第59話


 ※ 三人称視点



 闘技場にて、スライムと異形の『外なるもの』が戦っている。


 そこは戦いの為の場所であり、その行動に何の不備も、不審もありはしない。


 だがスライム――アリドは、直前まで逃げる算段を立てていたはずだった。


 本来、夢とはそういうものだ。


 夢と気づけないのなら、どんな荒唐無稽こうとうむけいも受け入れられてしまう。


 アリドはその違和感に気付けない訳ではない。


 今もまた、逃げようとしていた事を思い出し、試行錯誤を始める。


「■■■■■■■■■■■」


 異形が唄うように声を出す。


 鯨の声に似た、あの音だ。


 世界が切り替わり、常識が、現状が、目的が、別のものに置き換わる。


 こうなる度に夢に堕ち、明晰な意識を失うアリドに為す術はなかった。


 記憶しておく事もできない。


 夢での出来事は、目が覚めれば泡沫のように弾けて消えてしまうものだから。


 どうしようもなく詰んでいた。


「戦争……」


 アリドがぽつりと呟いた。


 大震災を彷彿とさせる光景が広がり、空には異形の怪物が我が物顔で泳いでいた。


 あの怪物をどうにかしなければならないという、強い使命感に支配される。


 これは人類の生存をかけた闘争なのだ。


 我々こそが人類最後の砦となり、最期の一時まで徹底的に抗うのだと。


 無数の手足がビルに触れると、まるで崩れる積み木のように崩れ、壊れる。


 彼の眼前で戦友が瓦礫に押し潰され、赤い液体が地面と瓦礫の間から噴き出す。


 その事実に驚き、急いで助けようとするものの、既に手遅れだと気付く。


「クソが……」


 戦友の死体から対物ライフルを奪うと、外れようのない空の的へと狙いを定める。


 銃声。


 弾丸が腹部の顔の群れのどこかに着弾したはずだが、何の変化も見えない。


 遠近感が狂いそうな巨体を見上げて、沸き上がる絶望に膝を突きそうになる。


「いや、まだだ」


 現代なら他にも強力な兵器は数多くある。


 何かあるはずだと、当てもなく廃墟となった都市を走る。


 途中で異形にビルが倒されたり、地面が崩れ落ちて底の見えないほどの大穴が現れたりする。


「(……おかしい)」


 そして違和感に気付く。


「(こんなに走ってもまるで疲れないし、おまけに後ろや頭上が見える……)」


 人間としては持ちえない能力を、さっきまで当然のように使っていたアリドだが、夢に慣れて思考が安定してきたのか、意識が明瞭になっていく。


「そうだ、違う……これは夢――」


 そして、それを察知した異形が唄う。


「■■■■■■■■■■■」


 再び世界が変わる……。




 これを幾度となく繰り返している。


 何十、何百と繰り返された。


 どれだけ絶望させても、どれだけ苦しめても、彼の心は折れない。


 異形の『外なるもの』がくらい虹色の単眼でアリドを捉える。


 その瞳は、未だ燦然さんぜんと輝いている彼の魂を映す。


 綺麗だ――そう異形のものは感じた。


 あれが欲しい――その欲望がアリドに向けられた。


 夢が変わる。


 いや、堕ちる。


 より深く、より曖昧に、彼我の境界が薄れて無くなるほどに。


 異形の『外なるもの』は、アリドを夢よりもずっと深い次元へと連れ込んだ。


 そこは世界の内側。


 物理的な意味ではなく、概念的に深い場所だ。


 人類の集合的無意識、あるいは普遍的無意識が存在する領域と言えば伝わるだろうか。


 世界の内側という領域にあるのは、それらのみではなく、もっと広い。


 異形の『外なるもの』が、その広大な領域の一角に、物理的な現象の一切を排斥した異界を創り上げる。


 夢を創る権能の応用だ。


 この異界の中では、魂が剥き出しになるよう設計されている。


 魂がないのであれば話は変わるが、アリドはその例外とはならない。


「ここは」


 アリドの魂が夢から目覚める。


 同時にどうしようもない状況である事も把握する。


 手も足もなく、自慢のスライムの体もない。


 形而上けいじじょうの不可思議な次元に居る事に気付くアリド。


 沈む心、濁る思考、しかしそれでも、魂だけはくすむ事も褪せる事もなかった。


 一瞬、魂が閃くように光を放つ。


「いや、むしろ、この視点なら座標を得られるか?」


 この状況で、僅かながらも希望を見い出す。


 アリドは不安定な魔力を操り、起死回生の一手を狙う。


 しかし、それを黙って見ている『外なるもの』ではない。


■■■■■■■■■■■貴方を私のものにしたい


 その声がアリドに届く。


 言葉の意味は伝わらないが、言葉に宿る意思は伝わってくる。


「――ふざけるな」


 当然ながら、アリドの返答は拒絶。


 異形の『外なるもの』はそれに悲嘆も失望もせず、嬉しそうに笑った。


 そうでなくては――と。


 感情が、意思が、ダイレクトに伝わってくる空間。


 何ができるのか、何をすればいいのか、アリドは思考を巡らせて答えを探す。


■■■壊れて


 魔力に概念を宿すように、響く言葉に概念が宿り、アリドに牙をむく。


 叩きつけられるそれに、彼は抵抗する事もできず、精神も魂も破壊される。


 当然、死んだ。


 強くやりすぎた――そう思う異形の『外なるもの』だが、焦る様子は見せない。


■■戻れ


 異界へと『外なるもの』が命令を下すと、時の推移が反転する。


 時間が巻き戻り、アリドの魂が復元される。


 神の如き御業であるが、しかし未だ神の座を得てはいない。


 不完全でありながら、これだけの力が振るえるからこそ『世界の敵』と言えるのだろう。


「――え?」


 異界の中の時間は逆行したが、アリドの魂に蓄積された時間は減らない。


 彼は愕然とし、恐怖し、理解ができずに、ただ固まる。


 時を含める完全な支配は『外なるもの』の権能で創り出した異界にのみ有効だ。


 壊れたアリドの魂は、即座に異界に取り込まれて、異界の一部として認識されるので、復元だけはされる。


■■■■■■■■■今度は優しく壊すね


 先ほどより手加減された『破壊』の概念が叩きつけられた。


 それでもアリドの精神は壊れ、魂がバラバラになる。


■■戻れ


 次はもっと弱めよう――そう思う『外なるもの』は、ふと不安になって復元されたアリドの魂を見る。


 曇っていないだろうか、穢れてしまわないだろうか、そんな心配は――外なるものにとっては――嬉しい事に一瞬で吹き飛んだ。


 ああ、まだ綺麗なままだ――きっと、何度壊しても、繰り返しても、この魂は綺麗なままなのだろう……『外なるもの』はそんな確信を得る。



 アリドは精神と魂を壊された。


 魂が壊れなくなったら徐々に精神を壊され、その苦痛でまた魂が壊れた。


 苦痛が原因ならばと今度は思考能力や感受性を壊される。


 何度も壊され、壊され、壊されて……その度に完璧に、完全に復元される。


 無間地獄にも似た破壊と再生の繰り返しに、アリドは戻された瞬間から心が死ぬようになった。


 それでも続く。


 何十、何百、と繰り返された地獄の果てに、ついに無垢となった魂が異界に漂う。


 魂はそれでも、光を保っていた。



 この恐ろしい地獄を創り出した存在は『外なるもの』という名称の通り、この世界の外に本体が在る。


 この世界に降り立っているのは『化身アバター』に過ぎない。


 高位次元の存在が、低い次元にそのまま降り立つ事はできない。


 無理にそんな事をしようとすれば世界の方が壊れてしまう。


 例えば、紙に描かれた二次元に、三次元の人が入れるだろうか?


 答えは分かり切っている――否だ。


 それでも低い次元に干渉ができない訳ではない。


 人がゲームなんかで二次元内のキャラクターを動かせるように、『外なるもの』も高位次元から三次元で活動できる『化身キャラクター』を用意するのだ。


 逆に三次元から高位次元に魂を連れ帰る方法は少ない。


 この『外なるもの』が取れる手法としては、疑似的な高位次元と、空間を繋ぐ門の創造を行い、化身に魂を運搬させるしかない。


 門を創る次元が大きくズレていると、門の維持ができないばかりか、空間が捻れて繋がらない事もある。


 確実にお持ち帰りをしたい『外なるもの』的には、そんな博打は撃てない。


 低い次元に適応させた化身は、本体の居る次元に戻す時にきっと壊れてしまうが、魂の保護のためならしょうがないと割り切る。


 それは世界の侵略から手を引く事を意味するが、この魂が持ち帰れるなら他は要らない……というのが『外なるもの』の考えだった。



 異形の『外なるもの』が創り出した異界が重なり合う。


 異界創造のリソースは、異夢の秘薬によって夢に囚われた人々の魂だ。


 少し前にアリドが到着した海底が今見れるなら、地獄絵図が目に入るだろう。


 現実世界でも、夢の世界でもこれほどの異界を創る事はできない。


 世界の許容量を上回るためだ。


 だから世界の内側に広がるこの領域へとやって来た。


 お持ち帰り計画の第一関門を突破した所で『外なるもの』が異変に気付く。


 創り出したはずの複合異界が支配できなくなっている。


 そんな事はあり得ない――『外なるもの』が創造主であるこの領域において、支配は絶対だ。


 だが、事実として複合異界の制御は『外なるもの』の手を離れていた。


 何者かが複合異界をより高いレベルで次元を安定させているようだった。


 慌てて『外なるもの』は、それがあり得る条件を考える。


 この複合異界すらも収められる、この領域の主であるのならば、あるいは……。



 果たして、その考えは正鵠を射ていた。


 世界が震撼する。


 集合的無意識が鳴動する。


 そして『外なるもの』は慄然とした。


 既に複合異界は別のものへと変えられ、神の一面が降り立つに足る領域となった。


 この宇宙の全ての始まりから終わりまでを内包する存在。


 荒ぶる混沌の御霊が、創成された高位次元に、その威容を顕した。


 恒星よりも熱く、熾烈な憤怒と、絶対零度の殺意が『外なるもの』に突き刺さる。


 失敗した――それが異形の『外なるもの』の、この異界での最後の思考だった。




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