第60話


 ――――――――――――――――。


『治れー!』


「ハッ!?」


 ここはどこ、わたしはだれ?


『二度目はないよ!』


「あっはい」


 丸くゲーミングに輝くあの神性は紛れもなく混沌神。


 何があったのかを思い出して……心が死にそうになる。なった。でも耐えた。


 何の二度目か分からなかったが、状況から察するに、どうも助けられたようだ。


 もう助けて貰えない……という訳ではないだろう。


『もう対策されたからね!』


「ちょっと世界の敵の頭どうなってんの?」


『人類のどの個体より上だよ!』


「ですよねー」


 もう二度とうかつな事できないねぇ……。


 肝に銘じておこう。


 ああ、そう言えば聞きたいが……。


『まだ私の使徒に成れないよ!』


「理由は」


『魂の強度不足!』


「鍛錬は」


『色々経験積む!』


「理解」


 混沌神の使徒は名乗っても良いけど、成る事はできないらしい。


 経験を積めば良いと言うけど、これって記憶の吸収から来る追体験でも良いのかな?


『いいよ!』


「やったぜ」


 これは良い情報を貰った。


 まあ魂が強くなったとして、使徒に成れる以外の恩恵が不明だが。


 ところで、混沌神は俺が勝手に『外なるもの』と戦ってる事に不満とかはないのだろうか。


『ないよ!』


「把握」


 本当に微塵もなさそうな即答である。


 あと聞きたい事は……そうだ、下水道での『外なるもの』を吸収しようとしたけどできなかった事はどういう理屈だったんだろうか。


『魂の容量不足!』


「増築は」


『鍛錬!』


「承知」


 結局、魂を鍛える事が『外なるもの』に対抗するのに必要らしい。


 今後の目標もできたな。


 ……いつもなら、ここらで混沌神から別れの言葉が飛んでくるのだが、今回はまだこの空間に居る。


 いつもはゲーミングに輝く球体状の神様が、なぜか人に近い姿を取っていた。


『真なる混沌の中に在りて、その魂を保てるならば君は使徒へと至るだろう』


 混沌神の雰囲気が変わる。


 いや、変わっただろうか?


 分からない、思い出せない。


 過去が曖昧になっていく。


 もしかしたら現在や未来もそうなっているのかもしれない。


 果てまで続く白に満たされていたはずの空間が、溶けるようにその裏側を覗かせる。


 混沌が在った。


 理解する――あれこそが、いつか全ての還る場所なのだと。


 遠くに見えるあの場所に吸い込まれそうになる。


 違う。自分から向かって行く。


 あそこに還る事が、とても自然で、当然の事なのだと確信する。


 心が、魂が強く惹き込まれて……。


『やっぱりまだ無理だね!』


 球体状のゲーミング混沌神の声で、魂が引き戻される。


「ハッ!?」


 俺は、何をしようとしていたのだろうか。


 白い空間はいつの間にか元通りになっていたようで、遠くに見えたはずの混沌はどこにも見当たらなくなっていた。


 どうしようもないほどに魅惑的で、抗う意思を持てなかった。


『これも経験だね!』


「成程」


 どうやら俺の魂に経験を積ませる為に、使徒になる為の試練を、受験前にやる事前テストみたいな感じで行ってくれたらしい。


 あれの中で自分の魂を保てれば、俺は使徒に成れるようだが……。


『頑張ってね!』


「りょ」


 頑張るしかないんだが、果たして世界がどうにかなる前に俺がそこまで到達できるだろうか。


『君次第!』


「ウス」


『じゃあね!』


「ァザッシター」




 今までで一番長い神様との会話だった。


 現実へ帰還したはずだが、何も見えず、聞こえず、感じない。


「(知らない天井だって台詞、言ってみたかったんだがな……)」


 どうやら完全に最初のスライムの体に戻ってしまったようだ。


 また一からアリドとしての体を作らねばならない。


「(色々経験する事で魂が鍛えられる……とは言われたけど、刺激的な経験を積んだ方が効果的なんかね)」


 異形の『外なるもの』に地獄の体験版をやらされた事で強くなれたんだろうか。


 なれたとして、どの程度強くなれたのか。


「(まあこれは聞いても答えてくれない気がする。数値として見えるとそれに依存して、数字の奴隷になる可能性もあるし……いや、そもそも数値で計れるような類いのものではないのかもしれんな、魂は)」


 考えを纏めながら人の身体を構築していく。


 視界が、音が、匂いが、気温と湿度が、世界が感じられるようになっていく。


 教会の一室だろうか……ベッドに机や椅子、タンスなどの家具が一通り揃っており、窓には魔力によるもやのようなものがかかっているが、透けて差し込む光から夜は明けているのだと分かる。


 基本となる身体を作ったあたりで、扉がノックされながら開いた。


「入るぞ、起きたか?」


「それノックの意味ある?」


 こちらの返答を待たずに入って来たのは声からしてアルシスカだと判断した。


 確信を持てなかったのは、いつもつけていた黒頭巾を外していたから。


 濃い灰色のショートヘアに、鼠のような丸く大きな耳、そしてどこか幼さを残す可愛らしい顔をしていた。


 ちなみに今の俺は全裸。


「……なっ、なんで脱いでるッ!?」


 驚いたアルシスカが顔を真っ赤にして叫ぶ。


「色々あって体を再構築してるんだよ。俺の本体がスライムって言ったし、見せただろ?」


「そ、そうか……いや、そうだったな……」


 そう言って茹だった顔を逸らすが、チラチラと俺の方に視線を向けているのが丸分かりだ。


 その視線の先も。


「言っておくが、男性器や女性器は作らないぞ」


「聞いてないッ! 気にもしてないッ!」


 おっそうだな。


「随分と喰い気味に返答されたけど、そう言うならそうなんだろうな」


「こいつ……ッ!」


 こう他愛もない言葉を交わしていると、日常に戻れた気がしてくる。


 日常か……転生してから前世みたいな日常は、一日たりとも送れた記憶がない。


 山と森の川沿いを少年と歩いていた時がギリギリ日常に含まれるかもしれないが、事実上は逃避行だったしな。


 スライムの身体を変化させて服を作成する。


「で、何の用だったんだ」


 俺が部屋に来た理由を聞くと、ぐっと何かを堪えた後、大きくため息を吐いた。


「……お前、自分がどれだけ寝てたと思う?」


 あの世界でどれだけの時間が経ったのか、正直俺には分からない。


 滅茶苦茶で理解不能な事になっていたからな。


「分からん。半日くらい?」


「三日だ。事前にお前がスライムが本体だって、私が聞いていなかったら危なかったんだぞ?」


「……そんなにか」


 思っていたより長い時間囚われていたようで驚いた。


 あとスライムと知られてなかったら危ない事になっていたらしい。


「いや、それより感謝すべきか……ありがとう、アルシスカ」


「フン」


 鼻を鳴らして不機嫌そうな顔をするが、それほど悪い気はしてないようだ。


 警戒や激昂していた時とは尻尾の動きが違うので、なんとなくそう思った。


「まあいい、お前が寝てる間にクタニア様と話をしておいた」


 たぶん共闘の申し出に関しての話だろう。


「ふむ、返答は?」


「クタニア様が自分で言うそうだ」


「ああ、そうだな。そっちのリーダーの頭を通り越して勝手に決めるのは面子メンツ的に良くないか」


 アルシスカが俺の言葉に頷く。


 そうだ、三日も経ったなら一つ聞いておきたい事がある。


「そういえば、ソノヘンさんはどうなったんだ?」


「……あの司祭は、まだ目を覚まさない」


 つまり三日以上も意識不明の状態か。


「儀式的な問題は?」


「無い……はずだ。少なくとも魂は正常だが、肉体の衰弱が酷いように見えた」


「ちょっと様子見たいから案内してくれ」


「分かった」


 アルシスカの案内でソノヘンさんが眠る部屋に到着する。


 ベッドに眠るソノヘンさんは随分とやつれていて、呼吸は浅く、長い間隔で行われている。


「食事とか水分は?」


「水なら身体を起こしてから何度か飲ませている。食事は無理だろう」


 まあ流動食なんて今の教会にないだろうし、意識の無い相手には難しいか。


「排泄物は?」


「あったら処理してる」


「偉い」


 医療従事者でもないのにと感心する。


 普通なら忌避感の方が勝りそうなものだが、彼女は違うようだ。


 根は良い子なのだろう。


 そういったものを放置しておくと病気の元になるから、清潔を保てているのはありがたい。


 夢で前世の友人を思い出したからか、医療関連の知識も思い出せた。


「そうだな……足りてなさそうな諸々をぶち込むから、水と食料を持ってきてくれ」


「どうにかできるのか?」


 手から管状のスライム触手を生やす。


「この管を通して、内臓にすぐに溶けて吸収しやすく加工した水と食料を届ける」


「……何でもありだな……まあいい、分かった。何か持ってくる」


 アルシスカが部屋から出て行く。


 輸血用の血液も造血しておくか。


 血液型は知らないが、因子を回収しているので不可能ではないはず。


 あと触手で腸内洗浄もしないとな。


 でもこれ、目が覚めた後に言ったら尊厳破壊しちゃわないかな?




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