう……そうさね、アタシの事は『岬の魔女』か単純に魔女と呼びな」


 医者ではなく、魔女と名乗ってきた。


 領主も戦力を集めていたらしいし、この人はその一人だと予測できる。


「そうか、俺はアリド。魔女婆さんの名前は?」


「カッカッカ、なんだい、この婆を口説こうってのかい?」


「いや、変な副作用とかあったら賠償を請求するから」


 スッと真顔になる魔女婆さん。


「……お前さん、死ぬほど可愛げがないねぇ」


 だって明らかにヤバそうじゃんその薬。


「褒め言葉として受け取っておくよ。一応傭兵だし」


「まったく、あっちのお嬢ちゃん達は年相応だってのに……まあいいさ――リセイジア、それがアタシの名だよ」


 魔女婆さんは普通に名乗ってくれた。


 ちゃんと覚えておこう。


「ま、何かあったらコージッドの坊やに全部押し付けるさね」


 いやー、ほんっと良い性格してんな。




 ソノヘンさんの寝ている一室に全員が集まる。


 俺とクタニア、アルシスカの手には例の赤い薬が握られていた。


 俺達三人はそれぞれ横になっても大丈夫な場所に座っている。


 リセイジアはいざという時にクタニアとアルシスカを強制帰還させるため、そしてソノヘンさんにも赤い薬を飲ませるために残ってもらう事にした。


「…………これ、本当、に、飲むん、です、か?」


 浅く速く呼吸をするせいで言葉が途切れ途切れになっているクタニア。


 瞳孔が限界まで開かれ、目尻には涙すら浮かんでいる。


 確かに見た目的にはきついなコレ。


 にゅっと伸びた蛞蝓なめくじの目のような部分が、左右にぴょこぴょこ動いてるのが最高にキモイ。


 アルシスカはぎゅっと口を結び、股下を通して胸の前に持ってきた尻尾の先を、空いている方の手で握っていた。


 彼女も呼吸が浅く速くなっている。


「さあぐいっと行きな。一気に行った方が気持ち楽さね」


 クタニアとアルシスカが俺を見る。


 その目は「本当に飲むの?」と問いかけてきているようだった。


 たぶん飲まないでほしいのだろうが……。


「じゃ、手はず通りに頼む」


「任せな。アリ坊もしくじんじゃないよ」


 まあ飲まない選択肢はない。


 正直、万が一の保険を考えるとクタニアとアルシスカの二人も残ってても問題ないと思うのだが、何やら飲まなければならない理由があるようだ。


 一気に中身を飲み干す。


「(……一応溶解せずに吸収するか)」


 腹の中で蠢いている感覚が伝わってくる。


 溶けた薬が精神に付着し、その形状を変えていく。


「(ん? 精神に干渉されてるのが分かるようになってる?)」


 これは魂の成長が原因だろうか……それとも夢の世界に足を踏み入れたから?


 変形した後には道ができた。


 自分の精神がそこに乗り、エスカレーターで移動するような感覚と共に意識がどこかへと運ばれていく。


 その後、暗闇のトンネルを抜けたような開放感と共に世界が広がっていく。


 視界いっぱいに岩礁の海が現れた。


 俺は切り立った崖に立っていて、見下ろす海の岩と岩の間に、緑色の淡い光が見える。


 よく目を凝らして見てみれば、海の中に建造物が確認できる。


「あれが眷属の拠点か?」


 一つ、明らかに大きい建造物を見つけた。


 緑の光の量も、あそこだけやけに多い。


 たぶんそうだろうと当たりをつけて、二人を待つ事にする。


「……………………」


 ……来ねぇ。


 飲むのに抵抗感じるのは分かるけど……あと少し待っても来なかったら、目印なりメモなり残して先行するか?


 と考えた矢先に来た。


 あるよね、こういうの。


 背後に現れた気配に振り返る。


「ヴゥヴェ……」


「オ、グェ……」


 そこには思いっきりえずいている二人の姿が。


「大丈夫……じゃあなさそうだが、ソノヘンさんが夢に囚われて結構長い。迅速に行動したいから、早めに立ち直ってくれ」


「……あ゙い」


「分かってる……ヴッ!」


 ……回復する気配が一向に訪れない。


 どうしたものか……困った事に、俺に他人を治療する手段はない。


「まだ、お腹の中で、動いてる、感じが……」


「私もです、クタニア様……」


 まだあの感覚が消えないらしい。


 そんな事はないはずだが……いや、そうか。


「お前ら、ここは夢の世界だ。自分が正常だと思えばその感覚も消えるはずだぞ。俺は二度目だから詳しいんだ」


「はい……やって、みます……」


 クタニアがぶつぶつと「私は正常」と繰り返し呟き出す。


 アルシスカも目を瞑り、気持ちを落ち着けているようだ。


「たぶんだが、この夢の世界では思い込み次第でプラスにもマイナスにも補正がかかる。あまりネガティブな事ばかり考えないようにした方が良い」


 アドバイスをしてから一分も経たずに二人は正常な状態を取り戻した。


「すいません、お手数をかけました」


「なんでお前は平気なんだよ……」


 アルシスカの愚痴はスルーして、元気になった二人と得た情報を共有する。


「敵の拠点は海中にある。思い込めば水中でも息ができるはずだから、気合いで何とかしてくれ」


「アルシスカ、大丈夫?」


「……何とかしてみせます」


 不安気なアルシスカだが、クタニアはこの件に関して何の不安もないようだ。


「クタニアは平気なのか?」


「あ、はい。私はクラゲの特徴を持つ魚人なので」


「ちょッ、クタニア様ッ!?」


 アルシスカの驚きようからして、クタニアの秘密に関連する事だと分かる。


 彼女の秘密と言えば不死性、不死性を持ったクラゲと言えばベニクラゲかな。


「アリドなら大丈夫です、きっと。いつか話す必要もあったでしょうし」


「それは……そうですが……」


 アルシスカは複雑な感情を顔に浮かべる。


 それはそれとして、ベニクラゲは死にかけた時に、ポリプというクラゲの赤ちゃんの形態まで退行して「生まれ直す」事ができる、理論上永遠の寿命を持つ生物だったと記憶している。


 恐らくクタニアは、復活ではなく、新生する事で不死性を得ている。


 色々と気になるけど後だな。今はソノヘンさん救出を優先しよう。


「クタニアの秘密に関する事なんだろうが、夢の世界で死んだら、たぶん関係ないぞ」


「はい、覚悟の上です」


 クタニアは強い意思を秘めた目を向けてくる。


 あの薬が劇物すぎて錯乱してただけで、救出に関する意欲は本物なのだろう。


「よし、じゃあ俺が先行して安全を確保するから、二人は合図があったら来てくれ」


「分かりました」


「ああ……大丈夫だ、私、行けるはずだ……」


 アルシスカ本当に大丈夫か?


 とりあえず信じるしかないので、先に海に飛び込む。


 水を掻き分け、海中に辿り着いた瞬間、計十二本の銛に出迎えられた。


 顔や腹部に突き刺さり、痛みが走る。


 やはり夢の世界では、痛覚の有無や肉体の強度に関係なく、精神が直接ダメージを負うらしい。


「(まあ『外なるもの』にやられた事に比べれば大した事はないが……)」


 痛いもんは痛いし、精神が削られる事で「道」に悪影響が出ないかが心配だ。


 周囲を見渡すと、眷属達が血走った目で俺を見ている。


 銛を持った十二匹のみで、それ以外には居ないようだ。


「こいつか!?」


「そうだ! こいつだ!」


 何の事かと思ったが、そう言えば死霊術師ネクロマンサーロールプレイしてたな。


「おや、もしやあの時の仲間を見捨て逃げ帰った者ですか?」


 声を変え、それとなくロールプレイ再開。


 両腕をスライムに変化させて、逃がした眷属と思われる一匹は捕え、他の眷属達は『破壊』する。


 念のため夢産の銛も壊しておこう。


 吸収は絶対にしない。


「この、化け物めぇ! 何なんだお前はぁ!?」


 情報を得る為に、恐慌状態に陥った眷属にカマをかけてみる事にした。


 優しく微笑み、視線だけは冷たくして、声をかける。


「貴方達はあの司祭をこの夢に捕えたつもりなんでしょうが、私にとって良い道標になりましたよ」


「う、嘘だ! 嘘、だ……そんな……あれは、偶然じゃ……」


 ソノヘンさんがここのどこかに居るのは間違いないらしい。


 あとソノヘンさんが来たのは眷属にとってもイレギュラーな事態だったようだ。


「なぜ五年間、一度もミスを犯さなかった男が今更失敗したと、都合よく思えたのですか?」


「いつから……裏切って……まさか、最初から……」


 分かるよ眷属君、都合の悪い事は誰かのせいにしたくなるよな。


 自分らの考えが足りなかったとは思わず、相手が卑劣で邪悪だと思い込めばいい。


 嫌な事は全部、死霊術師に押し付けてしまおうぜ。俺が許すよ。


 意識を奪うため眷属の全身をスライムで包み込もうとしたら、悲鳴を上げながら光になった。


 光は空へと飛んでいき、消えた。


「……ああ、そうか。現実に空の器があれば逃げれるのか」


 失敗したかなと思ったが、逆にここであの逃走手段を知れてよかった。


 どの道あいつは今回の件を全て死霊術師のせいにするのに必要な生き証人だ。


 周囲に眷属の影は見えない。


 上の二人に合図を送るとしよう。




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